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46.第四章七話


 リュシアーゼルの気を引こうと、これまで熱心に手紙を出してきたらしいトスチヴァン伯爵令嬢。彼女の気持ちはユベール公爵家の者に対する憧憬や下心から成長したのか、顔に惹かれたのか、はたまた純粋にリュシアーゼルを慕っているのか。他人で交流もないベルティーユが知るはずもないけれど、本気なのは疑いようもない。

 付き合いが長いだけで迷惑だと断言していたリュシアーゼルからすると、鬱陶しく煩わしい好意。最早嫌いな相手と言っても過言ではない人物から熱烈な好意を向けられたところで、本当に迷惑以外の何物でもないのだろう。

 そう。一方的な好意とは基本、迷惑でしかないのだ。


(殿下もそうだったのでしょうね)


 自室の窓際で外を眺めながら、ベルティーユは過去のことを思い出していた。

 政略で決まった婚約だったがゆえに、ベルティーユと会ったことがあるとウスターシュが気づかなかったがゆえに、ほとんど進展のなかった見せかけだけの関係。ベルティーユは彼を好きだったけれど、彼にとっては迷惑だった好意。そして――彼が好きになったのは、別の人だった。

 そんな結末を迎えた、ベルティーユの初恋。


「……恋なんて、くだらない」


 ぽつりと、ベルティーユは小さく零した。

 浮かれて周りが見えなくなって、相手への配慮もなく己の好意を押し付ける。そういう恋が一番愚かしい。ただの現実逃避だ。

 振り向いてくれない相手を追いかけたって虚しいだけなのに。婚約できたからって心を手に入れたわけではないのに。そんなことに時間を浪費するのは愚行である。


「何か仰いましたか?」

「なんでもないわ」


 ジャンヌから声をかけられて笑顔を返し、再び窓の外に視線をやる。

 しばらく空を眺めていると、視界の端に動くものを見つけて視線を落としていった。門の前に馬車が止まっており、門番が御者と話をしている。


「お客様みたいね」

「来客の予定はなかったと思いますが……」


 ジャンヌも窓に近づいてきて、門を視界に捉えた。目を細めて注視している。


「遠くて家紋が確認できませんね」

「トスチヴァン伯爵家の馬車だと思うわ」

「……ご招待されていませんよね?」

「ええ」


 お茶会を、という令嬢からの手紙に承諾の返事は出していないし、別件でこちらに招待もしていない。けれど、先触れのない来訪は予想していた。

 乗っているのは娘だけか、それとも伯爵も同乗しているのかはわからない。どちらでも特に支障はないだろう。


「お通ししてあげて、誰かに応接室の準備をさせてちょうだい」


 約束がないから門番に止められて、何やら口論になっていそうな気配である。慣れているだろうけれど、門番が気の毒だ。


「ですが、今はリュシアーゼル様がいらっしゃいません」


 確かにリュシアーゼルは黒幕捜査で邸にいないものの、トスチヴァン伯爵家への対応はベルティーユが任せてもらっているので何も問題はない。どうせあの馬車に乗っている人物は、ベルティーユに用があるはずなのだから。むしろリュシアーゼルがいないほうがやりやすいと考えているとすら思われる。


「いいのよ、私が応対するから。念のためにシメオン卿を呼んで、応接室前の廊下に待機させてくれる? お客様には気づかれないようにね」

「かしこまりました」


 最後の一言に不思議そうな顔をしたジャンヌが一礼して部屋から出ていく。その姿を見送ったベルティーユは、もう一度門の向こうの馬車を見据えて口角を上げた。


(行動がわかりやすいからありがたいわ)





 予想どおり馬車はトスチヴァン伯爵家の物で、親子揃っての来訪だと使用人から報告があった。応接室に通し、紅茶を出して待たせているそうだ。

 ベルティーユは伝達を終えたジャンヌに髪をセットしてもらい、ゆっくり応接室へと向かった。


 応接室の前ではすでにシメオンが待機していた。ベルティーユに気づくと頭を下げたものの、顔を上げた彼の瞳の奥には疑念の色が強くある。

 解呪の魔道具を見つけてから、彼はベルティーユを非常に警戒している。リュシアーゼルの幼なじみらしいので、リュシアーゼルを大切に思っているからこそだろう。

 それでも、邸の警備だけでなくベルティーユの手伝いなど、自身の仕事を忠実にこなしている。生真面目で冗談が通じないタイプだ。


 ドアの前についたベルティーユが口元に人差し指を持ってきて静かにとジェスチャーで告げると、シメオンは承知しておりますとばかりに頷く。満足して微笑んだベルティーユはドアを開け、応接室の中に一人で入った。


「やっと来たか」


 不機嫌丸出しで偉そうにソファーに腰掛けているトスチヴァン伯爵と、同じく隣に座っている娘。客人であるはずが不遜な親子に、ベルティーユは笑顔を見せた。


「申し訳ありません。先触れのないご訪問でしたので、こちらにも準備の時間が必要でして。余程お急ぎのご用がおありなのでしょうね。でなければこのようなマナー違反、伯爵ともあろうお方がなさるわけが……ああ」


 ベルティーユはわざとらしく、思い出したというふうに言葉を区切る。


「トスチヴァン伯爵様とご令嬢は礼儀作法をお忘れでしたね。改善されていないということは家庭教師をまだつけておられないと思うのですけれど、どなたかご紹介しましょうか? このままでは他の貴族からも、基本的なマナーさえも身についていない無礼者として嘲笑されてしまいますよ?」


 最初は憐れむような表情で、そこから穏やかな笑顔に変わり鷹揚に。施しを与えてやるというベルティーユの態度が気に障ったようで、トスチヴァン伯爵は握りしめた拳を怒りで震わせた。しかし、意外にも冷静な対応を見せる。


「事前に連絡をしなかったのは申し訳なく思っているが、そこまで非難される筋合いはないな。レジェ伯爵令嬢こそ、以前は第二王子殿下の婚約者という立場にあったというのに、礼儀がなっていないのではないか?」

「まあ。伯爵様とご令嬢に寛大に対応していると思うのですけれど……」

「何が寛大よ!」


 ベルティーユが困ったといった様子で首を傾げると、娘が声を荒げて封筒をテーブルに投げつけた。


「わたくしの手紙を封筒ごと新しい封筒に入れただけで送り返してくるだなんて、礼儀云々の問題どころじゃないわ!」

「まあ。リュシアーゼル様の前では絶対に見せないであろう醜悪なお顔ですね、トスチヴァン伯爵令嬢」


 ヒステリックに叫ぶ娘に怯えることも驚くこともなく、ベルティーユはのんびりとした口調で思ったままを口にした。


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