光へ
Previously on YazinTensei(前回までの野人転生は)
小汚い男が話しかけてきた。
右手には、いつの間にかナイフが握られていた。
まさか毒?
刺された部分が焼けるように痛む。
死んでたまるか、足を動かせ!
村娘、もう一度会いたいなぁ。
深く暗い水の底へと落ちていく。
ゆらゆらとゆれながら。
何処までも深く落ちていく。
やがて光は届かなくなり。
冷たい水が肌を刺す。
ゆらりゆらりと沈んでいく。
恐怖はない。
静寂が不思議と心地よかった。
やがて水底へと辿り着く。
ドロドロとした黒い粘液へと着地する。
黒い粘液が体に纏わり付き、俺を飲み込んでいく。
そこで俺は急に恐怖を感じた。
肌に纏わりつく粘液の不快感。凍えるような冷たさ。
俺は必死に暴れて抜け出そうとする。
すると粘液が形を変え、手の形になり俺を掴み引きずり込む。
俺は恐怖でパニックになり、必死で暴れて振り解こうとする。
粘液がまた形を変える。村長、村の自警団、騎士、冒険者三人組、対人戦に慣れた冒険者、俺を刺した小汚い男。
粘液が俺に殺されたヤツラに形を変え、呪詛の言葉を吐きながら俺を引きずり込もうとする。
俺は必死に抵抗するが全身を飲み込まれてしまう。何も聞こえない暗闇の静寂、肌を刺す凍えるような冷たさ。
人を殺した罰なのだろうか? 彼らの呪いなのだろうか? 粘液は体に纏わり付き、俺から自由を奪う。
体から力が抜ける。これで良いのかもしれない。もう怯えながら生きる必要もない。これで楽になれる。
俺は暗闇を受け入れ静かに目を閉じた。
冗談じゃねぇ! 諦めてたまるか!! 俺は生きる、生きて幸せになってやる!! 邪魔する奴は全員ぶっ飛ばす!! 呪いだろが悪霊だろうが、かんけぇねぇ!!!
俺は粘液を振り払う。咆哮を上げながら必死にもがく。死んで終わりになんかしねぇ、生き汚くても、情けなくても、俺は生きる!
俺は粘液を振り払い、村長の顔をした粘液を殴り飛ばし、必死に水面へと泳いでいく、光へと。
声にならないうめき声を上げながら体を起こすと、ズキっとわき腹が痛んだ。一瞬パニックになりかけたが、俺は落ち着いてあたりを見回す。
どうやら俺は清潔なベッドに寝かされていたらしい。白を基調とした清潔感のある部屋、空けられた窓からは、日の光が優しく降り注いでいる。
穏やかで暖かな空間。さっきまでの水底とは違う、温かみにあふれた世界。
さっきのは夢か……俺はふぅと息を吐く。
久しぶりに悪夢を見た。苛酷な環境にいるわりには、悪夢をあまり見なかった。夢を見る余裕すらなかったのかもしれない。
落ち着いてくると急に恐怖が襲ってきた。毒の焼けるような痛み、動かなくなる体、日本とは違う治安への不安。
本気で死ぬかと思った。
今になって恐怖が襲ってきた。そして、喜びがやってくる。掌を胸に当て、鼓動を感じる。
生きている、俺は生きている。生きていることへの喜びを噛み締めながら、そう思った。
意識を失う間際、死が己の
俺は地球人の野崎人志ではなく、この世界で野人として生きている。そう改めて実感した。
助かったが安全な場所にいるとは限らないと思い直し、気配察知を全開にして気持ちを切り替える。
すると、俺のいる部屋に向かってくる人の気配を察知した。扉が開くと。俺の知っている人物が立っていた。
「おや、ようやくお目覚めかい」
クレイアーヌさんが俺に話しかける。どうやら診療所に辿り着けたらしい。
「あんたは診療所の前で倒れてたんだよ。刺し傷は浅かったけど毒が全身に回っていた。助かってよかったよ」
「治療して頂いてありがとうございます。お陰で命を拾いました」
俺がペコリと頭を下げると、クレイアーヌさんは意外そうな顔をした。
「冒険者のわりには行儀が良いね。毒付きのナイフで刺されるなんて普通じゃないからね。カタギじゃなくなったアンタが変わってなくて安心したよ」
「まだ冒険者になって間もないですから」
「それなら安心だね」
「はい、無礼な振る舞いはしません」
「いや、まともそうだから、治療費を踏み倒して逃げないだろうってことさ」
そう言われて俺は苦笑いした。
クレイアーヌさんは、領主の義理の娘。そのクレイアーヌさんが経営している診療所の代金を踏み倒す。そんな命知らずなマネ俺にはできない。
「代金はきっちりお支払いします」
「そうしてくれるとありがたいねぇ、薬代を払えない貧しい人たちもいるからね。うちの診療所も忙しい割に儲からなくてね」
「命を救っていただきました、たっぷりと吹っかけてください」
俺がそう言うと、クレイアーヌさんはキョトンとした後吹き出した。
「あはははは、今まで代金を値切ろうとした患者は多かったけど吹っかけてくれなんて言う奴はじめてだよ、アンタ面白いね」
「命を救っていただきましたから」
「そういうことなら遠慮なく吹っ掛けさせてもらうよ」
クレイアーヌさんはそう言って、ニカっと笑った。
領主の養女で名前がクレイアーヌ。深窓の令嬢をイメージするが、実際は姉御って感じの人だな。そんなことを思った。
「そうだ。アンタ、ベルに感謝しなよ」
「村娘にですか?」
「アンタを見付けたのはあの子だよ、何度か目が覚めているけど記憶はあるかい?」
「いえ、覚えていません」
「アンタは3日間、熱に浮かされて覚醒と昏睡を繰り返していた。その間アンタを世話したのがベルさ。体を拭き、スープを飲ませ、排泄物の処理まで、かいがいしく世話をしていたよ」
俺は頬が赤く染まった。前まで好きだった子に下の世話までしてもらっていたとは……。感謝と羞恥が同時に襲ってきて、頭が混乱しそうだ。
「腹の刺し傷も傷自体はもう塞がっている。毒もそこまで厄介な毒じゃなかった。薬にも使われる毒草と痺れ草を煮詰めて濃度を濃くした奴さ、よくある毒だよ。アンタは毒が直接体内に入ったし、動き回ったから毒が全身にまわったんだろうね。解毒剤を飲ませたから、もう体内に毒は残っていないよ」
そう言われて、改めて刺された部分を見る。すでに傷口は塞がっていた。たった3日で傷口が塞がるとは、ファンタジー世界の薬草おそるべし。
「アンタには悪いけど、ベッドを使いたいって患者は多いんだ。今日中に出ていってくれるとありがたいんだけどね」
「分かりました。その前に村娘と話をさせて頂いてもよろしいですか?」
クレイアーヌさんは少し眉をひそめた。
「正直、毒の付いたナイフで刺されるような人間とベルを関わらせたくないんだけどね」
「お礼を言うだけです」
「わかったよ、礼だけ言ったらすぐ診療所から出ておくれ。そして、これからもベルと関わらないで欲しいね」
「はい、わかりました」
「おっと、忘れていたよ。こいつを持っていきな」
そう言ってクレイアーヌさんが出したのはナイフだった。
「アンタに刺さってたナイフさ、毒は洗い流したがこんな物騒なもの診療所においとけないよ」
渡されたナイフは、肉厚でシッカリとした作りをしていた。俺が使っていた安物のナイフと違い、良い品だとひと目で分かる。
自分の腹に刺さっていたナイフだということを考えなければ、良いナイフを貰ったと喜ぶべきだろう。
俺は礼を言うと、村娘を呼んでくるとクレイアーヌさんは部屋から出ていった。しばらくして、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
気配察知で分かっていたが、なぜか緊張する。俺は入って大丈夫だとノックに返事をする。
扉が開き、別れたときと変わらない村娘がそこに立っていた。いろいろあり過ぎて長く感じたが、別れてからそんなに日が経っていないと気付いた。
「村娘が見つけてくれたんだって? また命を救われた、ありがとう。世話もしてくれたみたいだね。それもありがとう」
「いえ、良いんです。それよりゴブリンさん、もう怪我は大丈夫なんですか?」
「あぁ、毒も抜けたし傷も塞がった。もう退院して良いそうだ」
「そうですか、良かったです」
「二度も命を救われたな。本当にありがとう、村娘」
「ゴブリンさんには、ホブゴブリンから助けてもらいました。村長さんの息子さんからも。だから、これでおあいこです」
そう言うと村娘は笑った。綺麗な笑顔だ、村娘には笑顔が似合う。
いきなり町中でナイフを刺されるような状況だ。俺と親しいと思われたら、村娘に危害が及ぶかもしれない。
クレイアーヌさんが心配していたのもわかる。この笑顔を守るために、俺は側にいない方がいい。
「礼を言いたかっただけなんだ、もう退院するよ。本当にありがとうな」
「ゴブリンさん、これ」
そう言うと、村娘は紙と袋を渡してきた。
「これは?」
「私の作った解毒薬と解毒薬のレシピです。私が教えたって内緒ですよ」
村娘は、いたずら小僧のような笑みを浮かべて言った。胸が温かな気持ちでいっぱいになり、思わず涙が溢れそうになった。
「ありがとう、誰にも言わないよ」
「約束ですよ」
『さよなら』とも『またね』とも言わず、俺たちは別れた。
受付で治療費を払う。幸い、冒険者の装備を売った金で支払えた。俺は診療所を出ると、建物に一礼してから冒険者ギルドへと歩き出す。
刺されたわき腹より、胸がチクリと痛んだ。