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61.第五章十二話(リュシアーゼル)


 バスチアンや拘束した他の者たちを軍に引き渡すよう部下に命じて、リュシアーゼルは王都のドルレアク公爵家に向かった。

 ドルレアク公爵家には、アロイスが率いる少人数の別働隊が軍人と立ち入り捜査をしている手筈だ。邪魔をされずにバスチアンから話を聞き出したかったため、バザーヌホテルのことは意図的に軍に報告していなかったけれど、クーデターについてはすでに通報済みである。情報が漏れることを防ぐため信頼できる軍人に話をし、厳選された者たちが今回の任務にあたっている。


 ドルレアク女公爵のクーデターへの関与は、事前の捜査では判明できていない。彼女も協力している可能性は高いと見られているけれど、国民のために熱心に政策を進めている人物がバスチアンのやり方を容認しているのかは少々疑問が残る、という意見がほとんどであった。

 弱者に寄り添う姿がただの偽りかどうかは、すでに明らかとなっているだろうか。


 玄関ホールに集められた使用人が軍人に見張られているドルレアク公爵家に、リュシアーゼルが到着した。応接室にいたアロイスたちに合流すると、アロイスはリュシアーゼルを視認して目を瞬かせる。


「あれ、リュシアーゼル様はバスチアン卿の母親の実家のほうに向かう予定だったのでは?」

「気になることがあってな。あちらはシメオンに任せた」


 応接室にはアロイス、軍人が数人、ドルレアク女公爵マリヴォンヌがいた。マリヴォンヌと軍の代表者がソファーで向かい合っており、アロイスはドア付近で控えている。

 マリヴォンヌの眼差しがリュシアーゼルに向けられた。

 淡い茶色の髪と水色の瞳、五十代とは思えぬ美貌で凛としているマリヴォンヌの顔立ちは、よく似ているわけではないのにどことなくベルティーユを想起させる。


「ユベール公爵もいらしたのね」


 マリヴォンヌはとても落ち着いた態度で、軍によって邸内が捜査されている現状にそれほど動じているようには見えない。ただ、リュシアーゼルを捉えている目が冷ややかだ。

 リュシアーゼルが口を開く前に、軍の代表者がリュシアーゼルに言葉をかけた。


「夫君が邸にいないようです。早朝から外出していると」

「ああ、奴なら捕縛した。うちの者が軍に引き渡しているはずだ」


 さらっとそう告げたリュシアーゼルに、軍の代表者はなんとも言えないような顔をする。


「最初から彼が不在であること、どこにいるかもご存じだったのですか?」

「無事に捕らえたのにそこが重要か?」


 リュシアーゼルは悪びれる様子もない。軍の代表者は不満をぶつけたい気持ちを抑えた。

 リュシアーゼルが当主を務めるユベールは公爵家。しかもクーデターを未然に防ぎ、軍に通報している。多少情報を隠されていたからと責め立てることは難しいだろう。それを充分に理解している振る舞いだ。


「それで、ドルレアク女公爵はクーデターへの関与を認めたのか?」

「いえ、否定しておられます。夫が違法に魔道具を収集していたことも、――先王の兄の子であることも、知らなかったと」


 それが事実の可能性はないわけではない。ただ、はいそうですかと簡単に信じられるような話でもないので、押し問答が続いていたのだと思われる。

 リュシアーゼルは「そうか」とマリヴォンヌを見た。


「貴女の夫は貴女の関与を認めていたぞ」

「わたくしを意地でも道連れにしたいのでしょうね」


 ドルレアク女公爵夫妻はおしどり夫婦として有名だけれど、今のマリヴォンヌからは欠片ほども夫への想いが感じられなかった。捕まるつもりはさらさらないのだろう。


「――私の婚約者に、何をするつもりだった?」


 その問いには、マリヴォンヌがほんの少し間をとった。


「なんのことかしら」

「貴女に訊けと言われた」


 リュシアーゼルが正直に伝えると、誰からとは訊ねることなく、マリヴォンヌは意味ありげに目を細める。


「ねえ、ユベール公爵。貴方、()()を好きなんですってね」


 あれと、そう言ったマリヴォンヌはそのまま続ける。


「ウスターシュ殿下があれを不当に扱っていたと知った時は当然だと思ったわ。あれは愛情なんか向けられていいような存在じゃないもの」


 間違いない。マリヴォンヌの言う「あれ」はベルティーユのことを指している。そのことにリュシアーゼルが怒りを抱かないはずがなかった。


「『あれ』呼ばわりとは、貴女はそれでも彼女の伯母か?」

「あんなものと血の繋がりがあるなんておぞましいことよ」


 目を見開いて語るマリヴォンヌの異様さに、軍の者たちは緊張を走らせた。アロイスはじっとマリヴォンヌを観察している。


「惑わされているのね、目を覚ましなさい。――あれは悪魔よ。わたくしの愛しい妹の命を奪った悪魔なの」


 皆の注目を集めているマリヴォンヌは、憐れな相手を諭すような口調だった。


 マリヴォンヌの妹、ベルティーユの実母。ラスペード侯爵夫人は産後に亡くなっているということだけれど、ベルティーユが命を奪ったなんてことはありえない。

 誰でもわかることだ。しかし、マリヴォンヌの認識は異なるらしい。


「出産は危険が伴うものだわ。けれど、あの子は上の三人を産んだ時、びっくりするほど安産だった。それなのに、あの悪魔を妊娠して体調を崩すようになり、弱り、出産で命を落としたわ。あれを捨てればあの子が助かる可能性は高かったのに、あの子は頑なにあれの命を優先したの。悪魔だと気づくことなく、自分の子だと信じて必死に守ろうとしたのよ」


 ベルティーユを悪魔だと称している。

 何を言っているのかと、リュシアーゼルは自分の耳を疑った。


「あれは、あの子を殺したの」


 疑ったけれど、繰り返されるのだから間違いなどではない。

 マリヴォンヌは虚言を述べているわけでもふざけているわけでもない。マリヴォンヌの中ではそれが真実として在るのだ。


 マリヴォンヌと妹はとても仲が良かったと聞く。マリヴォンヌが妹を溺愛しており、その心酔っぷりはすごいものだったと。妹が亡くなった際の憔悴は並大抵のものではなかったと。

 総合して、リュシアーゼルは気づいた。


(壊れたのか)


 精神が崩壊している。普段はそれを垣間見せることすらなかったけれど、妹の死を彼女は受け入れることができていないのだ。ずっと立ち直ることなく足踏みしている。喪失感が埋まらず、絶望が、怒りが、ベルティーユに対する憎悪へと変わった。

 なんて安易な逃げ道で理不尽なことか。マリヴォンヌはなんの罪もないベルティーユを罪人としている。


 リュシアーゼルの中であることが結びついた。

 バスチアンが引き起こした事件の一つ。それは……。


「――蘇生の魔道具」


 リュシアーゼルがそう零すと、マリヴォンヌはぴくりと反応する。

 蘇生の魔道具など存在しない。しかしリュシアーゼルは、さもそれがあるかのように――バスチアンが所有していた前提で話をする。


「その魔道具は押収した」

「返しなさい! それはわたくしのものよ!」


 突然、マリヴォンヌは声を荒らげた。立ち上がってリュシアーゼルに向かおうとしたのを軍人二人に止められる。

 行き先を阻まれても、体を拘束されても、彼女は必死に訴える。


「わたくしがあの子を蘇らせるの! あの子は死んではいけなかった! あの子が死んだこの世界は間違っているわ! わたくしが正しい世界に戻すの、あの子を取り戻すのよッ!!」


 リュシアーゼルの推測は正しかった。

 マリヴォンヌは死者を生き返らせることができる魔道具があると信じ込んでいる。心が壊れてしまった彼女を利用するために、バスチアンが嘘を吹き込んだのかもしれない。


 コランが娘を蘇らせようと女性たちを攫った事件。彼の手に渡された魔道具は偽物だったけれど、あれが()()()だったとしたら。蘇りの魔道具があるとマリヴォンヌに信じ込ませるために、バスチアンが企てたことだとしたら。

 ベルティーユや大勢の無関係の人々を生贄として殺害し、偽物の妹を用意して、マリヴォンヌを操ろうとしたのかもしれない。


 マリヴォンヌの正義感はおそらく嘘ではない。国民の権利の拡大は紛れもなく彼女の願いの一つだろう。

 しかし、心が壊れてしまっている彼女には、もっと重大な本懐があった。それだけのことなのだ。

 マリヴォンヌの国民人気は、バスチアンが計画通り王位を簒奪した場合、国民の支持を得るのに有利に働いたはずだ。バスチアンにとってマリヴォンヌは利用価値が高い。


「あの悪魔は――」

「もういい」


 強制的に会話を終わらせて、リュシアーゼルは軍の代表者と目を合わせる。


「これで、少なくとも彼女が魔道具について何も知らなかったという話は通らないだろう」

「……そうですね」


 軍の代表者の指示で、喚くマリヴォンヌを押さえていた軍人がマリヴォンヌに猿轡を噛ませる。国民の憧憬や期待を集める女性のそんな姿を眺めて、リュシアーゼルは荒れ狂う憤りの行き場を探していた。



  ◇◇◇


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