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青年と女と逡巡

 単純な計算が出来るというより、現代社会を生きていけるだけの知能指数があるのであれば、二よりも五が多いことに疑いはない。


 そして、どう足掻いても数が多い方が強いことも考えないでも分かる。特にそれが、銃口の向け合いであるのであれば。


 「おい、どうすんだアレ、聞いてないぞ」


 「知りませんよ……」


 掠れるような小さな声で一組の男女が言葉を交わし合っていた。水の涸れた田圃に囲まれた地方都市の道路の外れ、放置された一台のバンの影に隠れて彼らは武装を片手に道路の様子をコソコソと伺っていた。


 「何だあのBDU、明らかにカタギじゃない」


 「カタギと言うか何というか……」


 普段から貼り付けたような女の不適な笑みが、今ばかりは歪んでいた。バトルドレスユニフォーム、つまるところの野戦服を着込んだ集団が視線の先に居るからだ。


 二人の位置は乗ってきたキャンピングカーよりも更に奥であり、距離にして二〇m程度の場所。そこからでも分かるほど、警察車両が発する警告音に惹かれてやってきた一団は異質であった。


 緑や茶系統の草木色をドットパターンで複雑に組み合わせた服は、日本の気候に合わせて山野の風景に溶け込む為のデザイン。そして首元までカバーする無骨な襟が特徴の大ぶりなベストは、紛れもなくボディーアーマーを仕込むことによって弾丸から身を守り、携行する装備を固定する防弾ベストだ。


 そして、油断無く構えられるのは殺意を科学技術によって鍛造した現代歩兵の標準装備たる小銃。形式は一目で分かる、89式小銃と64式小銃という自衛隊が正式採用している装備に相違ない。


 「……間違いなく自衛隊でしょう」


 「だよなぁ」


 身に纏う装束、携行する装備、そして乗り付けてきたのはオリーヴドラヴに塗装された小型のトラック、高機動車からして彼らの所属は明らかだ。銃の扱いも手慣れているようで、矢鱈と左右に振り回すようなことは無く、接近する死体にも過つこと無く頭部へと命中させている事から、単に装備を奪っただけのチンピラでもなさそうだった。


 「……どうするかね」


 「どうしましょうか」


 二人は激しい音を立てる警察車両の周囲を探索する自衛隊員を厳しい表情で観察しながら、絞り出すような小声で相談を続けた。


 有事の際となれば自衛隊や警察官は実に頼りになる存在であり、特に現状のような武力が物を言う時には最も寄る辺として信頼できる組織である。


 だが、それには指揮系統が確立しており、完全な統制下において隊員の一人一人が動いている時、との付帯条件が求められる。


 自衛隊員とて人間だ。崇高な志を以て護国の盾にならんとして志願した隊員が殆どであろうが、さにあらぬ者が全く居ないとは限らないのである。そして、今のような統制しうる存在の不在時に、武力を持った慮外者がどういった行動を取るかは、熟慮を要さずとも明白である。


 「ほら、私とかないすばでーだからな……」


 真面目な表情で論点がずれているようでいて正鵠を射ている女の呟きを、青年は敢えて無視することで返答とした。実際、有事に女性が蛮行の被害者になることは多いが、少なくともこの女が大人しく被害者に収まるとは思えないからだ。


 少なくとも“食いちぎる”くらいの事はやってのけようと青年は考えている。何を、とは言わないが。


 また、彼らが何らかの統制下に動いているとしても問題があった。今の彼らに従うことが益になるかどうかが問題だからだ。


 確かに強力な装備の庇護下に入れるのは魅力的であるが、自由を奪われるのは困る所でもある。特に彼らが敷く防備が強固なものであるか分からない時は。中途半端な庇護の下に拘束され、いざ危急の時が来たと思えば無数の死体に抗しきれずに敗北、などとなれば笑い話にもならない。


 二人は自衛隊が動く死体に敗北することはない、と大学の屋上で考えていたが、今は状況が違う。その思索は装備も補給も万全な自衛隊が本腰を入れて反抗する、との前提の下に成されており、今や社会機能が死んだ状態で彼らが万全な体勢を維持できているとは到底思えないからである。


 確かに小銃は遠隔から死体を一方的に破壊できるので圧倒的に有利ではあるが、今では市井に溢れる死体が群れを構成し、定点に居る人間に襲いかかる時は自然と隊伍を組んで押し寄せることとなる。


 そうなれば、どれだけの銃口が同時に銃火を浴びせられるかが重要になるのだ。少人数の生き残りが場合わせ的に救助活動をしているのであれば、瞬間火力が足りずに防衛戦は容易く崩壊することだろう。擲弾があれば少しは善戦するやもしれないが、勝利はあり得まい。


 何せ大阪府の人口は九〇〇万近く、そして近畿二府四県を合わせれば二〇〇〇万を越える。国家機能が喪失するだけの死人が出ているのだから、死体の数はひたすらに多い。高々分隊や小隊でどうこう出来る数では無いのだ。


 あの五人の部隊が未だに指揮系統を保ち、自衛隊としての目的を忘れていない特科付きの戦車大隊であるならば、これ幸いと早々に姿を現し助けを求める所であるのだが。


 「どうしたもんだかね……」


 「それより、もう少し寄るか、逆側のタイヤに行ってくださいよ。タイヤから足がはみ出ると向こうから見えちゃいます」


 「ああ、すまん」


 相談している間に警察車両の警報器が止んだ。時間が来れば勝手に止まるようになっていたのか、それとも彼らが止めたのかは分からないが、死体が寄ってくるのも少しは落ち着くことであろうか。


 今まで騒がしく鳴り響いていた警報が止んだ途端、路上から音が消え去った。耳に酷く突き刺さる電子音が消えた反動か、まるで世界が死んだかのような静けさだ。耳を打つ音は、風の小さな囁きとブーツが路面とこすれる微かな音だけである。もう、小声で相談することも出来ないだろう。


 呼吸の音すら大きく木霊しそうな錯覚を覚える中、二人は結論を出すことが出来ずに息を殺す。結論を出そうにも、あの自衛隊員を見て居るだけでは彼らの体勢など推測できないのだから当然ではあるやもしれないが。


 ただ、高機動車に軽機関銃を据え付けて火力を向上させていたり、五人が全員小銃を装備し、使用をためらわない程度に弾丸がある事から、逃げ散った分隊でないことだけは確かなのだろう。


 「……誰も居ませんね、三尉」


 若い声が聞こえた。自衛隊員の一人だろう。


 「やはり、ゾンビが触れて鳴っただけなのでは? 哨戒に戻った方が良いかと思いますが」


 二人目の声。哨戒という単語を聞き取り、二人が顔を見合わせた。哨戒任務に当たる部隊が態々彷徨いている事が、防備の整った拠点の存在を臭わせる。


 「馬鹿か、この車両を見ろ、明らかに人間が窓を割った後がある。ゾンビが態々怪我しないように残ったガラスを散らすか?」


 次いで聞こえてきた三人目の声も、また若い声質をしていた。彼の言葉を聞き、女は音を立てないよう堪える必要があったので、零れかけた舌打ちを内心でするに止めた。


 女は警察車両を漁る前に、バールで割った窓の縁をなぎ払い、突き立つように残ったガラスを全て払っていたのだ。こうすれば、ロックを解除する為に手を中に突っ込んでもガラスで怪我を擦る心配が無くなる。


 しかし、それは明らかな人の痕跡となる。今回は、目敏く見つけられてしまった訳だ。これで彼らが用心深ければ、周囲を探索されて隠れてやり過ごすことは難しくなるだろう。


 連れて行かれるのは良いとしても、やはり中途半端な庇護下に置かれるのは拙い。下手に群れる方が生存率が下がりそうな状態なのだ。関係を持つ集団は細心の注意をはらって決めねばならぬ。


 一か八かで相手が大集団であることに賭ける、というのは憚られる。選択が過ちであった時の対処が面倒になる。本当に少人数で警戒も緩いのなら、自分達の物資毎逃げ去ることは出来るかも知れないが、哨戒の偵察分隊を送り出すだけの余力があるのであれば、その可能性は限りなく低かろう。


 となれば、離脱時に流血は避けられないことと成り、戦力の多寡によれば、自分達は流した血を自らの血を以てして贖う嵌めになるであろう。それだけは、何としても避けねばならない。


 「……三尉、あの車、何か変じゃないですか」


 二番目に聞こえた声の主が上げる疑問に反応し、二人の柳眉が阪だった。手近な所に止めてあったキャンピングカーを彼が指出していたからだ。


 海外製のキャビンと運転席が一体化したキャンピングカーは日本の田舎道では酷く目立つ。哨戒任務でこの辺りを彷徨いた事があるというのなら、道の真ん中にぽつんと止まっていれば嫌でも覚えているだろうから、突然現れた車に疑問を呈するのは当然のことだ。


 靴底が地面とすれる音は、彼らが示された方向に体を向けた証拠。哨戒任務であるのなら、明らかな異変に目を向けないはずはなかろう。


 あの中には物資が多少なりとも積んであり、今の二人の生命線だ。哨戒任務中に物資を見つけて、これ幸いと持って行かれるのは困る。


 どうした物かと女が顎に手を添え、煙草の煙を恋しがって唇を舐めた時……青年が体を起こし、遮蔽物としていた車から身を乗り出してクロスボウを構えた。


 「っ!?」


 彼女の喉がせり上がり、上ずった悲鳴のなり損ないが口から漏れる。短慮を起こすのは自分で、それを窘めるのが貴様の仕事だろう!? と考え青年の軽挙を止めようと手を伸ばすも、それぞれ車の両端にあるタイヤに足を隠すべく身を潜めていたので手は空しく空を切った。


 空回った手がアスファルトについた時、引き金が絞られ張り詰めた弦が解放された。そして、運動エネルギーを与えられた矢は数分前と同じく忠実に物理運動の導きを受けて飛翔。青年がターゲットサイトの中央に収めた標的を穿った。


 矢は、痩せた首を貫いていた。そして、運動エネルギーを伝達し体を放置車両に縫い止める。つい先刻破壊した死体と同じように。


 肉が合板に叩き付けられる大きな音。金属が撓み、独特の音が反響する。そして、打音に反応して振り向いた男達が目にしたのは……最後尾を行く隊員の直近で、貼り付けにされた一体の死体であった。


 女の位置からは見えなかったが、青年は車の影に隠れて車道の外から至近距離までフラフラ近寄ってきていた死体の存在を察知していたのだ。


 ともすれば、この死体が襲いかかって生じる混乱に乗じて五人を始末できないか、と青年は一瞬考えた。だが、少なくとも今まで生き残っている以上、例え誰かがやられた所で大した混乱はしないだろう。故に、無傷で五人を斃しきれる可能性は極めて低かった。


 現状では無傷で勝てない敵と敵対するべきではない。医療が不足している今、負傷は死に直結する。リスクは可能な限り避けて通らねばならないのだ。


 であるならば、せめて恩を売って今後のやりとりを少しでも優位に運べるようにした方が良い。それに、どのみち何時までも隠れている訳にも行かないのだ。死体が近寄ってきているのは、自分達にとっても同じ事なのだから。


 「誰だっ!?」


 「出てこい!!」


 クロスボウの射撃と死体の破壊に自衛隊員達が驚いていたのは、ほんの数秒だけのことで、直ぐに彼らの精神は警戒から戦う状態へと切り替わる。クロスボウの発射位置を探して右往左往することも無く、矢の角度から大凡の位置を察知し、既に青年達が隠れている車へと筒先を向けていた。


 女が顔を歪めてため息を溢すが、青年は素知らぬ顔でクロスボウを再装填している。それから、ちらっと見やってさっさと行けとばかりに顎をしゃくるのだ。


 彼女は大きなため息を溢しながら、額に手をやった。確かに、仏頂面で死人みたいな面した男が出て行くよりかは幾らか印象も良いだろうし、口は女の方が数段上手い。とくれば、当たり前のようにも思える役割配分だが、もう少し配慮できないものか。


 自分から銃口に身を晒すのは、ぞっとするような行為であるが、それも致し方ない。沈黙を敵対と取るような気が短い連中だったら困る。早く、手を打たなければ。


 「あー……敵対する意志はない。出来れば銃口を下げて貰えると有り難いんだが?」


 女? と声を聞いた自衛隊員の幾人かが無意識に反応していた。だが、二人ほどは油断せずに銃口を向け続けている。女相手だからといって警戒を解くつもりは無いらしい。


 「今から出て行くから、撃たないでくれよ?」


 両手を挙げ、掌が見えるようにしつつ女はゆっくりと車の影から体を出した。バールは置いてきたので、丸腰である。


 「こんにちは。良い天気だな?」


 挨拶は人間関係の基本、というが、場所と状況を選ぶべきだ。場合によっては相手を煽っているようにしか聞こえない。危惧したように短気な相手であったなら、もう今頃は罵声が聞こえるか一発叩き込まれていることだろう。


 「……ここで何をしていた?」


 油断無く銃を構える男。階級章を見るに、この男が三尉と呼ばれていた人物だろう。旧軍風に言えば少尉殿、偵察隊を預かるには十分過ぎる階級にある人間だ。


 「まぁ、生き残る為に色々と、な……。あのキャンピングカーで移動しながら生活している」


 どうしたものやら、と考えつつも女は視線をやることでキャンピングカーを指して言った。暗にお前達が興味を持った物の持ち主だよ、との名乗りを込めて。


 寄せられていた眉根が更に寄る。ただ隠れていただけでなく、此方を伺っていた、と言われたからだ。監視されていて、穏やかな気分になれる人間など居まい。得に、世界が驚嘆場と化してしまった今では。


 「……何故隠れていた?」


 「いや、何……自衛隊に良い思い入れが無くてね。此処に来る前に略奪している連中を見つけたし、一旦襲われた事もある……死にたくないんだから、警戒して当然だろう?」


 スラスラと自然にしゃべっているが、全て口から出任せだ。単にお前達が使えるかどうか測りかねていた、等と堂々言える訳も無いのだから。


 「……どうします? 三尉」


 悪びれも無く、そして言いよどむ様子も無い女の言葉は嘘を感じさせなかったらしい。話を聞いた他の隊員が、少し居心地悪そうにしていることが良い証拠だ。


 今のうちにたたみかけるか、と女は更に口を動かし続ける。


 「別に迷惑を掛けるつもりは無い、ほら、命を助けるくらいだぞ? まぁ、助けたのは私の相方だが……」


 「やはり、まだ隠れていたか。ゾンビを撃った奴だな」


 動く死体をゾンビとそのまま称するか、安直な奴らだな、と隠れている青年は部外者のように勝手なことを考えていた。今の自分の仕事は動くことでは無く、黙っていることだからと言うのもあるが。


 「彼奴は私より疑り深いんだ、許してやってくれ、アレでいて酷い目に遭ってる。馬乗りで殴られたりな」


 殴られたりした所までは事実だが、相手は言うまでもなく自衛隊とは何の関係無い。だが、事実を継ぎ接ぎして作る嘘が吐く側にとってもやりやすく、吐かれる側にも気付かれにくいのだ。


 「本当に敵対するつもりは無いんだ……まぁ、何だ、その……見逃してくれないかね?」


 にこりと髀肉をつり上げ、自分に出来る一番良い笑みを浮かべる女。しかし、銃口が下げられることは無かった…………。








 ゴトゴトと暫く車に揺られ、たどり着いた先は小学校であった。


 「おやおや、割と立派じゃないか、なぁ」


 促されるままにキャンピングカーから降り、完全に武装解除が為された女が、同じく丸腰になった青年に言った。


 「……そうですね」


 あれから、結局二人は武装解除を求められ、同行するように言われた。生きている民間人を発見した場合、保護――この場合、かなり広範な意味と手段を持っている――するのも仕事の一つであったらしい。


 どうにかほっといてくれないかな、とグチグチとキャンピングカーの運転を代わってというより、無理矢理やった陸曹の男に到着するまで話したが馬の耳に何とやら。最終的に、抵抗虚しく避難所まで引っ張ってこられてしまった訳だ。


 だが、地獄に仏ということわざがあるように、世の中捨てた物でも無かったらしい。連行、もとい保護された小学校は地方都市の物にしては少々大きく、グラウンドには戦闘車両やトラックの姿が多く見られたからだ。


 流石に戦車は無いが、30mmの主砲を備えるIFV、歩兵戦闘車両まで停まっている上、車を乗り入れた通用門には周囲の家やらをたたき壊して作ったであろう三重のバリケードに重機関銃座まで据えてあるのだ。防備は非情に堅く、全周を壁で囲まれた小学校は正しく要塞の体を為している。


 「普通科連隊とまでは行かないが、二個中隊くらいの規模か? なぁ、陸曹さん」


 到着するまで延々女に話しかけられていた陸曹は、ウンザリしたようにヘルメットを取って短く刈り込んだ頭を掻き毟った。


 「民間人には、そういった事は話せないんですよ……」


 「つれないな。引っ張ってきたんだから、それくらい話してくれてもよかろうに」


 因みに、キャンピングカーに乗り込んできたのは運転するための一人だけだが、動き出した後で抵抗しなかったのは、高機動車に据え付けられた軽機関銃が怖かったからだ。あんな物が火を吹いたなら、民生品のキャンピングカーは瞬く間に穴あきチーズへと姿を変える。見逃してくれなかった時点で、二人にはついていくことしか選択肢がなかったのである。


 「ケチで言ってるんじゃなくて、規則なんで我慢してください」


 「護ってくれる人数が分かれば、それだけ安心できるんだがなぁ……」


 「百人以上いる、安心しろ」


 声と共に、ばさりと紙の束が女に押しつけられた。それには避難生活のしおり、と掻かれているが、如何にも急造品ですという雰囲気が漂っていた。


 「車は有事だから、申し訳ないが預からせて貰う……まぁ、返すには事態が収拾した後に、所有している証明をしなければならないが」


 「おいおい、私物もあの中にはあるんだが、それはどうするんだ」


 「後で問題ない物は全て届けさせる。詳しいことはしおりを読め。行くぞ」


 言うべき事だけを一方的に言い、二人を連行した偵察隊の三尉は校舎へと去って行った。あの中に指揮所でもあるのだろう。


 女は、彼の背中を眇に見やりながら、長い髪をかき乱す。


 「好き勝手やってくれる……」


 「……あのまま放置した方が良かったですかね?」


 あのまま、というのは死体に近づかれていた一人を助けず見殺しにすれば、という意味だろう。だが、女は青年の頭を撫でながら言った。


 「どうせ、一人やられた所で探索だけはするだろうさ。被害まで出した上で、慌てて帰って妖しい物を調べず戻ってきました、では格好がつかんだろうからな……いてっ」


 慰めるように動いていた手を青年ははじき、ついでにしおりもかっさらっていく。ここに放り出されたまま、どうしろというのだという話なのだし。


 「……生活はテントと教室、体育館でしてるみたいですね」


 「校庭キャンプ思い出すな。お前の地元ではあったか?」


 何です、それ? え、知らない? と下らない会話を挟みつつ、しおりがまくられる。二人は顔を寄せ合い、一冊のしおりにざっと目を通した。


 ただ、しおりには大したことは書いてない。自衛隊の設備があるので校舎内を濫りにあるか無いこととか、屋上は立ち入り禁止。自衛隊が持ち込んだシートハウスやテントには生活できるよう割り当てがあるらしく、避難誘導所に行けば入れてくれるそうな。


 それ以外に、一週間に一回風呂があるとか、トイレの場所などの生活の注意も書いてあるのだが、目立つのはデカデカと書かれた武器の携行禁止、という注意書きである。


 「……分からんでも無いが、えらく不安になるぞ、これ」


 「ですよね」


 一月近く、死体や物取りを警戒して寸鉄を帯びて彷徨いていた二人である。丸腰で安心して寝ろと言われても、かなり抵抗があった。例え防備が堅牢で防衛人員が多そうでも、はいそうですか、と言えないのが臆病な人間である。


 「というか、あれか、私のエアライフルやクロスボウは没収か? もしかして」


 「おそらくは……」


 勘弁してくれ、と女は顔に手をやりながら、大仰な仕草で天を仰いだ。此方は車と違って家に帰れば証明書もあるが、そもそも家になど帰れるのか? という疑問がある。


 現状からして、永劫に返せない、と言われているに等しい気がした。それこそ、大阪がどうしようもない位に燃え、死体がそこらで溢れかえっている光景を二人は飽きるほど見て来た。今更自衛隊が完全に体勢を整えて死体を駆除してくれる、などと楽観的な考えはしていない。


 「まぁ、ここが本当に安泰なら何てことはないんだがな……」


 「でも、人は多いし武器もあるようですから、早々押しつぶされることはないんじゃ?」


 二人としても、完全に安心できる場所であれば普通に暮らすことに異存は無い。利己主義が人間の姿を取ったような生き物だ、生きていけるのであれば文句は無い。その身に歪んだ何かを抱えていようと、第一の目的は生存なのだから。


 「……結局、今決められることは無いか」


 「様子見するしかなさそうですね」


 「やれやれ、何か日々の労働もあるみたいだし、その中で実情も見えてくるだろ。拙そうなら……」


 女は言葉をそれ以上続けずにしおりを閉じた。校庭の隅っこで下ろされ、テントを眺めていたので周囲に人は居ないが、何処かで聞かれていないとも限らないので物騒なことは早々言えない。


 それこそ、火を放ってでも隙を作り逃げ出すか、などという危険思想の発露は以ての外だ。それでも、青年は女の考えをある程度察していたようで、問いかけるような愚を犯すことはしなかった。


 「とりあえず、住処をもらいに行くか……一緒に行動が出来た方が良いよな?」


 「安全策をとるのであれば、それは確かにそうですが……」


 彼は答えながら、避難誘導所という紙が貼られている天幕に目をやった。運動会などでよく使われそうな風情であるが、色がオリーヴドラヴなので自衛隊の物だろう。ああいった物まできちんとある辺り、かなり物資は充足しているように思えるが。


 そう推測を巡らせていた青年の首へ、腕が俄に巻き付けられた。まるで蛇が獲物を拘束するように伸ばされた腕の持ち主は、言うまでも無く女だ。彼女は強引に慎重さがある青年の首を絡め取り、身をかがめて耳に口を寄せる。見ようによっては、強引に愛を囁いているかのようであった。


 「お前と私は婚約者ってことにしとけ、いいな?」


 「はぁ……?」


 訝る青年に、女はしおりを開き、一つの文章を指先でなぞって見せた。そこには、婚姻関係にある男女にはテントなどの配慮を行います、との文章が書き付けられている。


 「……なるほど、了解しました」


 「そういうことだ、忘れるな? まぁ、別に実際にどうこうする訳じゃ無い、気負う必要は無いぞ?」


 いやまぁ、どうしてもというのなら考えてやらんでもないが? と悪戯っぽく笑ってしなを作る女の腰に、青年は蹴りを一発叩き込んだ。


 嫌味な程に晴れ渡った空に、尻を張る快音と間抜けな悲鳴が響き、次の瞬間には罵声と殴り合いの音が産まれていた…………。








 寝床から寒さに震えながら体を起こした青年は、また今更な夢をみたな、と頭を掻き毟った。そして、可能ならあの頃の自分に進言し、さっさと火を放つなりしてケツをまくれ、と言ってやりたい気分に駆られる。


 ただ、それはもう考えても仕方が無いことだ。結局、そうはならなかったのだから。例え、そうしていたなら、喧しい道連れが未だに居たかも知れないと考えようとも。


 主が起きだした事に反応し、カノンも身じろぎして体をもたげた。そして、億劫そうに欠伸を溢した後で目線を合わせながら、その毛布のようにボリューム溢れる体を主へと寄り添わせた。


 「……そうだな、お前とも会えたし、まぁ悪くないか」


 青と金の瞳を見つめ返し、青年は小さく笑って彼女の頭を撫でる。強めに撫でられるのが気持ちが良いのか、カノンはされるがままにするのではなく、もっとしてくれとばかりに頭をこすりつけて応える。


 そうやって暫し主従の絆を確かめ合っていたのだが……ふと、目が覚めたにしては暗くないか? と青年は首を傾げた。


 暗くて壁の時計が見えないので、今も律儀に時計代わりに使っている携帯を引っ張り出す。見た夢のせいか、かつての道連れにこの携帯を頑なに使うのは宗教か何かか? とからかわれたことを思い出した。


 思い出はさておくとして、携帯を開いてバックライトに映る時間を見て青年は首を傾げた。もう午前の七時になっているのだ。


 確かに冬場は日が昇るのは遅いが、だとしても遅すぎる。雲がかかっていたり雨が降っていても、もう少し明るくて良いはずだ。


 不思議に思って立ち上がった青年は、異様に寒いことに気がついた。今までもかなり寒かったし、寝起きで体温が低いこともあるが、ちょっと異常である。慌ててストーブに火を入れて、震える体に熱を与えた。


 そうして、体が動く状態になるのを待ってから、断熱の為に何枚にも重ねた遮光カーテンを開け放つ。


 「な……なんだ、これは」


 すると、そこには闇があった。いや、窓の上部からはうっすらと光が差している。そう、庭に面した大窓の過半が雪に埋もれていたのだ。


 これによって光が部屋に入ってくる料が落ち、分厚い遮光カーテンで更に減衰して届かなくなっていたのである。


 雪が降るところなら、大雪で窓が埋もれることは間々あるらしい。青年もインターネットで二階まで雪が積もるので冬場は脱出がきつい、という書き込みを見て知っていたが……よもや、自分の目で彼の惨状を確かめようとは露程も思っていなかった。


 「……どうしろというのだ」


 半ば呆然と呟く青年の指先を心配するかのようにカノンが舐めた…………。

 今回もまた大分お待たせして申し訳ない。何やかやで忙しくて……とりあえず、そろそろ終わらせることができそうで安心しています。


 次は、もうちょっと早くできたらいいんですが……後、そろそろ溜まった感想にお答えしたり、改訂したのを纏めてあげられたら一番良いんですけれども、如何せん時間がねぇ……


 Twitter見てたら、あれ、こいつ余裕じゃね? とか思うかも知れませんが、割と切羽詰まったこともあって大変です。新歓の時期でもありますしね。色々片付いたら、楽になるんですが……

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