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04.第一章二話


 数日が経ち、ベルティーユはまだ自室に引きこもっていた。ソファーに座って本を読んで過ごすことが多い。

 元々ついていた侍女は別の仕事に回し、最近入ったという新人の少女を新しく侍女にした。昔からいるこの家の者たちとなるべく接触したくないからだ。

 新しい侍女は、人に会いたくないというベルティーユの意思を、戸惑いながらも尊重して動くことができていた。新人なので色々と不安な面があるだろうに、よく働いてくれている。


「お嬢様、第二王子殿下からお手紙が……」


 手紙を載せたトレーを持つ侍女がおずおずと報告する。ベルティーユが本に落としていた視線を上げて確かめると、その手紙の封蝋は確かに第二王子のものだった。


「燃やしてちょうだい」

「えっ!?」


 王族からの手紙を燃やそうとするなんて予想していなかったようで、侍女がぎょっと目を見開く。

 当然の反応だろう。いくら仕える主人の命令だとしても、そのような恐れ多いことを一介の侍女が実行できるはずもない。下手をすれば責任を負わされるのはこの侍女なのだ。


「その辺にでも置いておいて」

「あ、はい……」


 侍女はテーブルに手紙をそっと置く。

 第二王子からの手紙は、ベルティーユが意識を取り戻して二通目だ。一通目には目を通したけれど返事を出さなかったので、向こうから新しい手紙が届いたのだろう。

 以前は、こんなにも頻繁に手紙が来ることなど考えられなかった。返事がないからとそわそわし、待ちきれずにもう一通送ってくるような人ではなかった。


 目を覚ましたことだけでなく、ベルティーユの記憶が戻ったことも第二王子の耳に入っている。だから必死なのかもしれない。

 この侯爵家の者たちがそうであったように、第二王子もまたミノリに惹かれていた。彼の以前の仕打ちを思い出したベルティーユに嫌われてしまうと焦っているのだろう。


 冷めた目で手紙を見据えていたところで、ノックの後にガチャリと音がした。勝手に入室してくるなんてまたトリスタンかと思えば、今回は父だった。その姿を捉えた侍女が小さく「あっ……」と声を漏らしたので、鍵をかけ忘れていたことに今気づいたようだ。

 ベルティーユはため息を吐き、父をじっと見つめる。先日顔を合わせた時よりもやつれているように見えるのは気のせいではないだろう。

 暗い茶髪と青色の瞳。兄三人は髪色が少し明るいけれど、この男によく似ている。昔はそのどちらの色も自分だけ受け継げなかったことを寂しく感じていたけれど、今はむしろ似なくてよかったと思っている。


「この家の当主一家はレディの部屋に許可を得ずに入るのが当たり前なのは変わらないのですね。……ああ、ふふ。私は貴方たちが礼儀を尽くすべきレディの中には含まれていませんでしたね」

「……お前は許可を出さないだろう」

「顔を合わせる必要があるとは思えませんもの」


 ベルティーユは意識を本に向け、ページを一枚めくった。侍女がオロオロしており、そんな彼女に父は下がるよう声をかけたけれど、ベルティーユがいいと言わなかったので侍女はその場にとどまった。


「お前が私たちを恨むのも仕方ない。私たちはそれほどのことをお前にしてきた。本当にすまないと――」

「どこまでも勝手ですわね」


 パタンと、ベルティーユは本を閉じる。そして、温度がないのに穏やかにも思える、よく通る不思議な声音で続けた。


「貴方たちがどれほど心の底から悔いていようと、あの十七年はなくなりません。謝罪はただの自己満足でしょう。自分たちの心を軽くしたいだけの行動であって、私のためではない。どうせそのうち、なぜこんなに謝っているのに許してくれないのだと私を責めるようになります。謝罪すれば許される罪だと考えている。貴方たちはそういう人間です」

「ちが」

「この世にただ生まれてきただけの何もできない赤子を人殺しと見做した人たちなのですから、それくらいはすると思いますけれど?」


 軽く首を傾けて鋭い眼差しを向ければ、父は言葉を詰まらせた。


(そう、言い返せるわけがありませんよね)


 すべて紛うことなき事実なのだから。


「貴方たちの罪悪感や後悔、謝罪の気持ちなんて、所詮は一時のものでしかないはずです。理不尽に他者を虐げることを当然のように繰り返してきた人は、いざ自分が正当に裁かれる立場になると理不尽だと声高に訴えるのですよ。それが加害者心理でしょう」


 ミノリがベルティーユとして過ごしていた間、邸から追い出された使用人は少なくなかった。ベルティーユにそうしていたようにミノリを貶し、罵倒し続けていたことが、父や兄の耳に入ったからだ。追い出された使用人のほとんどが、自分は悪くないと最後まで足掻いていた。

 ベルティーユを罪人として扱うことは、十七年もの間、ラスペード侯爵家では当然のこととして許されていた行為である。突然変わったのは父たちや一部の使用人であって、追い出された元使用人は罰せられるようなことではないと本気で考えていたのだろう。

 そういう家にしたのは、間違いなく目の前にいるこの男を含めた当主一家だ。


「許されたいと願うことそのものが贅沢で傲慢なのだと自覚してください」


 謝罪で何もかもが許されるなら刑罰など存在しない。謝罪を受け入れることを強要しようとするのは、反省していないという証明でもある。

 罰を受けたからといって許されたと勘違いするのも酷く傲慢だ。許すかどうかはあくまで被害者の意思に委ねられるべきである。


「血の繋がりがあるだけで、私たちが家族だった時間は一瞬たりともありませんでしたし、この先もそれは変わりませんわ。だから私は、貴方たちに気を遣ってすべてを許したりしません」


 家族らしく過ごしたこの数ヶ月は、ベルティーユではなくミノリが経験したもので、決してベルティーユが送った時間ではない。


「……ベルティーユ」

「聞いていませんか? 貴方がまだこの部屋に居座るつもりなら、私が出ていきます」


 トリスタンから話を聞いているはずだ。父はぐっと眉根を寄せたあと、「わかった」と部屋から出て行った。その後ろ姿は親子だけあり、末兄とよく似ていた。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「平気よ」


 心配そうに眉尻を下げている侍女にそう返し、下がっていいと許可を出す。一人になった空間に、ベルティーユはほっと息を吐いた。


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