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31.第三章六話


「よろしかったのですか?」

「何がだ?」

「トスチヴァン伯爵とご令嬢のことです」


 席に座ったベルティーユとリュシアーゼルは、あまり周りに聞こえないよう控えめな声で会話をする。自然と顔の距離も近づき、周りからは婚約者同士が仲良く内緒話をしているように見えるだろう。


「知ってたのか」


 彼らが名乗っていなかったので、あの親子の正体がベルティーユにはわからなかったと思っていたようだ。


「伯爵様とは面識があります」


 ベルティーユは第二王子の婚約者として王子妃教育を受けるために王宮に通っていたので、それなりに貴族と面識がある。トスチヴァン伯爵とも数回ほど挨拶を交わしたことがあった。

 娘のほうは初めて会ったけれど、公爵邸でその名前を耳にすることがあった。熱心にリュシアーゼルに手紙を送ってきていると、使用人が漏らしていたのだ。


「顔見知りなのにあの態度か」


 ベルティーユがまるで透明人間かのような扱いをされていたことを思い返しているのか、リュシアーゼルはずいぶん腹立たしそうだ。ベルティーユ本人よりも不快感を露わにしている。


「まあ、どちらにしろ非難されて当然の振る舞いだったがな。親子共々、一から礼儀を叩き込み直したほうがいい」


 察してはいたけれど、リュシアーゼルはあの親子を嫌悪している。それは先ほどの態度だけが原因ではなく、積み重なってきたものだと思われた。


「リュシアーゼル様の婚約者となった私が気に食わないのでしょうね」

「私の婚約について口を挟む権利などないのに、傲慢にもほどがある」


 彼らは所詮、他人だ。リュシアーゼルの親族ではないので結婚には無関係。親族であったとしても、誰と交際し、婚約し、結婚するか、決めるのはリュシアーゼル自身である。


「領地が隣同士だから付き合いは長いが、それほど交流があったわけじゃない。昔から令嬢のほうには付きまとわれて鬱陶しかったから避けていた」

「あらまあ。お可哀想に」

「……その同情はどちらに対するものだ?」

「もちろんリュシアーゼル様ですよ」


 にっこりと、ベルティーユは笑った。微妙な表情になったリュシアーゼルに更に顔を寄せ、一層声を潜める。


「後妻を娶る際は、彼女はおやめになったほうがよろしいかと思います」


 リュシアーゼルの眉がぴくりと動く。しばし沈黙して、ゆっくり口を動かした。


「……いらない心配だ」

「それなら安心です」


 ベルティーユはまたも笑みを浮かべて顔を離し、壇上を観察し始めた。


 座席が何列にもなってずらりと並ぶ先、壇上には台が設置されている。

 今回のオークションは品物が多くあり、前半と後半で公開入札方式と封印入札方式に別れている。ヴォリュス山は後半に出てくるので封印入札方式だ。買い手側は互いにどれほどの金額を提示するのか知ることができず、それぞれ入札希望額を書いた紙を箱に入れ、一番高い値をつけた者が落札者となる。そのための箱があの台の上に置かれるのだ。


「ちなみに、なぜ彼女はやめておいたほうがいいのか、理由は教えてくれるのか?」

「やめておいたほうがよろしいからです」

「……」


 隣からじいっとこちらを見つめる視線を感じたけれど、ベルティーユは意識を割かずに会場をざっくり見渡す。

 すでに席についている者、立ち話をしている者、一定数がやはりベルティーユたちを気にしているのがよくわかる。しばらくはどこに行くにもこのような目に晒されることになるのだろう。


(外出は極力避けようかしら)


 元々、ベルティーユはどちらかといえば本を読んだりするほうが好きなので、ちょうどよかったかもしれない。外出をせずとも苦痛ではないだろう。

 そんなことを考えていると、少し離れたところからとある声が耳に届いた。


「おい、今回売られるヴォリュス山には特別な薬草が生えてるらしいぞ」


 ヴォリュス山という名前に反応して、ベルティーユもリュシアーゼルも視線だけをそちらに向ける。


「ほんとか?」

「ああ。外国じゃ高く売れるって話だ」


 男性二人がそう言いながら、前方の席に向けてか通路を進んでいっている。


「わざとらしいな」


 白けた顔でリュシアーゼルはそう零した。ベルティーユも同意見である。


「仕込みですね。サルドゥ子爵が雇ったのでしょう」

「山の価格を上げるのが狙いか」

「やることが愚かで幼稚すぎます。でも、本当かもしれないと揺れる人はそれなりにいらっしゃるようですね」


 彼らが通ったあと、その会話が聞こえる位置にいたオークションの参加者たちがこそこそと話している。


「真偽が定かではありませんから、購入に踏み切る者はそうそういないでしょう」

「あの話がもし本当なら、わざわざライバルを増やすような真似をするのはおかしいからな」

「はい。少し考えればわかることです」


 特別な薬草。高値で売れる。それが真実なら彼らが購入するはずなのに、わざわざ周りに聞かれては入札希望者が増え、想定よりも落札額が高くなる恐れがある。つまり彼らが負ける確率が高まるのだ。

 それくらいも予想できない本物の馬鹿という可能性もなくはないけれど、限りなく低いだろう。


(……あら)


 仕込みの彼らを見て驚愕している男性を見つけた。リュシアーゼルに辛辣な言葉をかけられたショックから解放されてようやく会場に入ってきたらしいトスチヴァン伯爵だ。


(なるほどね)


 時間が戻る前。ヴォリュス山の購入額がそれなりに高かったのは、確実に手に入れるために落札者があらかじめその額を決めていたと思っていた。しかし、まんまと彼らに踊らされて予定よりも高値をつけたようだ。

 本来の落札者――トスチヴァン伯爵を見て、ベルティーユはそう確信した。

 残念ながら、今回はベルティーユがヴォリュス山を手にする。価格のつり上げも意味をなさない。


 トスチヴァン伯爵の隣に立つ娘は、こちらを見ていた。ベルティーユと目が合うと、娘は親の仇でも前にしているかのようにキッと睨みつけてきた。リュシアーゼルの前では決して見せないであろう醜悪な顔だ。

 悠然と微笑むと、一度目を見開いた娘の顔が更に歪む。彼女の神経を見事に逆撫でしたベルティーユは、リュシアーゼルのほうに体を寄せた。


「どうした?」

「何も」


 彼に群がる女性を追い払う。これも契約のうちなので、ベルティーユは真面目に役目を果たしているだけである。


「それで、ヴォリュス山には本当に特別な薬草があるのか?」

「うーん、あながち間違いでもありません」


 そんなわけがないと思っていたらしいリュシアーゼルは、ベルティーユの返答に目を瞬かせる。


「ですが、解呪とは関係ありませんのでお気になさらず」


 ベルティーユはゆったりと口角を上げ、目を細めた。

 そして――十分ほど経った頃、オークションが始まった。


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