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青年と犬と帰郷

 幽玄、という概念がある。朧気でハッキリせず、あるかないかの境目が曖昧な状態を指し、その様を風流や雅とする文化だ。侘び寂びに通ずる大和民族特有の感性で、これをふんだんに取り入れたのが和室である。


 日光に長く晒されたせいで微かに黄ばんだ障子紙を通し、八畳の和室に陽光が差し込んでくる。日の出を迎え、山の稜線を越えた太陽が注ぐ光だ。


 鮮烈な朝の光は寝入る者の目を焼き、目覚めを促すが、障子に侵入を防がれ、光の強さは弱まって曖昧に呆けた光線となる。


 けぶるような明かりによって作り出される、何処かもの悲しい雰囲気を日本人は愛した。しかし、死体が人を喰らう狂った世界を這いずる青年には、これと言って関わりのない感性だ。微弱な光であれど、それが顔に当たるのであれば、彼の脳は覚醒する。


 ゆるりと目が見開かれた。窓側に向かって横向きに寝転がり、毛布を二枚重ねた上から掛け布団まで被って寒さに反抗していた青年だが、朝の訪れには敏感だ。


 茫洋と眠りの縁にあった思考を引き摺り出す。目を擦って覚醒を促し、強引に体を動かして蟠った血流の流れを正常に戻しつつ固まった筋肉を解すことによって次の行動を促す。


 目覚めた彼は、ふと広々とした蒲団の中で寝ていたにも関わらず、脚を抱えるようにして寝ていた事に気付く。膝を抱える胎児のようなポーズは、普段の狭苦しくて寝返りにも苦労する、今は遠いキャンピングカーのベッドでの体勢だ。


 寒さ対策にカノンを乗せると、キャビンの小さなベッドでは脚を伸ばせなくなる。脚の上に載せれば、脚を伸ばしたまま眠る事はできるが、その場合は朝起きてから鬱血と痺れで地獄を見る事になるだろう。猫程度の重量であれば問題ないが、大型犬が一晩脚に乗り続けたなら、脚の健康は保障できない。


 狭い所で寝入ることが常であり、最早体に染みついた癖となっている。これだけ広々とした、二人でも然程窮屈でなさそうな蒲団で横になっているにも関わらず、限界まで体を屈めるのが良い証拠だ。


 何とも侘びしい気分になりながら、青年は二度寝に誘う暖かな寝床から抜け出した。


 蒲団の住人が蠢いたのに反応し、寝床の足下で寝入る獣も目を覚ます。堂々たる体躯に黒銀の毛並みも見事な雌犬は、青と金の瞳から瞼を取り去った。


 筋肉と毛皮で頑丈に被甲された肉体がうねり、蒲団に抜け毛を残しながら四肢を突っ張らせ立ち上がる。和室の蒲団の上で、大型のシベリアンハスキーが欠伸している姿は、何ともミスマッチでシュールに感ぜられる。


 青年が屈んで寝るのが常と化しているように、カノンにとっても青年と寝るのが常のこと。どのような環境であれ、近くに居ないと、お互い落ち着かないのだろう。


 それに、カノンが居るからこそ青年も堂々と寝入ることができる。ここは空気が澄んでいるから、彼女の鼻は鋭敏に働く。死体が発する腐臭が近づけば、直ぐに報せてくれる。警報があるからこそ、安心して体を休ませられるのだ。


 痛みに目が覚めたら首筋を囓られていた、だなんて笑い話にもならない。カノンにとって青年が居なくては困るように、青年にとってもカノンは自分の次に重要なファクターであった。


 「おはよう、カノン」


 銃を握り、生活で酷使された為に皮膚が分厚くなった手が頭を撫でる。カノンは、機嫌良さそうに頭を擦り付けて目覚めの挨拶とした。


 見慣れぬ和室の風景を認め、青年は自分の状況を思い出す。ここに滞在して既に二日、休息というには十分過ぎる時を過ごしていた。


 家の中を探索してからは、暫く使えそうな物を集めて大人しくしていた。目的はキャンピングカーの付近に集まった死体を散らすことであり、物資探索に来たのでは無いから大人しくしていれば良いのだ。


 部屋を漁り、久しぶりにのんびりと本を読み、緑茶を啜って無聊を慰める穏やかな日々。研ぎ澄まされた刃のような緊張感が、ぬるま湯に浸かって寂びていくような時間。死体が近づくことは無く、物語の空想に浸って自己を限り無く希薄にできる時間は、何よりも得がたいものだった。


 水も潤沢にあり、排水だけなら気にする必要は無い風呂場まであるので、風呂とまでは行かないが湯を張った盥で体まで毎日洗った。現状で思いつく限りの贅沢をして、二日間を浪費したものだ。


 今まで我慢していた事を堂々と出来る時間は何よりも心地よいものだ。何時までも此処に居たいという衝動に駆られてしまうほどに。


 されど、青年の冷静な部分はぬるま湯の中でもきちんと働いていた。油断すること無く、合間合間に近辺の探索も済ませていたのだ。


 周囲に広がる雑木林には、少しだが食べられそうな野草も見受けられたし、鳥なども多く飛来することを認めた。危険な獣もおらず、木も切り倒しさえ出来れば、建材には困らぬほど生えている。正しく理想的な環境だ。


 そして、あるものも見つかった。


 青年は、こんな険しい階段を日常的に昇降するのは厳しいだろうから、家の更に裏手に車で降りられるような私道でもあるのではないかと思って方々を散策していたのだが、その最中にある物と遭遇したのだ。


 目的としていた私道では無い。林の中、枯葉に覆われて寂しげに横たわる白骨死体であった。獣に貪られ、虫に漁られ、鳥に啄まれた末に骨を晒した骸は無惨そのもので、原型は最早留めていなかった。特徴的な頭蓋と肋が無ければ、それが人の者であったと判断できないほど亡骸は食い散らかされていた。


 獣が喰った形跡として骨にこびり付いた筋があったので、これは動く死体と化した後に果てた死体ではないようだ。獣は危険に敏感で、動く死体には“良くない何か”があることが分かるらしい。だから、彼等は動く死体は食べないのだ。


 つまり、獣や鳥が死体を食んだということは、その死体が清浄であったことを意味する。そして、亡骸の首は少し離れた所に転がっており、更に風雨に晒され、酸化して元の輝きも伺えなくなった刀が側に残されていた。


 小ぶりな脇差しは風化が激しく、装飾も刃も痛んで錆びだらけであったが、数打ちの量産品ではない立派な物だったことは分かる。状況から察するに、正しい用途で使用されたのだろう。


 脇差しの役割、その主たるものは首を取ること。この亡骸は、自らの首を自らで落とし、己の始末としたのだ。


 最早想像する以外に、この亡骸が何者であったかを知る術は無いが、恐らくは彼の神社で最後に生き残った人物。混乱の末に家族を葬り、自ら歩く死者となり比良坂を逆行することを拒んで首を飛ばし、果てた。そんな所だろうか。


 自分の首に刃を向ける、という不自然な動作で首をはねきった事から、相当の使い手であった事は容易に想像出来る。刀など廃れて久しい平成の世で、そこまでの力量に達した武人にしては、剰りに無残な散り様であった。


 青年は特に感慨もなく、骨を捨て置くこととした。気になっていたのは、自分外の誰ぞが生き残り、あの屋敷を今も見張っているのでは、という懸念だけだったのだ。今更、死した人間の残骸になど、何の興味も抱きようが無い。地平を埋め尽くす死体が跋扈しているというのに、一体どうして一つの遺骸に特別な感情を抱きえようか。


 何れは、この骨も風化して尽きる。自然の中で死んだなら、自然に任せるのが普通だ。


 興味を失った青年は骨を捨て置き、私道の探索に戻ったのだが、それからどれだけ探し回っても道を見つけることは適わなかった。


 つまり、ここまで来る方法は、あの気が遠くなるほど長い階段だけだというのだ。自らの足を以て、あの険しい道を上りゆく他に術は無いらしい。


 ここの者は歩けなくなったらならば家の中で死ね、とでも言うような家であったのだろうか。少なくとも、足が萎えかけた老人では外出は不可能になる環境だ。足腰がはっきりした青年であれど、日に何度も往復するのは考えたくない事態であった。


 それでも、流石に生活に不便だからであろうか、階段の下に広がる広大な平地の奥にガレージを見つけることは出来た。


 半ば林に埋もれるように佇むガレージの鍵は開け放されており、吹き込んだ落葉で中は荒れ放題のまま捨て置かれている。


 殺風景なガレージに取り残されているのは、かつては住民達から重宝されていた移動手段達だ。軽トラックが一台に大きなバンが一台と原付が都合三台。一人一人に脚が無いと田舎では死活問題だと聞いたので、複数あるとは思っていたが、想像以上の多さであった。


 二度と現れぬ持ち主を一途に待ち続ける鋼の獣達に、何の偶然か咆哮を上げる機会が与えられた。このまま朽ちる時まで枯葉にまみれる運命から救い出された獣は、長いブランクがあるにも関わらず好調に稼働してみせる。


 バッテリーが上がって駄目になっているかと思ったが、トラックも原付も、全て正常に稼働した。ガソリンも満タンとはいかないが、それなりの量が残されている。


 鍵も屋敷の居間に分かりやすく保管されていたので、青年としては怖いくらいであった。まるで、何かにお膳立てされたかのように都合の良い条件が重なるのだから。


 この屋敷は、もしかしたら本当にマヨヒガだったのではなかろうか、と柄にも無く考えてしまうほどに。


 とはいえ、漸う考えれば至極当たり前のことでもある。物事はゲームとは違うのだ。毎日使うような鍵を、後生大事に別の鍵で施錠する棚に保管するような事があり得ようか。


 探索も終え、鋭気は十分過ぎるほど養われた。次に来た時の備えも終え、最早やり残したことは何処にも無い。後は、マヨヒガから椀を無事に持ち帰るだけだ。


 拝殿で眠った夜も含めて三日が過ぎている。当初想定していた、キャンピングカーを囲んでいた死体が散るのに必要な時間は、もう満ちた筈だ。


 光を遮る障子を勢いよく開き、朝の光を睨め付けながら、青年は決意と共に口を開いた。


 「そろそろ征くか」


 雌伏の時は終わりを告げる。どれだけ心地よかろうが、何時までも寝床に引きこもっては居られない。生きるのであれば、外に出て戦わねばならないのだから。


 ここ二日ほど腑抜けていた主の雰囲気が変わるのを、従僕は敏感に察知していた。毛が総毛立ち、身体を震わせる。愛玩動物に身を窶せども、獣が失わなかった衝動が毛皮の下で筋肉と共にうねり出す。


 いや、元より彼女は愛玩の種族では無いのだ。橇を引き、主と共に狩りをする獣である。飼い慣らされようとも、獣は遺伝子に刻まれた本分を忘れることは無いのだ。


 闘争の時が来る。自らの手と銃弾によって血路を開き、生をもぎ取るための戦いが。


 上る朝日の赤は、まるで酸素を多く含んだ動脈血の赤のように鮮烈であった……。











 金属が噛み合う音が響き渡る。槓桿を引いて解放した薬室に、9mm口径に凝縮された殺意が送り込まれる音だ。


 階段の麓にあるガレージにて、青年は一台の単車を前に武装を整えていた。普段通りのシャツとスラックスの上に、屋敷で見つけた黒いオーバーコートを羽織っており、手には単車用の分厚いグローブを嵌めている。


 コートは総カシミアの分厚いもので、走行時に吹き付ける風から身体を守るだけでは無く、分厚く頑丈な繊維が僅かなりとも屍の歯を拒む装甲にもなる。彼等の膂力は凄まじいので、耐えても数秒であろうが、それでも腕をもぎ取られる前に頭を銃で吹き飛ばす程度の時間は稼いでくれる。この時期では、実に有用な防護装備となるのだ。


 そして、操作性を高めるため、手の甲に防護板を有するグローブの指先は親指と人差し指、そして中指で切り落とされている。マガジンリリースボタンを押しやすくしたり、マガジンの弾が尽きた時に装填し易くするための措置である。


 羽織ったコートの下には、しっかりとタクティカルベストが着込まれていた。マガジンポーチにはフル装填のMP5に対応したマガジンが飲み込まれており、既に銃弾をばらまく準備を終えている。


 銃把を固く握る右手には、黒光りする鋼が鈍い光を放ち、その身に宿した暴威を示す。最早手の延長にも等しい、使い込まれたMP5の先端には、普段存在している減音機は見当たらない。今回の作戦には不要であるから、取り外されてバックパックの中に放り込まれているのだ。


 指でセレクターを弾いて操作し、発射不能状態へと移行。スリングを回して、丁度腰の裏に来るように調節すると、青年は座席の上に放置されていたヘルメットを手に取った。


 ゴーグルの付いたヘルメットは、何の変哲も無いバイク用のヘルメットだ。普段なら視界を妨げるので身につけないが、流石に単車に乗るとなれば話は別だ。操作をしくじって転倒し、トマトのように頭を潰すのは避けたい。


 最後に、青年は座席を兼ねた単車のトランクにねじ込んだバックパックよりマフラーを取り出す。長く厚手のマフラーからは、たきしめられた香の残り香が燻っていた。


 顔の下半分を覆うように巻き付け、コートの中へ裾を差し込んで固定する。一部の隙無く身体を覆った所で、戦支度は完了となる。


 装具に気をつけながら単車に跨がり、指しっぱなしのキーを回した。水冷4ストロークの小型エンジンが律動し……日本製のスクーターが目を覚ます。


 青年が脚に選んだのは、一台のスクーターであった。小型で小回りが利き、取り回しが簡単で加速性に富む。今回の目論見に見合った、最適の脚がこれだったのである。


 他に750ccの大型バイクなんぞもあったのだが、彼には扱えない。何故かというと、普通自動車免許しか持っていないからだ。かつての旅の道連れであれば、一匹の獣の如く乗りこなして見せたのだろうが、生憎とそんな技能を持ち合わせていない。


 これらの理由もあって、装備を固めながら腰を下ろしたのはスクーターの座席であった。


 映画であれば、唸りを上げる大型バイクを颯爽と駆るのであろうが、現実は映画のようにスタイリッシュにはいかない。他に、カノンの問題もある。如何に彼女の脚が早かろうが、全力で駆動するバイクに着いてこられるはずも無く、結局はそこそこの速度で妥協するしか無いのだから。


 「行くぞ、カノン」


 クラッチを操作するのに合わせて、犬は小さく鳴いた。既に身を起こしており、身体には気合いが満ちあふれている。言葉を交わさずとも分かっているのだ、死地に踏み込むことを。


 従僕からの信頼に応えるべく、青年はスクーターを発進させた。真冬の寒々とした太陽の下に身をさらし、午前の冷えた空気を切り裂きながら、カノンが無理せず着いてこられる速度で疾駆する。吹き付ける風は、被服で身を固めていても刃の如く身体へ切り込んでくる。


 しかし、今はその冷徹さが気持ちよかった。脳の奥にまで冷気が回り、神経が研ぎ澄まされていくように感じる。戦いに備えて脳内で化学物質が合成され、戦闘用に意識が作り替えられていくのが実感として伝わってくる。


 マフラーの下でどう猛に歯を剥きながら、上ってきた時とは段違いの速度で山道を下りきった青年は、ある意味予測していた光景に笑みを作った。


 山の麓、数日前に数時間ではあるが屋根を借りた民家の辺りから、スクーターの駆動音を聞きつけた死体がぞろぞろとわき出しているのが見える。


 それに釣られたのか、まるで誘い合わせてきたかのように、離れていた木陰や遠くの家屋からも死体が溢れ始めた。まるで大きな石をひっくり返した下から、虫が慌てて逃げ出すような光景だが、この場合は全く逆だ。


 彼等はあぶり出されたのでは無く、喰らうために自ら陽光の下に身を晒したのだから。


 たった今、駆け下りてきた後背の山道からも音がする。木立が擦れ、枝葉が揺れる音に紛れて唸り声が耳朶を打つ。近辺で唯一の人の気配に惹かれて集まり、日の光に逐われた死人共の足音。


 死体には負の走光性があれど、直近に喰らえる対象があれば我慢して追ってくる。地の果てから、微かなフェロモンの残り香を辿って、死体は耐えがたい飢餓感に突き動かされて押し寄せた。そして今、焦らしに焦らされた、待ち望んでいた食宴の時は今だと言わんばかりに獲物を追い立てに掛かったのだ。


 饗された贄は二つの肉の塊。しかし、お上品に調理された皿の上の肉ではない。全力で抵抗せんと、全身を鉄と火薬、そして殺意で固めた肉である。


 青年はアクセルを操作してエンジンの回転を上げ、家屋から這い出してきた死体の群れに肉薄する。五mの至近にまで近づけば、スクーターを止めて短機関銃に手を伸ばした。


 ストックを肩にしっかり押しつけ、射撃体勢へと移る。身体の何処かに当たれば止められる人間と違って、頭を潰さねばならぬ死体相手にスクーターを横滑りさせながらの射撃は効果が薄い。だから、打つのであれば一度足を止め、しっかりと狙いをつける必要があった。


 直近の死体から、滑るような滑らかさで銃口を巡らせつつ引き金を搾る。まるで指揮棒のように左右へ振られる銃口は、ほんの一瞬、的と交錯する刹那に咆哮を上げ、音を後に残した鉛の口づけを落としていく。殺意の籠もった熱い熱い接吻は、轟く銃声を供にして、的確に頭を砕いては死体を眠りへと叩き落とす。


 確かに、青年は訓練を受けたスペシャリストではない。本物の軍人と対比すれば、劣る部分は幾らでも出てくる。しかし、エアライフルで培った技術と、半年以上死体相手に頃し合いを続けて蓄積した経験は、彼を一流以上に死体を駆逐する機械へと成長させていた。


 五mという近い距離、そして短機関銃の精度と速射力があれば、そこはもう青年の世界だ。例え十重二十重に布陣する死体でも、散発的に固まって襲いかかるのであれば、弾丸の境界線を越えることは適わない。ただ無情に、銃声と供に消えていくだけだ。


 頽れた死体は障害物となって後続の足を取り、転んだ亡骸の上に別の亡骸が積み上がって障害を生み続ける。知性無く前進するしかできぬ亡骸の悲哀が、そこにあった。


 目の前にあるのに届かない、渇望した食事に手を伸ばす死体。されど、送り返されるのは鉛による打擲のみ。それでも、頭蓋を砕かれることで、死体の餓えは思考と供に永劫に霧散する。それは、満つることのない餓えを悪戯に慰めるよりも、ずっと優しい施しなのだろう。


 引き金を引き続けた末に、撃針が空の薬室を叩く虚しい音が響いた。標準弾倉に詰め込まれていた、三〇発の弾丸が尽きたのだ。しかして、三〇の咆哮の後に残されるのは、きっかり三〇の打ち据えられた亡骸であった。


 完全に機能を失った死体と、その死体に足を取られて転んだ死体の一段は団子のように固まっている。ここに火炎瓶を投げ込めば、面白いように全て倒せるのだろうが、延焼で山火事になってはたまった物では無いので火は使わない。いずれ帰ってくるつもりなのだ、無茶をする訳にはいかなかった。


 空になった弾倉を取り外し、くるりと反対を向ける。すると、ガムテープで無理矢理留められた別の弾倉が、弾の覗く頭を露わにした。スムーズに弾倉を交換し、大勢を相手取れるよう予めデュアルマガジンに仕立てていたのだ。


 槓桿を引いていると、カノンが小さく吠えた。周囲を見やれば、先ほどよりも死体の姿が増えており、更には距離も詰まりつつある。物陰や遠くに見える家屋からも、続々と増援が押し寄せてくる。


 「誘導は上手くいったか……」


 再装填を済ませると、再びセレクターを弄って安全位置へと戻し、スクーターを発進させる。ここで足を止めて銃を撃ったのは、別に死体を全て殲滅しようと試みてのことではないからだ。そう、全ては誘導のためである。


 青年が屋敷に三日も留まったのは、死体を引きつけるためだ。どういう訳か遠方からでも人間の存在を感知し、夜通し歩いて追いかけてくる死体を引きつけキャンピングカーから引き剥がす。そして、十分に死体を遠ざけた後でキャンピングカーへと戻るのが本旨だ。


 今、貴重な弾丸を三〇発も浪費し、しかも不必要に銃声を響かせたのは、しっかりと死体が寄ってきていたかを確認する為だったのだ。昼間の彼等は動きが鈍く、適当な家屋などに潜んでいて数が把握しづらい。そんな彼等を、音と自分を囮にして強引に引きずり出すために態々減音機まで外して死体の相手をしたのだ。


 遮蔽物が殆ど無い山野に、減音機で音を殺されぬ生の銃声は遠く響き渡った。音に最も敏感に反応する死体の感覚は擽られ、食餌がやって来たと身を晒させるには十分な音響であった。


 狙いは成功した、と青年は口の端を歪めながら死体の群れを縫うようにスクーターを走らせる。隠れられる場所から這い出してきた死体達は、殆どが集団となって押し寄せるので、その合間を抜けるのは街の通りを走るのと何ら変わりない。むしろ、惰性で広く展開して散漫に囲まれる方が恐ろしかった。


 そうなれば、進行方向に立ちふさがる邪魔な亡骸を一々倒さねばならないのだから。足を止めれば包囲は狭まり、止まっている間に開けた穴の向こうは更に厚く囲まれる。これがあるから、開けた場所であっても安心できないのだ。


 蛇行しつつ、時には一旦スクーターから降りて見捨てられた畑を横切り、死体の群れから遠ざかる。足を引きずる死体の歩速では、スクーターには追いつけるはずも無かった。


 そうして走り続け、遂に国道へと青年は舞い戻った。ここから大阪方面への車道を何キロか走れば、置いてきたキャンピングカーが待っている。


 だが、青年は逆方向へスクーターを走らせた。全く同じ作業を繰り返し、エンジン音に惹かれて適度に集まってきた死体を撃ち倒して屍の山を築きながら。


 暫し国道を遡って死体から距離を開けた上で、マガジンの浪費も六本目に入ろうかという段階に至って、今まで快調に回っていたエンジンは働きを止めた。


 ガソリンが尽きた訳でも、駆動部に不具合を来した訳でも無い。操る当の本人が、キーを捻ってエンジンを休ませたのである。


 青年は一息吐きながら弾丸の残りを確認し、バックパックから水筒を取り出して、今まで鋭敏なセンサーとして働き続けた従僕と供に喉を潤し始める。ゴーグルを上げて汗を拭っているのだが、その顔には緊張が滲んでいた。


 単純な作業に思えるが、命が掛かっているのだ。命中率が落ちれば、銃に不良が出れば、スクーターが予期せぬ不調で停車すれば。青年は更なる危難に見舞われるのだから。


 一瞬たりとも気を抜けない状況は精神に負荷を掛け、心を撓ませる。如何に精神的に強い人間であれども、負荷は避けられないものであった。だからこそ、合間合間に休息が必要なのだ。


 スタンドで自立させたスクーターの座席を椅子代わりにし、横向きに腰掛ける青年は、遠方から一歩一歩腐れた足を送り出す亡骸を観察しながら弾倉へ弾を込めていく。閑散とした国道に、金属が擦れ合う硬質な音は妙に響く。


 青年は誘導の為に暴れ回ったが、その誘導には二つの意味が込められていた。


 一つは、自分を追って来ていたかを確認する意味。二つ目は、ギリギリまで死体の群れぞ自らに引きつけ、キャンピングカーから更に死体を引き剥がすこと。


 死体は実に勤勉に歩き続けるが、動きそのものは緩慢だ。故に、遠方からタイミングをずらしながら何百体と押し寄せてきた場合、昼間の光をやり過ごす場所は自然とずれてくる。


 前日にキャンピングカーの付近に居た死体が動いたなら、丁度一日歩けばキャンピングカーに到達する位置にまでやってきた死体が、まるで交代するかのように収まってしまうのだ。


 特に、キャンピングカーの車体の下は車高もあって避難場所にし易いし、目の前の大型観光バスも前例があるので言うまでも無い。しっかりあぶり出さねば、いざたどり着いても動かせない、そんな可能性もあり得るのだ。


 小さな可能性を潰し、万全に脱出するために青年は打てる限りの手を打つ。最終的に身の安全を勝ち取れるのであれば、弾を惜しんではならないのだ。死ねば、遺された弾など何の意味も無いのだから。


 ゆっくりと弾を込め、時に近づきすぎた死体を打ち砕く。のろい動作でにじり寄る死体など、一体ずつであれば夜店の射的のようなものだ。構えて狙い、引き金を搾る。後は弾が目標を打ち抜き、この世という台座からはじき出すだけだ。


 景品は自分の命という時間。何個落とせば、欲しいだけの景品が手に入るかは分からない。だから青年は引き金を引き続ける。つり出した死体の最も大きな一団が、その腐って崩れた顔の目鼻立ちを確認できる至近に達するまで。


 相手をするつもりの無い青年は、スクーターを始動させて死体の一団の側面をすり抜けていく。中央分離帯のガードレールを挟んで、悠々と唸り声を背に受けながら。


 最期の瞬間まで満たされない餓えを抱えながら、欲しい物に手を伸ばして足を動かし続ける様は確かに哀れだ。しかし、哀れだからと言って救われる訳ではないし、青年は誰にとっての救済者たり得ることもない。


 できることは、流されるだけ。膨大な時の流れが、青年の命を押し流し、時の末に亡骸を風化させるまで生きるだけだ。少なくとも、全ての亡骸に慈悲を与える弾など、何処にもありはしないのだから。


 途中で邪魔になった死体は、贅沢に弾丸を使って駆逐する。最も大きな死体の一団は、もう地平の向こうに置き去りにしてきたが、死体は少数でも作業の邪魔になる。万難を排して、可能な限り低いリスクで生き残るためには弾は惜しまない。


 そして遂に、青年は懐かしのキャンピングカーの元へたどり着いた。


 蒼い地金を覆い隠す、適当に溶接された装甲板の数々。桜の散る旅の始まりから共に歩んできた、もう一人の掛け替えのない存在は、別れた時と変わらぬ姿で佇んでいた。


 荒らされた形跡は無い。扉は固く閉ざされたままで、変わった所があると言えば、亡骸が車体とすれ違う時に触れた腐汁が、筋のように重なって塗りつけられている程度であろうか。


 刮げた肉や皮膚、腐汁で作られた悪趣味な塗料。感染を防ぐために後で洗い流さねばならないが、それ以外に大きな変化が無いのは僥倖であった。ともすれば目立つ車だ。偶然近くを通りかかった生き残りに荒らされる可能性もあったのだから。


 青年はスクーターを放り出しながら近づき、念のために手早く車体を確認する。タイヤも車体下部にも目立った傷はなく、稼働の妨げになる損傷は見当たらない。三日間、よくぞ無事でいてくれたものだ。


 ただ、亡骸が一匹だけ、潜り込む場所が悪かったのか動けなくなって取り残されていた。届く訳も無い場所から歯を剥く亡骸は、弾丸を贈呈することによって対処した。


 発進する際に踏んづけて、スリップすると困るので、両足を引っ掴んで車体下部から亡骸を引きずり出す。


 全身の皮膚や服が、腐汁を潤滑剤に怖気の走る音と共に剥がれるが、身体の本体だけは暗がりから綺麗に引っ張り出された。


 皮膚や被服が剥がれた死体の諸処からは、腐れた外装とは対照的に、赤々と血で滑る筋肉が覗いている。それらは、死体とは思えないほどに瑞々しく健康的であった。


 死体は機能を失えば急速に劣化するのだが、どういう訳か活動中、ないしは活動を停止して間もない亡骸の正常な四肢を構成する間接や筋肉は頑健さを保っている。腐った四肢と関節で歩いたり人間を引き裂く事が出来ないのは理解できるが、これは一体どういうことなのだろうか。


 しかし、今は論じている時間は無い。死体をうち捨てると、青年は短機関銃を油断無く構えながら、道を塞いでいる観光バスと自動車へと近づいた。


 斜めに止まった観光バスと、ガードレールに突っ込んで止まった乗用車。悲劇が偶然重なって作られたバリケードだが、乗用車を動かせば、どうにかキャンピングカーが通り抜けられるスペースは作れる。


 しかし、それでも幅はギリギリで、目算に過ぎないが車体の側面を擦るのは覚悟した方が良いだろう。場合に寄れば、サイドミラーは諦めることになりそうだった。


 乗用車や観光バスに近づいても、懸念していた死体の襲撃は無い。囮として暴れ回ったのが効いたらしく、全員出払っているのだろう。


 鬼の居ぬ間の洗濯とばかりに、青年は腕で目を庇いながら、ナイフの柄で車のガラスを粉砕した。映画のように素手で割るのは難しいが、車のガラスは閉じ込められても脱出できるように度を超して頑丈には作られていないので、道具があれば割ることは容易だ。


 ガラスを砕き、縁で突き立つ破片を峰で払ってから車内に手を差し込み、ドアロックを解除した。ベタな映画であれば、ここで車内に取り残された死体が食いついてくる所であろうが、透明なガラスなので車内は明瞭に窺えており、安全なのは確認済みだ。


 車内には埃の臭いが立ちこめているが、青年は無視してコックピットを見渡す。オートマ車のギアはパーキングに入っており、キーはイグニッションに刺さっていない。車内を軽く漁るも、映画のようにダッシュボードやサンバイザーに取り残されては居なかった。


 前部が中央分離帯に突っ込んで大破し、二度と動かないであろうに何故キーを持ち去ったのかは疑問だが、かつての持ち主が勤勉に教習所に通わなかったことは確かであろう。


 ギアがパーキングに入り、サイドブレーキが引かれた上で鍵も無ければ車は動かせないように思えるが、実際はそうではない。車種によって場所は違うが、シフトレバーの何処かに小さな爪があって、それを押せばレバーが動くようになっているのだ。


 手探りで爪を探し、ギアをバックに入れる。そして、青年は鬱陶しそうにスリングを回して短機関銃を腰の裏へと押しやり、ひしゃげたボディと中央分離帯の合間に体を潜り込ませた。


 ただの乗用車であれば、ギアさえ正確な位置に入ってタイヤが解放されているならば矮躯の青年でも何とか押し出せる。パンクしていたならば絶望する所だが、幸いにもタイヤは無傷であった。


 最初は不安定な状態から力を入れ、めり込んだ車体を分離帯から押し離す。車体は軋みを上げ、フレームや塗装の欠片を脱落させながら少しずつ後退していった。


 カノンが車の周りをウロウロしながら、頻りに鼻をひくつかせている。危険を感知しようと努めるのと同時に、主が苦労しているのを察しているようだ。そして己に何とか出来ぬかと伺っているのである。


 青年は労ってやりたいのは山々であったが、不確かな体勢で力を込めるのは難しく、結局口から零せたのは曖昧な呻きだけであった。それでも、懸命に力を込めて車体を押した。


 かがみ込めるだけの隙間ができれば、後は肩をあて、腰を降ろして全身で押し出すだけだ。緩やかではあるが、タイヤが回転し、進路を塞いでいた廃車は道を空けた。


 青年は小柄である上、食生活にもあまり恵まれていないので筋肉量に乏しく、必然的に膂力にも秀でては居ない。故に、タイヤの補助があれど車ほどある重量物を動かすのは難行であった。筋肉や骨が、無理をするなと抗議の痛みを上げている。それでも、やらねば死ぬのだから致し方ないことだ。


 事情を察してはくれない苦痛の警告を無視しつつ、青年は中央分離帯の向こうから歩み寄ってきた亡骸へと弾丸を叩き込んだ。弾けた頭と舞い散る黒い血に乗せて、苛立ちを頭から追い出す。


 兎角、これでギリギリながら進路は拓けたのだ。ここに長居する理由は無い。ノロノロしていれば死体に取り囲まれかねないのだから。


 数日ぶりの愛しの我が家への帰還でありながら、彼にとってはこれと言って感慨深さを感じさせる物では無かった。


 世情から鑑みるに、十分過ぎるほど快適な施設であれども、さっきまで居た場所と比べれば些か以上に手狭過ぎた。必要な物が直ぐに手に届くと言えば聞こえは良いが、狭苦しさの方が上だ。


 さっさと目的を果たし、必要そうな物をかき集めたら帰るとしよう。行動に対する原動力としては、この狭さも少しは役に立つ。


 短機関銃からマガジンを外し、ハンドルを引いて装填していた一発を排出させる。暴発の危険性が無くなった銃を青年はベッドの上へと放り投げると、体を投げ出すようにして運転席へと収まった。


 キーを差し込むと、助手席にカノンが身を滑り込ませる。全速を出さずともスクーターに追走し、センサーとしての役割を果たし続けた彼女は舌を出し、荒い呼吸を続けていた。


 落ち着いた所で車を停めたら、労いのために少し良い缶詰を開けて水をたっぷり飲ませてやろう。少なくとも、彼処に逗留するのであれば水の心配は無いのだし、これから暫くは気兼ねなく水が使えるのだ。


 キーがイグニッションに持って行かれると、微かに不機嫌そうな空転音を立てた後でエンジンが目覚める。クラッチとアクセルを操作し、再び主を受け入れたキャンピングカーは緩やかに走り始めた。


 遙か遠方、地平の彼方にぽつぽつと浮かぶ亡骸の軍勢に見送られて。浴びせかけられる怨嗟の呻きを追い風とするかの如く車体は滑る。


 弾を山ほど使った上、疲れたが、大いに収穫を得られた日々だった。元より移住先を求めて始めた度なのだ。定住先の有力候補を見つけ出せたのならば、これに勝る悦びは無い。


 ただ無為に生きる、生命としての本質を果たすべく、人としての本分から逸脱しつつも生き続ける価値の無い命。愚直に生きる事だけを目的とした生き物だったからこそ、他の人間らしい人間が死んでいく中、安定した生存への可能性を掴み得たというのも皮肉な話だ。


 災禍と幸運をもたらしてくれた、糾える縄であったバスの隙間をキャンピングカーは静かに通り抜けていった。そして、再び荒れ果てた遠き故郷への道を走り始める。


 かつて逃れた場所へ走る車。その旅路を同じ人数でありながら面容を変えて征く。皮肉の集大成のような存在が辿るに相応しい旅路だ。


 もしも、かつての道連れが居たのであれば、冗談めかして歌でも歌ったことであろう。麗しの故郷を思う、望郷の詩を。


 だが、青年はリアリストであってもニヒリストではない。淡々と車体を操りながら、ただ一言だけ呟いた。無事に逃れられ、拠点候補を見つけた以外にも一つだけ良い事があったのだ。


 「サイドミラーを喪わずに済んだな……」


 難事があれば好事もおこるものだ。しかして、これから難事に飛び込むのであれば、その先に待ちうる好事もどれ程大きいのであろうか。


 ただ一つ、問題があるとすれば、その言葉には何の保障もないことである…………。


 大変長らくお待たせしました。なんともなしにくたばりそこなっております、私です。死亡フラグってあるもんなんですね……。


 夏休みとはなんだったのか、はたしてやすむとは、うごごごごご……


 次は、そんなにお待たせしないでできればよいかと……。長く放置していたにも関わらず、見捨てないで待ってくれていてありがとう御座いました。大変励みになりました、今暫しのおつきあいを願います

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