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天才

Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)


睾丸が破裂する感触が伝わり、生臭い匂いが周囲に漂う。

崩れ落ちたゴブリンウォーリアの延髄に蹴りを放った。

「俺がどれだけ強くなったか、お前で試させてもらうぜ」

俺はホブゴブリンへと飛び込んでいく。

「ぐごおおおおお」


 ホブゴブリンがバスタードソードを振り回す。大振りなワイルドな一撃。


 少しだけ後ろに下がり、攻撃をかわす。風圧が髪をなでる。顔に当たれば簡単に命が奪われる。そう、容易に想像できる威力を感じさせる。


 振りが大きいと、威力もでかいが隙も多くなる。俺は間合いを詰めるために飛び込もうとして、急ブレーキを掛ける。


 ホブゴブリンの下半身に違和感がある。急ブレーキを掛けた後、俺の目の前を同じゴブリンが攻撃したとは思えないほど、鋭い切り返しの斬撃が通り過ぎた。


 攻撃を空振りしたにしては、下半身に力が残っていた。おそらく冒険者リーダーとの攻防で技術を盗んだのだろう。力みのない、鋭い攻撃を仕掛けてきた。


 驚いた。フェイントを掛けるために最初に今まで通りの荒い攻撃をしてきたこと、短い攻防で技術を盗んだこと、それを実戦でいきなり使用したこと。


 このホブゴブリンはヤバイ。


 学習能力とセンスが桁違いだ。天才と呼ばれる人種だと俺は思った。人間に生まれていたなら、名を成したかもしれない。


 冒険者リーダーの高い技術力が、ホブゴブリンをひとつ上の技術レベルに押し上げてしまった。想定外の事態。


 ゴブリンが一戦しただけで、相手の技術を盗むなど誰も想像できないはず。




 なぜか俺は笑顔になっていた。自分が戦闘狂(バトルジャンキー)だとは思っていなかった。体が熱くなる。心臓が早鐘を打ち、血液が高速で巡回する。


 (はや)る心と体を落ち着かせるように息を吐く。そして、ホブゴブリンの間合いへと飛び込んでいく。


 コンパクトな袈裟斬りをステップでかわし、角度を変えながら徐々に距離を詰めて行く。己の攻撃の間合いに入り、ひとつフェイントを入れてから懐へと飛び込んだ。


 水月に突きを入れようとしたが、ホブゴブリンは刃筋を立てて水月を守っている。無理に攻撃を仕掛けても拳を怪我するだけだ。


 今まで冒険者で、武器を使い防御するという行動をとる奴はいなかった。


 素手での攻撃に慣れていないため、対処方法が思いつく暇もなく俺に殺されていたからだ。


 ホブゴブリンは一瞬で武器で防御して、素手の俺が攻撃できないようにする。という有効な防御方法に到達した。


 一見、単純で誰もが思いつくと考えるだろう。


 しかし、武器での攻撃が当たり前の世界で、突然素手で攻撃を仕掛けられる。その状態で、即座にその防御法を思いつくだろうか? 俺には無理だと思う。


 まさか異世界で最初に出会った天才がホブゴブリンとは、想像もできなかった。


 おそらくゴンズと同等のフィジカルレベル。技術を盗み、有効な対処法を即座に思いつく格闘センス。凡人の俺とは違う、まさに天才と言える存在だった。


 しかし、俺には技術の研鑽を重ね続けた地球の武術がある。


 俺は中段突きを止め、ローキックを放つ。下半身を蹴るという攻撃はさすがに予想外だったらしく、綺麗に体重を掛けていた前足の膝にヒットした。


 痛みで一瞬、動きが止まるホブゴブリン。俺はさらに間合いを詰める。超至近距離、拳ひとつ分のスペース。


 中国拳法の達人は、この超至近距離での戦闘を得意としたという。加齢により力とスピードが衰え、若い相手に勝てなくなる。


 だが、極端に接近してしまえばスピードの差が埋まる。距離が離れるほど、スピードが速い方との差がでかくなるからだ。


 強い力も、ある程度距離が無いと発揮しにくい。


 近距離で力を生かすには、相手を掴む。密着状態で効率的に力を伝える。などの特殊な身体操作を習得しなくてはならない。


 老齢に達した中国拳法の達人は、相手に密着し、細かい技術で相手の力とスピードを封じ込めてしまう。


 オーソドックスに構えるホブゴブリンに対し、俺はサウスポーに構える。外側から、ホブゴブリンの膝を斜め上から押し付けるように自分の膝を当てる。


 こうされると、膝が押さえられている方向に体を動かせない。


 斜めの角度からホブゴブリンに対峙しているため、俺からの攻撃は近く、ホブゴブリンからの攻撃は遠くなる。


 剣の柄でホブゴブリンが攻撃をしようとする。押さえていた膝を離し、ホブゴブリンの踵を手前に払うように足払いをする。


 反応の遅い奴なら、これでこける。ホブゴブリンはすばやく反応し、体勢を立て直す。さすがの反応だが、それでも隙ができる。


 左アッパーで顎を跳ね上げ、右フックで上を向いた顎を打ち抜く。しっかりとした手ごたえを感じたが、ホブゴブリンは倒れない。


 恐ろしいタフネスだ。


 脛を足裏で軽く蹴り、脇腹の肉を抓りながら引きちぎる。眼球に唾を吐きかけ、脇の下に指を押し込む。


 至近距離で的を散らし、距離を潰して張り付く。ホブゴブリンが強引に仕掛けようとしたら、足払いや首相撲でバランスを崩す。


 全神経を集中させ、わずかな予備動作も見逃さない。小技に業を煮やしたホブゴブリンが、強引に仕掛けるとバランスを崩させて隙を作る。


 隙ができたら強めの攻撃でダメージを与える。


 セコイ技に見える。しかし、実戦でこれらの技術を使い、自分よりフィジカルが優れている相手をコントロールすることは難しい。


 小技、ポジショニング、崩し。これらを複雑に絡み合わせながら、相手の圧力をいなしていく。


 ここまで接近されると武器が邪魔になる。かといって武器を手放して素手で俺と戦っても、素手での技術差がありすぎて勝負にならない。


 ホブゴブリンはそのことが分かっているのか焦っていた。このまま戦っても少しずつ削られる。


 ホブゴブリンが優秀だからこそ焦りを覚えているのだろう。ゴブリンが焦る気配を感じながら、俺も焦っていた。


 散々森を追い掛け回されたせいで体力が限界に近かった。


 フィジカルに優れ、技術力もあるホブゴブリン。その圧力を至近距離でいなし続けるのは、体力、精神力共に激しい消耗を強いられる。


 対応力に優れたホブボブリンは、徐々に小技に対応しだしている。小技の引き出しもなくなりかけていた。


 業を煮やしたホブゴブリンがバスタードソードから片手を離し、首を掴もうと手を伸ばす。上段受けでホブゴブリンの腕を跳ね上げ、がら空きになった脇腹に突きをねじ込んだ。


 メキィとホブゴブリンの硬い肋骨が砕ける感触が手に伝わった。その瞬間、ゾクリと背筋に冷や水を流したような感覚があり、バックステップで飛び退く。


 ブンとホブゴブリンの脚が振られる音が聞こえた。肋骨を砕かれながら金的に蹴りを放ったのか……。


 なんという精神力。


 ダメージは与えたが、距離を空けてしまった。また命をベットして距離を詰めなくてはならない。


 消耗が激しい、嫌な汗が流れる。


 折れた肋骨にもう一撃入れておきたかった。折れた肋骨が内臓に突き刺されば、タフなホブゴブリンでも動きが鈍っただろう。


 ジリジリと間合いを詰める。ホブゴブリンの間合いに入ったが仕掛けてこない。つま先だけでジリジリと歩く。


 1ミリ1ミリ距離を詰める。緊張で胃がキリキリと痛み、肌がピリピリと痺れる。


 撒き散らされていたホブゴブリンの殺気はなりを潜めていた。


 噴火直前の火山のように、殺気を含むすべてのエネルギーを内側に圧縮し、俺に放つ一撃を準備しているのが伝わった。


 ホブゴブリンは一歩踏み込み、横に1回転しながらハンマー投げのように横薙ぎの斬撃を放つ。


 ここに来て超大振りの攻撃?


 疑問に思いながらもバックステップで攻撃をかわす。ホブゴブリンはそのままもう1回転しながら、ハンマー投げのようにひねりを加え、バスタードソードを俺に投げつけた。


 ブンブンと回転しながらバスタードソードが俺に迫ってくる。完全に予想外の攻撃に、俺は一瞬動きが止まってしまう。


 避けられない! 俺が死を予感した時だった。世界がゆっくり流れる。かつて二度ほど体験した世界。集中の極地、ゾーンと呼ばれる状態だった。


 ゆっくりと回転しながら迫ってくるバスタードソード。回避は間に合わない。俺は回転を計算しながら前にでる。


 刃ではなく、柄に向かい肩から体当たりをかました。メキィと肩に柄がめり込む感覚。バキリと左肩の骨が砕ける音。世界は速度を取り戻し、激痛が俺を襲う。


「くあああああ」


 覚悟していても痛い。思わず悲鳴を上げる俺。その隙を見逃さず距離を詰めてくるホブゴブリン。


 ホブゴブリンがワイルドなスイングでストレートを放つ。何とか拙いダッキングでパンチをかわすと、左アッパーが飛んできた。


 俺がホブゴブリンに放った攻撃を、もう学習している! 雑なストレートは俺の回避方向を誘導するためか! 慌てて攻撃を受けるが、体勢が悪い。


 うまく力を流すことができず、圧倒的な力で受けが弾き飛ばされる。


 がら空きになった俺の顔面に、最初のストレートとは全く違う鋭いストレートが迫ってきた。


 俺は前に出て、拳に頭突きするように頭で拳を受ける。額の上、頭蓋骨の一番硬い部分。ガツンと強い衝撃が頭に伝わり、視界が歪む。


 歪む視界でホブゴブリンの追撃に備えるが、追撃は来なかった。


 ホブゴブリンの拳が砕けていたからだ。予想外の痛みに、動きを止めてしまったホブゴブリン。


 ガクガクと笑う膝に鞭打ち、何とか攻撃を仕掛けようとした俺の目に、赤いカーテンが掛かる。頭から流れた血が、左目の視界を塞いでいた。

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