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15.第二章四話


 婚約を解消するための書類や慰謝料の準備、王家と侯爵家の説得など、ほとんどをウスターシュに押しつけることに同意してもらい、お茶会は終わった。

 そして現在、ベルティーユは侯爵家の馬車を帰して王家の馬車を借り、とある場所に向かっていた。侯爵家の馭者はベルティーユが寄り道をしたいと言っても叶えてくれないので、ウスターシュの権力を行使した形だ。今のウスターシュはベルティーユの願いを可能な限り聞いてくれるので便利である。


 馬車の行き先は契約結婚相手として目をつけているリュシアーゼルがいるユベール公爵邸だ。

 滅多に領地から離れないリュシアーゼルはこの時期、ある事件の調査のために王都に滞在している。接触するなら逃してはならない期間なのである。


(いい時期に時間が戻ってくれたわね)


 神に見放されたと感じた前回の人生。二度目は幸先がいい。ウスターシュとの婚約も問題なく解消できそうだし、このままの流れでリュシアーゼルとの交渉も上手くやりたい。

 何より、早くあの家を出たかった。


 王都のユベール公爵邸の前に到着し、馭者には王宮に戻ってもらった。その様を眺めていたユベール公爵邸の門番二人のうち一人が、戸惑いながらも「あの」と訊ねてくる。


「こちらはユベール公爵邸ですが、何かご用でしょうか?」

「はい。公爵閣下にお会いしたくて参りました。ベルティーユ・ラスペードと申します」


 にっこりと笑って、害意はないのだとアピールする。


「ラスペード……侯爵家のご令嬢ですか」

「ええ。ラスペード侯爵が父です。それから、第二王子殿下の婚約者という肩書きもありますね」


 王族の話題が出ると、門番の緊張が明らかに増した。王家の馬車で来たので、門番がベルティーユの顔を知らずとも信憑性は十分だろう。

 権力は武器である。近いうちになくなる予定の肩書きではあるけれど、使えるものは使わなければ損だ。


「本日はお客様がいらっしゃるとは聞いておらず……失礼ですが、お約束は?」

「しておりません。突然の訪問は申し訳なく思っております。ですが、どうしても公爵閣下にお会いしなければならない用事がありまして」


 事前に約束を取り付けるためには手紙を出さなければならない。しかし、ベルティーユがユベール公爵家に手紙を出そうとしても、使用人に邪魔されることは目に見えていた。第二王子と婚約しているのに節操がないなどと難癖をつけて、目の前で手紙を破られるか、出すふりをして捨てられるだろう。

 だからといってウスターシュとの婚約がなくなったあとに動こうとしても、王族との婚約解消という不名誉を自ら進んで被ったベルティーユが自由にできるはずもない。謹慎処分でも下されたら、それこそ家を出るのが遅れてしまう。


 婚約解消の成立と新しい婚約はほぼタイムラグがないことが望ましい。すぐに新しい相手を見つけてしまっては色々と噂されるだろうけれど、侯爵家やベルティーユの名誉はどうでもいいのだ。

 ベルティーユにとって重要なのは、一刻も早くあの家を出ること。だからこうして、外出する日を狙ってユベール公爵家に直接出向いたのである。確実に彼との交渉の場を設けるために。


「お約束がなければお通しするわけには……」

「閣下の甥御様の呪いの件なのですけれど、どうしても難しいでしょうか?」

「!」


 門番二人は目を丸くして、それから視線を合わせて頷くと、ベルティーユとは話していなかったほうの門番が門を開けて公爵邸へと向かう。


「少々お待ちください」

「はい。もちろんですわ」


 数分後、門番と共に年配の執事が現れた。綺麗な姿勢や所作のその執事は、ベルティーユに丁寧なお辞儀をする。


「ようこそお越しくださいました、ラスペード侯爵令嬢。私はこの公爵邸の管理を任されております、執事のジョルジュと申します。どうぞ中へお入りください。公爵様の元へご案内いたします」

「ありがとうございます」


 ジョルジュのあとに続き、ベルティーユは公爵邸へと足を踏み入れた。応接室に通されると、向かい合う形で置かれているソファーの一脚に腰掛けているリュシアーゼルと目が合う。ティーセットが置かれたワゴンがあり、メイドも一人いた。

 落ち着いて優雅に、ベルティーユは一礼する。


「お初にお目にかかります。アルベリク・ラスペードの娘、ベルティーユと申します」


 十四歳のベルティーユは、リュシアーゼルとはまだ面識がなかった。時間が戻る前の人生でも顔を合わせたのは片手で数えられる程度の回数で、公爵邸を訪れたことだってない。


「先触れもなく突然お伺いしたご無礼、申し訳ありません。人命に関わることですから、気が急いてしまいました」

「構わない。座ってくれ」

「失礼いたします」


 許しを得たのでリュシアーゼルの正面に腰掛ける。

 改めて正面のリュシアーゼルを観察してみると、文句のつけようがないほど整った顔をしていることがよくわかる。いかにも王子様なウスターシュとは異なり、少し冷たい印象を与えるキリッとした顔立ちだ。


「実は、ユベール公爵閣下に直接会っていただくことは難しいかもしれないと思っていたので、お顔を拝見できて光栄です」

「ラスペード家のご令嬢であり第二王子殿下の婚約者でもある貴女が訪ねてきたのだから、他の者に任せるわけにもいかないだろう」


 その立場を利用して事前の連絡もなく訪ねてきたくせにと文句を言いたげな様子だ。そのことに気づいていながら、ベルティーユはとぼけて笑う。


「父の爵位と婚約者に感謝しなければなりませんね」


 リュシアーゼルの眉間に薄くしわができたところで、ジョルジュがティーセットで手早く紅茶をティーカップに注ぎ、ベルティーユの前に置いた。礼儀としてひとまず一口飲む。


「まあ。とても美味しいです」

「ありがとうございます」


 本心からのベルティーユの言葉にお礼を言ったジョルジュは、扉近くに移動した。メイドは応接室から出ていく。

 ――ここからが本番だ。


「甥の呪いの件で話があるそうだが、解呪できるという話か?」


 早速、リュシアーゼルが本題を切り出す。


「はい、そのとおりです」


 ベルティーユが迷いなく肯定すると、リュシアーゼルはため息を吐いた。

 リュシアーゼルの甥は魔法時代の遺物による呪いをかけられており、一日のほとんどをベッドの上で過ごしている状態だ。リュシアーゼルはその呪いを解呪できる魔法時代の遺物、つまり魔道具を血眼になって探している。

 解呪できるということは、その魔道具を所持している、あるいはどこにあるのか場所を特定しているということを意味する。朗報のはずなのに、リュシアーゼルは嬉しそうにするどころか、紫眼でベルティーユを鋭く射抜いた。


「そう豪語する詐欺師は何人もいた」


 ユベール公爵家と縁を結びたいと望む者たちにとって、リュシアーゼルの甥の呪いはいい口実だ。解呪などできるはずもないのに彼の元を訪れる者があまりにも多く、その者たちの相手を直接リュシアーゼルがすることは稀だという。大抵はジョルジュが面接をして本当に解呪ができるのかどうかを判断してきたそうだ。面白いくらいに誰も彼もがすぐボロを出すらしい。

 しかし、ベルティーユは詐欺師ではない。時間が戻る前の一度目の記憶があるため色々と知っている。自信を持ってここに来たのだ、このまま引き下がるつもりは毛頭なかった。

 はっきり言ってこの対応は予想の範囲内なので、何も怯むことはないのである。


「私を詐欺師と一緒にされては困りますわ、閣下」


 穏やかに、強気に、ベルティーユは口角を上げた。


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