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少女と桜と悲鳴

 「旦那ってさぁ、としいくつ?」


 青空の下、ホームセンターの無駄に広い駐車場で妙に朗らかな声で疑問が溢れた。問の主は適当に切った毛先が痛々しい、少し伸び始めた金髪を持つ少女であった。ワークパンツと何時のセンスだと言いたくなるスカジャンを着込んだ大柄な姿は、貼り付けた笑みもあって愛嬌のある大型犬を連想させる。


 「なんだ、急に。というか、旦那……?」


 「いや、いきなり名前呼びって何か気恥ずかしくって」


 ペットボトルの水が詰まった段ボールを軽トラの荷台に放り込みながら、死者を連想させる矮躯の青年はいぶかしげに呟いた。対し、少女はトラックの荷台に腰を下ろしながら、微かに頬を染めて後頭部を掻いてみせる。


 そんなタマかよと今まで無線でしてきたやりとりを思い返しながら、青年は何だか面倒臭そうなので感想を口にせず、うっすら浮いた汗を袖で拭う。足下では、未だに新しい同行者に慣れていないのか、カノンが落ち着き無く尻尾を振りたくっていた。


 「で、歳か……数えで21だな」


 「マジか」


 どういう意味かと青年が横目で睨めば、少女は視線を外し、態とらしく口笛を吹き出した。甲高い調子の英国擲弾兵連隊行進曲だが、妙に上手いのがカンに障った。


 「なんでまた急に年齢の話なんかするんだ。別に今更、お前の飲酒や喫煙を咎めるほど狭量ではないが」


 「いやぁ、そうじゃなくて、春だなぁって……」


 口笛を一旦止め、少女は目を細めて周囲を眺めた。未だにぽつぽつと周辺に植えられた街路樹は寂しい風体ではあるものの、暖かな風が吹き始めたなら、固く結んだ蕾が綻んでくることだろう。


 全ては桜が咲いている間に始まって、散る頃には取り返しが付かなくなった。風に巻き上げられた薄紅の花弁が、泥にまみれて無残な姿になるように。


 そして今、世界は死んで、自分たちは死に損なっている。


 「春は出会いと別れの季節って言うじゃん?」


 「そういう話は朝礼台に乗ってやってくれ」


 「相変わらず塩対応だねぇ、旦那」


 冬間の切るような風ではなく、温んだ風が吹いて二人の髪を揺らした。吹き抜ける風に遊ばれる髪を少女は抑え、短くなった煙草を放り投げる。あの時も、たしかこんな風が吹いていた。そして、命の儚さとは、今し方放り捨てた吸い殻の火と同じようなものだと悟ったのも、あの時だった。


 「いやしかし、改めて旦那を見てると条例に触れる程度の年齢差があるとは思えないなぁ」


 「調子乗ってないで働け。寝床をやらんぞ」


 「寝床っていってもソファーじゃねー」


 「ご自慢の足がはみ出て良いなら、ベッドを譲ってやらんでもないが?」


 海の水よりも塩っ辛い対応に口を尖らせながら、少女はホームセンターから運び出した荷物を軽トラックに積み込む作業に戻った。


 大量の物資というのは有り難いのだが、どうしてもキャンピングカー一両では積めるだけ積むと手狭になってしまうので、二人は足回りや整備性を考えつつもう一台の足を都合することにしたようだ。


 そして白羽の矢は、少女に与えられたバイクでもなく、駐車場に捨て置かれた世紀末感あふるる高機動車両でもなく、単純な運搬効率の問題で取り残されていた軽トラックに突き立った。


 そんなトラックに荷物を積み込むまでの他愛ない、互いの間合いを計り合うような会話であったが、青年は此方が口を開けば減らず口も少し減るかと思い立つ。


 暫しの逡巡の後、青年の口をついたのは……。


 「後、言わせて貰うがお前の制服っていうのも中々に犯罪臭くないか」


 「ちょっ、まっ!? 旦那、それどーいう意味!?」


 が、この男はこの男で口さがなく、かつての道連れと口舌の刃で十分に切り結べる程度には性格も悪かった。あまりにもあまりな物言いに――そして、焦り具合から自分でもコンプレックスだったのか――少女は口角に泡を飛ばしながら食ってかかる。


 「それは勿論、コスプ」


 「いわせねーよ!? 失礼にも程がなくね!? ねぇ、ちょっと!? 私今年で18歳、年齢的にはJKなんだけど!? 訂正を求めるんですけど!?」


 姦しいやりとりにふらふらと惹かれてきた屍達が鬱陶しくなるまで、中身の無いやりとりは続いた…………。












 春。四季の中でも温かく草木が芽吹く命の季節は、日本において出会いの季節である。


 そういえば牧歌的で穏やかでもあるが、実際問題出会いというのは戦争である。


 草木はより高く、より多く種子を飛ばそうと躍起になるし、鳥たちは挙って巣を作り伴侶の獲得に必死になり、夜半の街路では猫の喧噪が目立つようになる。


 元来、出会いとは勝ち取るものなのである。


 「おーおー、みんな必死だねぇ」


 そして、その流れは一応の支配種族を気取っている人間も例外ではなかった。


 土曜の短縮授業が終わりを告げた大阪北部のとある学舎にて、小洒落たブレザーに身を包んだ少女が咥えた菓子を楽しそうに揺らしながら宣った。プレッツェルにチョコレートを塗った人気の品を囓りながら、窓際に身を預けて睥睨するのは学び舎の正門である。


 小さな警備員詰め所と台車型の大型門扉が目立つ正門は、出会いの季節に沸き返っていた。


 色とりどりのコスチュームと黄色かったり野太かったり忙しい歓声。それに混じって飛び交うビラの数々は、春の風物詩である新人歓迎のそれであった。部員の獲得に忙しい諸氏が必死に声を張り上げ、手当たり次第に下校しようとしたり部活を物色したりしていた面々を捕まえにかかっている。


 体験入部期間中、皆が必死になるのも当然ではある。なにせ部活動というのは部員がいなければ成り立たず、部員が減れば予算の削減はおろか廃部まであり得る。人数不足で畳まれる部活動の後始末の悲しさや侘しさは、誰だって経験したくはないだろう。


 それだけでなく、人数が増えれば増えるだけ楽しくもあり、同時に学内での地位も上がるとなれば力も籠もるというもの。


 人数さえ多ければ実績なんて伴わずとも、学内では結構大きな顔ができるものである。所詮高校などといった所で閉鎖空間であり、構成人数は1,000にも満たないのだから話はシンプルだ。なればこそ、甲子園に掠りもしない野球部や、正月に暇を持て余すサッカー部が大きな顔をするのは競技のメジャーさからして、ある意味普通のことと言えた。


 「風物詩ですなぁ」


 「さて、今年は野球部に女子マネが来るや否や。あたし来ないにジュース一本!」


 「誰が胴元するのさ」


 しかしながら、端からそれを見て笑っていられる余裕がある面々というのも存在していた。丁度、窓に身を預ける少女や、その前後の席で携帯を触る二人の学友のように。


 たとえば、最初から部活動から無縁であれば、同輩の必死さを夜中に盛る猫の声のように聞き流すことも能うだろう。関係ないのだから、どれだけ盛大にやっていようと所詮は対岸の火事である。世の中には帰宅部が存在しない厳しい学校もあるらしいが、どうやら此処はそれほどに硬い高校ではないらしい。


 あるいは、黙っていても人が来る強豪部でも余裕綽々に構えていられるだろう。大会常連で学校の顔ともなれば、入部が目的でやってくる者も居るほどである。だとすれば、部活紹介などの全体イベントでさらっと活動場所だけ上げておけば、黙したままに入れ食いなのだから、下の喧噪は下民の空騒ぎに見えたとしてもおかしくはあるまい。


 最後は一定の層が返って集まりやすい異端の拠り所である。分かりやすいところで言えば日本でどれだけがやっているのかすら怪しいドマイナー競技だとか、漫画研究会やパソコン愛好会などの所謂アレな面々が身を寄せる部分であろう。昨今一定数はいる彼等が集まる場所は、不思議と細々と続くもので焦るほどのことはない。むしろ焦ってリア充オーラを出そうと滑ろうものなら、地雷扱いされて客足が遠のくこともある。ならば泰然と構え来る者拒まず去る者追わずのスタンスでいるのが一番の平和な部も存在し得た。


 「胴元は必ず勝つから胴元なのであってだな」


 「じゃあ提唱者のあたし? やった、ジュース2本だね!?」


 「賭が成立しなかった場合のことを考えない胴元ってのは如何なものかにゃー」


 眼鏡にショートボブの真面目そうな――制服もきちんと着こなし、益々真面目な印象を受ける――少女が呆れながら嘆息し、生徒指導相手のチキンレースとしか思えないギリギリの明るさに髪を脱色した少女は脳天気に笑う。そして、長躯の少女は豊かな金髪を春の温んだ空気に揺らしつつ脱力した。


 言うまでも無く三人は三様の立場にあるが故、あの盛りがついた喧噪を適当に眺めていられた。


 ショートボブの彼女は学校の花形部活に挙げられる弓道部の所属であり、黙っていても入部希望者が押し寄せてきているので休養日の今日は暇を持て余していられる。


 対して校則にチキンレースを挑む少女は帰宅部であり、そもそもの心配事や面倒事そのものが存在していない。彼女の関心事は放課後のバイトであり、来る大学生活に備えてささやかな貯蓄を作り、高校生活にちょっとした彩りを入れることに向いていたので部外者なのである。


 そして、最後の少女はマイナー部活であり、ある意味ちょっと変な人間しか集まらないエアライフル部の所属なので必死さとも皆目無縁であった。何より、珍しい部活なのでこれ目的でやってくる面々も一定数はおり、逆に変なリア充オーラを出そうものなら真面目な競技人や変人が散りかねないので細々と入学式でビラを蒔いただけで全てを終わらせている。


 それでも今年度は四人の新規獲得が確実視されているので、こうやって放課後の教室で余裕をぶっこいていられるのであった。夏の体験入学時に関西では殆ど此処だけだから、といってやってくる生徒が居るくらいのマイナー部活の面目躍如である。


 「賭け云々はおいといて、あたし達も先輩と呼ばれるようになってしまいましたよ。どうですか先輩」


 「お前は同期だろう……ま、悪い気分じゃないな」


 戯けた調子の問い掛けに、弓道乙女は模範演技の際に浴びせられた黄色い声援を思い出して小さく頬を染めた。人間というのはどうあった所で、年長者として褒められるのは弱いらしい。一年の頃から秀でた射手として先達からコツを聞かれるほどの妙手であったとしても。


 「あー、わんこみたく懐かれると色々あるよねー」


 実際、何かあったら撃ち殺されそうコンビと称される片割れ、金色の方も部活で懐いてくれた新入生の顔を思い出して感慨に浸る。未だ体験入部期間であり、大した事を教えてもいないのに大した懐かれっぷりであった。たった一回の模範射撃で、人はあそこまで心酔できるのかと内心で呆れるほどに。


 「なるほどなー……二人ともいい先輩してる訳だ。いいなー、それならあたしも部活入ればよかったなかなー……」


 「部活と違って、お前はバイトなんだから年中後輩ができるだろう。その辺どうなんだ?」


 四十のはげ散らかしたオッサンを後輩と呼んで愛でられるかぁ! との悲痛な叫びは控えめな二つの笑いに変換され、数秒の交歓となって霧散する。三人は温んだ午後の空気に浸りながら、早く帰れるが早く帰る必要もない弛んだ時間を堪能していた。


 そんな中、ガラリと古びた扉が開かれる音が響いた。


 「何やってんだお前ら、この忙しい時期に」


 扉を開いたのは見上げるほどの大男であった。しなやかに鍛え上げられた巨躯は白いバスケットボール部のユニフォームに覆われており、どこかあどけないが人好きのする顔付きを際立たせていた。


 「おっ、我がクラスの英雄がやってきたぞぉ」


 脱色の少女に揶揄されて頬を掻く彼は、強豪に名を連ねるバスケットボール部に一年の時点でレギュラー入りした怪物である。フィジカルに秀でテクニックにも優れているだけではなく、愛らしいベイビーフェイスの持ち主となればこの時期は正しく殺されるほど忙しいであろう。


 「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。忙しいのではないのか?」


 「忙しすぎてビラ切れたから、輪転機使わせて貰いに行くんだよ」


 弓道娘の指摘に対し、彼は中程に位置する自身の机からビラの原本や許可証と思しき書類のつまったフォルダを引っ張り出した。どうやら、その手の処理も押しつけられているらしい。やっかみとみるべきか、二年生になったばかりにして責任を委ねられるほど信頼されているとみるかは、果てしなく微妙である。


 いや、そのどちらでもあるのだろうと一年の頃から彼の人柄を知る少女は察した。成績別で編成されるクラスは一部以外の流動が少なく、今年も同じ教室に詰め込まれた彼のことはよく知ってもいる。誰もやりたがらないからと、率先してクラス委員に手を挙げたお人好しが別の場所でも酷使されている光景は想像に易いものであった。


 「てか、お前は良いのか? 他のヤツが一応はビラ配ってたけど……」


 直ぐにでも仕事に戻るかと思われた少年は、菓子をかじり終え次の袋に手を伸ばした少女に声をかけた。さり気なく近くに寄ってみたり、人混みの中で探したことが窺える台詞が聞こえたりと二人の友人達は青い気配を敏感に感じ取ってはいたが……。


 「配るのシフト制だからねー。というか、暇だったら配っといてって感じだし、もう部員も足りるだろうから要らないっぽいけど……誰が頑張ってんの?」


 「こないだお前に懐いてた新入生」


 「新入生が新入生の勧誘手伝うってなにさー……」


 あちゃー、とでも言いたげに顔を覆う彼女の仕草は実に自然で、間近に立った彼を意識している気配はまるでない。イケメンに惚れられている同性というのは見ていて嫉妬する光景ではあるものの、全く脈のない学年の星の姿には、どちらかと言えば哀れみの方が勝ってしまい二人は微妙な渋面を作るのであった。


 援護射撃をするにしても、この人好きする大型犬風女子に如何なるアプローチが効果的なのかを考えても全く分からない。クラスの中心同士と言えば簡単にくっつきそうなものだが、あまりに明るく社交的すぎると色恋と絡めるのが途端に難しくなるのが不思議でもあった。


 「おん……?」


 さてどうしたものか、と鈍い方とアプローチが下手な方の同輩のために頭を捻り始めた二人を置いて、金髪の少女は顔を窓の方へと巡らせた。


 「どした?」


 「いや、何か聞こえんかった?」


 釣られて窓の外、勧誘の人混みが先ほどと変わらず賑やかな外に首を巡らせても、楽しげな喧噪しか聞こえてこない。


 「何かって、何」


 「いや、悲鳴みたいな……」


 言い終わるか否かというタイミングで、今度は確かな異音がそれぞれの鼓膜を揺らした。


 楽しく活気溢れる新入生の勧誘とは縁が無いはずの、甲高い女性の悲鳴が。


 「え、何? 今の……」


 「分からん。ついに野球部が強引な勧誘にでも手を出したか?」


 「ちょいまち、双眼鏡あるから見てみよう」


 「なんでそんなもんが……」


 常であれば聞こえてこない悲鳴も、ぬるま湯の平穏に浸りきった学生達の危機感を掻き立ててはくれなかった。例えそれが、日常の幕を下ろし、凄惨な次の演目を始めるためのサイレンであったとしても。


 ただ一人、点数確認用の双眼鏡を鞄から取り出そうとしている少女だけが、得も言えぬ不安を覚えていた。


 この穏やかで生き易い日常に入った罅を見つけるまで、もう少し…………。

以前よりリクエストとかのあった少女の前日譚です。

今回も五千文字程度でコンスタントに隔週くらいで続けてさぱっと終わらせたい所ですね。

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