45.第四章六話
サルドゥ子爵が軍に連行されていったことで、公爵邸内は少々騒がしくなっていた。ベルティーユも応接室の前の廊下の近くを通って異変に気づき、少し離れた場所からその様を目撃することになった。
軍に連れていかれたということは、サルドゥ子爵の人身売買が発覚したのだろう。
「ベルティーユ」
サルドゥ子爵の姿が見えなくなって応接室の前に移動すると、廊下に出てきたリュシアーゼルと目が合った。
「気になって見にきたのか? 騒がしくさせて悪いな」
「いえ……」
ベルティーユは上の空で返答した。
本来、サルドゥ子爵が捕まるのはもっと先のことだった。未来のことを知るベルティーユの情報提供でコランの逮捕が早まったことで、こちらにもその影響が出たのだと推測できる。
だとすると、と目を伏せて考え込んだベルティーユに、リュシアーゼルが「ちょうどいい」と肘を曲げて見せる。
「確認したいことがあるから、執務室まで来てくれないか?」
「わかりました」
承諾して、ベルティーユは彼の肘に腕を絡めた。
そうして執務室に到着すると、リュシアーゼルはベルティーユをソファーに座らせ、執務机の上から何かを取る。その間も思考を巡らせていたベルティーユは、リュシアーゼルが正面に座ったところで先に声をかけた。
「リュシアーゼル様。もしかして、コラン警部を唆した商人の捜査に何か進展がありましたか?」
ベルティーユの質問に目を丸くして驚きを露わにしたリュシアーゼルは、その後「ああ」と肯定する。
「まだ公表はされていないが、先日商人の遺体が発見されたらしい。コラン殿にも確認をとったそうで、例の商人で間違いないそうだ」
「そうですか……」
商人が殺害されるのも、本来起こる時期より早い。
予想はしていたけれど、さすがに時間が戻る前と異なる流れになると、どのタイミングで何が起こるかを正確に予測することは難しいということだ。思っていた以上に物事が進んでいる。
「何かまずいのか?」
思案しているとリュシアーゼルにそう訊ねられたので、ベルティーユは「いいえ」と軽く首を横に振る。
「犯人の一味が亡くなったことは非常に残念ですけれど、捜査が更に進むきっかけになるのではないでしょうか」
「……以前から思っていたが、まるで予知のようだな」
リュシアーゼルが冗談っぽくそんなことを言った。ありえないと思っているからこその言葉である。
「そのような力が本当に備わっていたらよかったのですけれどね」
予知能力があったなら、時間が戻る前の人生で限られた時間を無駄にせずに済んだだろう。
ないものはない。幸か不幸か、なぜか少しだけ猶予を与えられたのだから、最後はゆっくりとした時間を過ごすために、今は存分に力を尽くすだけである。
「何かご確認があると仰っていたのに、私から先に質問をして申し訳ありません」
「いや、そんなことは気にしなくていい。元々商人についても話すつもりだったしな」
「ありがとうございます」
「律儀だな」
呆れたような感心したような声音でそんなことを零したリュシアーゼルは、執務机から持ってきた何か――封筒をベルティーユに見せた。
「トスチヴァン伯爵令嬢から、貴女宛の手紙だ」
「まあ。次々と……」
サルドゥ子爵に続き、今度はトスチヴァン伯爵の娘からの接触らしい。こちらもどのようなことが書かれているのか予想できる。
「開けていいか?」
「お願いします」
サルドゥ子爵からの手紙を受け取った時のように、リュシアーゼルが手ずから開封して渡してくれた。手紙の内容を確認したベルティーユは目を細める。
「お茶会のお誘いですね。それも二人きりの」
仲を深めるためではないことなど明白だ。ヴォリュス山の話し合いよりも、リュシアーゼルについてがお目当てといったところだろうか。
「応じなくていい」
「それはどうでしょう。彼女はリュシアーゼル様に懸想しているようですから、そう簡単に諦めないのではありませんか?」
同じ手段をとったベルティーユが言うのもなんだけれど、トスチヴァン伯爵令嬢は解呪の魔道具を利用してまで――つまりテオフィルの命を利用してまで婚約に漕ぎ着けたような人だ。リュシアーゼルが別の相手と婚約したからと引き下がるタイプではないからこそ、この手紙がここにある。
未来のことは知るはずもないものの、リュシアーゼルとてトスチヴァン伯爵令嬢の性質を理解しているようで、ベルティーユの手を煩わせるつもりはないと言う。
「私のほうで対処する。私側のゴタゴタだからな」
「いえ。今回は私が引き受けます」
ベルティーユが納得しないのは予想外だったようで、リュシアーゼルが意外そうな反応を見せた。
「だが」
「私はリュシアーゼル様の婚約者ですので、リュシアーゼル様に群がる蝶を追い払うのも役割の内ですわ」
穏やかな声音なのに、やはり不思議と棘が強く感じられた。
外見は美しく飾り立てていても、その中身は醜悪さが渦巻いていることも珍しくはない女性たち。恋に溺れ、嫉妬に狂う女性の行動力というのは時に凄まじいものだ。男性が迂闊に口を挟むとますます面倒なことになりかねない。
「婚約者としての振る舞いを求めるのは、主にテオが私たちを契約関係だと疑わないよう、仲がいいことを周知させるために必要な場合だ。基本的には婚約者としても妻としても義務を果たす必要はないという契約だろう」
「そうですね。正直なところ、先ほどの理由は建前です」
リュシアーゼルが目を眇めるので、ベルティーユは話を続ける。
「個人的にトスチヴァン伯爵家には思うところがありまして、直接対応したいのです」
「……伯爵家という言い方からすると、令嬢だけではないようだな」
「はい」
ベルティーユが標的にしているのは、娘だけでなく伯爵夫妻もだ。せっかくの機会なのだから無駄にしたくない。
「わがままは極力聞いてくださる契約でしたよね、リュシアーゼル様」
にっこりと笑うと、リュシアーゼルが小さく息を吐いた。
「わかった」
「ありがとうございます。……あ。少し人手が必要になると思うのですけれど、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わない。邸の者たちはすでに貴女を女主人として見ているから、好きに命令してくれ。新しく雇う必要があるならそうしよう」
「新しい人は大丈夫です。ありがとうございます」
相変わらず不満そうではあるものの快諾してくれたリュシアーゼルに、ベルティーユは思わず「ふふ」と笑い声を零す。
「リュシアーゼル様は本当に気遣いができる方ですね」
「そうか?」
「はい。サルドゥ子爵の手紙もそうでしたけれど、手紙の内容は容易く推測できたのですから、わざわざ私に伝えずとも勝手に対処することも可能です。ですがそうはせず、きちんと私の意思を確認してくださいました」
サルドゥ子爵のこともトスチヴァン伯爵令嬢のことも、リュシアーゼルは自身で対処するつもりでいた。それは契約事項にベルティーユの平穏な生活を守るという内容があるからであり、手紙のことをベルティーユに告げることなく措置を講じてもおかしくはないのだ。
「取り次がないのはラスペード侯爵家や王家からの接触という指定だったからな。それ以外の貴女宛の手紙を勝手に確認して秘密裏に処理するのは違うだろう」
「その判断を間違わないところが素晴らしいと思います」
「褒め言葉として受け取っていいんだな?」
「もちろんです」
笑みを深めたベルティーユは嬉しそうだ。
「婚約者様とこのような価値観が合うのはとてもありがたいですわ」
「光栄だ。今後も期待を裏切らないように精進する」
「律儀なのはお互い様ですね」
ぱちりと目を瞬かせたリュシアーゼルも、「そうだな」と楽しそうに笑った。