51.第五章二話
「お久しぶりです、お嬢様!」
応接室で表情を輝かせてベルティーユに挨拶をしたのは、ジョルジュの孫でオルガの娘であるマノンだった。
「久しぶりね、マノンさん」
「もう、お嬢様。大恩あるお方なのですから、さん付けはおやめ下さいと申し上げたではありませんか。それにリュシアーゼル様の婚約者でもありますし、尚更私への敬称など不要です」
「そうだったわね」
ベルティーユを命の恩人だと慕っているマノンは、ユベール商会で働いているらしい。
今こうして彼女がユベール公爵家でベルティーユと相対しているのは、ヴォリュス山の委託管理に関する契約書を持ってきたからである。森の視察が終わり、正式な契約が進む予定なのだ。
ユベール商会では社長の婚約者について話題が絶えないのだとか。ずっと縁談を全力で無視してきたリュシアーゼルが身を固めようとしているので、社員は当然、興味津々だろう。まして相手が王子の元婚約者であれば尚のこと。
今回このように契約書の説明をして渡す担当者の座を掴み取るのに、商会の中でかなり激しめな競争があったとマノンは語った。上司たちさえも蹴散らして見事に担当を勝ち取った自分を褒めたいですと上機嫌である。
「――お前はもう会ってるんだから譲れだの、ここは先輩に譲るべきだの、決着がついてもうだうだ言う諦めの悪い人たちからの圧を乗り越えました!」
力強く話すマノンに、ベルティーユは微笑を浮かべて紅茶を一口飲む。同席しているジャンヌは慣れているようで、呆れたような眼差しをマノンに送っていた。
マノンの話しぶりから、職場の人たちの仲の良さが窺える。彼女の精神状態も安定しているように見える。
誘拐されたトラウマが消えたわけではないだろうけれど、本当に元気そうだ。無事に仕事も続けられているようなので、ひとまず安心だろう。結婚の準備も進んでいると聞く。
「マノン、お嬢様の前ではしゃぎすぎじゃないかしら」
我慢の限界とばかりにジャンヌが注意をすると、マノンは片眉をつり上げた。
「何よジャンヌ。貴女だってちょっとくらいは猫被ってるかもしれないけど似たようなものでしょ?」
「私はお嬢様の侍女だもの」
「侍女ならそれこそもっと弁えるべきよ」
なぜか二人がバチバチと火花を散らし始めた。事の成り行きを見守ることにしたベルティーユは口を挟まず、もう一口紅茶を飲む。
(美味しい)
一緒に出されているクッキーにも手をつけた。甘いチョコチップが美味である。
「たった一、二回会った程度なのに、マノンはお嬢様の寛容さに甘えすぎだわ」
「だから、お嬢様の心の広さを利用してはしゃいでるのはジャンヌのほうじゃないの?」
「私は一緒にいることを許されているもの。ドレスだって選んで、髪をセットして、たくさんお話だってしてるのよ。貴女と違って」
「何そのマウント羨ましすぎるわよ!」
「侍女の特権ね」
得意げに笑うジャンヌと、悔しがるマノン。
(マノンはわかるとして、ジャンヌはどうしてこんなに私を好きなのかしら)
会話を聞きながら疑問は抱くものの、やはり傍観に徹するベルティーユ。
独特な空気が流れていると、室内にノックの音が響いた。ベルティーユが「どうぞ」と声をかけると、ドアが開けられてリュシアーゼルが現れる。彼は咎めるような目で二人を捉えた。
「外まで声が漏れていたが、ベルティーユを放って何じゃれてるんだ」
「「リュシアーゼル様」」
二人の声が重なり、ベルティーユはにっこりとリュシアーゼルに笑いかける。
「お帰りなさいませ」
「……ただいま」
自然だったベルティーユとは異なり、リュシアーゼルはどこかぎこちなかった。ジャンヌとマノンがニヤニヤしており、気づいたリュシアーゼルは鋭く目を細める。
「それで、ベルティーユをほったらかしにしたことで何か言うことはないのか」
もっともな厳しい声に、二人はしょぼんとしながらベルティーユに謝罪する。
「「申し訳ありません、お嬢様」」
「いいのよ。二人の仲がいいことはよくわかったわ」
ベルティーユが上品に笑い声を零すと、二人は顔を見合わせる。それから気恥ずかしそうに、同じタイミングで顔を背けた。その様子を見てリュシアーゼルがため息を吐く。
「マノンは契約書の内容の確認のために来たんだろう。さっさと済ませて商会に戻れ」
「わかってます」
追い払うような言い方が不満だったようで、マノンは不貞腐れたような声音だった。幼なじみということで、こちらも仲の良さが表れているのだろう。
むすっとしているマノンを眺めていると、リュシアーゼルがソファーの後ろに移動してきて身を屈め、ベルティーユにそっと話しかける。
「終わったら少し時間をもらえるか?」
「はい、わかりました」
受け取った契約書はジャンヌに部屋に持っていくよう頼み、後日また来ますとマノンが公爵家を後にしてから、ベルティーユはリュシアーゼルの執務室に向かった。
ソファーに座ったベルティーユに差し出されたのは、お願いしていた仮面舞踏会の招待状だった。
「アロイスが手に入れてくれた」
「そうなのですね。今度お会いしたらお礼を伝えます」
招待状を受け取りながら、初対面はなかなかに印象的だったアロイスを思い出す。
『どうもベルティーユ様。リュシアーゼル様の幼なじみで補佐をしているアロイスです。これからよろしくお願いしますね』
妙にニコニコしていたアロイスはとても気安い態度だった。握手を求められて笑顔で応じたけれど、初対面の異性への挨拶で握手を選択するのは、この国では無礼なほうに分類される。ビジネス的な場面や何かしら勝負をしてお互いを讃え合う場合などはその限りではない。
ユベール公爵家で働いているアロイスが正しい礼儀作法を承知していないはずがないので、あれはわざとだと考えられる。ベルティーユの反応を些細なことも見逃すまいと探っているようだった。
「それと、殺害された商人が利用していた宿でメモが見つかった。内容からして、ドルレアク公爵家を示していると判断している」
「まあ。そうですか」
相変わらず時期が早いけれど、時間が戻る前と同じ流れだろう。
「――黒幕はドルレアク女公爵か?」
「どうなのでしょうね」
この返しは想定していたらしく、リュシアーゼルは「そうか」と言うだけだった。無理に聞き出そうとしないのは無駄だとわかっているからか、ベルティーユを信じているからか。その両方かもしれない。
身内が疑わしい人物としてあがり、彼らからするとベルティーユ自身も怪しい点が多々ある。メモが消されることを危惧するならその存在をベルティーユに伝えないことが正解なのに、リュシアーゼルは躊躇なく話した。ベルティーユが黒幕と繋がっていないと確信しているからだろう。