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19.第二章八話(リュシアーゼル)


 甥が呪いをかけられ、解呪の魔道具探しに明け暮れているというリュシアーゼルの状況を知らないはずがないのに、最近再び増え始めた縁談。――いや、だからこその増加とも言える。

 娘を持つ貴族たちにとって、今のユベール公爵家は狙い目なのだろう。


 縁談に煩わされているのは事実だ。リュシアーゼルに結婚願望はないけれど、貴族である以上は周囲がそのあたりのことにうるさくて辟易する。

 周りを黙らせるには、ベルティーユの提案は確かに魅力的だった。

 甥が救われる。第二王子との婚約が解消された途端、すぐさまベルティーユと婚約すれば、ベルティーユだけでなくリュシアーゼルも陰口を叩かれることになるだろう。リュシアーゼルの評判も落ちることに繋がるけれど、むしろ都合がいい。そのうえ子供を望まないというのも願ったり叶ったりである。

 二年後に離婚しても、一度失敗したからとしばらくは縁談を避ける口実になる。最後まで支障がないどころかありがたい条件だ。

 そのあたりまで見越しての話だとしたら、ベルティーユという少女は末恐ろしい。


 引っかかるのは、彼女の言う平穏な生活が、わざわざ結婚しなくとも家族に頼めば済む話だというところである。第二王子との婚約がなくなるのなら、それを理由に療養とでも銘打って数年はのんびりできるだろう。

 契約結婚を持ちかけてきた以上、彼女にも結婚願望はなさそうだ。破談目前なので結婚が嫌になっているのかもしれない。それなら尚のこと、ラスペード侯爵に頼るのが一番だと思えてならない。


 こちらの事情が筒抜けとも思えるほどの情報量と、あまりにもこちらに利がありすぎる契約結婚という不可解な選択。疑わしい点が多々あるけれど、彼女は嘘はついていないとリュシアーゼルの直感が確信を得ている。


「――貴女の言うとおりだな」


 どちらにしろ、優先なのは甥の命である。迷う理由はない。


「コラン警部が犯人だと判明して、貴女の情報が正しいということが証明されれば、貴女の要求はすべて呑もう」

「ありがとうございます」


 リュシアーゼルの返答に、ベルティーユは満足そうに綺麗な顔を綻ばせた。


「解呪の魔道具については、契約書を交わし、私たちの婚約が成立してからということになりますけれど、よろしいですか?」

「ああ、構わない。――ただし」


 少し声を低くして、リュシアーゼルはベルティーユを見据える。

 五歳も下の少女だけれど、甘くなるつもりはない。一応、彼女とはまだ正式な契約関係にはないし、彼女の情報の真偽も確認できていないのだから。


「魔道具に関する情報が嘘、もしくは不十分だった場合、相応の対応をさせてもらう」

「ええ、もちろん。それは私の契約違反となりますもの。当然です」


 狼狽えることなく、まっすぐにリュシアーゼルを見つめながら、ベルティーユはそう言った。かなり自信があるようだ。


「契約内容はまた後日詰めるということで。この度は貴重なお時間をいただきありがとうございました。まずはコラン警部が捕らわれ、被害者が無事に解放されることを願っていますね」

「……被害者は全員無事なのか?」

「コラン警部が捕らえられたらわかること、ですよ」


 ベルティーユは意味深な微笑を浮かべた。

 まるで、わざと疑惑を向けさせようとしているかのような振る舞いだ。決して気を許すなと意思表示をしているように見える。


「では、そろそろ帰りますね。……ああ。王家の馬車を待たせるのは申し訳なくて帰してしまったので、公爵家の馬車で送っていただけますか?」


 さらりと紡がれたのは図々しい要望ではあるけれど、リュシアーゼルは特に不快だとは感じなかった。なんとなく、これで怒りを露わにするのか、許容してくれるのか、リュシアーゼルの度量を見定められている気分だ。


「わかった。私も同行する」

「まあ。閣下直々に送ってくださるのですか?」

「情報提供者に対する感謝と誠意だ」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに声を弾ませていても、ベルティーユはどこまでも落ち着いた余裕を見せていた。


 その後、用意させた馬車に二人で乗り、馬車はラスペード侯爵邸に向けて出発した。

 ユベール公爵邸とラスペード侯爵邸、どちらも王都で貴族の邸が集まっている地区にあるものの、邸同士にはそれなりの距離がある。数十分かけてラスペード侯爵邸に到着し、先にリュシアーゼルが降りて、ベルティーユに手を差し出して彼女が降りるのをエスコートする。


「お嬢様?」


 門から窺うことができるラスペード侯爵家の庭には複数の人がいて、使用人の一人がこちらに気づいた。つられて周りの者たちも視線を注いでくる。


「お前……!」


 ベルティーユを視認した一人の青年が、怒りの形相で門に近づいてきて開けた。リュシアーゼルは思わず、ベルティーユを守るように一歩前に出た。それまでベルティーユにしか気を取られていなかったのか、青年はようやくリュシアーゼルをその目で訝しげにじっくり観察する。


 青年は使用人の服装ではなく明らかに質の良い服を着ているので、ラスペード侯爵の息子――長男は留学中らしいので、双子だという次男か三男のどちらかだろう。

 リュシアーゼルと同じく、青年も初めて相対する男の服装からそれなりの地位の人間だと察したのだろう。馬車に視線をやった。


「ユベール公爵家の紋章……」


 面識はなくとも家紋は知っているようで、そんな呟きが聞こえた。


「ラスペード侯爵令嬢、彼は?」

「三番目の兄のトリスタンです。陸軍に所属しています」

「そうか」


 どうやら一番下の兄らしい。予想どおり、未来の義兄になる可能性が高い人というわけだ。


「リュシアーゼル・ユベールです。お会いできて光栄だ、トリスタン殿」


 自己紹介をしたリュシアーゼルが握手のために手を出すと、トリスタンは瞠目した。家紋を確認したことでリュシアーゼルの正体を察していたとはいえ、実際に名前を聞くと驚いたようだ。


「……こちらこそ、お会いできて光栄です、公爵閣下」


 トリスタンの怪訝そうな顔は光栄だと思っているようには見えないけれど、挨拶の常套句なんてほぼ社交辞令以外の何ものでもなく、こんなものである。


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