25.第二章十四話
二日後。ベルティーユはリュシアーゼルと共に王宮に呼び出された。早ければ数日以内にもと思ってはいたけれど、本当に早い。それもリュシアーゼルまで同行となれば悪い予感しかしなかったけれど、いざ王宮に到着すると雰囲気は予想に反したものだった。
王宮に出仕している者たちから向けられてくる視線は非難めいたものではなく、どちらかといえば同情に似ているものが大半のような気がする。リュシアーゼルが対処した結果だろうけれど、だとしてもある意味では好意的すぎる空間になっていた。
不思議に思いつつも、堂々とした振る舞いのリュシアーゼルにエスコートされながら、ベルティーユはウスターシュの従者の案内で王宮の中を進んでいく。
国王と王妃、そして王太子にも会う予定となっているけれど、まずはウスターシュと話し合う場が設けられているらしい。
「申し訳ありませんが、ユベール公爵には別室で待機していただきたく思います」
ウスターシュが待っているという応接室の前に到着すると、従者は緊張した面持ちでそう告げた。リュシアーゼルは不満を述べるでもなく、腕を組んで応接室があるほうとは逆の壁に背を預ける。
「ここで待っておく」
「こちらで、ですか?」
「ああ」
従者が困惑しているのをよそに、ベルティーユとリュシアーゼルの視線が交わった。するとリュシアーゼルがふっとかすかに笑うので、ベルティーユは数回瞬きをしてから頬を緩める。そして振り返り、応接室のドアをノックした。
従者の「えっ」という間抜けな声のあとに、ドアの向こうから「入れ」と声がかかる。許可を得たのでベルティーユは自身でドアを開けて応接室に立ち入った。それに続いて従者が恐る恐る入室し、ドアを閉めて入り口のそばに立つ。
「数日ぶりだな」
「そうですね」
ウスターシュがソファーに座っていたので、ベルティーユも遠慮なく正面のソファーに腰掛けた。
無駄に長い挨拶もなく、なんとも言えない空気感。ベルティーユは穏やかな表情だけれど、ウスターシュはどことなく気まずそうにしている。
(……これは、どうしたのかしら)
形だけとはいえまだ婚約者であるベルティーユが別の男の邸に寝泊まりしているのだ。糾弾されてもおかしくないのに、その気配は微塵も感じられない。これもリュシアーゼルが動いた成果なのは間違いなかったけれど、何かしらチクチク言われることを想像していたのに拍子抜けである。
(何をしたのですか、リュシアーゼル様)
上手くいったと事前に聞いてはいたけれど、どうせすぐわかるからと詳細は教えられていないのだ。
ベルティーユが悶々していると、ウスターシュが「さっそく本題に入ろう」と懐から何かを取り出す。
「慰謝料と情報料、それぞれの小切手だ」
テーブルに置かれた二枚の小切手に記されている金額を目にして、ベルティーユはわずかに目を見張った。どちらも想定していたより随分高い金額だ。
「私と君の婚約は、解消ではなく破棄という形になる。無論、私有責でな」
「……破棄ですか?」
これまた予想外の展開である。
婚約破棄ということであれば確かにこの慰謝料の額も納得ではあるけれど、それにしたって多いのは事実だった。
「国王陛下と王妃殿下は反対なさったと思うのですけれど、よく説得できましたね」
「私も苦労していたが、ユベール公爵が訪ねてきたんだ」
「リュシアーゼル様が?」
「君は例の……コラン警部が犯人の誘拐事件の重要な証人で、必要があったから保護しただけだと父上たちに説明していた。婚約者として良好な関係を築けなかったのはあくまで私にのみ責任があり、ベルティーユ嬢には一切の非がないことを、重々承知していてほしいとな」
なるほど、とベルティーユは納得する。嘘ではないことを上手く利用したらしい。
婚約者として過ごしてきたウスターシュとの関係性を詳しくは語っていないにもかかわらず、全面的にウスターシュに責任があると信じて動いてくれたのだろう。
「それに、兄上からも口添えがあった。兄上だけは、私が君にあまりよく接していないことを薄々察しておられたからな」
「……そうなのですか」
義理の兄妹になるからと優しく接してくれた王太子を思い出す。優しかったけれど、距離は保っている人という印象だった。
「帰責事由は私にある婚約破棄であり、責任を感じた王家側が君とユベール公爵の間を取り持ち、婚約を推奨したと公表することになっている」
知らないところであれこれ進んでいる話に驚いたけれど、それなら周囲のあの反応にも合点がいく。
「最大限の慰謝料と情報料、新たな婚約を王家が推奨していることの公言。誠意としては十分か?」
「まあ、及第点でしょうか」
満足とは決して言うものか。時間が戻ったとはいえ、ベルティーユが彼に捧げた時間がなかったことにはならないのだから、何をされたって十分などではない。
(それにしても……この流れだと、当初の想定より評判は落ちないわね)
ベルティーユが得ることのできる慰謝料を優先したせいで、ある程度の悪評を求めているリュシアーゼルにとっては微妙な結果になってしまったかもしれない。
そこは申し訳なく思っていると、ウスターシュに名前を呼ばれ、ベルティーユは落としていた視線を上げた。
「侯爵家を出て養子に入ると聞いた」
「はい」
彼の言うとおり、ベルティーユはユベール公爵家の傍系の伯爵家に養子入りすることが決まっている。養子縁組をするだけで、ベルティーユが暮らすのはユベール公爵邸のままである。
今後の人生でラスペード侯爵家に干渉されたくないのであれば法的に縁を切ったほうがいいだろうと、リュシアーゼルから選択肢の一つとして提案され、了承した。
ラスペード侯爵家側も意外にも受諾したらしい。不幸を呼び寄せる娘は追い出すほうがいいという結論に至ったのだろう。トリスタンあたりは荒れ狂っていそうではあるけれど、ベルティーユには関係のないことだ。
「私との婚約がなくなるのが原因なのか?」
それがすべてではないけれど、こちらの事情を教えてやるつもりはない。
「王家との婚約がだめになってしまった娘を置いているのは外聞が悪いですから、家のことを考えれば早々に追い出すのが賢明でしょうね」
ウスターシュに原因がある婚約破棄だとしても、新しく公爵家との縁が決まったとしても、王家に捨てられた娘であることに変わりはない。ベルティーユにも粗相があったのではと噂をする者は必ず現れ、家にも飛び火するものだ。ラスペード侯爵家はその影響を最低限に抑えたかったのだろうと、もっともらしい理由を告げた。
「ご心配なく。どちらにしろこれからはユベール公爵邸で暮らすのですから、どの家の娘でも関係ありませんもの」
言いながら、ベルティーユは慰謝料と情報料の小切手を懐にしまった。
「気にかけるような間柄ではなかったではありませんか。今更優しいふりなどなさらなくて結構です」
持ってきていたペンダントをテーブルに置く。
以前はお守りのように思っていたペンダントも、今ではただの物だ。愛着はない。手放したくて仕方がない、最悪の思い出と化した。
「こちらはお返ししますね。――私にはもう、殿下は必要ありませんので」
運命の相手だと思っていたけれど違った。きっと、この世にありふれている勘違いだった。
「殿下の想い人ですけれど、伯爵家以上の家の娘です。頑張ってくださいね」
ベルティーユは話は終わりとばかりに立ち上がった。その様子にウスターシュは眉を顰める。
「……それだけか? 以前とほぼ同じ情報だろう」
「あら。必ずお教えすると約束した覚えはありませんよ」
にっこりと、ベルティーユは機嫌良く笑う。
「彼女がラスペード家と同程度の貴族の娘だという情報、殿下との婚約がなくなることへの同意。それが私からの最後の誠意です」
誠意であり、仕返しである。
ウスターシュは不満そうではあったけれど、実際に文句を口にすることはなかった。
国内の公爵家に年齢が近い娘はいないので、ベルティーユと付き合いのある伯爵令嬢か侯爵令嬢となれば見つけることは可能だと、前向きに考える方向に思考を持っていったのだろう。
その姿を見て、改めて思った。
「貴方と結婚しなくて本当によかったと、心の底から思いますわ」
今度こそ、真の決別だ。ベルティーユとウスターシュは完全に他人へと戻る。
「初恋の人に気づけるといいですね。――その時を楽しみにしています」
多少の不快と一抹の疑念を宿した碧眼と見つめ合うこと数秒、ベルティーユは優美に微笑みを湛えながら一礼した。
その後、リュシアーゼル、国王や王妃、王太子、書記官などがいる場で、ベルティーユとウスターシュは書類にサインをし、正式に婚約破棄が成立した。
翌日、第二王子とラスペード侯爵令嬢の婚約破棄、ラスペード侯爵令嬢とユベール公爵が婚約する旨が新聞に掲載され、しばらく国民を騒がせることになったのである。