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54.第五章五話


 この領地は温泉リゾートとして有名だ。領主である貴族が経営しているバザーヌホテルはかつて領主一族が暮らしていた邸であり、外観が美しく内装も豪華絢爛で、上流階級の者に大層人気である。

 そのバザーヌホテルを貸し切って開催される華やかな仮面舞踏会もまた、招待状を手にしようと躍起になる貴族が多くいる人気の催しなのだ。


「今宵は身分を忘れ、どうぞお楽しみください」


 ホテルマンに招待状を確認してもらい、ベルティーユたちは無事にホテルの中へと立ち入ることができた。

 仮面舞踏会は身分を忘れて遊興にふけるための場なので、招待状を持っていれば正当な招待客と見做されるため、身元確認等は行われない。身元確認は仮面舞踏会の趣旨に反する行為であり、参加者の不満を募らせるだけだからだ。

 招待状を入手することができるのは主催者に厳選された者たちなので、身元が確かではある。

 招待状を強奪されたり譲ったりということもあるにはあるけれど、少ないそうだ。


(お願いしたのは私だけれど、よく手に入れられたものね)


 どのような手段を用いたのかは教えてくれなかったものの確かに本物を入手してくれたアロイスの優秀さに、ベルティーユは感嘆した。


 仮面舞踏会の会場となるホールまで、別のスタッフに案内されて後をついていく。ベルティーユはリュシアーゼルにエスコートしてもらっており、二人の後ろにシメオンが続いている順番だ。

 リュシアーゼルもシメオンもスタッフに気づかれないよう、廊下を細かく観察している。建物の構造を頭に入れる作業は、何か不測の事態が起こった時のための準備だろう。


「ごゆっくりどうぞ」


 ホールにつくと、スタッフはそう告げて去っていった。

 ベルティーユは軽くホールを見回す。

 煌びやかなホールの中央がダンスのためのスペースで、楽団の演奏に合わせて密着して踊っている男女が何組もいた。周りは立食のために軽食が並べられているテーブルや休憩用のソファーが置かれている。

 仕組みとしては普通の舞踏会との違いはない。気になる相手に話しかけ、ダンスに誘う。

 異なるのはダンスの雰囲気や参加者たちの共通の目的だ。相手とホールを抜け出して客室に移動し、情熱的な夜を過ごす者たちの割合が非常に高い。そのための場なので誰にも邪魔されないし、咎められない。


(普通のパーティーでも浮かれておいたをする人はいるものね)


 普通のパーティーだと立場的に問題のある者たちの失態は後々大事になることもある。ここにはそんな煩わしさがないのが魅力なのだろう。

 ベルティーユにはまったく理解できない魅力だ。


「ヴァレット卿、もっとリラックスして」


 三人はひとまず壁際に移動し、ベルティーユがシメオンにそう声をかけた。シメオンは周囲を警戒しており、近くにいるとこの場を楽しんでいないことがわかりやすく伝わってくる。


「そんな状態じゃ馴染めないわよ」

「わかってはいるのですが……」


 彼は真面目なので、こういう爛れた場所への嫌悪感が拭えないのも硬さに表れているのだろう。仮面で隠れているので実際に目にすることはできないけれど、どのような表情を浮かべているかは簡単に想像できる。


「申し訳ありません」

「いや、お前はそれでいい」


 シメオンは申し訳なさそうに謝罪したけれど、リュシアーゼルにそう言われて戸惑いを見せた。

 これは潜入捜査だと認識しているシメオンは、仮面舞踏会の空気に馴染めないと不都合だと考えているはずだ。しかし、リュシアーゼルと、そしてベルティーユの考えは違う。


「慣れることができるならそれが一番だけれど、そのぎこちなさも悪くはないと思うわ」

「そう、なのですか……?」

「ええ。貴方みたいなタイプもこの仮面舞踏会にはそれなりにいるらしいの」


 家族や知人に連れられて参加する者の中には、慣れていない者も当然いる。そういった者たちはとりあえず軽食に手をつけたりして時間を潰すのだとか。


「ここの主催者側は、慣れていない人たちのために娼婦を参加させていると聞いたわ。そういう商売の人は話して誘導するのも上手だから、あっという間に客を快楽に溺れさせて娼館通いをさせるんですって」


 彼女たちにとっては顧客獲得のための戦場でもある。このバザーヌホテルの仮面舞踏会に参加する者は富裕層なので、誰を捕まえても上客だ。


「人って閨では口が軽くなるらしいから、彼女たちは情報通よ。何か役に立つ情報があるかも」

「……何をさせる気ですか!? 俺はあくまで護衛として同行しているのであって、そのようないかがわしいことは……っ」

「気が向いたらいつでも言ってくれ、ヴァレット」


 リュシアーゼルがシメオンの肩をポン、と軽く叩くと、「旦那様!」とシメオンが責めるような声で呼ぶ。

 そのやりとりにベルティーユは笑みを零し、リュシアーゼルの腕を軽く引っ張った。


「旦那様、とりあえず踊りませんか?」

「……そうだな」


 仮面舞踏会の空気に合わせたベルティーユの提案で、心細そうなシメオンを残し、二人はダンスに交ざる。一人になったシメオンはすぐに女性たちに囲まれ始め、たじろいでいた。際どいドレスの女性たちにあたふたしている。


「早いな」

「体格がいいので早々に目をつけられたのでしょうね」


 踊りながら、二人はシメオンのほうを確認している。

 仮面で顔が隠れている以上、相手の値踏みはそれ以外の情報で行うことになる。体格の良さ、立ち振る舞い、身に纏っている服や装飾品、そういった情報でより良さそうな相手かを判断するのだ。


「少々からかってしまいましたけれど、彼が護衛の役目を放棄することはないのでしょうね」

「真面目だからな」


 シメオンが女性たちからの誘いを頑なに断っている様子が窺える。押したらいけると思われているのか、女性たちはなかなか引き下がる気配がないようだけれど。

 困っているシメオンは放っておいて、ベルティーユはリュシアーゼルを見上げた。


「旦那様」

「ん?」

「周りを見てください」


 ベルティーユに言われたとおり、リュシアーゼルがさっと他にダンスをしている者たちを確認する。


「もっとくっつきませんと」

「……そうだな」


 他の者たちの密着具合にベルティーユとリュシアーゼルは及んでいない。リュシアーゼルは優しくベルティーユの腰を引き寄せた。


「……悪いことをしている気分だ」

「まあ。私たちは婚約者ですのに」

「貴女はまだ十四歳だろう」

「昔なら結婚できる年齢ですよ」

「百年も昔の話だ。現代は違う」


 シメオンを真面目だと言っていた割に、リュシアーゼルも至極真面目な返答だ。


(ほら、ジャンヌ。やっぱりリュシアーゼル様は私を庇護対象として大事にしているだけよ)


 彼にとっては年齢的に恋愛対象ではないのだろう。


「ところで、目的は無事に果たせそうか?」


 そう訊かれたベルティーユは、飲み物を運んでいるとあるホテルスタッフに視線をやって、「おそらく」と目を細めた。


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