05.第一章三話
ベルティーユは気分を変えるために本を持って出窓に移動した。天板に座り、本を開く。今日読んでいるのは魔法使いについての本だ。
遠い昔、大陸には魔法使いが溢れていたという。しかし、次第に魔法使いは数を減らしていき、最後に魔法使いが確認されたのはおよそ三百年前のことで、現代では幻のような存在となっている。
今でも百年に一人ほど魔法使いは生まれているという研究があるけれど、真実はわからない。最後の魔法使いだって、記録には残っていても三百年も前のことなので、存在していたことを証明するのは非常に難しい。
ただ言えるのは、この世界に魔法という力が存在するのは確かだということだ。その証拠に、魔法が栄えていた時代の遺物――貴重な魔道具が、時折発見されることがあるのだから。
病で倒れたベルティーユの体にミノリの魂が入り、時間が経つと共に、ベルティーユの体の病は癒えていった。治療法が確立されていない病で、末期の状態であったにもかかわらずである。
調べた結果、ベルティーユは癒やしの魔法が使える魔法使いではないかと判断された。それが事実であれば、三百年ぶりに確認された魔法使いだ。しかし、確実にそうだと言い切れる証拠はなく、まだ魔法使いだとは公表されていない。関係者には箝口令が敷かれている。
実際のところ、ベルティーユには癒やしの力などないだろう。おそらくミノリの力だ。稀に異世界人がこちらの世界に現れるという伝承があり、彼らは希少な魔法を使うとされている。よって、この体が完全に命を落とす前にミノリが宿り、彼女の力で病が癒えて回復したことでベルティーユの魂が目を覚ましたと、そう推測できる。
あくまで推測に過ぎないけれど……だとしたら、ベルティーユの体から追い出されたミノリの魂はどうなったのだろうか。魂だけがこちらに移動してきたという前例はない。もしかすると――。
「異世界人が現れたんですって」
外から聞こえてきた声に、ベルティーユはぴくりと反応する。
窓の外、空に向けていた視線を下ろしていくと、庭にいるメイド二人が視界に入った。
「ほんとに? 詐欺じゃないの?」
「何もないところから急に現れたのを、王妃殿下と第二王子殿下が目撃なさったそうよ。それで保護なさったって」
「じゃあ、あの伝承ってほんとだったのね」
本を持っているベルティーユの手に力が入る。
「お名前はミノリ様と言うそうよ」
こういうのを、『運命』と言うのだろうか。
他人の体に憑依して出会うという不思議な始まり。惹かれ合ったのに突然引き離され、今度は本来の自分の体で彼の前に現れた。まるで物語の世界のことのようである。
「お嬢様との婚約はどうなるの?」
メイドのその疑問は自然と出たものだろう。
異世界人は特別な力を持っている。その力を取り込むため、王族や地位の高い貴族と結婚させるという手段が昔はどの国でも取られていたそうだ。
現国王の子は二人。王太子である第一王子はすでに結婚しているので、わざわざ離婚して異世界人と新たに婚姻を結ぶのは考えづらい。となれば、まだ婚約の段階である第二王子の婚約を解消して結婚させる、というのが王家にとっては最善策だろうか。その流れは誰もが思いつくことだ。
「お嬢様と殿下は最近は仲がよろしかったし、解消はなさらないんじゃない?」
「でも今はお嬢様がかなり拒絶なさってるでしょ。お見舞いだってお断りし続けてるし、元々お二人のご婚約は政略によるものだから、国の利益を考慮したら……」
「ちょっと!」
メイド二人にどこからか別の声がかかり、会話が止まる。
「もう休憩時間終わっちゃうわよ!」
「わかってるわ」
メイドたちは仕事に戻っていった。ベルティーユはこつんと窓に頭を預ける。
ベルティーユと第二王子の婚約解消、そして第二王子と異世界人の婚約、結婚。誰もが思いつく流れではあっても、話はそう単純でもない。ミノリが憑依していたことで、侯爵家の一部の者や王家は、ベルティーユが癒しの魔法使いだと考えているからだ。
半年前にベルティーユが死にかけたあと、病にかかっていたことがようやく判明し、ストレスだと言い張っていた侯爵家の主治医はクビになった。そして、婚約は解消の話に向かっていたらしい。
それなのに未だに第二王子と婚約関係にあるのは、ミノリの力で病が快方に向かっていたことと、魔法使いの可能性が高いという誤解が理由だ。侯爵家と縁を繋ぎたいという王家の当初の目的に加え、癒しの魔法使いを確実に手に入れたいという新たな狙いもあり、この婚約は確固たるものになった。
しかし、癒しの力はミノリのものなのだから、今のベルティーユには無関係だ。使えるわけがない。
ベルティーユの癒しの力がなくなったことは、仮に隠そうとしたとしてもそのうち知られてしまうことである。ベルティーユが魔法使いかもしれないという話を公表していないことも王家には幸いだろう。正直に話せば婚約は早急に解消となるのが目に見えていた。
王家は癒しの力がないベルティーユを繋ぎ止めるより、異世界人を選び取る。これは確信だ。
正直なところ、不満だらけではある。ベルティーユを蔑ろにしてきた第二王子が想い人と結ばれるのは、もはや決定事項と言っていいのだから。彼らだけが幸福となるのだ。
しかし、それでいい。もうベルティーユは疲れてしまった。自分に振り向かない婚約者に必死に縋りつくほどの気力はとっくに消え失せている。
せっかく病が治ったのだから、今度は自由に生きてみたい。家のため、ベルティーユを侯爵家から追い出すための政略結婚に身を捧げるなんてごめんだ。
ベルティーユに弱くなっているこの侯爵家を上手く利用すれば、誰もベルティーユを知らない場所で一から新しい人生を歩むことができるだろう。
自由に、手の届くところまで近づいている。
ミノリによってもたらされたチャンスなので、感謝の気持ちはあった。だから、二人が無事にくっついたら、ほんの少しは祝う気持ちも生まれる気がする。
「……?」
突如、違和感を覚えて鼻の下に指先で触れると、血がついた。鼻血が出ているようだ。
指についた血を、ベルティーユは瞠目して見つめていた。