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60.第五章十一話(リュシアーゼル)


 魔道具の取引の日付を決め、少人数でバザーヌホテルを訪れたその日、リュシアーゼルは仮面姿のバスチアンの頭に銃口を向けていた。

 この場にベルティーユはいない。リュシアーゼルが代理ということで参加した。

 交渉の席について早々にこの展開になったため、バスチアンは驚愕に固まったけれど、リュシアーゼルが仮面を外して顔を見せるとすべてを察したようだった。


「は。馬鹿な女に侍っていた騎士の一人がユベール公爵だったのか。気づかないとは私も衰えたものだ。あの女の幼稚さは私を油断させるための演技……いや、待て」


 目を伏せて少し考えたバスチアンは、改めて独り言を呟くように口を開く。


「もしかしてあれはベルティーユか? まさか彼女が我々の動きを察知していたのか?」


 バスチアンは当然、ベルティーユとリュシアーゼルが婚約したことを承知している。そこからベルティーユの関与を導き出したらしい。


「だとすると、私たちがあの子をどうするつもりなのかもとっくにバレていたわけか。そのような気配はなかったというのに、侮りすぎていたのだな」


 銃口を向けられているこの状況で、バスチアンは取り乱すことなく冷静だ。

 バスチアンの独り言に近い言葉から、やはりベルティーユは彼らの犯罪とは何も関わりがないと察することができた。

 リュシアーゼルは険しい表情で問い詰める。


「なぜテオを狙った?」

「……我々の狙いは知らんのか。魔道具の違法所持と商売だけでこうして踏み切るとは大胆と言うべきか、評価できるか微妙になるぞ」

「クーデターのことなら調べはついている」

「優秀なことだ」


 褒められても何も嬉しくない。

 この日が来るまで捜査をして得た情報だ。バザーヌホテルに出入りする者を慎重に、徹底的に調べ、またドルレアク公爵家の者やバスチアンの実家の者にも見張りをつけた。すると、彼らの大きな目的があっさり判明したのだ。

 バスチアンは王位を簒奪しようと目論んでいる。用心深いバスチアンとは異なり、彼の息子からは簡単に情報を引き出すことができたのだ。


 バスチアンと、彼の実家ではなく彼の母の実家である伯爵家が主導で進められているクーデターの準備。彼らに権力に対する執着がそれほどまでにあるとは思っていなかったので、その驚愕は大きかった。

 しかし、バスチアンの息子から引き出した情報を考慮すると、王位を求める理由も納得はできた。


「貴殿の母である先代侯爵夫人が、先王の兄君と不倫関係にあったらしいな」


 先王の兄は王太子時代、妃との間に子ができなかった。結婚を三度しても子ができなかったために子ができない体質なのだと判断され、王太子の立場が弟に移り、弟が王位を継いだのだ。

 しかし、先王の兄はあくまで子ができにくい体質だったのだろう。唯一、長年の不倫相手が彼の子を妊娠した。

 生まれた子――つまりバスチアンは、先王の兄によく似ている。しかし、侯爵家は王家の血が流れている家系ではあるので、偶然似てしまったということで話がつき、不倫が表に出ることはなかったらしい。


 子ができなかったために先王が王位を継いだけれど、この国では基本的に長男優先で継承権がある以上、血筋で言えば先王の兄の子であるバスチアンのほうが王位の正統性はある。不倫でできた子ではあったとしてもだ。

 バスチアンを支持する者たち――クーデターに賛同する者たちの集まりが、このバザーヌホテルのVIPルームで行われていた。ここの領主もバスチアンを支持する一人というわけである。

 魔道具収集も、バスチアンの母の実家の伯爵家が行っていたようだ。かなりの資産家なので、財力は申し分ない。


「お前たちの目的がクーデターであることが判明しても、やはりユベールを標的にした意味がわからなかった」


 リュシアーゼルにとってクーデターよりも重要なのは、なぜ真っ先にユベールが、その中でもなぜテオフィルが狙われたのか、その理由である。

 何年も費やしてきたであろうクーデターの計画。その最中、呪殺に一年もかかる魔道具でテオフィルを呪った動機は一体なんなのか。


「甥を呪い殺さんとする私を殺すか? そのつもりでここに来たのだろう? 軍や警察の姿が見えないようだからな」


 理由を告白するのではなく、バスチアンはVIPルームを軽く見渡した。ユベールの人員がこの場にいる者たちを次々に拘束している。


「残念だが、あの魔道具は一度発動すると外すことも壊すこともできん。被呪者が死なん限りな。お前の甥は助からんよ」

「あいにく、解呪ならすでに済んでいる」

「……なに?」


 リュシアーゼルの言葉に仮面の奥で目を丸くしたバスチアンは、次いで「はは、そうか」と笑いを零した。


「解呪の魔道具があるなら、あれももう意味がないか。こんなことなら、テストなどするのではなかったな」

「テストだと……?」


 リュシアーゼルは眉間にしわを寄せる。バスチアンは観念していてむしろ心に余裕があるのか、足を組んで背もたれに深くもたれかかった。


「あの魔道具は国王や王子たちに使うつもりだったのだが、使用方法は少々不明な点があってな。それを調べるためにお前の甥に使ったのだ」


 衝撃的な真相に、リュシアーゼルは瞠目する。


「そんな理由でテオを……まだ八歳のあの子の命を奪おうとしたのか?」

「偶然お前に恨みを持つ男が身近にいたから利用した。ユベールを標的にしている者の仕業として切り捨てるのも楽だろう?」


 銃を持つ手が怒りで震える。引き金にかけている指を、衝動のまま今にも引きたい気持ちでいっぱいだった。


「殺すならさっさと殺せばいい。それとも、散々苦しめてから凄惨に殺すか? お前の甥はしばらく相当苦痛を味わっただろうからな」


 平然として、どこか試すような、楽しそうな顔をして、こうして煽ってくるバスチアンの存在が腹立たしい。義憤がとめどなく溢れる。憎悪が膨れ上がる。

 歯を食いしばってなんとか自身を抑えたリュシアーゼルは、銃を持つ手を下ろした。


「正直、お前のことはこの手で殺してやりたいが、そんなことをすればお前と同じところに落ちるだけだ」


 殺してしまうことは簡単だ。心が痛むこともないだろう。相手はクーデターを企んでいた国賊なので、リュシアーゼルの権力を利用すればこの罪を不問にすることも可能である。

 しかし――逮捕できる状況なのに直接この手で命を奪ってしまえば、リュシアーゼルはきっと、血で汚れてしまった手でテオフィルの頭を撫でてやることはできない。ベルティーユに人の温かさを教えることはできない。

 そう思うから、リュシアーゼルは踏みとどまった。


「ふん。意気地のない」


 バスチアンはつまらなそうに挑発的な発言をしたけれど、リュシアーゼルは踊らされるつもりはない。それよりも確認したいことがある。


「先ほど、気になることを言っていたな。お前たちはベルティーユに何かするつもりだったのか?」

「マリヴォンヌにでも訊いてみろ」


 バスチアンが出した名前は、彼の妻――ドルレアク女公爵のものだった。


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