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29.第三章四話


 ベルティーユたちは列車の移動で王都の駅からユベール公爵領の駅に到着し、そこからは事前に時間を指定して呼んでいた馬車でユベール公爵邸に向かった。

 公爵邸の玄関ホールで整然と並んで迎えてくれた使用人たちは、王都の公爵邸にいる者たちと同様、ベルティーユを歓迎する雰囲気に溢れていた。

 邸の使用人を代表してか、一人のメイドが他の者たちより前に出て一礼し、他の使用人たちも倣う。


「新しくユベールの女主人となるベルティーユお嬢様を、使用人一同、歓迎いたします」


 所作が綺麗でベテランの風格を持つメイドの言葉に、ベルティーユは苦笑する。


「まだ婚約者ですから、女主人になるのはだいぶ先のことなのですけれど……、ありがとうございます」


 それだけではない。ベルティーユは妻としての役割を果たさないという契約なので、期待されても女主人として邸を切り盛りする気もさらさらないのだ。


「私どもに丁寧な言葉遣いは不要でございます、お嬢様」

「そう? ではそうさせてもらうわね」


 家庭教師の教育方針の影響で、使用人であっても年上にはついつい敬語を使ってしまいがちなのだけれど、敬語を取っ払うのに違和感はない。ラスペード侯爵家では死期を悟って以来、使用人相手に敬語を使わなくなっていたためだ。

 ちなみに、最初は口調について何も指摘をしなかったジョルジュも、ベルティーユがジャンヌに気安く話しかけているのを見てからは、敬語は不要ですと要望して姿勢を変えていた。誰にでも丁寧に接するよう教育を受けているタイプなのだろうと察して遠慮していたらしい。合ってはいる。


「私はテオフィル様の乳母を務めております、オルガと申します」

「オルガ……そう、貴女が」

「娘の件で、お嬢様には大変お世話になりました」


 オルガが深々と頭を下げる。

 ジョルジュの娘で、例の被害者の母。確かに面影がある。


「娘を助けていただき、心から感謝申し上げます」

「私は知っていることを話しただけよ。動いてくださったのはリュシアーゼル様たち」


 王都でも似たようなやりとりがあった。


「娘から聞いてはおりましたが、謙虚なお方なのですね」

「そういうわけではないのだけれど……」


 オルガの娘はすでにこの公爵領に戻っている。娘が王都を発つ前にお礼を言いにきた際に少し話したので、オルガが言うような印象を持たれてしまったようだ。


「挨拶はこれくらいにして休もう。列車の移動で疲れているだろう」


 気遣わしげにリュシアーゼルがベルティーユの肩を抱いた。仲良しアピールの一環と心配が半々といった心情だろうかと考えたけれど、すぐに心配の割合のほうが高いと推察する。リュシアーゼルはそういう人だ。


「お部屋の準備は済んでおりますので、すぐにお休みいただけます」

「わかった」


 リュシアーゼルとオルガの会話に、そういえば、とベルティーユは思い出した。


(彼女は私とリュシアーゼル様が契約結婚だと知っているのよね)


 契約結婚が誰に共有されているかを聞いた時、オルガの名前もあったのだ。先ほどの女主人どうこうの発言は、人目があるためだったのだろう。


「その前に、テオフィル様に挨拶をしてもよろしいでしょうか」


 そう訊くと、リュシアーゼルはオルガと顔を見合わせ、困ったような表情をベルティーユに向ける。


「王都の邸を出る前にも言ったが、テオは……」

「試しにですよ、リュシアーゼル様。ね?」


 首を傾げてお願いするベルティーユが引かないと踏んだらしく、リュシアーゼルは承諾した。


 他の使用人はそれぞれ仕事に戻り、ジャンヌもベルティーユの荷物を部屋に運んでトランクから出すという役割を果たしにいった。

 ベルティーユはリュシアーゼルとオルガと共にテオフィルの部屋へと向かう。部屋の前についてオルガがドアをノックしたけれど、中から返事はない。いつものことなのか、オルガは再びノックをした。


「テオフィル坊っちゃま。リュシアーゼル様と婚約者様がいらっしゃいましたよ」


 これにもやはり何も返ってこず、オルガがだめだと首を左右に振った。


 ベルティーユはテオフィルと面識がない。婚約者の甥だからと大切に思えるほど、他人に関心もない。――けれど。

 ちらりと、リュシアーゼルに視線をやる。

 無表情に近いリュシアーゼルは目を伏せていた。その姿は寂しそうで、悔しそうで、心配になる。


「いいかしら」


 ベルティーユはオルガからドアの前を譲ってもらい、ドアをまっすぐ見つめる。まったく反応を見せてくれないテオフィルに向けて声を放った。


「会話には応じていただけないようなので、勝手に進めますね。リュシアーゼル様の婚約者となりました、ベルティーユ・レジェです。レジェ家に養子として入ったのですけれど、本日からこちらでお世話になります。そのうち、きちんとお話をすることになると思いますので、その際はよろしくお願いしますね」


 一方的に言い終わっても、安定してなんの反応もない。オルガが「お嬢様……」と眉尻を下げるので、ベルティーユは「大丈夫よ」と微笑んだ。


 初のコンタクトは失敗に終わり、ベルティーユは自分の部屋に案内された。荷解きを手早く終えたらしいジャンヌを下がらせて、リュシアーゼルと向かい合ってソファーに腰掛ける。


「すまない。あまり気にするな」

「気にしていませんよ。それに、リュシアーゼル様が謝罪なさることではありません」


 そう告げてもリュシアーゼルの顔は晴れないので、彼の気を紛らわせようとベルティーユは口を開く。


「お金は用意できましたか?」

「……ああ、貸してほしいと言っていたものか」


 リュシアーゼルは懐から小切手を出してベルティーユに渡した。記されている金額は希望どおりだ。


「ありがとうございます」

「二ヶ月後に返済だったな。別に返済は不要なのだが……」

「甘やかしすぎは人をだめにしますよ」


 契約書を交わした際に返済期限を決めたけれど、リュシアーゼルはまだ不満を引きずっているらしい。


「まさか本当に山を買うわけではないだろう? 何に使うんだ?」

「オークションです」


 端的に答えると、リュシアーゼルはわずかに目を丸める。


「意外だな」

「そうですか? 競売に勤しむ貴族は多いように感じますよ」

「貴女は違う気がする」

「ふふ。まあ正解です」


 ベルティーユは物欲がないので、オークションというものにも興味はない。ただ今回は、オークションに参加する必要がある。


「オークションそのものに興じるような性格ではありませんけれど、手に入れなければならないものがあるのです。甥御様……テオフィル様の呪いの解呪のために」

「……まさか、解呪の魔道具がオークションに出品されるわけじゃないよな?」

「もちろん違います」


 ベルティーユは小切手で口元を隠し、楽しそうに目を細めた。


「私は本当に山を買うのですよ、リュシアーゼル様」


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