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52.第五章三話


 仮面舞踏会が開催されるその日、ベルティーユはジャンヌの手を借りて準備を進めていた。

 正体を隠しとおすため、髪は金色に染めている。綺麗な金色に無事に染まって一安心だ。少しプラチナブロンド寄りだろうか。

 鏡に映っている自分を眺めながら、椅子に座っているベルティーユは目を細めた。


(少し懐かしいわ)


 昔は髪の手入れがまともにできなかった。役割を放棄していた気まぐれなメイドたちが切ってくれるのは稀だったし、当然ながら美容師が来てくれるわけでもなかったので、どうすればいいのかなんて幼い子供ではわからなかったのだ。そのせいで傷んだ髪は放置の状態が続いていることがよくあり、毛先は特に金髪のようになっていた。パサパサで毎日のように絡まっていたので、ブラシで梳かすのも苦労したものだ。

 染めた髪は、当時の色に似ている。


 髪から視線を落とし、ベルティーユは身に纏っているドレスを見た。

 今回のために購入したドレスは、解放的な目的の仮面舞踏会という場に相応しい、背中や胸元ががっつりあいている艶やかなデザインのものだった。まだ十五歳にもなっていない少女には着こなせないような代物だったけれど、ベルティーユは実年齢より上に見られることが多いし、身長も女性の平均より少し高い。顔は仮面で隠れるので尚更、違和感はまったくなかった。

 しかし、リュシアーゼルが待ったをかけたことでオルガによってドレスは手直しされ、露出はかなり減っている。背中は布が増えたし、胸元も首からレースで覆われるデザインになった。


「とっても美しいですけど、仮面舞踏会だなんて……」


 鏡の中のベルティーユを見ながら、ジャンヌが心配そうに眉尻を下げていた。

 詳しいことは彼女には説明していないけれど、ひとまず潜入捜査のようなものだと言ってある。だからこそ心配を煽ってしまったとも言えるのは申し訳ない。


「十四歳のお嬢様をそのような爛れた場所に連れ出すとは、リュシアーゼル様は何をお考えなのでしょう」

「必要なことだから、私からお願いしたのよ」

「それは理解していますが……」


 できれば今からでも思い直してほしいと如実に語る目だ。ベルティーユが笑みを浮かべて受け流すと、ジャンヌは眉根を寄せた。


「仮面でお顔が隠されていても、振る舞いから美しさは感じられるものです。きっとお嬢様の美麗さを察して近づく下心まみれの連中がうじゃうじゃ湧いてしまいます」

「その心配はリュシアーゼル様にしたほうがよさそうだけれど……」


 少し着痩せするタイプだけれどそれなりに鍛えられた肉体と高身長、洗練された所作から、リュシアーゼルも注目を浴びることになるだろう。振る舞いは意識すればベルティーユもリュシアーゼルも崩すことはできるものの、それを過信はできない。染みついた所作はふとした瞬間に出てしまうおそれはある。

 変装するので正体に気づかれることはなくとも、かなりの高位貴族だとは看破されるはずだ。女性たちがこぞって誘惑に集まる光景が容易に脳裏に浮かぶ。


「ご安心ください! リュシアーゼル様はお胸がボインな女性が裸で迫ってきてもゴミを見るような目をし、その後は一瞥もせずに護衛に処理をお任せするお方なので! ベルティーユ様以外の女性を女性として見ることはありません!」

(まるで過去にそんなことがあったような言い方ね……)


 リュシアーゼルがどのような経緯でその状況に遭遇したのかはわからないけれど、もしかしたらそのような強行に及んだ公爵家の使用人でもいたのかもしれない。本当に女性関係でたくさんの苦労をしていそうだ。


(それにしても、ジャンヌは私たちが契約関係だと知っているのに)


 どうもリュシアーゼルがベルティーユに恋愛感情を抱いている前提で考えている気がする。あれはただの過保護の範疇でしかないだろう。テオフィルに向けている感情と同じではないけれど、どことなく似たようなものだと思われる。


「まあ、リュシアーゼル様が揺らぐことはないと私も信用しているわ。私に何かあっても守ってくださるでしょうし、シメオン卿も同行するのだから心配はいらないのよ」


 微笑んだベルティーユは、「さあ、髪を綺麗にしてくれる?」と首を傾げて可愛らしく強請った。ジャンヌは悩ましげに唸るも、最後には承諾するほかなかった。




 髪のセットを終えたちょうどその時、タイミングよくノックの音が響いた。入室してきたリュシアーゼルはかっこよく髪をセットしており、ローブを着ている。その下には華やかな装いが隠れているのだろう。

 この格好だと目を引くのは、少し明るめの茶色に染められている髪だ。


「茶髪もお似合いです」

「……ありがとう」


 リュシアーゼルはベルティーユの姿を捉えると僅かに目を見張り、歩みを止めていた。それでもお礼の言葉は紡がれる。

 様子がおかしいリュシアーゼルに、ベルティーユは不思議そうに訊ねた。


「似合いませんか?」

「髪もドレスも似合っている。大変美しいが……」


 硬直を解いて近くまで来たリュシアーゼルは、ベルティーユの髪を見ていた。


「金髪にしたのか」

「貴族には多いですからね」


 無難な髪色のほうが目立たずに馴染むと思ったのだけれど、リュシアーゼルは何か言いたげである。


「リュシアーゼル様?」

「……嫌な気持ちにはなっていないか?」

「特にそのようなことはありませんけれど……」

「ならいい」


 目元を和らげたリュシアーゼルにベルティーユは疑問を抱いたものの、すぐに彼の質問の理由を察した。


「お優しいですね、相変わらず」


 ベルティーユがそう告げると、リュシアーゼルはそっと視線を逸らした。その反応にベルティーユはふふっと笑う。

 貴族の金髪の割合は多く、王家もまた金髪で生まれることが多い。リュシアーゼルの先ほどの確認は、金髪碧眼の元婚約者を思い出して不快になってしまわないかという心配だったのだ。厳密に言えばベルティーユのほうが少々淡い色になっているけれど、金髪にするとは思っていなかったのだろう。


「今度また染める機会があったら、黒にしてみるのもよさそうです」

「貴女ならなんでも似合うだろうな」

「リュシアーゼル様は亜麻色になさいますか?」

「そうだな、機会があれば」


 自身の髪が亜麻色になったのを想像しているのか、リュシアーゼルが軽く髪を触る。ベルティーユはまたも穏やかに微笑んでいた。


(……ラブラブなのでは?)


 空気と化していたジャンヌはというと、主人たちを眺めながらそんな感想を抱いていたのだった。


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