62.第五章十三話
時間が戻る前、未然にクーデターを防いだリュシアーゼルの功績は、王家がユベール公爵家に安易に干渉できない関係性を強化する結果に繋がった。
先王の兄の不祥事、有力貴族の魔道具の違法所有、国民からの支持が厚いドルレアク公爵家のクーデター計画。すべてが国に大きすぎる混乱をもたらしてしまうとしてそれらの事実は秘匿され、表沙汰にはならなかった。ユベール公爵家は国の弱みを手に入れたと言ってもよかったわけだ。
おそらく今回も同じ流れになるだろう。
当時は関係者ということでベルティーユたちも聴取を受けることになり、資料が開示され、詳細を知ることができた。
その時初めて、ベルティーユは伯母から抱かれている憎悪の根深さを知った。
伯母マリヴォンヌは母の死から立ち直れなかった。そこに目をつけたバスチアンの嘘に縋り、ベルティーユを生贄として母を生き返らせることに希望を見出し、十年以上も過ごしてきたのだ。
死者の蘇生は禁忌とされているけれど、考察など資料はいくつか残っている。生贄が何十人も必要だというのは、ほとんどの考察に共通していることだった。特に血縁者は生贄としての効率が良い、と。
ベルティーユを犠牲とすることに、マリヴォンヌは躊躇いなど一切なかっただろう。ベルティーユが母を殺したから、ベルティーユが犠牲になるのは当然だと考えていた。
母が亡くなった年齢にベルティーユの年齢が近くなるまで、マリヴォンヌは待つ予定だった。道半ばでリュシアーゼルに邪魔をされ、さぞ身勝手な恨みをまた募らせたはずだ。
死者を生き返らせる魔道具は実際にはない。
そしてベルティーユは、病で早々に命を落とす。
マリヴォンヌが切望した未来は、どのみち実現することのない幻想でしかなかった。
(そんなにも執着するほどの何が……)
自室のソファーに座ってぼーっとしていたベルティーユは、ノックの音で顔を上げた。
「はい」
「リュシアーゼルだ、入っていいか?」
「どうぞ」
許可を得たリュシアーゼルが入室して、ベルティーユは軽く頭を下げて歓迎した。
「お帰りなさいませ、リュシアーゼル様。お怪我がないようで何よりです」
「……ああ、ありがとう。ただいま」
リュシアーゼルはアロイスやシメオンたちを連れ、バスチアンたちを捕らえに朝早くから出ていった。それなのに、帰宅した彼の表情は少々険しい。
正面に腰掛けたリュシアーゼルに、ベルティーユは優しく声をかける。
「深刻そうなお顔ですが、何か問題が起こったのですか?」
「いや、ドルレアク公爵夫妻は無事に捕らえられた。クーデターに加担しようとしていた者たちも順調に捕まっているし、魔道具も軍が回収したそうだ」
何も問題がなかったのであれば、彼はなぜこのような表情なのだろうか。
「貴女への疑いも、ほとんど晴れたと言っていい。これから確実に白になるだろう」
「それはよかったです」
ベルティーユはにっこりと笑う。
「テオフィル様が外出できるようになりますね。テオフィル様が狙われた理由はお聞きできましたか?」
「あまりにも理不尽すぎて、殴りもしなかった自分の自制心を褒め称えたいくらいだな。……いや、一発は顔面にお見舞いしてやるべきだった」
リュシアーゼルは心底悔いている様子だ。それが先ほどの険しい顔の原因なのかと考えたけれど、どうも違う気がする。
「使用人として入り込んでいた実行犯については?」
ベルティーユは呪いの魔道具を使った実行犯がユベール公爵家に恨みを持っていて、バスチアンに利用されたことは知っている。けれど、それがどんな恨みで、実行犯が公爵家とどのような関係性にあったのか、ということまでは承知していない。
「それも聞けた。――魔道具で顔を変え、素性を隠していたらしい。どうりでわからないはずだ」
以前、まだリュシアーゼルの兄夫婦が生きていた頃、ある使用人が公爵夫人、つまりリュシアーゼルの義姉に懸想していたらしい。
その使用人は優しく接してくれる公爵夫人と両想いだと思い込み、夫人を襲おうとした。けれどリュシアーゼルと公爵に阻止され、公爵家を追い出された。それでも諦めることができなかった――両想いだという勘違いをしたままだった元使用人は、夫人に接触を試みる。しかし察知したリュシアーゼルに脅迫され、公爵家でどのような不義理をしたのか家族にも知られて家族からも激しく責め立てられ、ようやく引き下がったという。
公爵家の不興をかった元使用人は、家族から疎まれて過ごすことになった。夫人から好かれていなかったという事実を突きつけられたこともショックが大きく、精神的に不安定になっていったそうだ。家の中でも居場所をなくしたそんな元使用人の弟が、公爵家に文句を言いにきたことがあったらしい。
弟は兄を慕っていたようで、兄だけが悪いとは考えていないようだったとか。夫人が兄の気持ちを弄んだ、思わせぶりな態度をとった夫人にも責任がある、そう訴えていたとのことだ。もちろんそんなはずもなく、公爵家は取り合わなかった。
「――それから程なく、元使用人は事故死した。心が弱っていたことと食事もまともにとらなかったことが重なり、足元がおぼつかない状態が続いていて、家の階段で転げ落ちて頭を打ったそうだ。私たちのせいで兄が死んだと、弟が公爵邸の前で喚いていた」
「逆恨みですね」
「ああ。その弟が今回の呪いの実行犯だったとバスチアンが証言した。もっとも、犯人は死亡しているし、元使用人の他の家族も流行病で亡くなっていて、確認のしようがないのだがな」
眉根を寄せたリュシアーゼルは、自責の念が込められたような吐息を零す。
「やはり、私が対処を間違ったために、テオが死にかけるような事態になってしまった」
「悪いのは犯人たちであって、リュシアーゼル様が責任を感じることではありません」
実行犯の憎しみを見破れなかったことに加えて、実行犯の動機を知り、つくづく自分が手を誤ったことで今回のことが引き起こされてしまったと、リュシアーゼルはそう感じてしまっている。周りが何を言っても、きっとリュシアーゼルの中からそれが消えることはないのだろう。
すべて解決したからと、テオフィルが無事だったからと、簡単にすっきりできるはずがない。
「リュシアーゼル様が自身の罪として今回のことを抱え続けるのは、それこそ犯人の思うつぼです」
「……そうだな」
リュシアーゼルは目を伏せた。少しだけ気が楽になったように見えるのはベルティーユの気のせいかもしれないけれど、気のせいでなければいい。
そう思っていると、不意にリュシアーゼルが視線を上げた。
「……ベルティーユは、大丈夫なのか?」
「私ですか?」
「ドルレアク女公爵が、……」
言いづらそうに言葉を切ったリュシアーゼルに、ベルティーユは気にせず穏やかな表情を浮かべる。
「私を殺そうとしていたことですか?」
「やはり知っていたのだな」
「まあ、一応は」
今更傷つくこともなく、ベルティーユは淡々としている。リュシアーゼルはベルティーユを見つめたまま、少しして訊ねた。
「答えたくないなら無理に聞き出すつもりはないんだが、ラスペード侯爵家も似たような理由で貴女を蔑ろにしていたのか?」