前へ次へ  更新
73/81

ストーブとスープと違和感

 新しい物は便利であるが、古い物には古い物なりの便利さがある。


 「住人の無精さに感謝だな」


 灯油ストーブの赤々と燃える火に四人が集まりながら、少しでも暖を取ろうと密集している。一年間放置され、灯油も注ぎっぱなしという状態であっても、古い製品は着実に仕事をしていた。


 「ああ、いや、そういえば去年は春先でも結構寒かったけか」


 「確かに俺、まだコート着て通学してたな」


 「……懐かしいわね。まだ平和だった頃が」


 石油ストーブは一々灯油を汲んだり、着火に電池やマッチが必要だったり不便な所も多いが、シンプルであるが故に頑丈で使い勝手も良い。紅い灯りは視覚からも暖かさを感じさせてくれるし、不思議と火をじっと見ていると安心できる。何より、天板に鍋ややかんを載せて、お湯を沸かせるのが偉大だった。


 「私、新入生歓迎会でビラ配るの辛かったの覚えてます」


 「あー……寒かったな。なんでだろうな、校内の勧誘活動でコート羽織るの禁止とか」


 「何処にでもあんなー、意味不明な校則。理不尽すぎる」


 とりとめの無い会話の中、天板に置かれた小鍋の中でスープが煮えていた。湯煎されているのは、三人組がスーパーで見つけてきた缶詰のスープである。濡れた服をとりあえず家の中で調達した、微かに老人の臭いがする服で着替えた次は内側から体温を取り戻そうというのだ。実際、身体の中に燃やす燃料がないと、体温は火に当たっても中々戻らないものである。


 「でも、陸上部は狡かったよな。ウィンドブレーカーとかベンチコートに校章入ってるから着ててもOKとか」


 「あったね、そんなこと……」


 「私は何よりバレー部の子が可哀想だったわ。あんな薄着で」


 見た目には温かくとも、調理器具ほどの熱効率がないストーブでスープが煮えるのに時間がかかる。温まるのを待つ間に身体が冷えぬよう、高校の三人組は寄り添って毛布を引っ被りながら熱を蓄えていた。


 ただ、女はその三人の後ろに立ち、溢れる熱を拾う程度に留まっていた。途中、少年から誘われたものの、四人だと結局あぶれるから後ろで結構と断って、今も煙草をふかしているのだ。


 「日が暮れたら地獄だな、そのバレー部……私達も朝晩はキツかった」


 「大学って朝からずっと勧誘するんですか?」


 「むしろ、朝が本番だな」


 「そうよね。通学してくる子とか、大抵は時間一緒ですもの」


 最初は警戒していたものの、ここまで親切に色々と集めて貰えば危機感も薄れてくるらしい。少女と女性も少しは胸襟を開き、女と会話をするようになっていた。


 「融通がきかん学校でなー。朝に勧誘ブースを出したら、終わりになる六時までずっと人を置いとけとのたまうんだよ。四月の寒空の下に、ふきっさらしでな」


 「うわぁ……」


 「しかも学生課とか学連の本部と違って電源引けないから、暖房器具は一切無しだ。何度かイラッと来て学連のテントにカチコミかけるかって話が出るくらいだったぞ。あの連中、大して仕事しないのに温々しやがってたからな」


 場の空気は室温と共に少しずつ温んでいく。共通の話題があり、年齢が近いからだろう。共通の話題があって、学生としての価値観を共有できているから会話はスムーズに行われる。これが社会人と高校生であったなら、もう少しぎこちないものになっていただろう。


 「スープ、煮えてきたんじゃないか?」


 「どうかな……あちっ!?」


 暫し春先の話題や、大学とはどういう所だったのかという暢気な話題を交わしていると小鍋の湯が沸騰してきた。女の指摘に少年が手を伸ばせば、不用意さから十分に熱が通った缶詰に反撃を受けてしまったらしい。反射で手を離し、紅くなった指に呼気を吹きかける。


 「どうして素手で触るかね……」


 「いや、手袋とか無かったし、箸でつまむには重かったから」


 無精せずにキッチンを漁った時に、鍋掴みも一緒に探せば良かったのではと少女は思った。ただ、持ってきたのは女なのであまり強くも出られない。実際、気付きながらも寒さを嫌って行動しなかった自分も自分なのだから。


 しかし、そんなことを気にすることも無く、女は一つ嘆息して無造作に缶へと手を伸ばす。


 「えっ、それかなり熱……ああっ!?」


 そして、何てことも無さそうに左手は缶を取り上げた。軽く上下させて滴を払い、ちゃぶ台の上へ載せるとジャケットのポケットから大ぶりな多機能ナイフを取り出した。二つ折りのそれは、最近流行のLEDライトやペンチまで搭載した二つ折りの大仰な品である。恐らく、何処かのキャンプ用品店から失敬してきたのであろう。


 「……大した事ないじゃん」


 「え、ええ……? いや、めっちゃ熱かったけど……」


 片手なのに倒すことなく器用に缶切りを使う女を見て、少女は少年の横っ腹を肘で突っついた。見ろよと差し出された指は、確かに紅いが、火傷しているかと言われれば微妙な線だ。痛々しくはあるものの、水ぶくれもなければ皮が剥離している訳でもないので、負傷と呼ぶほどの物でもない。


 「ああ、私は機械触ったり家事したりで指の皮分厚くなってるからな。熱いのは平気なんだ。ほら、田舎の婆様とか平気で土鍋掴んだりするだろ」


 心地良い金属音を供にして缶が開き、埃と煙草の臭いを追い払うようにタマネギの甘い芳香が解き放たれる。飴色のスープは温かそうな湯気を立て、誘うように表面の油がストーブの灯りで煌めいた。大きな缶入りのオニオンスープは、このまま飲むには些か濃いが、疲れて冷えた身体にはむしろ丁度良いだろう。


 「ま、袖で掴むなりして気を付けろ。ほれ」


 スプーンを一本放り込み、女は少年に缶を差し出す。両手を失敬したトレーナーの袖に引っ込めて受け取った少年は、やっぱり熱いと布越しに伝わる熱を感じ取って思った。


 「冷めない内に飲んどけ。温まるぞ」


 違和感はあるものの、言っていることは至極まともなので少年は訝りながらもスープを慎重に啜った。油断して口に含めば舌が残念な事になる程度にスープは熱く、濃いタマネギとブイヨンの味が舌を撫でる。触れた唇が少し火傷しそうになったが、胃にするりと落ちていく液状の熱は酷く心地良い。その心地よさが、違和感や疑念を再び拭い去ってしまった。


 一口啜り、二口飲み、タマネギをスプーンで掬って咀嚼する頃には、もうどうでも良くなってしまうほど。


 少し飲んでから回して三人で味わったが、ここ一年で最も美味しいもののように感じられた。冷え切った身体に内側から熱が回る感覚が心地良く、ようやっと“生き延びた”という安堵が身体を駆け巡る。寒さ以外の理由でこわばっていた体から、やっと本当の意味で力が抜けた気がした。


 スープが随分と残り少なくなってやっと、年長の女性が自制心を取り戻した。自分たちばかりが飲んではいけないと。


 振り返ると、女は三人から目線を外し、黒く塗りつぶされつつある窓を眺めながら煙草を燻らせている。さっきから消費のペースが速いが、ここに入ってから何本目であっただろうか。


 「あの、貴女も飲みなさい。あれだけ戦ったんだし、疲れたんじゃ……」


 「ん? 結構だ。腹はすいていなくてね。酒があれば、その限りじゃないんだが」


 目線を寄越すこともなく、煙が吐き出される。少しとろんと緩んだ瞳は、窓を見ているようで見ていないように思える。どこか遠いところを幻視するような、過ぎ去った脳裏にだけ存在する何かを攫うような……。


 遠慮と配慮は、しかして空腹の前に容易く屈服した。数秒の逡巡の後、女性は一口だけスープを飲んで少年達に缶を渡す。私も満足だから、後は飲みなさいと促して。


 結局、人間にとって身近な人間の方が大切なのだから。


 ただ、それでも不思議ではあった。あれだけ激しく戦ったのに、腹が減らないとはどういうことだろうか。別にやせ我慢している訳でもなさそうだったが、自前の食料があるようにも思えない。それとも、習慣で食料を節約するのになれるため、一日一食の制限でもしているのだろうか。


 「まだ降るな」


 「えっ?」


 「まだまだ降りそうだって言ったんだ」


 窓を叩く雨の勢いは衰えることを知らず、雨樋を流れる水の音は強まるばかり。そして、外を蠢く死者達が雨によって刺激され、方々を手当たり次第に叩いたり、爪が剥がれた指でひっかく気味の悪い音が鳴り響く。雨に紛れて遠くから聞こえているようだが、迫り来る死は今も厳然として存在しているのだ。


 そこにも、あそこにも。煙草屋の頼りないシャッターの前にも。


 「暫くは此処で耐えた方が良いだろ。日も暮れたしな」


 燃え尽きつつある煙草が指し示した時計では、短針が長針を追いかけるように7を挟む位置で対峙していた。既に春先の長くなり始めた日はとっぷりと暮れている。閉めきった店内が最初から暗かったせいで気付けなかったのだ。


 「知っているだろうが、夜は連中の時間だ。雨も降ってお祭り騒ぎだろうから、無理に出歩かない方が身のためだ。仏陀の真似事がしたいなら話は別だが」


 「……そうね」


 耳を澄ませば外の喧噪を否が応でも理解してしまう。風に乗って届く低い呻き声の多重奏。どこかで死体同士がぶつかっているのか、肉が潰れるような音も聞こえた。獲物を求めて集まった彼等が、互いに押し合って潰れるのはよくあることだ。実際、シャッターと肉が擦れて潰れる気持ち悪い音が、直ぐそこからも聞こえてきていた。


 「ま、仏陀も聖四文字も寝こけて遅刻かましてる今、聖人の真似したって様にはなるまいがね。精々美形の弟子みたく、爆死するのがマシってところか。それなら、何かあっても彷徨かずに済む」


 「博学ね」


 「これでいて、きちんと勉強して大学に入ったんでね」


 半数は後輩の趣味だが、と女は呟き、ふと思い出したように手を叩いた。


 「あ、そうだ、落ち着いたら聞こうと思って忘れてた」


 「何かしら」


 「こいつ見たことないか?」


 防水のビニールケースに入っていたのは、長い間縁が無かった物。スマートフォンであった。圏外の表示が映った画面には、一人の青年が映し出されている。ソファーにもたれ掛かって瞑目し、腹の前で手を組んだ姿は棺に納められる死者を想起させた。


 「私の相方なんだが、自己紹介した時に言ったとおり“喧嘩別れ”してな。大人しくくたばるタマじゃないから心配は欠片ほどもしていないんだが、流石に面を見ていないと落ち着かなくなる」


 それに、私がいない間に変な虫が付いたら困るからな、と女は冗談めかしながら笑った。


 これが、彼女も右腕を叩き落とした相手だと言われて、彼女にはしっくり来なかった。一体何をどうすれば、そんな四肢を失うような“喧嘩”をする羽目になり、剰えどちらも死なずにいられるのか。


 ただ、眠る青年を見た女性の率直な感想は、まかり間違っても色っぽい様など想像すらできないという、当人に言えば渋面を作られそうな失礼なものであったが。


 「その、ごめんなさい、私達ずっと部室棟に籠もっていたから……」


 「そうか。ま、期待はしていなかった。ぼちぼち歩いてたら、その内見つかるだろ」


 何々と覗き込もうとした少年少女から避けるように、女はスマートフォンを懐へとしまってしまった。曰く、子共にはまだ早いと。


 「何だよそれ」


 「若い頃の想像力はたくましいからなー。相方を見せて、私との色々を想像させると何だか微妙な気分になりそうだから……」


 「誰がするか!!」


 あまりにもあまりなおちょくり方に少年は怒号を上げ、一瞬シャッターを叩く音が強くなったことに首を竦めた。しかし、諸悪の根源はくすくす面白そうに声を潜めて笑うだけで、顔を真っ赤にする少年に少女は何事か耳打ちしながら脇腹をつねり上げていた。


 「しっ、しねーって!」


 「だって、携帯に保存してた画像だったら……」


 「見たのかよっ!?」


 「だって、あんな所に放置してたら!」


 青いやりとりを聞いて、笑いが止め処なく湧き上がってくる。しかし、何とか口の中でかみ殺し――表情においては、その限りでは無い――女は静かに寝てしまおうと提案した。脱出するにせよ何にせよ、今の時間帯に出来ることなど何一つないのだから…………。

これで空白行含まず4,800文字強といった所ですので、これくらいがベストでしょうか。


感想ありがとう御座います。やはり励みになるので、嬉しいものですね。

諄いくらい言っておりますが、Twitterもやってるので良かったら覗いて突っついてやってください。尻を叩かれねばeditorを開かない程度に怠惰な社会人になってしまいました。

前へ次へ目次  更新