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少女と自販機と当たり

 学校にお泊り、と字面だけ考えれば心躍るイベントも現実を見れば無残なものだ。


 明かりが落とされ、シュラフが並ぶ教室は夜半を過ぎても静かになることはなかった。方々でメールの受信を知らせるバイブの音や、不安を押し殺した話し声が聞こえてくる。


 少女はそれを、無理やり二人が入っているせいで妙に狭苦しいシュラフの中で聞いていた。


 同衾しているのは、山並みに航空機が突き刺さった光景を見ていよいよ精神の均衡が崩れた友人だ。脱色された明るい色合いの頭は、先程まで泣きじゃくって揺れていたのだが、今はようやっと泣きつかれたのか静かになっていた。ただただ、涙で濡れた胸の谷間が不快だった。


 窓に目をやれば、外からは街灯の明かりと色味が違う光が差し込んでくる。インフラは今も生きているので街灯が仕事をしているが、この赤みを帯びた光は誰かの住処を光源としているのだ。遠くからかすれるような頼りないサイレンが届いていた。


 どこもかしこも大騒ぎだ。一部のSNSが繋がらなくなったという声も聞こえてくるし、電話が空電するだけで呼び出しに入らないとも聞く。


 いよいよ終わりが始まったと見るべきであろうか。


 文明社会の終焉を予期しながら、少女はこれからどう対応すべきかと逡巡した。


 ケツを捲くろうにも不確定要素が多すぎる。何より、この状態で街を抜けていくのは極めて難しそうだ。時折思い出したように遠くから破滅的な金属音が響いてくるし、散発的な悲鳴が否応なく外の地獄を想像させる。


 自衛隊が出張ってくるでもなく、警察も機能を果たしているとは思えない。なにせ、未だに正門前にはさすまた担いだ生徒指導が突っ立っているのだ。これでどうやって、本来は有能な人間が有効に機能していると言えるだろうか。


 ワンセグのテレビも映らなくなり、ラジオアプリで拾えるラジオの内容も錯綜していて要領を得ない。奇病や暴動、テロリズムという単語が聞こえてくるものの、マスコミ各社も事態を正確に把握しきってはいないようだった。


 まさに終わりの始まり、といったところだろうか。陳腐な映画のようだと思っていれば、よもや現実がその陳腐な映画の筋書きを辿ることになろうとは思いもしなかった。


 しばし眠れぬ夜に耐えていると、体に震えが来た。単純な尿意に駆られ、少女は静かにシュラフから這い出す。


 「どこいくの……?」


 ただ、抱きすがって寝ている相手を起こさないほど静かにとは行かなかったらしい。友人が目を覚まし、ぼんやりとした明かりの中で不安げな目線を投げかけてきた。


 「お花摘みだよ、淑女らしくね」


 「……あたしも行く」


 単に自分ももよおしているのではなく、一人になりたくないが為の行動だと少女は敏感に察知した。確かに仲良くしていたが、よもやここまでの短時間でこうも精神的な支柱に据えられようとは想像もしていなかった。


 とはいえ、ここで振り払ったら決まりも印象も悪い。少女は多少の打算込みで友人に優しくし続ける。どんなものだって、何かしらの使いみちはあるのだと内心で暗い笑みを浮かべながら。


 「私もいいかな……」


 隣のシュラフにくるまっていた弓道娘も起き出してきた。友人グループに固まって眠っていたのだが、どうやら彼女も眠れなかったようだ。


 まぁ、無理もあるまい。彼女たちは高校二年生になるまで平和な世界で生きてきた。事件や事故とは画面の向こう側の出来事に過ぎず、当事者になるとは夢にも思わず過ごしてきた。緊急事態にも流血沙汰にも耐性などあるはずもない。


 「はいはい、じゃあみんなで仲良くいきましょー」


 仕方ないなぁ、と言いたげに少女は笑って携帯のライトをつけた。三人連れ立って教室を出て、女子トレイへと足を向ける。


 しかし、三人は中に入らずに足を止めた。中から嗚咽混じりの泣き声が聞こえてくるのだ。


 普段であればホラー案件であるが、三人ともすぐに事態を察した。世の中には人前で泣くことができない人間もいるのだと。恐らく、この混乱の中で家族と連絡が取れず、心細さに打ちひしがれているのだろう。


三人は目配せして、そっと足を階下へと運んだ。別にここでなければ用がたせないわけではないのだから。


一階のトイレは無人で、3つ並んだ個室に一人ずつ入る。校舎が新しいだけあって、座ると同時に音消しの環境音が流れだす。


「……ねぇ、これからどうなるのかな」


しかし、沈黙に耐えられなかったのか、脱色の少女が鼻声で問うてきた。


 「どーにかなるよ」


「どーにかって……どうなるの」


気休めにもならないことを言っているのは少女もわかっているが、ここで悲観論を述べてどうなるか。


「泣くな泣くな。乙女の可愛らしい顔が台無しだぜぃ?」


 どうにもならない。むしろ、泣き出すなどして悪化するだけだ。それなら、いつもの軽い調子で煙に巻くのが一番だ。


 「きっと良くなるよ。悲観しちゃいかんさ。じきに騎兵隊が来てくれらぁ」


 「騎兵隊って、いつの時代なのさ」


 「……ヘリコプター部隊をそういうんだったか?」


 「おっ、弓道部のホープさんはお詳しいね。映画好きだったっけ、確か」


 「まぁ、地獄の黙示録とか、ワンス・アンド・フォーエバーとかでな」


 「メル・ブルックスみたいな格好いいオジサマに期待しようぜぃ」


 とりとめのない雑談で思考の矛先を外してやり、くだらない話で少しずつ明るい方向へ持っていく。用を足して手を洗う頃には、全員が少し笑顔になれていた。


 何も解決せず、それぞれの俳優の好みがわかっただけでも悲しみとは霧散させらるものだ。人は喜び続けられないのと同じくらい、沈み続けることもできないようにできているから。


 「あー、自販機動いてんだ」


 ふと外を見ると、自販機はいつもと変わらず夜闇の中で白々しく光り続けていた。何処かおどろおどろしく感じられる学校の夜で、あそこだけが切り取られたように穏やかな雰囲気を帯びていた。


 「ちと一服してこっか。コーラ飲みたい」


 「いいな……お茶がいいな」


 「あたしオレンジ。そういえば、夕方してた賭けどうなるかなぁ」


 あの弱いのに妙に態度だけでかい野球部にマネなんてこないでしょと軽口を叩き合いながら、三人は連れ立って自販機にコインをねじ込んだ。ここだけが異質さの中で、かつての日常を維持している。ボタンを押せば、いつもと変わらぬ間抜けな電子音と共にジュースの缶が排出され……。


 「あっ、当たった」


 「「マジ!?」」


 ぺかーと気の抜けるファンファーレを上げて、一本無料、60秒以内にボタンを押してねという表示が小さなディスプレイに現れた。当たらないことに定評があり、確率をどれくらい絞っているのだと愚痴られる学校の自販機がだ。


 「すごい! これほんと当たりあるんだ」


 「私、ずっと景気づけで回っているだけだとばかり……」


 驚く二人だが、百円を入れた少女が一番驚いていた。日に数回購入することもあったが、当たった試しなどなかったからだ。夕方にすべてが崩れ去った中、ここに来て初めて当たるとは何かの皮肉であろうか。


 少女は口の端を片方だけ吊り上げる、普段とは印象の異なる笑みを作ってボタンを押した。吐き出された無料の缶を手に取り……。


 「ほい、あげる」


 「えっ……ありがと……いいの?」


 友人が愛飲するオレンジジュースを投げよこした。冷されて表面に水滴が浮かぶそれを受け取って、彼女はぽかんとしている。折角の当たりなのだから、なにか別の好きな飲み物でも買えばいいのにと思っているのだろう。


 「胴元やるんでしょ? なら、場代渡しとかないとね」


 「へっ?」


 「野球部にマネが来るかの賭けだよ。これ終わったら、結果確かめなきゃいけないんだから」


 少女の言葉に二人は最初、ぽかんとしていたが……ようやく頭が言葉を咀嚼し終えると、くすくす笑い始めた。今まで幾度となくしてきたように、他愛のない会話に笑いをこぼす。


 こういったくだらない、それでいて日常を思い出せることが絶望を緩和させるのだ。


 ただし、それが救いになるかは別の話だが。


 「教室抜け出して何やってんだよ……見つかったら怒られるぞ」


 急にかけられた声に驚いて振り向いてみれば、いつの間にかバスケ部の少年が立っていた。彼は確か、入口の方でシュラフにくるまっていたはずなのだが、今のセリフを聞くに自分たちを追ってきたように思える。


 「いつまでも戻ってこないと思えば、ジュース飲んでんじゃねぇよ」


 呆れたように言い捨てて頭を掻く彼であったが、言葉尻に反して苛立ちや怒りは感じない。どちらかといえば、これは照れ隠しのそれであろう。


 「何? 心配して探しに来てくれた?」


 「誰を心配してたのやら」


 「ちょっとアタシに聞かせなさいよ、ねぇねぇ」


 調子が戻り始めた女衆に少年は囲まれ、面白半分の追求を受ける。心配して探しに来ただけだというのに、それだけでどうしておもちゃにされねばならぬのか。理不尽に思えど、フレッシュな女子のノリにスポーツ少年は抗いきれず、突っつかれたりからかわれたりで非常に恥ずかしい数分を過ごすこととなった。


 「ん……?」


 そろそろ騒ぎ過ぎで教諭に見つかるのでは、と心配になるほど元気を取り戻してきた友人を一歩引いたところで眺めていた少女だが、ふと視界の端っこをかすめた人影に気を取られた。


 おぼろげな誘導灯の明かりに照らされ、背の低いシルエットが立っている。緑色の薄明かりの下にある朧気な姿は、この学校の制服を着込んだ女子生徒のそれだ。自分たちが中庭に出る際に開け放した非常口に立つ姿には、不思議と芯が抜けているような不安定さが見受けられた。


 瞬間、少女の背中に寒気と怖気が混淆された気味の悪い感覚が走った。本能が告げている。平穏無事でいたいなら、あれを関わるのも見るものやめろと、17年の人生を回してきた拍車が魂を叩くのだ。


 力のこもらぬ一歩が踏み出され、不安定に上体が傾いて倒れた。奇怪な挙動は正常な人間の物ではなく、見る者の生理的嫌悪を掻き立てる。無意識のうちに、少女の背中が半歩下がっていた。そして、懐に手が伸びる。


 「え? 誰?」


 誘導灯の曖昧な緑から、自販機が発する白々しい光に踏み込むたびに姿がはっきりしてくる。力の抜けた一歩は地面と靴底を大きく擦れさせて耳障りな音を立てるので、雑談に興じていた三人も気づいたようだ。


 「ちょっ、怪我してない!?」


 「大丈夫か!?」


 彼女の着込む学生服は、右半身が血に染まっていた。衣服が大きく引き裂かれ、酸化した血が染み込んだ生地は赤黒く変色して清廉な白を汚している。


 少女は気づいた。あの姿と怪我した場所はと。


 しかし、怪我人を前にして混乱した三人は気づけなかった。凄惨な姿を見て口を抑え目をそむける旧友二人を置いて、正義感にあふれる少年はすぐに駆け寄った。今にも倒れそうな彼女を介抱し、保健室に連れていこうとしているのだろう。


 近づく彼に気づいたのだろうか、うつむいていた彼女は顔を上げた。乾いた血痕を顔に貼り付けた顔は、無残な化粧に反して無垢に呆けていた。ちいさく口を開け放し、つぶらな瞳は像をきちんと結んでいるようには思えない。


 そして、助けを求めるようにもたげられた両腕は……差し出された少年の手を力強く捕まえた。


 「いたっ!? なっ、何をっ!?」


 指の骨と自身の骨格に挟まれた肉が潰れるほど、たおやかな五指は力強く少年の右前腕に食い込んだ。押し出された血液が両端に集まり、手が不健康な鬱血に染まるほどの力で。


 暴挙はそこで止まらない。ぽかんと呆けたように開けた口を大きく開き、前腕へと近づけていくのだ。まるで、放課後に買い込んだハンバーガーでも齧るような自然さで。


 「やめっ、やめないか! なんだよオイ! 冗談ならやめてくれ!!」


 歯が皮膚に触れる寸前で、左手の反応が間に合った。手のひらで額を押し返し、頭を上へと押し上げて口の向きをずらしてやれば、目標を誤った歯が空中で虚しく打ち合わされた。がちん、と明白に響くほどの勢いで閉じられた歯は、よく見れば門歯に罅が入っていた。


 間違いなく肉が裂ける一撃だ。少年は未だ戒めから逃れられぬ右前腕と、額に添えた左手で挟むように抑え込んだ彼女の顔を見てつばを飲み込む。ひどく重く、一度も感じたことがないほど重い重いつばだった。


 しかし、諦め悪く彼女は口を開き、更に一歩を進める。体格に優れるはずの少年が、止めきれずに一歩退いた。


 再び歯が打ち合わされる。噛み締めた虚空は、先程まで少年の首があった場所だ。ひときわ冷たい悪寒が少年の首筋を、食い込むはずだった歯の代わりに舐めあげて行った。


 彼女は何をしようとしていたのか。そして、もしも自分の反応が少しでも遅れていたら、どうなっていたのか。


 抗う手には渾身の力を込めているが、少年は少女を振りほどくことができなかった。細身の愛らしい体は鋼のように重く感じ、振りほどこうともがく右手は万力で締め上げられるような痛みと痺れがある。額を押し返す手のひらにじわりと汗が滲み、皮膚の上で小さく滑った。


 慌てて位置を正すも、恐ろしく冷たい額に触れているはずの手のひらに滲む汗は止まらない。このままもう一度ずれたなら、もしそうなってしまったら……。


 「ほいほい、もうちと頑張って」


 場違いなほど気軽な声と共に、全身へ襲いかかる圧力が緩まった。歯を打ち鳴らす女子生徒は凄まじい勢いで膝を付き、体勢が崩れたのだ。


 下手人は、いつの間にやら背後に回り込んだ少女であった。彼女は女子生徒の膝の裏を蹴り飛ばしたのである。プロの指導を感じさせる前蹴りは関節をたやすく刈り取り、いや、“蹴り砕いて”バランスを失わせるに至った。


 人体を人体で破壊するのは難しいようでいて、技術と鍛えた肉体があればたやすい。ちょっと曲がらない方向から圧力をかけてやるだけで一発なのだ。ただそれが、相手が人間であるから無意識に手加減してしまうからこそ、困難にしてしまっているだけに過ぎない。


 しかして少女は、倒れた彼女を観察しながら珍しく渋面を作ってみせた…………。

また間が空いて申し訳ありませんでした。

テキストを開く元気とか余力とか、そういう物が色々あって枯渇しておりました。


Twitterでご心配していただき、ありがとうございます。

次こそ、あまり間を開けずにやれたらよいのですが。

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