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07.第一章五話


 王宮に向かうラスペード侯爵家の馬車の中には、ベルティーユとレアンドルだけでなくカジミールとトリスタンもいる。出発前に二人が同行すると言い出し、ついて来たのだ。

 馬車の中は誰も口を開くことがなかったため静かで、ただ揺られるだけの道中だった。


 王宮に到着すると、兄たちが先に降りる。最後にベルティーユが降りようとすると、ゴツゴツと骨張った手が差し出された。トリスタンがじっとベルティーユを見上げている。


「ここは王宮だ」


 つまり、人目があるのだから兄としてエスコートさせろということらしい。侯爵邸を出る時、馬車に乗る際のエスコートを断ったので、今度は前もってこうして告げたのだろう。


「貴方たちの体裁なんてどうでもいいです」


 手を取ることなくベルティーユが微笑みながら言い放つと、トリスタンは「あ……」と声を零した。人目があるところとないところで対応が異なることを非難したベルティーユの言葉を思い出したのかもしれない。

 今の兄たちは、普段からベルティーユを気にかけている。しかし、ベルティーユはそれを受け入れていない。あの言葉が、本来は仲が良くないのに取り繕うことには長けていた者たちへの苦言でもあると、きちんと理解しているようだ。


 ベルティーユが一人で降りると、トリスタンは自身の手をぎゅっと握って下ろした。それを尻目に、ベルティーユは王宮を見上げる。

 婚約者として定期的に第二王子とのお茶会があったため、何度も足を踏み入れたことのある王宮は見慣れている。ベルティーユは王宮に来なければ彼となかなか会えなかったけれど、ミノリには彼のほうから侯爵邸に会いにきていた。忙しい立場の彼が、わざわざ時間を作って。


「ラスペード侯爵家の皆様、お待ちしておりました」


 あまりいい思い出もない場所に感慨深さも何もなく視線を前に向けると、第二王子の従者が頭を下げていた。

 従者に案内されて王宮の中を進んでいく。すると、予想外の人物が廊下の向こうから近づいてきた。


 リュシアーゼル・ブノワ・ユベール。領地の外にほとんど出ることのない若い公爵だ。黒髪と紫の瞳、秀麗な顔立ちで未婚。婚約もしておらず、貴族令嬢の結婚相手として人気の相手である。

 まさか彼が王都にいるとは思ってもいなかったうえに、こうしてベルティーユが王宮に来たタイミングで遭遇するとは更に驚きである。

 落ち着いていて少し俯き気味だったリュシアーゼルの目が、ふと上げられる。


「レアンドル殿、久しいな」

「お久しぶりです、公爵閣下」


 レアンドルのほうが年上だけれど、リュシアーゼルはすでに当主であり身分も公爵とラスペード侯爵家より上であるため、レアンドルが敬語を使っている。


「四兄妹が揃っているとは珍しい」


 レアンドルとの挨拶を済ませたリュシアーゼルの視線が後ろのベルティーユたちにも流れてきて、双子が一礼する。ベルティーユも、厳しい教育を受けてきた体が勝手に動いてくれて、優雅なお辞儀を披露した。そして、リュシアーゼルの視線はそのままベルティーユにとどまる。


「本日は殿下にお会いに?」

「はい」

「それは引き止めてはならないな。私はこれで」


 婚約者同士の逢瀬の時間を奪ってしまっては悪いと伝えてくるリュシアーゼルとの会話は、貴族らしい腹の探り合いや長ったらしい社交辞令の応酬もなく、驚くほどあっさり終わった。去っていく彼の後ろ姿をちらりと眺めて、ベルティーユは前を向く。

 皆が歩みを進める中、トリスタンも振り返ってリュシアーゼルを気にしていた。


「ユベール公爵がいるとか珍しいな」

「異世界人について何か助言が得られないかと、陛下がお呼びになったのです」

「ああ、なるほど」


 ユベール公爵家の先祖には異世界人がいる。当時のユベール公爵家の次期当主が異世界人を保護し、そのまま結婚したのだ。その歴史があるから、異世界人に関する情報を求めて彼を召喚したのだろう。


「ユベール公爵家にかつて嫁がれた異世界人と此度の異世界人は同郷であることも判明しました」

「すげぇ偶然だな」

「ええ。そのおかげかミノリ嬢は親近感を抱いてくれたようで、色々と公爵閣下に質問を――」


 まずいと言わんばかりにはっとして言葉を切った従者は、わざとらしい咳払いをする。


「いえ、今はそれよりも重要なことがございます。殿下はラスペード侯爵令嬢とお会いになるのをとても心待ちにしておられます。手紙が届いてから落ち着きがなくまともに睡眠も取れないほどで……それは手紙が届く前もそうだったのですが、ここ数日はとにかく嬉しそうにそわそわし、ラスペード侯爵令嬢がお好きなお菓子をはりきって準備させておりました」

「その割には、直前まで公爵との謁見に時間を使っていたようですね」


 ベルティーユの刺を纏った声に、まるで空気が凍ったような重苦しい沈黙が流れる。従者の顔が青ざめ、トリスタンとカジミールからはわざわざそういう指摘をするなよとでも言いたげな眼差しが送られてきた。

 異世界人について助言をもらうための謁見の場に、異世界人を発見、保護した第二王子がいなかったとは考えづらい。そう思っての言葉で、従者の反応を見る限り、その推測は正しいようだった。


「ユベール公爵はなかなか王都にお見えになることがありませんから調整が難しく、どうしてもこのタイミングになってしまって……しかし、殿下がラスペード侯爵令嬢を蔑ろにしているわけではございません! 一刻も早くお会いしたいという思いから、なるべく直近の――」

「理解しています。殿下はお忙しいお方ですから」


 慌てて補足を始めた従者にそう返すと、従者はほっと安堵の息を吐く。その様子を冷めた目で見て、ベルティーユは小さく息を吐いた。


(好きなお菓子って言ったって、どうせ……)


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