23.第二章十二話
ベルティーユが夢から目を覚まして程なく、ユベール公爵家のメイドであるジャンヌが部屋に来た。ベルティーユの身支度などの世話を任されることになった彼女は十八歳らしい。
とてもニコニコしている彼女の手を借りながら支度を進め、朝食をとるために食堂へと案内された。食堂にはすでにリュシアーゼルがおり、新聞を読んでいた彼は顔を上げ、紫眼でベルティーユを捉える。
「おはよう、ラスペード侯爵令嬢」
「おはようございます、閣下」
ベルティーユが席につくと、リュシアーゼルは新聞を閉じてジョルジュに渡した。
「よく眠れたか?」
「はい」
「それはよかった。不便があれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
かなり気遣われているのは、リュシアーゼルがおそらくベルティーユの境遇を察したからだと思われる。彼の洞察力が鋭いのか、兄や父がわかりやすいのか。二つが重なったのだろう。
まさか、こんなにも早くユベール公爵家に迎え入れてもらえるとは思ってもみなかった。まだベルティーユの情報が正確だと証明されていないうえ、第二王子の婚約者という立場にあるのに、なかなかに歓迎ムードだ。
(同情、よね。とりあえずはほぼ最短で家を出ることができたと言えるし、よかったのかしら……)
別の婚約相手がいる女性を家に迎えるなんて、普通は選択しない。しかしリュシアーゼルは、自身の悪評が流布されても気にしないどころか好都合だと考えるだろう。そういう彼の事情を思いっきり利用して契約結婚を提案したけれど、順調どころか色々とすっ飛ばして結果が出ている。
喜んでいいものかと複雑な思いになりながら、使用人が食事を運ぶ姿を眺めていると。
「ラスペード侯爵令嬢」
こちらをじっと見つめるリュシアーゼルと目が合った。
「ベルティーユと、そう呼んでもいいか? 家名で呼ばれるのは……あまり気分が良くないだろう?」
慎重に言葉を選ぶリュシアーゼルに、ベルティーユは瞬きをする。そして、思わず笑みを零した。
「構いませんよ」
「私のこともリュシアーゼルと呼んでくれ」
「わかりました。リュシアーゼル様」
「ん」
綺麗な顔が満足そうにするので、またも笑ってしまった。
「ふふ」
「……なんだ?」
「いえ。思っていたよりもお優しい方だなぁ、と」
ベルティーユはウスターシュの婚約者なので、時間が戻る前でもリュシアーゼルは礼儀正しく接してくれていた。けれどそれは王族の婚約者だからというより、ベルティーユがウスターシュを想っていて、リュシアーゼルに好意を寄せていなかったからだ。そうでなければ、彼はもっと素っ気ない態度だったのだろう。
まあ、ベルティーユは甥の命の恩人になるかもしれない人だし、彼から同情も得ている。この扱いは自然なのかもしれない。
「私を冷酷無慈悲な男だとでも思っていたのか?」
「そういうわけではありませんけれど、女性には冷たいと耳にしていたので」
「色々あったからな。否定はしない」
「色々ですか」
「ああ。色々だ」
嫌なことを思い出しているのか、リュシアーゼルは苦い顔になった。それでもかっこいいのだから、眉目秀麗すぎる顔立ちは罪深い。
「ご苦労なさったのですね」
「女は恐ろしい」
「ふふ。リュシアーゼル様が素敵な殿方だからですよ」
「笑い事ではないんだがな」
「まあ。失礼しました。……ふふ」
笑いが落ち着かないベルティーユにリュシアーゼルが半目になる。そこで食事の準備が終わり、二人は食事に手をつけた。
「ところで、貴女の予定を狂わせてしまったと思うのだが、何か問題はないか?」
「予定ですか?」
「まだ公爵家に来るつもりはなかったはずだからな」
ベルティーユはパンにブルーベリージャムを塗る。
「んー、そうですねぇ……。社交界に参加するつもりはないので、評判が悪くなっても特には。強いて言えば、慰謝料が減ることになるのではと心配になるくらいでしょうか」
ベルティーユはウスターシュ有責での婚約解消を要求している。有責内容はウスターシュが別の女性を忘れられなくてベルティーユを冷遇していたことであり、ベルティーユには一切の落ち度がないことが前提だ。ベルティーユにも問題があったとなれば、いくら不仲のきっかけがウスターシュの態度とはいっても、慰謝料の金額が減ってしまう。
そうなったら情報料を全力でぼったくることも視野に入れようと考えていたのだけれど。
「その心配は不要だ。私が貴女を連れてきたのだから責任は取る。なんとかしよう」
ナイフでオムレツを切りながら、リュシアーゼルがなんとも頼もしいことを言ってくれた。
確かにユベール公爵邸に来ることを提案したのはリュシアーゼルだけれど、最終的にその選択をしたのはベルティーユだ。それなのに、彼はずいぶん優しい。
「では、リュシアーゼル様にお任せします」
「ああ」
ユベール公爵の言葉は重い。なんとかすると約束してくれたので、慰謝料はがっぽりもらえることを期待しておこう。
「そういえば、コラン警部には監視をつけましたか?」
「昨日のうちにな」
ジョルジュから報告があったとのことでその彼に視線を向けると、ジョルジュは軽く頭を下げることで肯定した。
(よかった)
突然コラン警部の家を調べてほしいと言っても証拠がない状況では難しいはずなので、実際に彼が女性を誘拐しようとしている現場を押さえれば、捜査の手を免れないだろう。
八人目の被害者が誘拐される今日に間に合って、ベルティーユは安堵した。
その日の夜。ベルティーユの目論みどおり、コラン警部が赤茶色の髪の若い女性を誘拐しようとしたところを監視員が取り押さえ、彼が密かに所有していた古い家の地下室から今までの被害者を無事に保護したとの知らせが、ユベール公爵邸へと届いた。
そして、被害者の一人――ユベール公爵領の領民は、公爵邸に泊まることになった。公爵邸に来た彼女は衰弱している様子だったものの怪我はしておらず、命にも別状はなく、泣きながらジョルジュと抱擁を交わしていた。