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13.第二章二話


 翌日、ウスターシュとのお茶会のため、ベルティーユは王宮に向かうラスペード侯爵家の馬車に揺られていた。カーテンが閉まっているので窓の外の光景は遮断されており、視線を落としてこれからのことに集中している。

 着飾った自分の姿には関心がない。出かける前にいつも嫌味を言いにくる双子の突撃が今日はなかったので、それだけで気分は爽快だ。煩わされないことが思考の巡りを良くしてくれる。


 今回のお茶会で重要なのはウスターシュとの交渉なので、頭の中で段取りを整理していく。

 婚約者と仲を深めるための場だけれど、一度たりともその目的が果たされなかった時間。今日に限ってはこれまでとは違ったものになる。きっと、今までで一番有意義なお茶会になるだろう。


 馬車が王宮に到着してドアが開く。ベルティーユが立ち上がってドアに近づくと手が差し出された。手から腕をたどり、その人物の顔を確認する。

 相変わらず類い稀な美貌を持つ金髪碧眼の青年。物語に出てくるような、絵に描いたような王子様。記憶にある姿より幼さを感じさせるウスターシュがそこにいた。

 差し出された手を取り、ベルティーユは優雅に馬車から降りる。


「お忙しいのに、わざわざお出迎えをありがとうございます、殿下」

「愛しい婚約者が私に会うために来てくれるのだから当然のことだ」


 支えるために掴んでいた手を口元に持ち上げて、ウスターシュは手袋で覆われているベルティーユの手の甲にキスを落とす。こちらを見つめる彼の眼差しは優しく愛おしげで、はたから見れば愛しい婚約者を待ち侘びていた男に映っているのだろう。


 ウスターシュのエスコートで、お茶会の用意がされている庭園のガゼボにつく。従者だけが残って他の使用人が下がると、ウスターシュはそれまで浮かべていた笑みを消し、従者から本を受け取ってそれを読み始めた。従者はチラチラとベルティーユを気にしながらも下がっていく。

 いつもどおりの豹変っぷりに、ベルティーユは懐かしさを覚えた。決して良い感情ではない。


 ベルティーユとウスターシュの婚約は政略によるもの。王子として仕方ないと受け入れただけで、ウスターシュはベルティーユに気持ちがなく、この婚約に不満を持っている。人目があるところではまるでベルティーユに恋をしているように接してくれるし、定期的にプレゼントも贈ってくれ、完璧な婚約者として振る舞っているけれど、二人きりだとこれだ。いかに義務だけでベルティーユに接しているかがよくわかる。

 このことを知っているのは先ほどもいた彼の従者だけ。国王夫妻や王太子夫妻がどうかはわからない。


 ウスターシュに婚約者と良い関係を築こうという気概は皆無だ。いずれ結婚するのだからそれまではお互い過剰な干渉はせず、醜聞になるようなことがない範囲で自由に、表向きは全力で取り繕う。それが彼が求めた関係である。

 ベルティーユは違った。彼の愛を求めた。彼の心からの優しさや愛はないけれど、婚約者である以上は定期的に設けられる二人きりになれる席も、人前での本物の恋人だと勘違いしてしまいそうになる振る舞いも嬉しかった。

 人目があるからの恭しさ。偽物の愛情。それが本物に変わるはずだと、いつかきっとベルティーユを心から愛してくれるはずだと、婚約者である彼を盲目的に信じていた。

 それはもう、過去でしかない。幻想に縋っていた哀れな少女はもう消えたのだ。


「殿下」


 話しかけると、邪魔をされたことに不満を露わにして、ウスターシュは「なんだ」と一応は確認をする。これもいつものこと。

 そのあとはベルティーユが話を続けると『邪魔をしないでくれ』と言われて会話は終わる。けれど、今回は彼も無視などできないだろう。


 愛し、愛される。そんな夫婦を夢見ていた。誰かに愛されたかった。それは彼であってほしいと願っていたのに、期待は裏切られた。他人に掻っ攫われるなんて思いもしなかった。

 この男に縋るのは時間の無駄でしかないと、ベルティーユは知っている。


「婚約を解消しましょう」


 その提案に、ウスターシュは時が止まったように固まった。そして言葉を咀嚼できたのか、真意を探るようにベルティーユへの眼差しを鋭くする。


「解消? 私と君の婚約は王家と侯爵家の契約だ。君の一存だけで解消できるものじゃない」

「承知しています。だから殿下の同意を得たいのです」

「君が本当に婚約の解消を望んでいるとは思えないな。私の気を引くためにそのような要求をしているのだとしたら悪手だ。君を好きになるどころか失望するだけだからな」


 わかりきっていたことだけれど、ウスターシュはベルティーユが彼に好意を持っている前提で考えている。ベルティーユの恋心が冷めることはないと決めつけている。


「ふふ、ふふふ」


 その姿が滑稽で、ベルティーユは笑ってしまった。


「……何がおかしい」

「ふふ、すみません」


 ベルティーユに好かれていた自覚があるから、それが自信に繋がっている。慢心とでも表現すればいいのか、さすがは人気の高い王子様だ。


「殿下。これまでのご自分の態度を振り返ってみてください」


 こんな人に長い間恋をしていた事実を消してしまいたい。


「殿下を好きだったのは昔の話です。大切にしてくれない人をずっと好きでいられるほど、私の気は長くありませんもの」


 微笑みながら正直に告げると、それでもウスターシュはベルティーユの心を疑っているようだった。


「私が、君を大切にしていなかったと?」

「ええ。まさか自覚がないのですか?」

「最低限のことはしてきたはずだ」

「それだけです。それも、人の目につくところでだけ」


 非難めいた視線を向けると、ウスターシュは聞き分けの悪い子供の相手をしているように疲れや呆れを孕んだため息を吐く。


「特権に付随して多くの責任が付きまとう貴族や王族の自由は制限されている。政略による婚約なのだから結婚までは割り切ってほしいと願うことが、そんなに悪いか?」

「会話さえ忌避されるのはとても傷つくことなのですよ、殿下」

「そんなもの――」


 ベルティーユがポケットから取り出したペンダントをテーブルに置いたことで、ウスターシュは言葉を切った。

 時間が戻る前にも彼の視線を釘づけにしたこれは、彼にとってとても思い出深いものらしい。


「……なぜ、君がこれを持っている?」

「とある方からいただきました」


 彼は昔、お忍び中に王都でとある少女と出会い、仲良くなった。彼にとって間違いなく特別な少女で、これは彼がその少女に贈ったものだ。

 婚約者のベルティーユを嫌い、鬱陶しく思っているのも、彼女の存在が忘れられないからだったと。直接彼が教えてくれた。


 ペンダントがベルティーユの手元にある理由について想像を膨らませたようで、ウスターシュは椅子の肘掛けを力いっぱい掴み、ベルティーユを睨めつける。


「まさか、彼女に何かしたのか?」


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