前へ次へ
18/70

18.第二章七話(リュシアーゼル)


 数十分前。リュシアーゼルは執務室で捜査資料を眺めていた。

 最近増加している若い女性の行方不明事件は、誘拐の線が濃厚だとして捜査が進められているものの、あまり進展はないと言えるのが現状だった。

 行方不明者の中には自らの意志で家を出た者たちもいるため、まずは行方不明者が事件の被害者なのかを判別するところから始まる。しかし、行方不明者が増えているという噂が広まったことで、便乗して家出や駆け落ちに走る若者が急増してしまったらしく、判別捜査がなかなかに堪えるのだと警察の者が零していた。


 リュシアーゼルがこの事件の捜査に協力するために王都に来たのは数日前だ。

 ユベール公爵領の邸で長く働いているメイドが、王都に旅行に行った娘が帰ってこないと相談してきたのが今月の半ば頃だった。その娘には結婚を約束している恋人がいて、旅行も恋人と一緒に行っていた。しかし、途中で些細な喧嘩をしてしまい、別行動となって娘が行方不明になったそうだ。

 当初、怒ったまま先に家に帰ってしまったのだと恋人は考えたらしい。翌日になると領地に戻ってきた恋人は仲直りをしようと娘の家を訪れたものの、帰宅していないことが判明。メイドと共に警察に相談しに行った。

 しかし、状況的に恋人が娘に何かをしたのではないかと警察は疑っている。喧嘩をしたあとに行方不明になったのだから、疑うのは当たり前だろう。恋人は重要参考人となり、行動が制限されている状態だ。

 娘と恋人は喧嘩をすることはあってもとても仲が良く、彼が娘に害を及ぼしたとは思えないと、きっと娘は件の行方不明事件に巻き込まれたのだと、メイドはリュシアーゼルに相談してきたのである。


 警察は娘が誘拐された可能性もあると見て捜査はしているけれど、行方不明事件の捜査に進展がほとんどない以上、あまり期待はできない。リュシアーゼルは人を使い、警察とは別ルートでも捜査をしているのだ。知り得た情報は速やかにお互いに共有するという条件をつけて、警察と協力しているような形である。


「坊っちゃま。休憩なさってください」


 ジョルジュが執務机に紅茶を置く。リュシアーゼルの好きな紅茶だ。


「坊っちゃまはやめろ」

「失礼いたしました、公爵様」

「……それもやめてくれ」

「承知いたしました、リュシアーゼル様」


 爵位で呼ばれ始めてもう一年以上が経っているのに、未だに違和感が拭えない。

 苦い顔になったリュシアーゼルから資料の束を取り上げたジョルジュは、それを丁重に机に置く。


「領地経営、テオフィル様の呪いを解呪できる魔道具探しや黒幕の調査とご多忙なのですから、この件まで直接ご対応なさらずとも……」

「ほかでもないオルガの娘がいなくなったのだから、私もじっとはしていられない。お前の孫でもあるだろう」


 娘がいなくなったと相談にきたメイド――オルガはジョルジュの娘だ。リュシアーゼルの甥テオフィルの乳母でもある。

 そして、行方不明になった娘は、リュシアーゼルにとっては幼なじみでもあった。


「不甲斐ない孫がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」

「謝るな」

「いいえ。行方不明事件が多発している時期に旅行など……もっと強く止めるべきでした」

「確かに浅はかではあるが、結婚前だからと浮かれていたんだろう」


 婚前最後の旅行がこのような結果になるなんて考えていなかったはずだ。


「必ず見つける。帰ってきたら叱ってやれ」

「……よろしくお願いします」


 ジョルジュは深々と頭を下げた。そしてすぐ、執務室の中にノックの音が響く。メイドの声がしたのでジョルジュが扉を開けて話を聞き、リュシアーゼルに報告した。


「門番からの報告で、ラスペード侯爵令嬢がお越しだそうです。リュシアーゼル様にお会いしたいと」

「……第二王子殿下の婚約者だな」


 面識はないけれど王族の婚約者なので、名前は知っている。しかし、どのような用事で来たのだろうか。ユベール公爵家はラスペード侯爵家と交流はないし、王家の用事ならベルティーユを使いとして送ることはないだろう。


「訪問の予定はなかったはずだが、本物か?」

「王家の馬車で来られたようなので間違いないかと思われます。呪いの件でお話があるとか」


 予想外の用件だ。しかも、王家の馬車を使っての来訪となると、見ようによっては脅迫にも近い。


「自分の身分と呪いに関する話を持ち出せば門前払いはないと考えたんだろうな」


 目論みのとおり、手順を踏んでいないからと追い返すわけにはいかない状況である。何より、彼女の話が有益なものであれば甥の命が助かる可能性もあるのだから、無視などできるはずがない。

 しかし、期待しすぎてもどうせ裏切られるのだろうと諦めを前提にしてしまうほど、前例が溢れすぎていた。


「応接室に」

「かしこまりました」


 案内はジョルジュに任せ、リュシアーゼルはくつろげていた胸元を整え、応接室へと向かった。応接室に着くとワゴンを押したメイドも来た。仕事が早くて助かる。

 それから少ししてノックの音が響き、ジョルジュに案内されて現れたのは、幼さがあるものの綺麗な顔立ちの少女だった。波打つ亜麻色の髪に灰色の瞳と、珍しい色も相まって目を引く。


「お初にお目にかかります。アルベリク・ラスペードの娘、ベルティーユと申します」


 少女は洗練された所作でお辞儀をし、上品な笑みを浮かべた。


(確か十四、五歳だったか)


 年齢に見合わない落ち着いた雰囲気と、一人で公爵家に押しかけてきたうえ、初めて会う公爵を前にしても物怖じする様子のない度胸。それらは侯爵家の娘、そして王族の婚約者として教育されてきた環境で備わったものなのだろう。


(――なんというか)


 手強そうだと、直感的に思った。


 話してみれば、招かれざる客だと思っていた彼女は疑わしいほどこちらの事情を把握しているようで、甥が呪いをかけられた際の詳細や黒幕がいることなどを言い当てた。さらに、彼女がもたらした情報は、事実であれば若い女性たちの行方不明事件の解決に繋がるものだった。

 今回ばかりはいい意味で期待を裏切られたかもしれない。

 唐突に得ることができた孫の安否に関わる情報に取り乱さず、リュシアーゼルの意図を正確に読み取って即座に対処に動けたジョルジュはさすがだ。


 そして。


「――私の十七歳の誕生日まで、期限付きの契約結婚です。閣下としても、魅力的すぎるお話だと思いますわ」


 堂々とした振る舞いの彼女にもまた、感嘆した。


前へ次へ目次