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56.第五章七話


「派手なドレスも相まって、やはりあの態度も似合うな」


 女性たちから離れて少しして、そんな感想がリュシアーゼルから告げられる。どこか愉快そうな色を孕んだ声音に、ベルティーユも笑みを零した。


「ふふ、そうですか? 楽しかったのは確かですね」

「心臓に悪いのでおやめください……」


 シメオンは疲れたような、切実な声を絞り出した。女性たちの相手で精神的に疲弊していたところに、突然ベルティーユが勝手に考えた設定が降り注いできたのだ。驚愕に思考が追いつけていないのだろう。疲労感を増やしてしまったのかもしれない。


「少しは耐性がついた?」

「耐性も何も、余裕がありませんよ」

「ああいう場面も巧みに流せるようにならないと、得られる情報も得られない場面があるのではないかしら。今のままでも需要はあるけれどね」

「需要とはなんなのですか、需要とは。そのようなものはいりません」


 本当に疲れた様子のシメオンには申し訳ないけれど、本番はこれからである。なので、こんなところでへばってもらっては困る。


「先に注意しておくわ。驚かないでね」


 そう言われて、シメオンは不思議そうな――いや、何をするのかと問うような眼差しになる。答えることはせず、ベルティーユは二人を誘導した。飲み物を載せたトレーを持つスタッフのもとへ一直線だ。

 距離が近くなるとスタッフが気づいて、笑顔で「どうされましたか?」と対応する。先ほどベルティーユがダンス中に見つけたスタッフである。ラペルピンがホール内の輝きを反射してキラキラしていた。


「客室まで案内してくれる? 大きくて丈夫なベッドがある部屋がいいわ」


 ベルティーユのスタッフへの要望に、シメオンは不自然に固まるのをなんとか堪えているようだった。思わず声が漏れてもおかしくはない場面だったので上出来である。

 リュシアーゼルはというと、こちらも似たような反応なのが組んでいる腕から伝わってきていた。

 スタッフはさすがと言うべきか、動揺等はなく接客用の笑顔を一切崩さない。


「かしこまりました」


 仕事なのだから断るはずもなく、スタッフは別の者に飲み物を託し、ベルティーユたちをホールの外へと案内した。

 人気のない廊下に差し掛かり、頃合いを見てベルティーユは口を開く。


「そうそう。お酒を部屋までお願いできるかしら」

「もちろんでございます。何をご用意いたしましょう?」

「クーヴダルコ産の五十一年ものの白ワインがいいわ」

「……何かこだわりが?」

「そうね。ワイングラスにたっぷり氷を入れてちょうだい。切ったぶどうを入れても美味しそうね。白の中に赤が滲んでいく変化を楽しむのも一興だわ」


 そこまでのあまりにも独特な注文を聞いたところで、スタッフがぴたりと足を止めてベルティーユたちを振り返る。


「社長とお好みが同じようですね」

「あら、そうなの? 光栄ね。なら次に参加する際はお礼の気持ちを込めて三本お持ちしようかしら」


 ベルティーユの両隣にいる二人は口を挟まず、黙って事の成り行きを見守ってくれている。察しがよくてありがたい。

 これは注文ではなく、特別なお客様として迎えてもらうための合言葉だ。

 じっとこちらを探るように観察していたスタッフは、洗練された所作で一礼した。


「VIPルームへご案内いたします」

(間違っていなかったのね、よかった)


 ベルティーユは一安心した。

 VIPルーム。それが今回の目的である。

 VIPルームへの案内人は紫の宝石のラペルピンをつけているスタッフのみらしく、他のスタッフでは声をかけても意味がない。

 それに、まずホールで一曲は踊ることがルールだ。ダンスもせずにスタッフに案内を要求すると、周囲にバレないようにつまみ出され、出入り禁止となるらしい。

 クーヴダルコは赤ワインが特に有名な産地なのに白ワインだとか、ぶどうを入れて色の変化を楽しむだとか、合言葉は特徴的なので覚えやすくて助かる。


 行き先を変更したスタッフは、とある部屋に三人を招き入れた。談話室らしきその部屋の奥にある棚に並べられた本の一冊をスタッフが押すと、棚が勝手に右にスライドしてドアが現れる。

 スタッフはそのドアを開けた。地下に降りていく階段がある。


「有意義な夜をお過ごしくださいませ」


 案内はここまでのようだ。

 最初にリュシアーゼル、次にベルティーユ、最後はシメオンと、一人ずつドアの向こうに進むと、スタッフはドアを閉めた。

 当たり前のようにリュシアーゼルが手を差し出すので、ベルティーユは手をのせた。エスコートされながら階段を降りていき、シメオンもあとに続く。

 階段が終わると重厚な扉があり、扉前に立っているスタッフがベルティーユたちに頭を下げてから扉を開けた。


 VIPルームは、仮面舞踏会の会場であるホールと雰囲気が異なっていた。

 座りながら談笑できるスペースが多く、賭け事ができるスペースもあり、お酒が提供されるカウンターもあった。ダンス用の場所は設けられておらず、社交クラブと言われてしっくりくる空間だ。


「なるほど。こっちがメインか」

「はい」


 リュシアーゼルが小声で呟いたので、ベルティーユは肯定した。

 厳選されている仮面舞踏会の参加者の中でも一部の者しか知らぬ地下のVIPルームは、上の仮面舞踏会とはまた違った目的で使用されている。世間にさえも隠されている場所が、穏やかなはずがない。

 リュシアーゼルとシメオンはかなり警戒しているだろうけれど、そのような素振りがまったく見られない。シメオンは女性が絡んでこなければまともなようだ。


「カウンターに行きましょう」

「わかった」


 三人はカウンターの椅子に並んで座った。バーテンダーは二人いて、ベルティーユたちの前に来たのは若そうな男性スタッフだ。


「メニューをくれる?」

「かしこまりました」


 バーテンダーからメニュー表を渡されたベルティーユは、カクテルなどお酒の名前が書かれたそれに軽く目を通して首を傾げて見せた。


「少ないわね」

「申し訳ございません。何かお好きなものがございましたら――」

「そうではなくて」


 バーテンダーの言葉を遮って、ベルティーユは組んだ腕をカウンターに置いて前のめりになる。


「赤色のメニューがほしいのよ」

「失礼いたしました」


 謝罪をしたバーテンダーは、新たに赤色のメニューブックをベルティーユの前に置いた。ベルティーユはそれを開く。


「旦那様、たくさんあるわ」


 リュシアーゼルにも中身を見せると、彼は一瞬、瞳を揺らした。それだけですぐに動揺を隠したのは見事だ。

 リュシアーゼルが驚くのも当然である。このメニューブックにお酒の名前はなく、魔道具の一覧になっているのだから。


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