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青年と犬とシャワー

 野郎のシャワーでもサービスシーンになりますか?


 そもそもこの作品でサービスを期待するのが間違いかもしれませんが。


 今回もグロ関係は殆どありません。次当たりパカパカ撃ちまくりそうですが。

 広い駐車場があった。サービスエリアの前に広がる駐車場であり、無数の車両が放置された何の変哲も無い駐車場である。


 そこに、一台のキャンピングカーが停まっていた。説明されなければキャンピングカーとは分からず、分かっていても首を傾げたくなるような代物であるが、それは確かにキャンピングカーであった。


 山間の朝は酷く冷え込み、視界が酷く悪くなる程の朝靄が発生する。その朝靄の中、青年がキャンピングカーの上から昇る朝日を眺めていた。


 単に眺めている訳では無い……ズボンの前を降ろし、小用を足していた。


 常に無表情で冗談の一つも言わない人形染みた青年でも、一応は人間なので当然の事ながら生理的欲求がある。


 その一つとして排泄があるのだが、青年は殆どキャンピングカーに備え付けられたトイレで達したことは無かった。


 キャンピングカーは言うまでも無く車である。それ故に、水道など繋げようも無く、同じく下水管も無い。そんな所のトイレで排泄すると、排泄物は屎尿タンクに収められる。


 本来であれば屎尿タンクが満タンになっても、各市に儲けられた処理場へと持って行けばしっかり浄化処理をする為に回収してくれるのだが……今行っても居るのは呻きを上げる死人共だけである。


 そして、タンクが満タンになったら放置しておく訳にはいかない。排出しないとあふれ出してしまうのだが……処理して貰う場所が無いという事は、自分で巨大なタンクを車の下から取り外し、中身をどうこうして処理する必要がある。


 なので、青年はそのタンクの溜まりを遅くする為、可能な限り外で用を足すようにしていた。迷惑防止条例に思いっきり引っかかるのだが、今となっては法も糞も無いので気にする必要は無い。


 トイレで用を足すのは精々、視界が悪くて外でするのが危ない深夜くらいの物だ。明るい間は安全を確保した上で土を掘り、そこに埋めるようにして排泄するのだが……大阪に向かうとなると、それももう難しいだろう。


 連中は元々人である。人が変じた物であるので、当然都市部には嫌という程の数が生息していて然るべきなのだ。それ故に、青年はあまり都市を訪ねたがらなかった。


 だが、都市から外れると食料の確保は困難になり、武器も手に入りにくくなってしまう。そうなると命綱が切れるので……嫌でもある程度は立ち寄らなければならない。


 最終的な理想としては、ある程度の自給自足が確立された農園などを有した簡易要塞を山中にて築く事だが……その野望を達するには物資が圧倒的に足りない。今は、この補給は期待出来ないが移動式という利点を持つ小さな要塞で我慢するとしよう。


 下腹部が軽く張る程に膀胱へと蓄積した排泄物を全てキャンピングカーの上から放出しきった青年は体を小さく震わせた。尿と共に体内から熱が奪われ、それに対する反射である。


 ズボンのジッパーを上げ、青年はキャンピングカーに戻ったが……排泄の必要があるのは生物であるカノンも同じであった。プラスチック製のペットシートを乗せるタイプのトイレに、排泄物が乗せられていた。大型犬なので猫や小型犬に比べるとその量は大きく、始末に少し苦労する。


 用が足されたトイレの隣で、カノンが手間を掛けることを詫びるように耳を伏せて座り込んでいた。必要な事なので気にするような事では無かろうに、この犬は一々賢しすぎる所があるなと青年は常々思う。


 自分の排泄物の始末をするのが青年で、それには手間がかかると分かっているのだろう。青年は、どこか申し訳なさそうに見えるカノンの頭を撫でてやり、気にするなと言った。


 態々車内にトイレを用意して用を足させるのは、何も今更何の役にも立たない公衆衛生観念や、存在すらしない世間の目を気にしている訳では無い。一重に安全の為である。


 外が完全に安全であれば放してやり、その辺でさせるのだが、如何せん死体共が徘徊しているので危険だ。例え全部始末したと思っても、何処に隠れていたのか、ひょっこり現れる事がままある。


 連中は動く物であれば大概何でも襲う。犬でも猫でも鳥でも車でも、生物非生物問わずだ。動きさえすれば同類以外の全てを食べようとして襲いかかるので、カノンを一人歩きをさせる訳にはいかなかった。


 素早い上に、下手をすれば下手な人間よりも賢いのでは無いかと思える彼女だ。そう簡単には補足されはしないだろうが、それでも万一という事もある。態度以上に青年は只一人の道連れを思いやっていた。


 青年がペットシーツを始末しないとなと頭を軽く掻きむしると、雲脂が頭から散った。そういえば、水も貴重だから極限までケチって、濡れたタオルで体を拭く位しかしていないので、それは雲脂も出るだろう。


 恐らく、カノンも自分に負けず劣らず汚れているはずだ。まぁ、犬ともなれば別に入浴は月に一度くらいの頻度でも構わないのだろうが。


 ペットシーツの端を、ペットトイレ付属のトングで挟み、ビニール袋に放り込んだ。後で何処か適当な所に捨ててくれば良い。


 後始末を済ませ、新しいペットシーツを重ねながら、青年はシャワーを久しぶりに浴びようかと考えていた。サービスエリアの売店には、まだまだ水が残っているのでタンクの中身も補充できるだろうと思ったのだ。


 倉庫含めて、全部持ち出すのはやり過ぎだと思う程ミネラルウォーターのペットボトルが残っている。シャワーを浴びた後に、タンクに注げば無駄にはならないだろう。


 「……よし、浴びるか」


 青年は独りごち、排泄物と汚れたシーツを入れたビニール袋片手に、ズボンの腰裏辺りに差し込んでいたニューナンブを抜きはなって表へと出た。


 若干気温が上がったのか、僅かながらではあるが朝靄が晴れつつあった。もう少ししたら完全に晴れて、寒い物の透き通った清々しい風景が戻ってくることだろう。


 ニューナンブのハンマーを上げ、ビニール袋片手に売店へと向かう青年の足取りは、久しぶりのシャワーへの楽しみでか、何とも珍しい事に軽い物であった…………。











 大量の湯気が上がり、心地よい温度の湯が驟雨の如く青年の顔に浴びせられた。湯を含ませたタオルで拭っても、落としきれない垢がお湯でふやけていくのが分かる。


 そして、青年の足下に居たカノンも湯を浴びて、目を閉じながら体を震わせていた。狭い一人用の浴室に湯気の滴が飛び散る。


 一人で浴びる事を前提に作られたシャワーユニットの中は狭く、縦長の空間にシャワーヘッドが壁に掛けられているだけの風景はロッカーを彷彿とさせる。


 流石にロッカーよりは随分広いものの、それでも座り込めば足を伸ばせない程度の広さしか無い空間に、矮躯とはいえ成人男性が一人と大型犬が入り込むと非常に狭い。それでも、一人ずつ入って湯を無駄にはしたくなかった。


 たっぷりと湯を浴び、垢や油をある程度落としてからシャワーを止める。


 そして、青年は自分の頭にシャンプーをまぶして洗うが……泡が全く出ない。溜まった頭皮の油で泡が立たず、汚れを浮かす事くらしか役割を果たせていないのだ。


 泡立たないシャンプーで頭をぬめらせながら、今度は犬用の蚤取りシャンプーを手にとってカノンにふりかけて全身を洗ってやる。


 犬は猫と違って水に抵抗は無く、シャワーも喜んでする生き物だ。カノンは上機嫌で体を洗われ、惜しげも無くかけられたシャンプーのせいで泡の塊のようになって行く。


 真っ白な泡から顔と手が生えている様は、顔が精悍すぎる物の羊のようだった。青年にまるで追いかけられる側のような風情だなと言われ、分かっているのかいないのか、カノンはそれに楽しげに吠えて答えた。


 泡でもこもことしたカノンが足下の狭いスペースをちょろちょろ動くのを感じながら、青年もスポンジで体を洗う。やはり、殆ど泡は出なかった。さっぱりするなら泡を流してからもう一度浴びた方が良いのだが、水は貴重なので我慢する。例え補給出来るアテがあっても、贅沢は敵である。


 体を強くこすり続けると、次第とうっすら体中に纏ったボディーソープの層が白く濁るのが見えた。剥離した角質が、膜を白く汚しているのだ。それにしても擦れば擦るだけでるので、延々と続ければ最後には垢だけが残るのではないかと思える程だ。


 擦りすぎで皮膚が赤くなった頃には、最初のシャワーで暖まったシャワールームも少し冷え始め、もこもこしていたカノンもボリュームが落ちてくる。いい加減痛い位になってきたし、もういいかと思って青年は暖かいシャワーを再び出した。


 暖められた湯が降り注ぎ、泡が汚れ諸共落ちて、下の排水溝から抜けていく。これも排泄物のタンクに行くのであんまり長々浴びると大変だ。直ぐに逆流するという事は無いが、始末が大変なので頻繁に掃除する羽目になるのは簡便願いたいのだ。


 湯を浴びながら体中を擦って汚れと泡を流し、カノンの体もしっかりと洗ってやる。冬なので数はかなり少ないだろうが、少しは蚤もついているだろうし、越冬できる蚤の卵なんかも付いているので、冬場でもシャワーはしてやった方が良い。


 しかし、何時次に水が手に入るかは分からない。次のシャワーは一月後以降になるだろう……。


 完全に泡を洗い流してシャワーを止めると、かなりさっぱりした。垢や油が落ち、皮膚がまるまま一枚べろりと剥がれたかのような爽快感があるし、カノンも濡れて毛が萎れていても清潔感が出てきた。後はドライヤーで髪を乾かそう。


 シャワールームからまず自分だけが出て、足下に敷いて置いたバスマットの上に降り立った。昨期までシャワーが出ていたので暖められていたシャワールームとは対称的に車内は驚くほど寒い。暖房も付けていないから当然なのだが、シャワーとドライヤーで電気を使う予定があるのでガソリンの為にそれは我慢しておきたかった。


 軽く身震いしながら手近に置かれている積み上がった木箱の上からバスタオルを取り上げると、下からオリーヴグリーンの球形手榴弾が覗いた。もしもの為に取りやすいようにしているが、今のところ数えるほどしか使ったことは無い代物だ。


 体の水滴を素早く拭う。水気が無くなるだけで寒さは随分とマシになる筈だ。


 体を丁寧に拭い、水気を切ってから予め用意して置いた着替えを身につける。下着を刷き、シャツのボタンを留め、ズボンに足を通す。まだシャワールームに用があるので靴下は履けない。


 手早く着替えると青年は水気を帯びたバスタオルで頭を拭い、その後で頭に巻き付けた。後は勝手に水気を吸って、乾かしやすくなるまで待つだけだ。


 着替えると、近くに置いてあったドライヤーと新しいバスタオルを手に取り、シャワールームから出さないままにカノンの体を乾かしにかかった。


 たっぷりとした量のある冬毛は、洗ってもなお落ちきらない表皮を保護する為の油で水はけは良く、青年が出た後で存分に体を震わせたのか、そのしなやかな体からは随分と水気が失せていた。


 それでも、しっかりと乾かさないと風を退く恐れがあるので青年は殊更しっかりとカノンの体を乾かした。手櫛で毛並みを整えてやっても指に水気を感じないほどに乾かしてからやっと、カノンはシャワールームを後にすることが許された。


 カノンは犬である。別に今更確認するような事では無いのだが、人間とは違うのだ。


 青年は人間に使える薬のストックはそこそこ持っていたが、犬には市販の風邪薬なんて物は無い。これが、普通であったならば獣医にでも診せてやればいいのだが……動物病院に行っても医者は居ないだろう。


 それに、自分は医者ではないので動物病院で動物用の薬を手に入れても適切な処置は望めまい。自分が学んでいたのは今となっては何の役にも立たない法律である事が、僅かながらに悔やまれた。それでも自分はどうしようも無いほどに文系なのだから、今更悔やんでも仕方が無いのだが。


 カノンの後に自分の頭を乾かし、ふっさふさになったカノンが自分の足下で機嫌良さそうに毛繕いを始めるのを見て、青年も珍しく顔を綻ばせた。ボリュームのある毛並みをした動物が寝そべっている姿を見て幸福を覚えるのは青年だけでは無いだろう。


 散切り頭はドライヤーの働きで早々に乾き、これにて入浴は終了と相成った。一ヶ月分近い垢が一斉に落とされ、心持ちか体そのものが軽くなったような感覚を覚える。長い間風呂に入っていなかったので、その心地よさも一入であろう。


 しかし、一度綺麗になると人間は欲が出てくる物である。次は、脱ぎ捨てた衣服が気になり出した。こちらも、一応毎日着替えて着回しているが、長く洗濯出来ていないというのも事実。


 例え着回して汚れが少なくなるように努力しても、生きている限り汗は搔くし、汚れも蓄積するのだから。


 とはいえ、洗濯機のような便利な物はここに無いし、あったとしても洗うのには大量の水が必要だ。長野のスキー場に近い場所で野営していた時は小川があったので、少しなら洗濯出来たが……危なくて全ては出来なかった。


 ここも山なので探せば小川はあるだろうが、このキャンピングカーで降りて行けそうな所には無いだろうし、洗濯している間は無防備だ。正直、外で長時間体を晒したくは無い。


 結局、こういう場所で生活するのであればあきらめが肝心という事だろう。とはいえ、体は贅沢で、自分の体がさっぱりすると、衣服の汚れが急に不快に感じ始める物。その感覚を無理矢理押さえ込みな

がら、青年はスリングホルスターを装着し、そこにニューナンブをねじ込んだ。


 しかし、ホルスターにニューナンブは小さすぎ、かなり空白が出来ている。もう一丁くらいは簡単に収まりそうな空白だ。


 元々日本の警察は制服警官にスリングホルスターを支給していない。腰のベルトに通して多目的ポーチと一緒に吊していることが殆どだ。


 私服警官であればどうかは分からないが、制服警官は皆腰に黒い革のポーチがぶら下がっていることが分かるだろう。


 背負っているスリングは民生品だった。玩具の銃を使って行う模擬戦、サバイバルゲームの為に作られた模造品であり、本物ではない。本当であればしっかりと合ったサイズの物が欲しかったのだが、これ以外は見つからなかったので我慢して使っている。


 一応、腰にベルトで止める正式採用タイプの物もあるが、ボタン型の蓋がついていたりとどうしても咄嗟に抜きにくいので此方を使っている。走るとすっぽ抜けそうになってひやっとするが、やはり素早く抜けるという事の方が大切だ。特に、今のような時は。


 靴下を履き、しっかりとブーツに足を通してから表に出る。湯を沸かす為につけた発電機を止め、タンクに水を足さないといけない。もうミネラルウォーターの段ボールは運び出したので、後はタンクに注ぐだけだ。


 だが、一応大きな音を立て続けていたので用心して天窓から出て、屋根から一度確認しておく。周囲にまた連中を呼び寄せていないとは限らないのだから。


 梯子を降ろし、静かに天窓から身を乗り出す、暖まっていた体を冷たい山風が撫でていき、皮膚が俄に泡立つのを感じる。風呂上がりの温まった体には吹き下ろしてくる強い風は一際冷たく感じられた。


 周囲に視線を巡らせるが……何も居ない。問題なく、完全にクリア。車の死角に隠れている事も予測して、縁から上半身だけ乗り出して下を確認したが、其方にも死体は一体たりとも居なかった。


 どうやら、昨日の焼却で完全に燃やし尽くしてしまったらしい。手っ取り早く済むわ、貴重な弾は使わなくていいわで本当にに便利な始末方法だ。欠点は臭かったり心底気分が悪くなることだが。


 天窓から車内に降り、安全は確認していても一応は警戒しながら表に出る。やはり、放置された車両以外には昨日焼き払った死体くらいしか見当たらない。


 自分と同じく車外に出て鼻をひくつかせているカノンを引き連れて車体後部へと向かい、発電機のスイッチを切った。ガソリンが残り七割くらいまで減少しているので近い内に補充しなくては。


 水のタンクは車体下部にあり、注入口は入れやすいように側面から少しだけ引き出せるようになっている。注入口を引き出し、その隣の専用スペースに置いてある漏斗を差し込んだ。


 後は、ただひたすらに水のボトルを開封し、満タンになるまで淡々と注ぎ続けるだけである。


 一本1.5リッターのボトルを注ぎきるのにかかる時間は零さないよう慎重に行ったとしても一分も掛からない。それが一箱六本入って三箱、計27リッターであるので、精々半時間ほどの作業だろう。


 一応タンクにはシャワーを浴びても悠々余裕があるほどの容量があるのでこの程度では満杯になり得ないのだが、それでも足さないよりはずっとマシである。次に何時雨が降るか分からないし、水が手に入るとも限らない。


 水の量は殆ど人間の寿命に等しい。これがなければ死ぬのだ、神経質なまでに扱って丁度いい位だろう。


 「さて、やりますか……」


 小さく独り言ると、カノン応えるようにが小さく鳴いた…………。











 夜、日が沈んで明かりは頼りない月の物だけとなると、街頭も建物の明かりも無い駐車場は非常に暗い。肉眼による目視の視界は殆ど無いと言っても良いだろう。正に、一寸先も闇という状況そのものである。


 文明が健全な状態であった頃、人は闇を恐れるように街頭を無闇矢鱈と立てまくり、輝くネオンを掲げて闇を払った。しかし、一度文明の明かりが消え去ったそこには、何かが凝ったような濃密な闇だけが鎮座し、空間を支配していた。


 そんな中、キャンピングカーの中は電気式ランタンの柔らかな明かりで照らし出されていた。人は闇に根源的な恐怖を感じ、光や火には安心を覚える物だ。例えそれが狭苦しい車内を照らすのが精一杯の明かりしか生まなかったとしても、生み出される精神安定は計り知れない。


 そんな淡い明かりの下で、青年は普段と同じくソファーに深く腰を降ろして背を預け、鉄の鉄を磨いていた。


 今日は幸いにも一発たりとも撃っていないが、毎日丁寧に整備しないと思わぬ所で装填不良や排莢不良を起こす可能性があり、一発の弾丸が生死を分ける近接戦闘では文字通り致命傷に繋がる。


 例えどれだけ可能性が低かろうが、命に関わる物は徹底的に潰した方が良い。それは、実際の戦闘の際の危険性を減らすだけではなく、精神面を安定させる意味でも重要である。


 完全に整備された威力の高い武器を持っていれば、戦闘に挑む時に心強いだけでなく、大胆な動きを必要とされてもしっかりと行動出来るであろう。


 しかし、それがオンボロで鉄さびが浮いた、何時暴発するとも知れぬ物であったとしたら……?


 その頼りなさに足がすくみ、動くべき時に臆して動けなくなるという事がきっと出てくるだろう。身につけている物が頼りなければ、精神も不安定になり、精神が不安定になれば体は硬直して動けなくなる物なのだ。


 それ故に、神経質なまでに青年は夜になると武器の手入れをしていた。予備はいくらでもあるが、携行出来るのは一挺だけなのだ、幾ら手間を掛けても損をすると言う事は無い。


 フィールドストリッピングで簡易分解し、汚れと酸化して古くなったオイルを拭い、新しいガンオイルで動作を潤滑にしてやってから再び組み上げる。


 組み合わせるその瞬間や、動作が完全に行われるか動かして確認する度、鉄にオイルが馴染んだ独特の香気が立ち上り、鼻腔を擽った。


 それは、不慣れであれば鼻の奥に執拗に忍び込んでくる生臭いのに鉄の臭いがする不快な物だろうが、慣れてくると不思議と薫り高く思えてくるので不思議である。


 オイルの香りを楽しみながらニューナンブを整備し、シリンダーに目にやった。普段は五発の38スペシャル弾が装填できる穴には、ぽっかりと空白だけが座している。そして、硝子のローテーブルの上にフルムーンクリップで束ねられた五発の弾丸が同じく鎮座していた。


 本来、フルムーンクリップというのは古いリボルバーに使われる素早い再装填の為の器具である。鉄製のそれに弾丸をはめ込み、空薬莢を廃棄したら一纏めにされた弾丸を装填するのだが、ニューナンブの追加装備にはフルムーンクリップという物は正式には存在しない。


 現に五発の弾を束ねている円形の部品は切り出された厚紙で作られている事から、正規品ではない事に間違いは無い。全て、青年の手作りによる物であった。


 ニューナンブは日本国内で最も手に入りやすい拳銃の一種だろう。警察官が携行しているし、警察署にも多数が保管されている。青年も、警察官の死体から失敬した最初の一挺を始めにかなりの数を弾丸含めて確保している。


 だが、基本的に日本の警察はバカバカと弾丸を撃っていい存在では無い。一発目は空砲と言われるような俗説までが生まれる程に発砲に厳しい団体だ、それこそ予備の弾を配備こそすれ、素早くリロードさせるためのクリップなんて物は配られないだろう。


 警察官の死体や車両は目立つので弾が手に入りやすいので青年はニューナンブやM360を愛用しているが、それでもリボルバーの再装填は面倒くさい。時間が掛かりすぎ、押し寄せてくる死体に囓りつく隙を十分過ぎる程に与えてしまう。


 だが、かといって米軍やら自衛隊員の死体はあまり転がっておらず、装填が楽だといっても9mm拳銃やら9mm機関拳銃はあまり多用できない。次にいつ弾が拾えるか分からないからだ。


 なので、青年はニューナンブを使いながらにして再装填の隙をなくす苦肉の策としてフルムーンクリップを自作したのだ。一回使えばへたって駄目になるし、装填してからクリップだけを引き剥がさないと装填不良を起こすが、それでも装填の為の時間は大幅に減る。


 だから、青年は数が不足してくると夜中に銃を整備した後に菓子箱の厚紙などを用いて細々とクリップを作り始める。


 足下で寝そべるカノンの温もりを感じながら、今日の夕飯として食べた美味くも不味くも無い饅頭の空き箱に、原型としているプラスチック板を添えながら鋏で淡々と切り抜いて積み上げていく。


 饅頭の箱が余さず穴だらけの屑になり、前日以前に食べた物の箱も使って百枚近いクリップが作られた。後は、二枚に重ねてテープで留めれば弾丸五発を纏めるフルムーンクリップの完成だ。これだけ作れば、大きな戦闘をやらかして死ぬほど撃ちまくらなければ大丈夫だろう。


 そもそも、使い果たす程の弾丸……二五〇発以上を撃つ必要に追われるような事態には絶対に陥りたくなかった。弾はたんまりとあるが、それでも無駄遣いを出来るほどではないのだ。


 細かい作業を続けて、肩の筋肉が緊張したので青年は大きく腕を回し、首を捻った。固まった筋肉が少しほぐれ、背筋が伸びる時に得も言えぬ快感が走る。


 シャワーも浴び、食事も済ませ、するべき事も済んだ……すると、現金な事に体は睡眠欲の主張を盛んに始める。もたれたソファーが自分より吸って得た熱や、カノンから与えられる温もりが何よりも眠気を助長する。


 明日にはここを発つので、そろそろ寝るか……と思っていると、カノンが不意に頭を上げた。


 もう殆ど習性となっているように、青年はそれを見て、弾が装填されたニューナンブを手に取りハンマーを引き上げた。


 かすかなノッチ音を確認した後で、未練がましく熱を与えてくるソファーから体を引き剥がし、梯子を降ろしてからランタンをフックから外す。


 天窓をくぐり、上に出て周囲を眺める……殆ど視界が一周し始めた頃、小さな影が目の端を掠めた。


 其方を凝視しながらランタンを差し向けると……小さな死体が一つ立っていた。ふらふらと手を此方に差し向けながら向かってくるそれは、藍色のワンピースを着込んだ少女のソレだ。


 どうやら、今まで車の中に取り残されていた一体が、延々とウィンドウを叩き続けた結果として、硝子を突破し這いだしてきたらしい。その証拠に手や腕の肉は損傷が激しく、骨が完全に露出するまでに削げていた。


 かつては愛らしい微笑を浮かべていたであろう顔も、暖かな血潮で朱に染まっていた頬も、今は闇に紛れるような青黒い腐った色へと変貌し、唇が落ちた口からは意味の無い呻きが腐汁と共に延々と垂れ流されている。


 それを見ても、青年は眉一つ歪める事は無い。


 悲劇にはもう飽きていた。人間と慣れる生き物で有り……慣れは、飽きへと転じる。


 その内何もかもに無感動になり、自分の死すらも受け入れるようになるかも知れないなと思いながら、青年は死体の額へとポイントした。


 いや、現にこうやって他人の死や、その死体を破壊することに何の躊躇いも覚えなくなっている時点で、自分はもう手遅れなのかも知れない。


 腕は微動だにせず、照門と照星、そしてターゲットが視線で一直線に結ばれる。そして、距離が一〇メートル程度になった所で、青年はトリガーガードからトリガーへと指を移した。


 そして、ただ単に死体の処理を作業へとしない為……小さく、呟きを零す。


 「良い夜を、お嬢ちゃん」


 夜空に、乾いた小さい銃声が轟き……それ以降、沈黙が破れられる事は無かった…………。

 さてさて、そろそろ本格的な市街地探索を書けそうだ……プロットはできていても、内容までは時間がかかるのでね。如何せん試験も近い物ですし。


 評価ポイントや感想、有り難う御座います。読むと励みになったり、増えているとニヤニヤできて幸せで、書く励みになります。


 それでは、また次回まで暫しお待ち下さい。

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