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65.第六章二話


 食堂で朝食を終えると、テオフィルの頭を撫でたリュシアーゼルが仕事があるからとあっさり出かけて行ったので、身構えていたベルティーユは拍子抜けしてしまった。

 テオフィルも早速、後継者として勉強に励んでおり、ベルティーユはジャンヌと共に応接室にいた。ベルティーユの正面には、ニコニコのマノンが腰掛けている。


「テオフィル様の呪いが解けて、犯人も無事に捕まったんですよね! よかったです!」

「そうね」


 詳細をすべて知らされているわけではないだろうけれど、マノンの耳にもある程度のことは入っているらしい。あとでテオフィルにも挨拶をするそうだ。


「今日は取引の報告よね」

「はい」


 今日の訪問の要件を確認すると、マノンは鞄から書類を取り出した。


「お嬢様のご希望どおりの量のニフィ木の樹液と葉の取引が成立しまして、来週には代金が支払われる予定です」

「ありがとう」


 取引内容が記されている書類を受け取り、ベルティーユは目を通す。金額を確認すると、ベルティーユの予想よりも高値がついていた。満足すぎる出来だ。


「お礼を述べるのは私たち商会のほうです! とんでもない金額で東方の国の方に売ることができました! 手数料だけでも莫大な利益すぎてびっくりです!」


 ニフィ木は価値のない木としてずっと扱われてきた。それが宝石にも匹敵するほどの利益を生み出したことに、マノンは興奮しているようだった。


「ですが、本当に樹液は二百リットル分だけでよろしかったのですか? 葉ももっとたくさん採取できるのに……」


 今回、ベルティーユが売ってほしいと示した量は、ヴォリュス山でニフィ木への負担を最小限にして手に入れることができる量のほんの数パーセントだった。当然、商会側は少なすぎる量に戸惑っていた。


「今回の取引きでこれほどの金額が手に入るでしょう? それで材料を揃えて、ニフィ木の樹液と葉と合わせて、新しく化粧品を作るの。そのほうが高く売れるわ」

「新しい商品の開発ということですね! 材料は目星がついているのですか?」

「ええ」


 相性が良さそうな材料には心当たりがある。

 ヴォリュス山で見つけた魔法使いの日記。あの日記によると、ニフィ木の樹液や葉は昔、当時の山の持ち主であった日記の主、魔法使いが魔法薬の材料として利用していたらしい。魔法使いでないと魔法薬を作ることは不可能だけれど、魔法薬になるかどうかは関係なく、日記に記されていたそれらの材料は、お互いの効果を高めることができるらしい。

 ニフィ木以外の材料はすべてユベール商会でも取り扱われていることを確認できたので、商会の商品開発部門と協力すれば化粧品を作ることは可能なはずだ。


「もしかして、以前ご確認された薬草などが……?」

「そうよ。用意してくれる?」

「かしこまりました!」


 マノンは新たな仕事を与えられて嬉しそうである。

 マノンだけでなく、ユベール商会はベルティーユにとても協力的だ。優先的にベルティーユの仕事を受けてくれるのでありがたい。


 ヴォリュス山は元々、リュシアーゼルから借りたお金で購入した。今はベルティーユが所有者だけれど、いずれはリュシアーゼルに()()ことになる。可能な限り価値を引き上げて――利益をたくさん生む状態で返したいので、日記でニフィ木についての記載を見つけたのは僥倖だった。


(……そういえば)


 時間が戻る前、日記も手にしていたはずのトスチヴァン伯爵は、あたらしく化粧品を作ることはしなかった。日記のヒントに気づかなかったというのは考えにくいのだけれど、なぜ利用しなかったのだろうか。

 その思考は、マノンによって止められる。


「――ところでお嬢様。リュシアーゼル様とはどうですか?」


 先ほど以上にキラキラと目を輝かせてそう訊ねたマノンが言う『どう』とは、婚約者としての関係性についてだろう。ジャンヌが「ちょっと」と注意するけれど、マノンは期待の眼差しのままである。

 ベルティーユはにっこりと笑った。


「とてもよくしていただいてるわ」

「略奪してまでの婚約ですから、相当惚れ込んでいるんですよねぇ、リュシアーゼル様は。結婚なんかしないって仰っていたのを覆すほど」


 優しい表情で、マノンはベルティーユを見つめている。


「リュシアーゼル様は絶対に、お嬢様を裏切ったりしませんよ」


 その言葉はリュシアーゼルの幼なじみとして出てきたのと同時に、ベルティーユの前の婚約のことを知っているがゆえのものでもあるのだろう。


「そうね」


 それはもう、改めて言われるまでもなく理解している。


「聞きにくいことなんですけど、質問してもいいですか?」

「どうぞ」

「前の婚約で……王子殿下から酷い扱いを受けていたんですよね? やり返したいって思わないんですか?」


 前置きがあったけれど、確かに他の者たちが気を遣って訊ねないような質問だ。

 ベルティーユは少し間を置いて口を開いた。


「優先度が低いからしないわ」


 余裕があればそういったことに時間を費やすこともできるけれど、限られた時間をこれ以上、彼に割きたくない。充実した時間を過ごして、静かに生を終えたい。それがベルティーユの今の願いである。

 どうせ彼は後悔するだろう。ウスターシュはもちろん、家族もきっと苦しむはずだ。

 憎悪を向けていたベルティーユがいなくなった今、ラスペード侯爵家がベルティーユを家から追い出せたと清々しい気持ちでいられるとは思えない。憎しみを押しつける先が近い場所からいなくなれば、それがどこに向かうか。

 いなくなってようやく気づかされることもある。逃げられなくなった現実と向き合わなければいけない時が来るのだ。


 時間は有限。ベルティーユは現実を受け入れている。


 病の治療法を探す選択もある。生き延びるために必死になることもできる。上手くいけば彼らに仕返しをする時間もできる。

 けれど、ベルティーユが発症するのはずっと治療法のなかった病だ。ミノリの憑依中、ベルティーユが意識を取り戻す少し前に、病の進行を多少遅らせることができる薬は開発されたようだけれど、それだって気休め程度の代物である。

 今更ベルティーユが必死になったところで、残りの時間を費やしたところで、治療法が見つかるという保証はない。治療法を探すために時間を費やしすぎて成果が得られなかったら、せっかくの二度目のチャンスが無駄に終わる。それならやりたいことをやるのがベストな選択だ。


『何事にも期待しないほうが楽だと考える癖がついていると表現するべきか……』


 頭の中にリュシアーゼルの言葉が浮かんで、ベルティーユは目を伏せた。



  ◇◇◇


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