33.第三章八話
五日後の朝、ベルティーユはジャンヌに身支度を手伝ってもらっていた。着ているのは華やかなドレスではなく、動きやすいブラウスとズボンだ。
オークションでヴォリュス山を購入した次の日から天気が悪かったため、山の視察の日程が延びて今日になってしまったのである。これは視察のための服装というわけだ。
なるべく早く魔道具を手に入れたいという思いが先行し、昨日は晴れだったので山の視察に支障はないのではと、ベルティーユは一度進言した。しかし、前日まで雨や曇りばかりで地面がぬかるんでいるだろうから危険だと、リュシアーゼルが断固として許可を出さなかったのだ。
妥当な判断なので納得はしたものの、リュシアーゼルがだんだん過保護になっている気がしてならない。というより、割と早い段階から過保護っぷりは発揮されていて、拍車がかかっていると表現するのが正しいかもしれない。
甥の命を救う人への気遣いや同情の域を超えているように感じるけれど、甥がいる影響で年下には甘いのがデフォルトなのだろうか。
「お嬢様まで山の中に入るだなんて……危険ではありませんか?」
ベルティーユの髪を一つにまとめながらジャンヌが心配そうに眉尻を下げているのが、ドレッサーの鏡に映る。
ジャンヌ自身も王都の邸から領地の邸に異動して環境が変わり、色々と大変なこともあるはずなのに、常にベルティーユを優先して動いてくれている。ベルティーユの心情に寄り添い、何か不便はないか、気掛かりなことはないか、侍女である以上はそこに気を配るのは当たり前のことではあるのだけれど、とにかく主人への気遣いに全力を注いでいるのだ。
その忠実な姿が、時間が戻る前に少しの間だけ侍女だったあの少女を思い出させて、時折懐かしさが過る。
「荒れ放題の山なのですよね? 獣に襲われる可能性だってないとは言い切れませんし……」
「リュシアーゼル様や護衛もいるから大丈夫よ」
視察、という名の魔道具探索には、当然のようにリュシアーゼルも同行することになった。他にも男手があり、獣対策に彼らは銃も携帯する。
ただ、ヴォリュス山にはそれほど危険な生物は生息していないはずなので、山道にさえ気をつけていれば基本的には問題ない。
「リュシアーゼル様がいらっしゃるなら安心ですけど、お足元などお気をつけくださいね」
「ええ。ありがとう」
髪を結び終わったジャンヌが最後にひと通り髪を梳かし直して、ベルティーユの準備は完了した。
ジャンヌと共に玄関ホールに向かうと、先に準備を終えて待っていたらしいリュシアーゼルが男性三人と何かを話していた。
リュシアーゼルはふとこちらを見てベルティーユに気づくと、表情を和らげる。
「似合ってるな」
「ありがとうございます」
リュシアーゼルも動きやすさ重視ながら、程よく装飾のある貴族らしい服装が似合っている。
(前から思っていたけれど、それなりに筋肉がついていらっしゃるのよね)
服越しでもわかる体格の良さ。捲られた裾から覗く腕の筋が綺麗で、普段から鍛えていることが窺える。
「リュシアーゼル様も素敵です」
「ありがとう」
じっと見つめながら褒め言葉を送ると、お礼を口にしたリュシアーゼルがベルティーユの腰に手を回す。その行動に、ジャンヌが目を輝かせて口元を手で覆った。
こんな時でもリュシアーゼルは演技を忘れないらしい。
「彼らが今回同行する護衛だ」
リュシアーゼルは先ほどまで話していた三人の男性に視線を向けて、そう紹介する。
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
年長者であろう一人が挨拶をして頭を下げたあと、それに続いて残りの二人が「お願いいたします」と頭を下げた。
三人とも筋骨隆々で、まさに護衛といった感じの見た目をしている。一人は三十歳前後、二人は二十代半ばくらいだろうか。
「よろしくお願いします」
ベルティーユも会釈を返し、挨拶を済ませ、ベルティーユたちはヴォリュス山へと出発した。
ヴォリュス山に到着して、まずは山を外から眺めた。確かに手入れされていないことが一目で理解できるほど、草や木が無造作に生い茂っている。
「改めてルートの確認だ」
リュシアーゼルが地図を広げ、ベルティーユと護衛たちも覗き込む。
山のとある場所に印がついており、そこがベルティーユたちの目指す目的地だ。事前にこの場所を調査したいとリュシアーゼルに申告していたので、そこまでのルートはリュシアーゼルと護衛たちが決めてくれた。
今日の目的はあくまで解呪の魔道具を見つけること。山全体の視察はまた今度となる。
「サルドゥ子爵が一度部下に視察させていて、その際にそこそこ整えた道がある。途中まではその道を進む」
リュシアーゼルが地図をなぞり、ある地点で止めた。
「ここからは草をかき分けながら進むことになる。獣や虫にも警戒しながら、平坦ではない地面を登っていくわけだが」
ちらりと、リュシアーゼルの紫の双眸がベルティーユを射抜く。
「本当に貴女も行くんだな?」
「今更ですよ」
リュシアーゼルは当初、道を整えてから調査をすればいいと言っていた。わざわざ危険性が高い状態の、道とも呼べないような場所を登る必要はないと。それでもベルティーユは譲らなかった。
山道を整えるには時間を要する。その間、テオフィルはずっと苦痛に苛まれたままだ。
「リュシアーゼル様や護衛の方たちほど体力も筋力もありませんので、足を引っ張ってしまうのは確実でしょうから、先に謝罪しておきます」
「そこは気にしなくていいんだが……」
悩ましげに眉を寄せて、リュシアーゼルはため息を吐いた。
「まあ、説得して折れてくれるならここまで来ないか」
「エスコートをお願いいたしますね、婚約者様」
にっこりと笑ったベルティーユに、リュシアーゼルは観念して再び息を吐き出す。
「善処する」
その返答にはまったく覇気がなかったものの、ベルティーユは満足げに笑みを深めた。
「……仲が大変よろしいな」
「ですね」
「リュシアーゼル様がベタ惚れだって話がマジで嘘じゃなかったってことがはっきりしたわ」
婚約者同士の軽快な――明らかに終始ベルティーユが優勢なやりとりに、護衛たちはひそひそとそんなことを話し合っていたのだった。