青年と犬と逃避行
今回若干短いです
走る。呼吸を落ち着け、速度よりも持久を意識し足を動かし続けた。呼気を緩やかに深く吸い込み、吐き出す際も努めて僅かずつ零す。長距離を走る時のコツだ。
荒れ果て、放置車両が点在する国道を青年は走り続けていた。今すぐにでも荒く呼吸をしたくなるが、耐えながら足を動かす。確かに激しく呼吸をすれば、一時は楽になるが、その代償は後でのし掛かるように襲ってくる。一定のリズムで走るには、呼吸の維持も大切なのだ。
走りながら腕時計にちらと視線をやると、走り始めてから一五分ほどが過ぎていた。先導するように前を走る黒銀の犬、カノンには疲れた様子など微塵も見えない。
装備などの重量を加味して、一五分も走り続けたということはキャンピングカーから二kmほど離れたかと考える。成人男性の平均走行速度は長距離を走る事を想定すれば時速にして約一〇kmほどらしい。金属を山ほど担いで負荷がある状態と時間を鑑みるに、走った距離を概算すると、それくらいが妥当と言えた。
転倒を避ける為に速度を僅かに落として後ろを確認するも、死体は遠方にちらほらと見える程度だ。沸き上がり、包囲しようと躙り寄っていた死体の群れは突破したと考えて良さそうだった。
死体の歩く速度は遅い。人間の平均歩行速度が時速四kmほどだと言われているが、一歩一歩が覚束無い彼等の歩みは、その半分程度であろう。そうであるならば、人間の速度を持ってすれば、壁のように密集でもしないかぎり逃げるのは容易だ。
何が恐ろしいかと言えば一重に数なのである。完全に囲まれれば、速度などは最早無意味だ。そんな状況を打破できるのは、圧倒的な鉄量を於いて他に無い。それが、動く死体の脅威の本質だ。
また、脅威は粘り強さにもある。彼等には疲れは無い。人間ならゆっくり歩いたとしても一日も歩けば普通は疲れ果てて休まなければ動けなくなる。だが、死体は何日もぶっ通しでノロノロと歩き続けられる。人間が休んでいる間も奴らは動くのだ、であるならば、休めば休むだけ距離が詰まるのである。
習性として持つ負の走光性が完全で、昼間は人間を捕捉しても追いかけてこないのであれば、そこまで恐ろしくはない。しかし、見つかれば状況を選ばずに死体は動き続けるのが厄介であった。
息は辛く、車ばかり運転していて少し運動不足の気がある青年は疲れ始めていたが、それでも体力は残っている。一時間程度なら、ゆっくりとした歩調であれば走り続けられるだろう。
水分が干上がって血のような味が滲み始めた口の中を、舌に残った僅かな水気を行き渡らせるように舐めて嘆息する。これならば、エアライフルよりも長距離走の練習でもしていた方が幾分か楽だったかもしれないと。
長距離を走るのは慣れが必要だ。例え短時間の加重がきつい労働に慣れていたとしても、長距離を走り続けられるかと言えば話は別だ。その点に関して、死体と戦い慣れていたとしても、青年には長距離走の適正は無かった。
軽快に走り続けるカノンを青年は羨ましく思った。普段は安全の為に散歩もままならない彼女は、今だけは自由だとでも言うかの如く運動を謳歌している。しなやかな筋肉が躍動し、全身の動きがスムーズに合致する様は、正しく走り続けるために産まれたかのようであった。
シベリアンハスキーは元々、負荷を受けながら長距離を走るのに適正がある犬種だ。元来エスキモーが犬ぞりを曳かせるのに使っていたのだから、その出力と持久力は長い実績を伴った太鼓判が押されている。脆弱な人間と違い、彼女は何時間でも走り続けることができるだろう。
人の不規則な呼吸音と、犬の荒くも乱れぬリズムの呼吸音が国道の上に木霊する。青年は、更にたっぷり三〇分は走った後でやっと歩みを緩め、ドアを開け放して放置されていた軽自動車にもたれ掛かって止まった。
まだ座り込まない。急に運動を止めると、体が驚いて不整脈などの不具合を起こす可能性があるからだ。しっかり使い方を辨えなければ壊れたり十全に稼働しないという点においては、人間の体もツールに他ならないのである。
我慢していた呼吸を思う存分しながら、バックパックを漁って水のボトルを引っ張り出す。寒々とした外気を無視するかのように、体の中で蟠った熱に燻されて溢れた汗がバックパックの布地に滲む。慣れぬ長距離走に体は悲鳴を上げていた。
心臓が壊れんばかりに脈動を刻み、呼吸は吸っているのか吐いているのか分からない程激しくなる。細胞という細胞が、身勝手に酸素を求めて暴走しているかのようであった。 実際、手先は所有者に酸欠を訴えるように桃と白で斑に染まりチアノーゼを起こしている。数分は大人しく呼吸を整えることに集中しないかぎり、まともに動けないだろう。
次第に乱れていた呼吸は落ち着き、体にこびり付くような倦怠感は薄れていく。浅く連続した呼吸を、深く一定リズムの深呼吸にシフトしながら、青年はやっとの事で額に浮かんだ多量の汗を拭った。
周囲に死体の姿は無い。疎らな包囲網は完全に抜けきったと見て良いだろう。だが、包囲の起点から遠ざかったが故に、出遅れて遠くに居た死体に接敵する危険性は増すのだ。まだまだ安全とは言えない状況であった。
唾液が一滴も出ないほどに干上がった口を水で潤す。グビグビと喉を鳴らして干したい所であったが、今後の事を考え、乾きを軽く収める程度に留め、青年はペットボトルをしまった。
確かに一気に水を飲めば爽快感はあるのだが、水分補給の観点から言えば効率は悪い。人間の細胞は乾いた砂のように、一気に水を吸い込めるようには出来ていないのである。これが夏場のように滝の如く汗を掻いたのなら、塩分と共にペットボトルを空にするくらい飲まねば体が危ないが、今は冬だ。沢山汗を掻いたように思っても、夏場のそれよりはずっと控えめである。
ふと、乱暴に飲んだせいで溢れた水を拭いながら、青年はまともに塩分を補給出来るような物があったかと考えた。固形栄養食などは放り込んだが、運動で消費する大量の塩分を補うには些か頼りない量だ。
やはり、焦っていたのかと軽く自嘲する。もう少し思考に余裕があったなら、小さくラップで小分けにした塩を一つは持ってきていたであろう。塩分は古代に於いて兵役の給金にされるほど人体にとって不可欠な物だ。そんな大切な物を土壇場で忘れるということは、自分の緊急事態に適応する能力は決して高くないのだなと痛感させられた。
腰を支点とし、車に体を預け前屈みになっていた青年の顔をカノンが様子を伺うように覗き込む。舌を出して体温調節の為に荒い呼吸をしている彼女は、何処か満ち足りたような印象を受ける。
まぁいいか、と気分を改めて青年は彼女を乱暴に撫でた。指先を立てて、がしがしと頑丈な被毛の下にある皮膚に届くように力強く。心地よかったのか、大粒のオッドアイは弓が弦を張るかのように強い弧を描いた。
塩は無機物だ。だから、燃えないし腐敗もしない。確かに劣化して不純物が入り込んだり、解け合って大きな塊になったりはするが、普通に保管していて完全にダメになる事は殆どないのだ。
食べ物は殆ど全滅しているだろうが、どこぞかの民家に押し入れば塩など瓶一つ分は手に入るだろう。水を忘れたなら絶望しても仕方ないが、塩程度ならそこまでの痛手では無い。思考を入れ替えて、疲れた体にむち打ちながら青年は体を車から引き剥がした。
ひとまず、屋根のある所へ行きたかった。靴を脱いで足を伸ばせ、何時間かで良いので休める場所が欲しい。一日二日であれば、寝ないで動く事も可能だが効率は著しく悪い。それに、集中力や注意力が欠けるのは致命的だ。多少危険であっても休息を取らなければ、それ以上のリスクを背負うことになる。
最悪、扉を閉めれば個室になる車でもいいか、と思いつつ青年は軽自動車の中を覗き込んでみた。小さなリュックサックが一つと、熊のぬいぐるみが放置されている。
某国民的自己犠牲ヒーローの意匠が描かれたリュックサックの中には、古くなったビスケットの袋と一冊の絵本が入っていた。鞄の図案と同じく、大凡日本人の子供が一番最初に見るであろうヒーローの絵本だった。
何処かに旅行にでも出かける途中だったのだろうか、開け放された助手席で日光や吹き込んだ雨を浴びて褪色した本は観光ガイドだ。此処からほど近い温泉地の地名がプリントされている。
楽しい旅行が一転して地獄の巷に転じた。この家族は、どうなったのであろうか。今となっては知る由は無いし、青年も知ろうとは思わなかった。悲劇も溢れかえれば日常に過ぎないのだから。
車内には、それ以外にとりわけ目立つ物はなかった。それでも、ビスケットはグズグズに劣化していることが個別包装の上から触っただけでも分かる。これはもう食べられないだろう。青年はリュックサックに中身を戻すと、休める場所を求めて軽自動車から離れた…………。
田舎では鍵を掛けないというのは都市伝説では無かったのか、と青年は扉を開けて軽く戦慄していた。
彼が立っているのは、長らく放置されたせいで酷く荒れ果てた農地の真ん中に立つ平屋の農家の勝手口だった。
捨て置かれたせいで立ち枯れた、野生化するほどのタフさに欠けたレタスの残骸が残る畑の中に立つ農家は周囲に死体の姿も無く、完全に孤立していた。
視界は開けており、尚且つ入り口も複数ある。庭なのか畑なのかハッキリしない庭に面した縁側には雨戸もついていて、籠城するには頼りないが何とかなりそうな場所であった。
そんな家に侵入し、休憩を取り、あわよくば一晩の宿にしようとしていた青年なのだが、世界がまともだった頃にネットで良く聞いた“田舎では鍵をかけない”というのが本当か試してみたのだ。
結果は真実であった。常であったならば、鍵を求めたり壊すのに四苦八苦するはずだが、勝手口の扉は驚くほどあっさりと開いた。玄関の引き戸も試したが、其方も完全に鍵は開け放されたままであった。
これが田舎か、と驚愕しつつ土足で家に入り込むのだが、無駄に広い田舎の建築という以外、これといって目立つ物は家屋になかった。畳敷きの居間に板張りの廊下。庭石を敷き詰めたような色彩のタイルに半畳ほどの広さしか無い湯船の風呂。トイレは流石に水洗であったが、それでも古びた和式で水は涸れていた。
部屋数は多いのだが、何部屋かは襖で区切っているだけで、その襖を取り除けば大部屋になるという風情だ。何と言うべきか、これぞ田舎というような家であった。
死体や野生動物の姿が無い事を一頻り見て回り、安全だと確認してから、青年は漸く靴を脱ぐことができた。やはり、日本人だからか土足で家に上がり込むのは抵抗が強いのだ。
適当に転がっていた新聞紙の上に靴を置き、埃っぽい居間に座り込む。今時珍しい丸いちゃぶ台がある居間は時間に取り残されたかのように古びた雰囲気があるが、不自然にテレビだけが薄く近代的で違和感があった。それでも、人間が住む為の空間であるからか、青年はリラックスすることができた。
多少の埃っぽさは最早気にならなくなった。人間が失せて荒れた住居や建造物に入り込むことは日常茶飯の事であるし、大気には何処に行っても腐臭が付きまとう。不快さに関しては、もう触覚以外では殆ど無視することができるようになっていた。
人間とは慣れる生き物なのだな、と思いながら、嗅ぎ慣れない臭いを探るように鼻を小まめに動かしているカノンを撫でてやった。
一心地つけた後で家捜しを始める。以前であれば不法侵入の上に窃盗だが、今となっては取り締まる者はおろか、通報さえされないので誰憚ることはない。のんびりと、使えそうな物を見つけては居間のちゃぶ台に載せていった。
カセットコンロに薬缶、そして仏壇から燭台と蝋燭に燐寸を何箱か。他には塩の入ったケースや賞味期限は切れて久しいが、乾麺も数袋見つけることができた。
食べ物に灯り、これだけあれば文句は無い。災害時用の大型懐中電灯も置いてあったが、こちらは電池切れの上、単二電池の買い置きが見つからなかったので断念した。使えるのであればL型ライトよりも光量があるので使ったのだが、動かなければただのゴミでしかない。
成果物を見て、悪くないと思っていると、ちゃぶ台の下に盆が置いてある事に気がついた。靴下を履いた足先に触れて初めて気付く位置にあった盆には、急須と茶缶、台ふきの上に伏せた湯飲みが二つ並んでいた。
興味を惹かれて茶缶を空けると、湿気取りが入っていたからか中の茶葉は健在であった。茶葉のままでも香気を放つほうじ茶が、僅かに劣化しながらも変わらぬ姿で茶筒に収まっている。
「茶か」
呟いて、疲れたのだし一服するか、と思いつく。折角、薬缶も急須もあるのだ、なら日本人としては茶で一服せざるをえまい。本能が、そうしろと囁くのだ。
水を急須一杯分ほど薬缶に入れ、カセットコンロで沸かす。コンロは予備で持って帰ろうかとも思ったが、流石に嵩張るので無理だ。精々、予備のガスを土産にするのが限界だろう。
壁に背を預けて力を抜き、ちゃぶ台の上で揺れる蒼い火と、薬缶の口から燻る白い湯気を呆と眺める。そうすると、不思議と酷く心が落ち着いた。
静かだった。カノンが鼻を鳴らす微かな音以外には何も聞こえない。埃の臭いに混ざる藺草の香りと、水が熱せられた金属に触れて蒸発する独特の音色。漂う急須に入れた煎茶の芳香が全てと混ざり合い、虚飾の平穏を演出する。まるで、何もかもが嘘のようだった。
金色で使い古されたせいか妙に凹凸のある薬缶から立ち上る湯気の勢いが増した。どうやら、沸騰したようだ。青年は茶葉を適当に放り込んだ急須に湯を注ぎ、蓋をして数分放置する。抽出温度やら何やらがあった気はするのだが、そういった事に疎い青年なので全てが適当だ。茶葉の分量さえも大雑把にパックに放り込んだに過ぎない。
だが、それでも湯に沈めれば茶にはなる。熱い湯の中で茶葉が開き、成分がにじみ出す。最適な温度より高すぎる湯温のせいで香りは多少損なわれていたが、それでもほうじ茶の香ばしい香りは健在であった。
十分かと思われる頃合いで、夫婦湯吞の大きな方に茶を注いだ。相当年期が入っているので、ここの元の主は老夫婦だったのだろうか。
舌を火傷しないように何度も息を吹きかけて温度を冷まし、慎重に口を付ける。少し熱すぎるが、許容範囲内であった。熱さを誤魔化すように音を立てて茶を啜り、大きく息を吐く。少し、肩の荷が下りたような気がした。
一杯を飲み干し、少し冷めた急須の中身を注いでいると、カノンが青年の方をじっと見つめていることに気がつく。
何かを察した青年は、御厨やの中に置かれていた深皿にペットボトルの水を開けてやる。そうすれば、カノンは待ち侘びたと言わんばかりに顔をねじ込んで水を舌で掬うように飲み始めた。運動すれば喉が渇くのは、人間も犬も一緒なのだ。
二人とも十分に渇きを癒やし、体を休める事ができた。屋根のあるところに腰を落ち着けるだけで、疲労の回復度合いは大分違ってくるらしい。
茶を干した後で青年は再び家捜しを始める。先程のは、安全確保の意味合いが強かったので殆ど軽く見てきただけで成果物を求めて行ったわけではない。持ち運べそうな食べ物や水の補給、あわよくば武器など、欲しい物は数え上げるときりがなかった。
しかし、ここは普通の農家でしかない。猟銃やクロスボウなどは見当たらず、刃物も包丁や鎌などの一般的な物しか見つからなかった。
それでも備中鍬は長物としては割と優秀な部類に当たるので確保しておいた。ポールウェポンとして死体を転ばせて時間を稼ぐ事もできるし、少数なら倒れた死体の頭を刃で砕く事もできるだろう。少し嵩張るが、暫く補給が望めない今、弾は可能な限り節約したかったので仕方があるまい。
他に見つけたのは、庭先にある古い手押しポンプで汲み上げる小さな井戸くらいであった。井戸水なので飲用には適しません、という札が吊されているが、庭先の菜園に水をやるのには使っていたのだろう。側に盥やじょうろが残されていた。
最近は井戸に縁があるな、等と思いながら押してみると、小さな軋みを上げて水が吐き出される。見た目は澄んでいて綺麗だが、生水だ。免疫面に於いて脆弱な日本人が飲んだなら、腹を下す危険性がある。
それでも、前は喉が渇いていて冷たい水が恋しかったので飲んでしまったが。しかし、今は薬のアテがないので危険だ。この家にも探せば腹薬くらいあるかもしれないけれども、今は飲まない方が無難であろう。
もし飲むのであれば、一度沸騰させて殺菌した方が良いだろう。大抵の菌や寄生虫は熱に弱いし、井戸の水源も山に浸透した雨水で出来た地下水だろうから汚染の心配もない。
そこまで考えた所で、青年の頭に良からぬ考えが過ぎった。悪魔めいたアイデアと言っても良い。それは、青年を泥沼に引きずり込もうとする悪魔の誘いだ。
小さく、人一人入れば限界の浴槽。豊富な井戸水に湯を沸かす設備。そう、風呂だ。
浴槽に溢れる暖かいお湯に、綺麗に磨いた体をゆっくりと浸す幻想。遠い昔に失った悦楽のリフレインが、体を痺れるように駆け巡った。
ポンプ井戸に右手をかけたまま、思案するように顔を左手で覆う。未だ日は高い位置にあり、周囲に死体の姿は見えない。
盥に水を汲んで浴槽に満たし、薬缶に作った熱湯を何度か注げば温度は入浴に敵したものになるだろう。作業時間は半時間から長くても一時間程度という所だろう。
風呂という言葉が嫌に蠱惑的に思えた。シャワーは放浪を始めてから幾度も浴びたが、風呂は一度たりとて入ったことはなかった。以前は毎日欠かさず入るほどの風呂好きで、軽い潔癖症持ちの青年には苦痛を感じるような生活だ。
そこに、降ってわいたように風呂に入るチャンスが訪れた。
いや待て、落ち着け考え直せと自らの理性に言い聞かせる。今は窮地だ。何百発か弾はあるが、補給のアテはなく数日はキャンピングカーに戻るのも難しい状況である。逃亡中の身空で何を考えているのだという話だ。
第一、風呂を入れている間の時間で事態は変わるかもしれないし、消費する体力はどれだけか。これから暫く移動を強いられるのに、無駄な体力を使っている余裕が何処にあろうか。
それでも、風呂の誘惑は恐ろしい程の誘因力を以て青年の理性に絡みついた。突き上げるような衝動なら、いっそ忘れることもできたかもしれない。だが、この誘いかけは粘りけのある液体が滴るかのようにジワジワと、それでいてしつこく後に残るものだった。
意識を切り替えるべく、頭を強く振ろうとするも、何故かできなかった。頭の中で天使と悪魔が喧嘩しているという図式は漫画でよく用いられるが、青年の脳内を図式化すれば理性というコンクリート造りの建物が欲望という塩水に浸食されている様が見られただろう。
視線が泳ぎ、農家の風呂があった方へと向けられる。
暫しの逡巡の後、青年は…………。
やってしまった、という後悔にうち拉がれながら、青年は湯船にたっぷりと張った湯を掌に掬い、顔に叩きつけるように被った。
狭いタイル張りの風呂場には湯気が充満し、タオルで庇われた一角ではカセットコンロの上で薬缶が暢気に湯気を零していた。そして、痩身を熱めの湯船に浸した青年が、目尻を揉みながら唸っている。
結局、欲望に負けた青年は風呂を沸かしてしまったのだ。何度も盥に水を汲んで湯船に放り込み、薬缶で作った熱湯を入れていく。そうして大雑把に温度調節を済ませれば、湯沸かし器を使わないでも風呂が出来る。
しかし、それに要した労力は決して小さな物ではなかった。盥に水を汲んで往復すること半時間、何度も湯を沸かして温度を調節すること更に半時間。合計一時間もの貴重な時間を文字通り湯水の如く使って沸かした風呂であった。
一時間あれば、もっと色々な事ができたであろう。家捜しにしても使っていない歯ブラシなど、重荷にならず持って帰れば役に立つ物も見つかっただろうし、未開封の肌着なども重要だ。
ここを宿にするのなら、入り口にバリケードを築いて安眠を確保することもできたであろう。少なくとも、風呂を沸かすよりも労力は少なくして、より大きなリターンを得られた筈である。
が、結果として青年は軽い頭痛を感じながら風呂に浸かっている。後悔は大きい、しかし、体に感じる爽快感はこの世の何者にも代えがたい物であった。
体にじわりと染みる湯の温度。頑強に毛穴の奥に滲んでいた汚れが、熱で開いて湯に染みだしていき、タオルで擦るだけでは落ちなかった垢が剥がれていく感覚。やはり、定期的にシャワーを浴びたりはしても、それだけでは汚れを落としきることはできないのだ。
どうしようもない後悔を感じながら、青年は掌で二の腕などを擦る。湯を僅かに白く汚しながら、浮かんだ垢が落ちてこそばゆくもあるが、形容しがたい爽快感を感じた。
青年は突き詰めたリアリストであり、利己主義なのだが、今回は利己主義の部分が出過ぎてしまったらしい。利己、つまり己の欲求を満たし自我を満足させる方向に強く動きすぎてしまったのだ。本来なら、体力を浪費し時間を無駄にする行為など慎むべきであるにも関わらず、欲望に負けて風呂を作ってしまった。
何と言うべきか、人間はロジックの生き物では無いと言うが、あまりの浅ましさに風呂の温度以外で紅顔する思いであった。
しかし、それでもビニール袋に包んで湿気対策を施した拳銃を一挺側に置いているあたり、まだ冷静な部分が残っていたともいえる。
青年は大きく息を吐いて、包帯が濡れるのを避ける為にビニール袋に突っ込まれた右手で顔の汗を拭った。悪く考えるのはやめておくことにしたのだ。これも、考えようによっては利点になる。
体を清潔に保つのは良い事だし、精神的なヒットポイントは削られつつも相対的に回復した。半年以上ぶりの風呂なのだ、何だかんだ言いながらも気持ちよいことに違いはない。
時と場合を選べと自分をしかりつけたくはなるが、とりあえず良しとする。死体をある程度撒いたのか、カノンが反応しない程度にはクリアなのだ。ならば、あまり神経質になっても仕方が無かろう。
これから暫くは車の周囲にたまった死体を散らすべく外で行動するのだ。なら、余裕がある間に心と体を休めておいて損はない。
結局、青年は更に半時間ほど湯の温度を楽しんでから風呂を終えた。温くなると薬缶の湯を足して温度調節する辺り、後悔しつつも完全に開き直っている。
それでも、体が感覚を忘れる程に久しかった風呂は、生き返った心地がするほどに気持ちが良かった。
血行が促進され、ほこほこと湯気を立てる頭にバスタオルを引っかけ、身嗜みを整える青年の表情は実に満ち足りたものであった。
一方脱衣場に見張りとして残されたカノンであるが。主が馬鹿をやらかしていたとしても、何の文句も言わずにタオルが敷かれた脱衣籠に横たわり、静かに注意を払い続けていたとか。
「ふぅ……」
着替えた後、居間で見つけた男物のダウンジャケットを湯冷めしないように羽織り、改めて入れた茶を居間で啜る。
ダウンジャケットは着古されており、老人の匂いがした。何とも形容するに困る匂いだが、彼の記憶にあるなかでは文字通り祖父の家の匂いだったのだ。
体を壁に預け、完全に力を抜く。風呂上がりの気怠い脱力感と、四肢にたまった乳酸の重たさが心地よかった。張り詰めていた気が一気に緩むのを通り越して、完全に切れていた。瞼さえも緩んで半ばまで降りている始末だった。
最後にここまで気を抜いてゆったりしたのは、どれほど前のことだっただろうかと考える。少なくとも、死体が起き上がるようになってからは数えるほどもあるまい。
人間二人で旅をしていた頃は、まだ幾分か余裕があった。交替しながらたっぷりと眠れたし、夏場は場所を選べば贅沢に行水もできていた。かといって、カノン以外に新たな道連れを求めようとは塵ほども思わなかったが。
さて、そろそろ仮眠でも取るべきか、と湯上がりの虚脱感がある体を横たえようとした時、カノンが小さく首を擡げた。
鼻を忙しなく動かし、周囲に首を巡らせている。重くなっていた瞼が、バネ仕掛けの細工の如く見開かれた。青年は短機関銃を引っ掴むと、縁側に向かい外を伺う。
日が沈み、赤く染まった地平の縁に影が見えた。逆光に滲むような輪郭で、ぼんやりと人型が幾つも浮かんでいる。
ふらりふらりと定まらぬ歩みを続ける姿を見て、青年は舌打ちした。やはり、風呂に入ったのは失敗だったのだ。休憩したなら、直ぐに籠城の準備をするか、距離を稼ぐべく動くべきだった。浮かび上がる影の数は、疎らではあるが少なくは無かった。
きっと、時間差はあれども追いついてきた死体共が止むことを知らぬ押し寄せてくることだろう。
ここはもう駄目だ。雨戸を閉じたとしても、備えが足りない。青年は居間に取って返すと、戦利品の幾つかをバックパックに放り込んで早々に家を後にする準備を終えた。
後は、スリングで短機関銃を担ぎ、近距離用の獲物として調達した備中鍬を持つだけだ。重量感があり、長物なので走るのには邪魔だが、持っていた方が便利だ。
鍬をライフルでも持つような手付きで抱え、庭に出る。死体は、まだ距離はあるが、それでも一〇分ほど待てば手が届く位置に来るだろう。
何処に逃げるべきか、と周囲を見回して、青年は付近の山に目を付けた。なだらかだが舗装された道がある山だ。おぼつかぬ歩調の死体を、坂道や枝が阻んでくれることであろう。
「行くぞ、カノン」
カノンに言い聞かせるというよりも、自らに言葉を叩きつけて気持ちを切り替える。既に、湯上がりの気怠さはすっかり失せていた。あるのは、警戒と死への拒絶感だけであった。
小さな吠え声を聞いて、青年は足を踏み出した。一歩を踏み出している間、片足が地面を掴んだままの歩調は早足だ。何時間も追いかけっこをする嵌めになりかねないので、体力は温存しなければならない。
直に夕日は稜線の向こう側に消え去り、日が暮れるだろう。そうなれば、街灯の一つもない山の中は敵地に等しい。しかし、態々道が通っているということは、何かがあるということだ。青年は、それを頼って歩を進める。
山道は緩やかだが厳しかった。早足程度に過ぎないとは言え、それでも足に掛かる負荷は平地よりも強い。転ばないように気をつけつつ、青年は歩き続けた。
道は両脇に茂る木立が繁茂して、その枝に領域を侵されようとも未だ十分な道幅を保っていた。地面は踏み固めて均され、何度も通ったせいか車の轍が残っている。走るのには苦労しない環境であった。
足下が覚束無くなる前に、タクティカルベストにねじ込んだL型ライトに灯りを灯す。前が見えないとどうしようもないし、何より山中に死体が潜んでいないとは言い切れない。カノンの支援があるので、唐突に襲われる心配は少ないが、それでも用心に関してはし過ぎるということはない。
足を送り出す度、左右に揺れる灯りを追って歩く。一〇分ほど歩き続けると、一帯は夜闇に包まれて真っ暗になった。懐中電灯の明かりがなければ、視界は数メートル程度のものであろう。如何に地面の騒がしい灯りが無いから星々が元気とはいえ、月明かりだけの山道は酷く暗かった。
真冬の森は静かなようで騒がしい。小動物がかけずり回る音、葉が風に打ち鳴らされる音。そして、時折遠方より響く鳴き声。野生化した犬でも住み着いているのだろうか。
青年は暫くして振り返り、ライトで昇ってきた道を照らす。収束された向上が照らし出す坂道に、死体の姿は見受けられなかった。
歩測で置いて行かれたか、坂に追従できず転倒したか。後者であれば好ましいが、可能性は低いだろう。微速なれども階段を上れるのだ、であるならば坂道程度踏破できぬ訳があるまい。
それでも、時間は大いに稼げるだろう。最悪、別のルートを通って下山すればよい。ただ、その場合は日が昇ってから時計を頼りに方位を割り出し、おっかなびっくり進む事になるが。
この先に何があるのかが鍵になる。青年は軽く息を整えた後で、再び足を進めた。
もう、早足さえやめて普通の速度で二〇分も歩いた頃だろうか、ライトで照らされた坂の上が平らになるのが見えた。それは、後から人の手によって切り開かれ、整地された痕だった。
惹かれるようにライトを引き抜き、灯りを持ち上げる。すると、その平地の向こうに蟠る闇から、拭われたように階段が現れる。
何段も続く石段だ。長い間何度も踏まれたせいか角は丸くなり、風化した表面には年月が凹凸として刻まれている。
そして、石段の最奥には丹塗りの鳥居があった。立てられて長いのか、色褪せて塗料も所々剥げているが、階下から見上げる威容は何処までも厳かであった。
「神社……いや、寺か?」
鳥居には何もかけられていない。神仏習合の名残で寺でも鳥居があるのは珍しくないので、鳥居の有無で一概にどちらと判断することはできない。それでも、石段の古さからして相応に歴史のある寺社であることが予測出来た。
天の助け、という訳でも無いが、幸運だった。寺にせよ神社にせよ、本殿や社務所などの建物があるはずだ。なら、そこに一晩の宿でも借りるとしよう。それに、この階段だ。死体は階段は上れるが、それでも躓きながら転びながらの覚束無い歩調でしか上れない。それなら、ここは正しく要害と言えよう。
ただ、一つ欠点を上げるとすれば、段数にして三桁を下回る事はないであろう石段は、青年にとっても要害であることだが。さしもの青年も、そこまで角度が急でなくとも見上げるほどの階段にはうんざりさせられる。居間までの疲れも合わせて、登り切る頃には脹ら脛は乳酸で張り裂けんばかりに膨れ上がっていることであろう。
何事も楽には進まないか。何度目になるかも分からない溜息を付いて、青年はゆっくりと階段を昇り始めた…………。
お待たせ致しました。それもこれも昨今の安定しない就活事情が悪い。
無駄な行動が多く見えますが、あれでも一応人間なんです。例え死んだ魚の目の方がまだ生き物っぽくても、利己主義を突き詰めた変人でも、人間ですから欲求もあります。多分。
次回は出来るだけお待たせしないでお送りできたらいいなと思います。今後もどうか、お付き合い願います。感想など励みになります、感想を返せたら良いのですが、如何せん、それをやる時間があるなら続きとか改訂に時間を回せよ、と言われそうだし自分でも思うので申し訳ありません。