青年と犬とコンビニと
そろそろ暴れるかもと言いながら、やはりまた地味な展開に。まぁ、基本方針として戦闘は避けるべきと言う考え方の主人公なので自然と言えば自然なのですが……。
ゾンビとの死闘を期待する方々はもう暫しお待ち下さい
懐での微かな揺れを感知して、青年は目をそっと開いた。普段通りのシーツと枕がぼやけた視界を埋め尽くし、天窓から車内へと朝日が静かに差し込んでいた。朝がやって来たのだ。
体を起こし、懐から携帯を取り出して振動を止める。電波が圏外になっているので電話もメールもネットも出来ないので、振動の理由は単に青年がセットした目覚ましアラームである。
現状、完全に停波してしまっているので携帯電話は殆ど飾りと化している。役に立つのは精々時計機能と目覚まし、そしてちゃちな電子辞書位の物であろう。
これが数世代前の型遅れな携帯ではなく、最新のスマートフォンであれば様々なアプリでも詰め込んで色々と使えるのであろうが……丁度買い換えようかなと思っていた頃にこんな目に遭った。
今となってはアプリをダウンロードする事も出来ないので、今更携帯ショップからスマートフォンを失敬したとしても殆ど役には立たないだろう。
アラームを止めた携帯をベッドサイドに置き、自分と同じく起き出してきたカノンの頭を撫でて朝の挨拶をする。昨日体を洗ったばかりのカノンは、毛並みもふさふさとしていて撫で心地が何時にも増して素晴らしい。
艶やかな毛並みの柔らかい手触りを楽しむのもそこそこに寝床から這い出し、朝の冷えた空気で肌が粟立つのを感じながらスウェットを脱ぎ捨て、服を着替える。
普段通りのズボンとシャツ、ベストを纏ってベルトを締める。そして、ホルスターを背負って、今日は気分でシルバーの本体を輝かせるM360を捻じ込んだ。整備は完璧に為されているし、物の質も良いのでちゃんと作動することだろう。
しかし、携帯を持たず、その代わりに拳銃を持って動き回るなんて、ほんの八ヶ月前には想像も出来ないことだ。
携帯を体から離して行動したら、講義関係やゼミからの緊急連絡が届かなくて酷い目に遭うことが多いが、今となってはこの携帯が振動する機会はアラームの時刻通知でしかない。
そう考えると、今の生活と昔の生活とのギャップで少し笑えてくる。だが、いざ束縛するものが無くなった方が返って生活リズムが良くなるとは皮肉な物だ。
天窓から屋根に上がって、大きく背伸びをしたが、やはり周囲には殆ど何も居ない。鳥が数匹、食べる物を探すかのようにうろちょろとしているだけだ。
しかし、鳥は自分が斃した死体を決して食べようとはしなかった。命に関わる物である事を本能的に悟っているのだろう。
死体に襲われた人間が正気を失った死体に変ずる過程を青年は今まで何回も見てきたが、幸いな事に知る限りの条件は濃厚な接触感染のみである。
そもそも、人がああなる理由は全く分かっていない。青年は医者でも無ければ科学者でも無いので当然のことではあるのだが。
原因が、よくある物語のようにウイルスであり、それが空気感染するのであれば、青年は既に連中の仲間になっており人類は滅んでいるだろう。
だが、青年は未だに理性を持って人間をやっていて、生き残っている人間も僅かながら確認出来ている。だから、憶測に過ぎないがきっと空気感染はしないのだろう。
今まで見たケースで感染するに足る理由は僅か三つだ。
まずは、濃厚な接触……これは噛まれる等だが、恐らくは単純な接触感染ではなく、唾液や血液を体内に取り入れるのが不味いのだろう。それも、大量に取り込んだ場合に限るのだと思われる。
今まで青年は何回か至近距離で死体の頭を吹き飛ばして血飛沫を浴びたこともあるし、小銃や散弾銃のストックで顎を殴り飛ばしたこともある。それでも“ああなっていない”ので、きっと予測は正しいのだろう。
二つ目は“保菌者”との濃厚な接触だ。便宜的に保菌者と呼ぶが、意味合い的には連中と深く接触した者の事でしかない。
連中に噛まれたとしても、直ぐに変貌する訳では無い。噛まれた傷が致命傷になって死んだなら直ぐに変化するのだが、単に噛まれただけであるのならば、その当人の抵抗力に依るが、頑丈な大人であれば三日から一週間は理性を保てる。
そして、そんな保菌者との濃厚な接触……恐らく血液や粘膜を接触させると伝染してしまうのだろう。このような事態になり始めた頃に、そんな症例を見たことがあった。
最後にだが……破壊した死体との濃厚な接触もアウトだ。どうやら、完全に破壊されていたとしても、人間を狂わせる要因は死体の中で生きているらしい。死体の処理をしている時に、掌にある大きな裂傷に血が染みて発症した男を青年は知っていた。
つまり、アレは死してなお危険な存在なのだ。それを、動物達は分かっているらしい。都市部を彷徨いている時も、屍肉を漁る筈の烏が死体には見向きをせず、ゴミを漁っているのを見かけたし、どうやら彼等は本能的に危険な物を区別することが出来るようだ。
ちょろちょろと動き回って虫などを探す鳥を見ながら、周囲が完全にクリアな事を確認して青年は湯を沸かす為に車外に出て、発電機を起動させた。
ここにはもう殆ど死体は居ないのだろう。だから、暫くは発電機を付けても大丈夫そうだ。本当に死体がどこに潜んでいるか分からない都市部では数日間まともに湯も沸かせないことがあって苦労したし、こういう田舎は本当に心が休まる。
とは言っても完全に気を抜く訳には行かない。ぼさっとした状態で歩いて、物陰から飛び出した連中に噛みつかれれば……例え撃退しても、自分は自分で頭をふっ飛ばす羽目になる。それは出来ればご免被りたかった。
正直、命に固執して他人を蹴落としてまで生きたいとは思わないが、それでも望んで生き急ぐほどでも無い。
実際、生き残っている人間を比率すると、自分はかなりいい加減で宙ぶらりんな存在なのだろうなと思いつつ、青年はカノンの食事を皿に開けた。
カノンに食事をやり、食べる姿を眺めながら大量に持ち込んだ土産を手に取る。パッケージには味噌カツ風味ゴーフレットなどという実に珍妙な文字が躍っていたが、青年は何の躊躇も無く封を切って口に突っ込んだ。
何とも形容しがたい奇妙な味を口中に感じながら、青年は考える。一体どれだけの人がこの日本……いや、世界に生き残っていて、一体どういう風に生活しているのだろうかと。
自分は衣食住足りているのでかなり恵まれている部類だろう。だが、他は……。
…………意味の無いことだ、止めておこうと頭を振って、青年は口に残った味をコーヒーで流し込もうとし、盛大に顔をしかめた。
口中の味噌の風味とコーヒーの苦味が混ざり合って、凄まじい混沌が産まれる。一瞬食道が顫動して戻しかけたが、意志力でソレを押さえ込み、僅かに上ってきた胃液を嚥下する。
吐き出したら水と食べ物が勿体ないし、服とソファーが吐瀉物で汚れれば洗濯出来ないので後々酷い目に遭うだろう。快適な生活の為に、殆ど無理矢理に吐き気を堪えて、上がってきた物を嚥下した。
選り好みしていられないとはいえ、やはり物に依りけりだなと、青年は空袋を捻りながら次の一枚に手を伸ばす。箱を開けてしまったので、一応は最後まで食べよう。
ゴーフレットを水でねじ込み、口を濯いでからコーヒーを軽く啜る……よく焼いたベーコンと卵焼き、ドレッシングをかけたサラダとパンの朝食が何よりも懐かしい。
だが、この事態が奇跡的な好転でも見せない限り、二度とそんな朝食にはありつけそうには無い。青年はコーヒーの最後の一口を飲み終え、そんな淡い希望を頭の隅っこから追い払った。
足ることを知れば、質素であろうとも人間は生きて行ける。高望みはせず、ただ前だけを見ろと、青年は小さく頬を張った。その音に反応して、殆ど食事を終えていたカノンが頭を上げる。
どうかしたのかとでも言うように首を傾げるカノンに、青年は何でも無いと応えながらゴーフレットの空を全てゴミ袋へと放り込んだ。箱はクリップを作る為に使うので取っておく。しかし、エコな気はするが分別しないのでいかがな物なのか。
だが、分別しても再生する人間が居ないので気にしても仕方の無いことだと思いながら、青年はゴミ袋の口を締めた。そして、後で出がけに天窓から外に廃棄するのだが、今となってはそれを誰も咎めはしない。
全く、社会意識というのは社会が無くなっても精神を縛る物だなと、ある一種の感嘆を覚えながら、青年はとある物をソファーの近くにあるラックから取り出した。
国土院発行の全国版の地図帳である。細かい道までスケール別にして掲載されている立派な装丁の分厚い地図には、小さな識別表が背表紙に貼り付けてあった。実は購入した物では無く、とある図書館から失敬した物なのだ。
カーナビもついてはいるが、あれは車のエンジンを掛けないと電源がつかない。予め目的地を決めてから出発をする為に、地図は必要だった。
さて、一応の目的地は大阪であるが、そのまま大阪へと向かって一直線に帰る訳では無い。途中で寄れそうな所には通りすがる程度にでも寄って、物資を回収したいと思っている。
欲しい物……と、言うより必要な物はいくらでもあった。
咄嗟に思いつく物は武器と食料だ。可能であれば自衛隊の戦闘糧食のような長期保存が可能な物や、威力の高い5.56mmホローポイント弾や12ゲージスラッグ弾が欲しい所である。後は、軽機関銃のボックスマガジンも欲しかった。
一応自衛隊が正式採用している分隊支援用の軽機関銃も二丁拾っているが、凄まじい勢いで弾丸を消費するので、本当にここぞと言う時にしか使用出来ない。
だが、そんな時が来た時の為に素早い装填を可能にする予備弾倉は欲しかった。今手元にあるのは5.56mm弾を目一杯詰め込んだ、最初から装填されている物が二つだけ。十分とも言えるが、欲を出せば後二つは欲しかった。
次に思いつくのは電池だ。電池式ランタンのみならず、暗いところに踏み込む為のフラッシュライトなど用途は多岐に渡る。それだけでなく、何かしら使用に応用が利くので持っていて損はしない。
そして、次に欲しいのは……。
軽くキッチンにあるIHヒーターに目を向ける。あれは電気が無ければ動かないので、出来れば登山用のガスで稼働するバーナーか、ガスコンロが欲しかった。それさえあれば朝に態々オドオドしながら発電機を付けて湯を沸かさないで済むだけでなく、簡単な調理までもが可能になるのだ。
これらの物は一見簡単に手に入るように思えるし、確かに様々な所で販売されている。近所のガス屋からホームセンター、場合によっては金物屋でも扱っているだろう。
だが、大抵はこういう常況に陥って店はシャッターを下ろすか荒らされており、探すのは難しい。何より、商店街に入っても何処に何屋があって、どこから逃げれば近道かが分からなければ踏み入るのは危険すぎる。
また、ショッピングセンターだが……此処は青年が思うに最も危険な場所だった。
何より、人が集まりやすく、映画を少しでも見たことがある人間なら避難するに最適な場所として逃げ込むことが多く、要塞化される事がある。
青年はそんなショッピングセンターを幾つか見ているし、無線機で話している女もショッピングセンターに立て籠もっているようなので別段珍しい事では無いだろう。
そんな所に行って、ガスコンロを下さいと言っても、はいそうですかでは済まないだろう。多分、身ぐるみ剥がされるか殆ど強引に取り込まれて終わりだ。それは、青年からすると遠慮したい事態である。
だが、要塞化されていないショッピングセンターもそれはそれで危険であり、要塞化された物が全滅した物はそれ以上に危険だ。
ショッピングセンターは人が多く集まっていただろうし、要塞化されていなくても物資を求めて進入した者達は大勢居ただろう。だから、中に連中が沢山居ることが予見される。
また、棚が山ほど並んでいることから死角が何より多いし、構造が入り組んでおり、数が多い連中に包囲されかねない。包囲されてしまったら一人しか居ない自分は一瞬で押しつぶされて終わりであろう。
次に、電気が落ちている上に、だだっ広くて窓が無いので昼間でも中央まで行くと酷く暗い。そうなると光源がフラッシュライトだけになるので非常に便利が悪い。L字の形をした胸のポケットに入るハイビーム式のかなり強い光を発するライトを愛用しているのだが、それでもやはり視界は限定される。
それに、何かにぶつかった拍子に壊れたり、落とした時に光源を失ってしまう事になる。そうすれば、暗い場所で明かりも無く孤立する事になり……死に繋がるだろう。
そんなこんなで、ショッピングセンターは実入りは良いし欲しい物は全部揃うだろうが、それに見合うかそれ以上の危険が待っている。リスクは見合うかと問われれば……死ぬ可能性の方が高いので否だ。
だが、それも考え方と方法次第なのだがと、頭の中で呟き、現在持っている物資の総量を考えながら青年は立ち上がった。
ゴミを詰めた袋を取り出し、天窓を開ける。屋根へ昇り、二日間過ごしたパーキングエリアをぐるりと見回してから……袋を昇りつつある太陽目がけて放り投げた。
白い不透明のコンビニ袋が投げ出された際に与えられた加速度を宿して勢いよく飛んで行き、最後には力を失い、だれるような軌道で地に落ちた。
中に詰め込まれたビニールや箱の屑が擦れる音を鳴らしながら転がって行くゴミ袋を見送って、青年は中へと戻った。
もうここには用は無い。食事も済んだし、さっさと出発するとしよう。
「行こうか、カノン」
青年の問いかけに、カノンは何も言わず、ソファーの下に横たえていた体を擡げて運転席へと向かった。まだカノンの食事皿が洗われずに放置されているが……昼食も入れないとならないし、少しくらいは洗わなくても良いだろう。
青年はそう思いつつ地図片手に運転席へと向かい、座席に身を深く預けた。そして、懐へと手を差し込み、車のキーを取り出す。紛失防止用にぶら下げた鈴のキーホルダーが涼しい音を立てた。
「とりあえず地方のあまり人が多くないところまで行くか。都心だと流石に連中が多すぎるからな」
カノンは肯定するでも反対するでもなく、ただ体を丸めて座席に落ち着き、青年へと美しいオッドアイの瞳を向けた。夜闇に輝く月を奪ってはめ込んだような瞳と最高級のアクアマリンを連想させる蒼い瞳が陽光を反射して小さく煌めいた。
それを見て青年も、返答として頭を一度撫でてから、キーを捻った。
ぐずるようにエンジンが震え、動き始める。そして、電力が供給されたカーナビゲーションのモニターに明かりが灯る。
ラジオはもう何処のチャンネルに合わせても聞こえないので無視するとして、行き先を設定する事にしよう。
現在位置は塩尻を少し行った国道十九号線の途上にあるサービスエリアだ。このまま走っていけば愛知県は名古屋市に到着するのだが……流石に県庁所在地級の都市には近寄りたくなかった。人口が多いと言う事は、それだけ連中がうじゃうじゃしている。
確かに、人が多ければ生存者が居る可能性も出てくるが、今の目的はそんなことでは無い。手段を選択するのであれば、より安全に、より確実な物にする。人間なんて、少し臆病なくらいで丁度良いのだ。
「英雄はみんな死んでいる……か」
青年の呟きに身を丸めていたカノンが耳を反応させた。寝ていた耳がピンと立ち、伏せられていた瞳が露わになる。
「……何でも無い。さて、行くとするか…………」
青年は自嘲気味な笑みを作って見せ、サイドブレーキを外した…………。
事故を起こさないようにゆっくりと走っていても、車の速度というのは素晴らしい物だ。昔であればこの連綿と続く山々を越えるのには何日もかかったであろうが、半日もあれば殆ど踏破してしまう。
どこまでも続く山々の景色が半時間前には終わり、現在は田園風景が広がる田圃の合間の下道を青年がトロトロとキャンピングカーを走らせていた。
放置されて雑草や作物が伸び放題になった田畑や、ちらほらと見える住宅。そして、かなり遠くには規模は小さいが都市部も見え始めていた。
野生化した野菜が生えている畑が沢山見えるので、なんとか失敬できないかなと考えたが……まともに調理出来る環境が無いので諦めた。
サラダは嫌いではないのだが、流石に山盛りのボウルサラダだけで腹を満たすのは簡便願いたかった。せめて調理環境があれば話は別なのだが。
「ん、コンビニがあるな……」
青年の言葉を聞いて、カノンが体を擡げた。青年が何かを見つける度に独り言染みた感想を漏らすのは珍しい事では無いが、言葉の響きや雰囲気から普段とは違う物を感じたのだろう。
少し寄っていこう、青年がそう思っているであろうとカノンは感じ、動くべくして体を起こしたのである。全く、どこまでも出来た犬だと思いながら青年はカーナビの右端に目をやった。
現在時刻は正午にほど近い、昼食を手に入れるには丁度良い時間帯だ。それに、あのコンビニには駐車場が備えられているので、昼の休憩を取るにはお誂え向きの場所と言えよう。
コンビニに向かって運転しながら、青年はその様子を悉に観察した。かつては日本で一番のシェアを誇ったコンビニの一店舗であり、中々に店舗そのものが大きい。
店舗そのものはこれぞコンビニというような片面殆どが硝子張りになっていて中が見える形式であり、シャッターはどこも降りていないが、硝子が幾つか割れていて人の住んでいる気配は無い。
前に一度コンビニに立ち寄って物資を集めようとしたら、人が入り込んでいて上から物を投げられた事があったので、青年は人の気配に敏感であった。確かに物資は欲しいが、人を殺してまで欲しい……とは思わない。
助けはしないが殺しもしない、何とも都合の良い物だなと思いながら、青年は車を駐車場へと入れる。そして、キーを捻ってエンジンを止めた。
エンジンが止まったことを確認してからサイドブレーキをしっかりと掛け、席を離れる。
そして、ソファーの近くに放り出されていた防弾ベストを着込む。スリングホルスターからM360を抜いてベストそのものに固定されているホルスターへとねじ込んで、多目的ポーチの中にフルムーンクリップが収まっていることを確認した。
さて、今日は……これだな。
青年は箱に立てかけられた長物の内から一つの銃を選んだ。黒に近い緑色をした強化プラスチックとマットブラックに塗られた鉄の混合物、自衛隊正式採用小銃の89式小銃であった。
その小銃は丁寧に磨き上げられており、銃身の下部には基本装備のバイポッドがしっかりと備え付けられている。
それだけではなく、銃の上部にはマウントレイルが新設されて、標準装備のアイアンサイトの代わりに中距離用のダットサイトが設けられていた。
どちらかと言うと日本人の体系に合ったデザインをした89式小銃は矮躯の青年のも取り回しがしやすく、拾った時に装備されていた装備含めてコンディションは最高である。
文句があるとすれば減音機が備えられていないことだが、それは贅沢の言い過ぎだし、そもそも一般の小銃に望む物では無いだろう。
青年は広い場所に出る時は専らこの小銃を愛用していた。サブマシンガンに比べればかなり大きいので閉所での扱いには不向きだが、銃身が長いので弾道が安定し、距離のある射撃にはこちらの方が適している。
リリースボタンを押してマガジンを外し、マガジンの内部で真鍮色の薬莢と葡萄茶色の弾頭が鈍く光っているのを確認してから、青年は再びマガジンを装填する。そのマガジンにはダクトテープでもう一つマガジンが互い違いにして貼り付けてあった。
これは素早いマガジンチェンジを可能とする為の工夫であり、青年はかなり弾を使いそうな時にはこのようにしたマガジンを使うことにしていた。重さがマガジン一本分増すので少し重くなるが、再装填が素早く行えるのは魅力だ。
安全装置がしっかり掛かっていることを確認してからハンドルを引いて弾丸を装填。後はセレクターを操作して引き金を引けば、凄まじい威力を秘めた5.56mm弾が音よりも早く飛翔する。
武装の準備を済ませた青年はスリングで小銃を担いで天窓から屋根に昇った。ふと見やれば完全に被甲されておらず、蒼い地金が覗く天井に鳥の糞が落ちていた。
恐らく、走行中に上を飛んでいた鳥が落とした糞が全くの偶然で直撃したのだろう。未消化の虫の足などが覗く気味の悪いソレを見て青年は忌々しげに眉を顰めた。
昔ならばホースでも持ってきてさっさと洗い流すのだが、今はそういう訳にもいかない。乾いて硬くなったら靴で蹴り払うしか、物資を無駄遣いせずに取り除く良い方法は思いつかなかった。
上に立って見回すと、周囲には人影は見当たらなかった……。好き勝手に野生化した作物が伸びた畑の中にも、二車線であるのに無意味なほどに広い道路にも、自分以外に動く物は何も無い。
「……クリア」
自分に言い聞かせるように呟いて、青年は車内へと降りる。連中はこういった人の少ない所にはあんまり集まろうとしない。一体どうやって人間の気配を感知しているかは分からないが、少なからず連中は移動している。
昨期のサービスエリアのようにあまり広くない場所に密集し続けている事もあるが、近くに人の気配が感じられないと移動せずに留まり続ける事もあるというだけだ。
そして、ここの場合は近くに都市部という人が集まりやすい形質の場所があるので、其方に寄っているらしく、こんな町外れには少ないようだ。
とはいえ……長居したら何処からか集まって来るかもしれないので楽観は出来ないし、時間的な余裕を見て行動する暇も無い。
さっさと漁る物を漁って車内へと戻るとしよう。青年は親指を弾くようにして小銃のセーフティーセレクターを操作、アを示していた先をタへと移す。
89式小銃は日本国企業、豊和工業製の小銃であり、日本製なので日本人が使いやすいように作られている。造形的な意味もあるが、セレクターの表示がカタカナになっているのだ。
ア・タ・レ・3、という順番で並んでいるが、これは別に当たれとおまじないをしている訳では無い。安全、単発、連発の頭文字を取ってセレクターに示しているのだ。
そして、3は三点バースト……一回引き金を絞るだけで弾が三発出る射撃方式の事である。フルオートよりは弾をばらまかないが、制圧力を得る為に射出する弾を増やす、銃に慣れていない者への救済のような機能だ。
フルオートでばらまくと弾がすぐに無くなるので、3点バーストは中々に便利であるが、それはあくまで対人戦闘に関してである。
青年は弾丸を無駄遣いせず、一射一殺の心構えで挑む為に囲まれた時以外は単発で使っていた。弾は沢山あるが、なるべく大事に使うべきだ、次に何時確保できるとも分からないのだから。
予備のマガジンをベストのマガジンポートへと詰め込んで、青年は扉に手を掛けた。既に隣にはカノンが待機している。
では、行くか、と一度深く行きを吸って覚悟を決めてから……青年は扉の鍵を開けて、車の扉を開いた。
暖房器具が無くとも、風が入らない上に人間が居る車内と外では温度がかなり違う。扉が開いて空いた出入り口から吹き入る風はかなり冷えている。
コートでも着るべきかなと思いつつ、青年は一歩を踏み出して車外へと出る。ブーツの底が駐車場のアスファルトと砂利を踏みつけて鈍い音が響いた。
そして、青年が出るのに合わせてカノンも車外へと飛び出し、警戒するように四方へと鼻面を向けて臭いを嗅ぎ始めた。
青年には死体が発する腐臭は全て同じにしか思えないが、彼女が感じる人間よりもずっと繊細で鋭敏な嗅覚では、狂った死体とそうでない死体の臭いを区別できるほどの違いが存在するらしい。
青年が扉を静かに閉め、鍵を掛けると同時にカノンは一度だけ小さく吠えた。普段音を立てることを良くないと分かっている彼女が吠える機会は少ない。
激しく吠え立てて敵の接近を報せる時か……今のように小さく鳴いて、連中の不存在を報せるときだ。
「……ありがとう、カノン。行くか」
言いながら青年はそれでも油断すること無く小銃を肩付けに構え、腰を軽く落として静かに歩き始める。
キャンピングカーの周りをぐるりと回ってコンビニの入り口へと向かい、銃口でなぞるように砕けた扉、壁、そして屋根の方へと順繰りに巡らせる。
だが、周囲には何も居ないし何も動かない。暫し、完全に動きを止めて周囲の音を聞き入った後……青年は安全と判断したのか小銃を降ろした。
「何か良い物あるかね……」
スリングを通して小銃を肩から背中へと回し、一応の用心のためにM360を抜いておくが、ここまで接近して何も出てこないと言う事は、連中はもう近所に居ないのだろう。
恐らく、血肉を求めて都市部に行ったか、身体が腐りすぎて自壊したか……。
ふと思ったが、確かに連中は身膨れするほど腐って液状化もするが、朽ちるかどうかは分からなかった。
完全に腐り果てたら行動を停止するのであればいいのだが……そうでないならば、本当に社会再生は絶望的だろう。自衛隊は火力を持って基地を維持できているだろうが、今までの行動と現状を鑑みるに全て駆除する程の余力は無いのだろう。
そして、同盟国からの支援も何も無い現状から予見するに、恐らく海外も……。
等と、考えてもどうしようも無い事を頭の中で巡らせながら、青年はコンビニの中へと割れた硝子を踏み散らしながら入り込んだ。
明かりが落ちていているが、外は晴れているし一面硝子張りであった為に光の取り入れ口には苦労しない。視界に困らない程度の明かりはあるので、青年はライトに伸ばしかけた左手をそっと降ろした。
店内で最初に二人を出迎えたのは、緑と白のツートンカラーをした店舗の制服に腐汁を滴らせた死体であった。
この死体は正真正銘の死体である。レジの前に倒れ臥し、砕けた頭の中身を半ば撒き散らして斃れており、近くにはねじ曲がった鉄パイプが落ちていた……これが死因だろう。
いや、死因というよりも破壊する時に使われた武器か? と思いつつ青年はレジへと歩み寄り、死体を跨いで中を覗き込んだ。
レジが破壊され、壁際に並べられていたであろう煙草が無数に散らばっていた。唐揚げ等の揚げ物を入れていたであろうショーケースも倒れ、惨憺たる有様である。
しかし、破壊されたレジが転がっているのに小銭しか散らばっていないと言う事は、誰かがここで現金を略奪していったのだろうか。
幾つか小さな生き残りコミュニティーに接触したことはあるが、彼等は往々にして物々交換しか受け付けない。そんな中で現金など……有名な漫画の台詞にあやかれば、尻を拭く紙にもなりはしないだろう。
使えて精々薪を起こすときの火口くらいだろうなと考えつつ、青年はレジから視線を外して食料品の棚へと向かう。
コンビニにて定番の食料、おにぎりやサンドイッチ、弁当の類は言うまでも無く駄目だ。冷蔵棚の当たりから嫌な臭いが漂っているので、それは確認するまでも無い。同じ辺りの並びにある牛乳のような生飲料も駄目だろう。
青年はふと、某有名商社が売り出している甘いコーヒー牛乳の味が懐かしくなったが……パックの中は酷い有様だろうから、大人しく諦めた。
現金だけでなく、食料も略奪されていたらしく、大雑把に棚の中身がごっそり抜かれていて、その抜いたときに引っかけたのか商品が棚の合間に山ほど落ちている。
青年はその中からカップラーメンやカップスープなどのお湯を使えば簡単に作れる簡易保存食や、レトルトパックの食べ物を転がっていた籠に次々放り込んでいく。
これらの物は長期保存が出来るし、期限が少々切れても大した事は無い。味は落ちるが、別に腹を壊す程にはならないだろう。
コンビニエンス、便利とは言うが、本当に便利な物だ。食料品は缶詰のような物もあれば青年が気に入っていたような御菓子も落ちているし、下着やシャツも手に入る。洗濯があまりできない環境では清潔な衣類は何よりも貴重だ。
真新しい包装された下着やシャツなどを籠に放り込みながら、青年は総額にしてどの程度だろうな……などと考える。籠に商品が満載されている上に、衣類などはコンビニ価格なので、実際に会計をしたら数万円は下らないだろう。
最早財布すら持ち歩いていないが、こうなって最初の頃は一々料金分の金を置いてから失敬していたので、今となれば自分も立派な略奪者だ。昔の自分が今の自分を見たらどう感じるか……。
……別にコメント一つ残さないだろうなと思い、青年は表情一つ変えずにティッシュの箱を籠に放り込んだ。そろそろ重量がかなり増してきている……。
この辺にしておくかなと思うと、カノンが自分のズボンの裾を軽く噛んで、弱く引っ張った。
何事かと思って其方を見やると、ドッグフードや犬用のおやつが置いてある棚の一画であった。
「……成る程、確かにたまにはお前も御馳走があってもいいな」
相貌を崩し、青年が言うとカノンはその微笑を見上げながら、舌を出しつつ少し荒く息をした。
棚に並ぶ普通だった頃ならば買わない……と、言うよりも買えないような値段の物を二箱ほど放り込み、骨ガムなども残ったスペース全てにねじ込んだ。もう籠が一杯でこれ以上は詰め込めないし、欲張っても良い事は無いだろう。
もっと物資が欲しいなら、何往復かしてもいいしな……と青年が思っていると、ドッグフードをねじ込むために一旦置いた籠の近くに落ちている物を見つけた。
煙草の箱である。一般的な企画の物よりもずっと長いパッケージの煙草であり、名前も注意書きも何もかもが英語で書かれていた。
誰かがレジで金を奪ったときに偶然飛ばされた物だろうが、青年は気がつけばそれを手に取っていた。珍しい種類だが、何の変哲も無い煙草で……見た事のある銘柄であった。
その銘柄を見ていると、脳裏に一人の影が過ぎる。今となってはもう……二度と言葉を交わせない人の顔であった。
青年は非喫煙者であった。普段ならば、自分の肺をわざわざ高い金出してヤニ付けして何が楽しいんだかという感性の持ち主であり、決して煙草などに手を出しはしないが……。
何故か、自然とその煙草をポーチにねじ込んでいた。
もう、持っていても意味なんて無いのだがなと思いながら、青年は口の端だけをつり上げる歪な笑みを作る。そして、それを見上げるカノンは何も言わずに佇んでいた……。
「……何でも無い、行くか」
青年の呼びかけにカノンは小さく鼻を鳴らしてから、出口の方へと向かっていく。青年も籠を片手にその後に続き……ふと、倒れ臥している店員の死体を見て呟いた。
「……おつとめご苦労さん」
物言わぬ店員は、ただ眼球が脱落した虚ろな眼窩に虚無を湛え、沈黙を持って応えた。
数分後、青年はベストを脱いでソファーに腰掛け、久しぶりにカップラーメンを啜っていた。醤油味の最もポピュラーなラーメンは久しぶりに食べるとかなり美味しく感じられる。
ローテーブルには黄色いパッケージの完全栄養食や真っ黒い炭酸飲料のボトルが置かれており、久しぶりのある意味現代人らしい食事であった。
レジから失敬してきた割り箸でラーメンを掻き込み、喉が渇いたら炭酸飲料で喉を潤し、そしてビタミン補給に栄養食を囓る。不健康な内容ではあるが、濃い文明の味を味わって青年は満足げに腹を撫でた。
隣では普段のドッグフードでは無く、一食分がパックに小分けで入っているような如何にも高級で御座いと主張する固形食料をカノンが貪っている。
基本的にドックフードという物はかなり薄味であり、冷たいままでも人間の鼻につく臭いをしている。犬にも一応は味覚というものがあるのだが、味が濃い物は言うまでも無く身体に悪いので、臭いで食欲を刺激しているそうだ。
だが、こういう高級な物は普通の物より若干味が濃くなっており、彼等からすれば美味しく感じられると聞いたし、現にカノンは普段よりも勢いよく食べている。どうやら満足してくれているようだ。
青年はその様子を見て微笑ましく感じながら、ふと机の上に放り出されている一つの箱へと目を向けた。煙草の箱だ。
長いパッケージの海外銘柄の煙草であり、殆ど無意識に持って来てしまった。喫煙の習慣は無いし、持っていたって虫除け程度にしかならないというのに。
少しの思考の後、青年はそれを手に取り包装のセロハンを剥がしてフィルムを剥ぎ、箱を開けて銀紙を破った。煙草の香りがかすかに漂い、それを感知してカノンが顔を上げる。
「ああ、スマンスマン……安心しろ、中では吸わんよ」
そう言って青年は手近にあったオイルランタンに火を付けるための燐寸を手に取り、天窓から屋根へと上がった。
空は、相変わらず嫌味のように蒼く、下界の苦悩など知ったことかと言わんばかりに雲がのんびりとたなびいていた。
その様を眺めながら辿々しい手つきで煙草を一本取りだし、浅く咥えて燐寸を一本取り出す。別に喫煙するのに誰かが咎める年齢ではないし、そもそも咎める者が居ないのだが……青年は少しだけ悪い事をしている気分になった。
風が収まるのを見計らって燐寸を摺り、火を付けて煙草の先端へと移す。単に火を翳すだけでは付かないので軽く息を吸い込む事を補助として火を灯し……噎せた。
燐寸を投げ捨て、煙草を出来るだけ鼻から遠ざけて小さく連続した咳を漏らし、身体を丸める。嫌な苦みが口中に広がり、気管を煙に燻されて吐き気がした。そして、無意識の内に目尻に涙が浮かぶ。
肺まで取り込んでいないというのにご覧の有様だ。全く、喫煙者という生き物は何を考えてこんないがらっぽい物を肺に取り入れているのやらと思いながら、青年は袖で涙を拭った。
そして、深い溜息を吐いて空を見上げる……そういえば、こんな天気の時、何時もあの人は煙草を燻らせながら……。
そこまで思った後で、彼は考えを止めるように頭を振るう。考えたとて何の意味も無いことなのだ。そして、この煙草も……。
青年は再び口の端だけをつり上げる歪な笑みを浮かべて、ほんの先端だけが灰になった煙草を放り捨てた。
煙草は灯った炎の紅い軌跡を描きながら落ちていき、コンクリートの地面にぶつかって火の粉を散らした。後は己以外に燃え移る物も無いので、ただ灰へと消えていくだけである。
だが、そんな事はどうでも良い。今重要なのは干渉でも何でもなく、遠くに見えている都市部だ。あそこに何があるか……大雑把にでいいので、知る必要がある。
田畑の向こうに望む小さな市街を睨め付けつつ、青年は煙草と一緒に持って来ていた物を取り上げた。
オリーブ色の大振りな双眼鏡を…………。
えーと……試験が終わったので久しぶりに投下しましたが、評価ポイントとかお気に入り数とか凄く増えててかなりびっくりしました。
最初に見た時、ステマッ!? ねぇ、ステマなのっ!? と一人でびっくりしてカルピス零しました。
ええと、正直これ程の期待に応えられるかは分かりませんが、少なくとも皆様を楽しませられるよう努力していこうと思います。コメントにも返信しないと……。
では、誤字脱字の指摘や感想などお待ちしております。