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42.第四章三話(リュシアーゼル)


 無事に宝物庫に財宝を運び込み、ベルティーユにも確認してもらったあと。リュシアーゼルは財宝の運搬を担当した護衛の一人、そしてリュシアーゼルの補佐を務めている者と執務室にいた。

 二十五歳の護衛シメオン。仕事でしばらく邸から離れており、先程ようやく帰ってきた二十三歳の補佐アロイス。二人はオルガの娘と同じくリュシアーゼルの幼なじみでもある。


 開封済みのサルドゥ子爵からの手紙に無表情なリュシアーゼルを、執務机の前に立っている二人は見下ろしていた。


「サルドゥ子爵の件、リュシアーゼル様がご対応されるのですね」

「彼女の手を煩わせたくないからな」


 ベルティーユの安寧を守るのは契約でも定められているけれど、これは契約とは関係なく、リュシアーゼル自身の意思だ。


「……ずいぶん大切に思われているのですね」

「そう見えているならよかった。異性と距離を置いてきたせいで、どうも勝手がわからないからな」


 シメオンには、リュシアーゼルとベルティーユの契約関係については話していない。信用していないのではなく、単純に心配されるのが目に見えていたからだ。

 ユベール公爵家の後継者は、先代公爵の息子であるテオフィルだと決定している。あくまで中継ぎとして公爵の座についているリュシアーゼルは、後継者問題を避けるために結婚する気がなかった。

 シメオンはそんな懸念を理解しつつも、ただ結婚願望がないのではなく立場的な理由から結婚はしないと決断し、将来の選択肢を減らしたリュシアーゼルを、ずっと気にかけていたのだ。


 ベルティーユを連れて領地の邸に戻り、シメオンに婚約することを直接報告した時、彼は護衛という立場ではなく、幼なじみとして祝福してくれた。隠し事をしている事実が引っかかってはいたけれど、安心させてやれるならいいと思っていた。幼なじみの中で年長者の彼は、家族を次々と亡くしたリュシアーゼルに本当の兄のような気持ちで接してくれているから。


「――リュシアーゼル様が選んだ方をあまり悪くは言いたくないのですが」


 このタイミングで、複雑そうな表情でそんなことを切り出したのも。


「ベルティーユ様は信用できる方なのですか?」


 幼なじみとしてリュシアーゼルを心配しているがゆえの疑念だと、明確に訴えている。


「お前は信用できないと思うのか?」

「最初は可憐な方だと思いました。第二王子殿下との婚約で苦労されていたことも耳にしましたし、同情に近い感情があったのは事実です」


 それはシメオンだけでなく、この邸の使用人たち、領民、そして国民のほとんどが抱いているだろう。そうなるように王家と交渉し、情報操作をした。


「リュシアーゼル様と並んでいる姿はとてもお似合いでしたし、お二人がお互いを信用しているのも強く感じられました。……特に、リュシアーゼル様が過保護だという印象を受けました」

「よく見ているな」

「女性相手には無愛想が基本的な姿勢で、テオフィル様の呪いのことで一層疑り深くなった方があの変わりようでしたから、余程惚れ込んでいるのだな、と」


 惚れ込んでいるの意味はシメオンが考えていることとは異なるけれど、わざわざ訂正はしない。


「それなら安心だと、思っていたのです。リュシアーゼル様が心を寄せるほどなら」


 シメオンの声音が暗くなる。


「しかしベルティーユ様は、信じられないことに解呪の魔道具の在処をご存じでした。迷いなくあの洞窟の隠された場所を探されていた」


 確かにあれはリュシアーゼルもかなり驚愕したので、何も知らないシメオンと他の護衛二人の驚きはひとしおだっただろう。


「――本当に、嬉しかったのです。リュシアーゼル様が添い遂げたい相手を見つけられたのだと、祝福の気持ちでいっぱいでした。それが、ヴォリュス山のあの一件で見事に消失しました」


 厳しい顔つきのシメオンは続ける。


「あの方は一体何者ですか? 何か企んでいてリュシアーゼル様に近づいたのでは? ……もしかすると、テオフィル様を狙った者たちの仲間という可能性も――」

「懐疑的になるのも仕方ないとは思うが、彼女は私たちに敵対する人間ではない」


 リュシアーゼルが遮ってそう告げると、シメオンは更に表情を険しくした。そこにはリュシアーゼルを諭すような色も含まれている。


「なぜそう断言できるのです? テオフィル様を救われたことで浮ついて、冷静な判断ができていないのではありませんか?」

「その点については否定できないのが痛いところだな」


 無遠慮な言い草は幼なじみだからこそで、的確な指摘だった。

 解呪に成功したことでテオフィルの命の危機が去り、安堵と歓喜で浮ついている自覚はある。今の状態のリュシアーゼルが何を言ったところで、シメオンはまともに聞き入れてはくれないだろう。


「アロイスは俺の考えすぎだと思うか?」


 シメオンはここまで黙って耳を傾けていたアロイスの意見を求めた。

 シメオンがこの執務室に来る前、邸に戻ったばかりでまだベルティーユと顔合わせをしていないアロイスには、簡単にヴォリュス山でのことを説明してある。


「シメオンの懸念ももっともだとは思うよ。そのベルティーユ様が犯人たちとグルで、あえてテオフィル様の呪いを解いてリュシアーゼル様の信頼を勝ち取り、何かを成そうとしている。そういう可能性もなくはない」

「そうだろう」

「ただ、今の時点で判断を下すのは時期尚早かな」


 賛同では終わらなかったアロイスの答えに、シメオンは瞠目した。


「なぜだ」

「魔道具の在処を知っていて迷いなく道案内をしたんなら疑念を持たれて当然だし、そんなことも想像できないって、あまりにも愚かすぎない?」

「わざとそのような演出をしたのかもしれない」

「裏をかいてとか、それ言い出したらキリないよ」


 アロイスは腕を組んで「んー」と声を漏らし、考えながら自身の意見を口にする。


「僕はまだベルティーユ様に会ってないから人柄とかよくわかってないし、もっと情報を得て判断したいかな。リュシアーゼル様が信用してるってのも、リュシアーゼル様に限って初っ端から見た目に絆されたなんてことはないだろうしね。だって確か十四歳の女の子でしょ?」

「新聞で見ていないのか? かなり美人で、もうすぐ十五歳だ。容姿だけだと実年齢より二、三歳は上に見える」

「あ、それなら顔で落ちるのもなくはないかも」

「おい」


 リュシアーゼルが不満を露わにすると、アロイスは「まあまあ、冗談ですよ」と宥める。


「ともかく、もっと情報がほしいってのが僕の感想。まあシメオンは実際に会っててこの結論みたいだけど」


 アロイスに見据えられたシメオンは眉根を寄せた。


「一度疑念を持つと、あまりにも隙がなさすぎて疑いが募る」

(ああ、それはわかる)


 リュシアーゼルの前では――王都ではジョルジュの前でもそうだったけれど、疑われても構わないとばかりにベルティーユは振る舞う。しかし、他の者たちの前では完璧な貴族令嬢としての仮面を貼り付けている。上品な仕草、落ち着いていて穏やかな口調、使用人にも丁寧な態度。

 鷹揚で隙がないからこそ、逆に怪しいと見るのも納得できるのだ。


「ふぅん? ま、僕の見解は直接顔を合わせてからってことで」


 ぶれないアロイスは、そう締めくくった。


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