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暇人と無意識と外遊び

今回もグロくはないです


……ゾンビ? ああ、いたね、そんなの

 手狭な部屋があった。小さな蛍光灯の照明に照らされた部屋で、部屋の中央に敷かれた万年床を軸にして様々な物が配されたずぼらな部屋だ。


 カップラーメンの空容器や、凹んだ空き缶に空薬莢が法則性もなく散乱し、その合間にラジオペンチやクリーニングロッドなどの工具が転がっている。


 生活に慣れて整理をするのが面倒に思った大学生の部屋のようだったが、その部屋の主は無精髭を生やし雲脂を零しながら歩く男ではなかった。


 蒲団に転がりながらミリタリー雑誌を手繰る、慎重一八〇cm程はあろうかという長身の少女だった。


 整える事も無く伸ばされた髪が緩やかなうねりを有し、蛍光灯の薄ら寒い光を浴びて、静かに艶やかな光を宿していた。淡い茶の髪は、そのウェーブも相まって大型犬のようなイメージを見る物に与える。


 ハリウッドスターもかくやと言う日本人離れした体躯の少女は、その体躯に似つかわしくない年相応の顔つきをしていた。


 常に笑みの形に弧を描く猫目は人懐っこい雰囲気を醸しだし、形の良い瑞々しい唇から僅かに覗く犬歯が悪戯っぽさを伺わせる。


 軍人もかくやという鍛え上げられた体躯には到底似つかわしくないと思うような風貌ではあるが、その人懐っこさと活動的な印象が鍛えられた韌な体に相まって、不思議な位にマッチし得も言えぬ美を演出していた。


 そんな少女はだらしなく寝そべって、今日の配給の中に入っていた細長いプレッツェルにチョコレートをコーティングした菓子を食べていた。


 甘い物が配給に付くのは久しぶりで、早々に食べる事を惜しいと感じているのかコーティングされているチョコレートを嘗め取ってからプレッツェルを咀嚼するという何とも行儀の悪い食べ方をしている。


 チョコレートのコーティングされた先端を唇で弄び、舌で穂先を舐って少しずつ剥いでいく。舌先が触れる度にチョコレートがコーティングされていない持ち手側が揺れ、現在彼女が上機嫌である事を表現している。


 「いいなぁ、これ欲しいなぁ」


 呟いて完全にチョコレートが無くなってしまった先端を門歯で砕く。唾液に浸された為に柔らかくなり、プレッツェルの心地よい噛み応えは無くなっているが、甘さは増している。


 本来ならこの年頃の少女が目を輝かして雑誌の誌面を彩る物品を眺めるとしたら、それは一点数万円という高価なブランド物の装身具や鞄、もしくは化粧品等だろう。


 だが、少女が眺めて物欲を沸かせているものは白と金の中間色の髭を生やした白人の逞しい中年男が構えるアサルトカービンのマウントレールに設置されたホログラフィサイトであった。


 雑誌の中の男が構えているのはSR―15という、少女が持っているM4アサルトカービンを開発元とは別会社であるナイツアーマメント社がリモデルして販売したクローンM4の一種であり、フルオート機能を廃した民生品だ。


 その銃にマウントされているのは倍率四倍のダットサイト、分かりやすく言うと光学照準器である。レンズを通して物を見ると像が拡大され、肉眼では視認し辛い遠距離の敵を撃つ為の補助装備だった。


 そのダットサイトの倍率は低めに作られており、覗いたとしても視野が広く確保されている為に近距離から中距離戦闘で威力を発揮する。


 そして、ホログラフィック技術を用いサイトの中央にレーザーで像を結ばせ、それを目当てに敵を狙えるように作られていた。


 少女のM4に装備されているのは中から遠距離対応型のテレスコピックサイトで、倍率は十二倍とかなり遠くを見ることが出来るように作られている。基本的には数十メートル先の敵に弾を当てる為の物だ。


 M4カービンは構造的にアサルトライフルに分類される銃であるのに精密性が凄まじく高いことで知られている。軍用ライフルの中距離射撃では他の大口径ライフルを制する圧倒的な性能を示しているので、簡易的な狙撃銃にもなるわけだ。


 その為、このカービンの持ち主は分隊の支援の為に中から遠距離射撃の為にこのような高倍率のスコープを装備していたのだろう。スコープの倍率十二倍といえば最早狙撃銃の領域に達している。


 しかし、死体相手に戦う場合は得てしてインファイトが多い。押し寄せる敵を撃滅するには広い視界を保ったまま近い視点で、正確な射撃が出来る低倍率サイトの方が有用な訳である。


 確かに昨日のように屋上から死体の頭を破壊する精密射撃にはこのようなスコープの方が良い。そして、競技として磨かれた彼女の技術にも、このような高倍率スコープの方が見合っている。


 だが、殆どのシチュエーションは敵の腐敗臭が間近に嗅げる程の距離で戦う近距離戦闘なのだ。どちらが使用に適しているかと問われれば、視界が広く保てるダットサイトに軍配が上がる。


 弾は無駄に出来ないので正確性は求められているが、病的なまでの精密性は必要ないのだ。重要なのは狙った位置に当てる事であり、それを如何に迅速に行えるかに尽きる。


 確かに今装備している倍率が高いスコープの精密性は高いのだが、如何せん近距離で用いる事には向いていない。数メートルしか離れていない敵を狙えば、その敵の顔がアップになりすぎて他の物が見えなくなってしまうのだ。


 このホログラフィダットサイトがあれば、例え近距離であっても気持ちよく戦えるだろう。視界が広く確保出来る為に横合いから襲われても直ぐに反撃できるし、少し動かすだけで次の敵の額にポイントする事が出来るようにもなる。正に今の状況に最適な装備であった。


 「まぁ、無い物ねだりなんですけどねー」


 少女は門歯でプレッツェルを次々輪切りにしながら根元まで口の中に収め、口が膨らんだ事によって少々間抜けになった顔で咀嚼した。


 それに、どうしても邪魔になりそうならばスコープを取り外せば良い事なのだ。別段取り外せないように出来ている訳でも無い。


 また、こんなに性能が良いダットサイトは運良く在日米軍の死体でも見つけない限り手に入らないだろう。


 レプリカでいいのならサバイバルゲーム用品店にもあるだろうが、そんな便利な店は近くに無い。最近のレプリカグッズは質が良くて本物に限りなく近いらしいのでアタッチメントは結構自然に付くらしいのだが、それを扱っている店が無いのが残念だった。


 店を探しに行くのは至難だし、都合の良いアタッチメントが付いたM4を探すのはより難易度が高いだろう。自分だってこれを手に入れられたのは本当に運が良いことなのだから。


 「名無し氏だったらワンチャン持ってそうなんだけどなぁ」


 俯せに寝そべり、曲げた脚を所在なさ気にばたつかせながらページを捲る。次のページでは同じ白人の男がコルト1911に不釣り合いな大きなサイトを付けて笑っていた。旧式銃と最新式アタッチメントのキメラだが、少女にはその不釣り合いさがとても美しく映った。


 何処か自分に似ている、そう感じるのだ。歪な形の物には不思議と親近感を感じてしまうのは昔っからの性質だった。歪な組み合わせの存在を見ると、何処かその不揃いさが鏡を見ているような気がして落ち着くのである。


 そして、その歪さは現代美術のような作られた歪さや奇抜さであってはいけない。こういう、本来自然に考えて効率的に作れば産まれない物にのみ親近感が沸いてくる。


 恐らくこのM1911が手元にあったならば、彼女はそれを相当大切に扱って愛用したことであろう。


 「いいなぁ、これ……サイトの大きさとか不釣り合いで……何か良い」


 ほぅっと、感嘆するように艶のある溜息を吐いて少女は何度も見返して少し痛んだページを慈しむように眺める。このM1911は頑強性においては自動拳銃随一であるし、精密性も低くない。そこにこの最新鋭サイトが付いたのだから能力は凄まじい物があるだろう。競技用カスタムまで施されて言うのだから素晴らしい。


 陶酔したように眺めていると、扉がノックされた。乱暴な手つきで三回……ノックの回数によって相手が自分をどのように思っているかを判断する民族の血を持ち慣習を身につけた彼女は何となく相手が誰かを悟った。


 「へーい、あいてますよー」


 「邪魔するぜ」


 入室を許可すると扉が開かれる。防犯意識が低いのか、それとも部屋にいる時は大丈夫と思っているのか、少女は元より鍵を掛けていなかった。ノックを要求するのは最低限の恥じらい……を持って居ると装っているに過ぎない。


 部屋に入ってきたのは一人の青年だ。背は細身でスラリと高く、面倒くさがって無精髭を処理しない人間が多い中、珍しく髭を丁寧にそり上げている。


 微笑を湛えた甘いマスクに、引き締まった体。少女には来歴は分からないが、とても女性受けの良い顔をしているので、さぞかしご婦人から人気の高かったことであろう。


 「なぁんだ、エコーかぁ」


 「何だとは何だよ……」


 少女の言いぐさに眉根を顰めた青年、エコーと呼ばれはしたが、髪は黒く目はブラウン、そして肌は黄砂色、紛れもなく大和民族のそれである。しかし、名前は何とも外国人然としており不釣り合いに思える。


 そうだろう、それは彼の渾名だからだ。このコミュニティーでは自分の名前を明らかにしてない人間が少女をはじめとしてそこそこ居る。


 それは、この団体生活に順応しきる事は無いぞ、お前達は違うのだ、という意思表示のようにも思える。実際、少女にとって此処は其処まで重要な物ではない。


 恐らく、誰にも本名を明かしていない彼にとってもそうなのだろう。


 渾名の由来ははっきりしていない。彼の愛飲しているオレンジ色のパッケージをした煙草だとか、元々インターンでエコー検査などをやっていた来歴からだとか、はたまたフォネティックコードを取ったミリオタだとか色々と説はある。


 しかし少女にとってはどうでも良いことだ。相手が自分をアンタと呼んで認識し、自分が相手をエコーと呼んで認識している。それだけに過ぎない。


 「ちゅーか汚ねーなオイ。掃除せぇや、女だろ」


 「女性差別だー。女性が全部小綺麗で整頓好きだと思うなー」


 寧ろ今綺麗な方だしね、と言いながら雑誌を放り出しつつ体を擡げた少女に、エコーは「これでかよ!」と叫ぶ。標準語に関西弁が混じる、最近の若い関西人に多い妙な話し方をする男だった。


 「そんでさ、何か用事?」


 「茶を出せとは言わんけど、せめて俺が座るスペースくらいくれよ」


 適度な長さに切られた頭を掻きむしり、エコーはゴミを脚で蹴散らして作ったスペースに腰を降ろした。床がべたついているのでは無いかと心配したが、流石に少女も其処までずぼらでは無かったようである。


 「んで、何の用?」


 「あ、良いモン喰ってるな。俺にもくれ」


 やだ、と簡潔に断って少女は最後のチョコレートプレッツェルを全て口に収めた。自分への配給に甘い物があったという事は、エコーへの配給にも何かしら甘い物が入っていたはずなのでくれてやる義理は無い。


 口に含んで咀嚼し、飲み込んでから少女は悪戯っぽく舌先を口から覗かせる。それにエコーは小さく舌打ちしてから、ジャケットの胸元からオレンジ色のパッケージをした己と同じ名前の煙草を取り出す。


 「へいへい、人の部屋で吸わなーい」


 「細かい事言うなよ」


 煙草が好きでは無い少女が止めようとするが、エコーは笑って火を付けようとしたので……。


 少女は脇のホルスターに括り付けられたナイフを抜き放ち、見事に煙草の先端を斬り飛ばした。僅かに焦げ、煙を上げかけていた先端が何処かへと行き、後には断面を覗かせる煙草と、燃やす物を奪われた百円ライターの火が小さく揺れるのみ。


 「……其処までイヤ?」


 「いや」


 火口となるべき先端を切り落とされた煙草を箱にしまい込み、エコーは深く息を吐く。例え傷物になっても数に限りがあるから捨てる訳には行かないのだ。


 「煙草吸いに来ただけなら帰れよーう。むしろ警備室で何時でも吸えるでしょーが」


 「ったく、煙草くらい我慢出来ないと男とつきあえないぜ?」


 今日日喫煙家の方が少なくなってきてるんだよと反論すると、諦めたようにパッケージをジャケットへと戻した。食糧すら安定して手に入らないというのに嗜好品に拘りを持ち続けるとは意外と余裕だなと思えてくる。


 「お前が彼処嫌いだろうから態々来てやったってのに。ひでぇなぁ……」


 「煙草が嫌いだから寄りつかないのに、なんで来て吸うんだよー。いじめか、いじめなのか、物理的に抗議するよ私は!」


 拳を突き出して少女は宣言する、自分は降りかかる火の粉は払う性質だ。ただ、突き出した拳が中指一本拳である事が、その闘争本能の高さを表しているが。


 「いや、流石に死ぬから止めろ。まぁ、えーねーんけどね、来ないなら来ないでお知らせに行けばええんやし」


 エコーが此処にやって来たのは少女をからかう為では無い。銃を携行し、自警団に戦力と認められて居ながら警備室に寄りつかない彼女へ自警団としての方針や作戦の伝達に来たのである。


 「しっかし、女の子の部屋に合法的に入れるってのに、此処はビタ一興奮しねぇなぁ。女の子の部屋ってもっと甘酸っぱいもんちゃうのん?」


 鼻をひくつかせると、仄かに蒸発した汗が籠もった臭いと硝煙の臭いがした。どうやら少し前に銃を分解整備したらしい。


 年頃の女性の部屋でする行為にしては、鼻をひくつかせるのは不躾に過ぎる。少女は徐にホルスターから拳銃を抜いてセーフティーを外した。


 「死因、セクハラって墓石に刻んじゃろうか」


 「それ、死因じゃなくて起因じゃね? と言ってみる」


 頭悪いこと言ってないでさっさと言え、と促しながら拳銃のスライドを引いた。チェンバーが解放されて、装填されているマガジンの先端で弾丸が鈍く輝いているのが見えた。後はスライドを戻すだけで弾が装填されて何時でも撃てるようになる。


 「冗談きっついなぁ……」


 「ご安心めされい、通じる人にしかやらないから」


 何度目かになる大きめな溜息を吐き、エコーは頭を掻きむしった。用事があるのならさっさとして欲しいと少女は顎をしゃくり、さっさと話せと催促した。


 「外征隊のな、編成をやろうと思ってるんだ」


 思わず、少女は阿呆のように口をぽかんと開いてしまった。人間は本当に予測できない事態が起こるとまともに反応が出来ない物であり、その点には人格破綻者であると自覚している彼女も例外では無かった。


 外征、つまり外に出て物資を回収すると言う事だ。しかし、それには圧倒的な困難が伴う。


 まず、このホームセンターは既に死体共に十重二十重の包囲をされており、その数は日増しの勢いで増え続けている。恐らく、現有戦力が全て玉砕する覚悟で突っ込んでも殲滅は敵わないだろう。


 その為に外へ出ることは難しい。今、歩道橋のように外へ繋ぐことの出来る橋を何人かが資材で作っているが、少女からしたら無駄なんじゃないだろうかと思う出来映えだ。


 L字型に金属板や木の板、鉄パイプを組み合わせた物で、幅は約2.5メートルほど。それをフェンスや死体を跨いで外へ伸ばし、外征対が出て行ったら引っ込め、帰ってきたらまた置いて中に入れるようにするという。


 発想は単純なのだが、やっている事は相当無茶で滑稽だ。死体の囲いを跨ぐだけの長さと角度であっても、連中は動くので勿論上を歩いていたら降口へと殺到するだろう。そうなれば降りるのも登るのも一苦労だ。


 そもそも、その急ごしらえの橋に耐えられるだけの頑強性があるというのだろうか? 仮に架橋出来たとして、そこを移動する人間、装備、獲得した物資を載せても耐える頑強性が無ければ話にならない。


 そして、少女は試作品のテストとして装備を持った人間が上を歩いたら底板を踏み抜いて下半身が下に突き抜けるという光景を見ていた。これでは死体に餌をぶら下げてやっているのとなんら変わらないではないか。


 成人男性の平均的な体重を考えると、六〇kgから七〇kgはある。その上、装備で数キロ、更に収穫物も入れば一〇kg近い追加もある。そんな人間が数人一度にわたれるほど頑強性の高い物は、流石に日曜大工レベルでは作るのが難しいだろう。


 それらの条件をクリアして外に出たとしても、やはり問題だらけだ。死体は周囲以外にも山ほどいるし、此方にはそれらを撃退しきれる装備は無い。


 一体一体をさすまたを用いて倒していく戦法や、鈍器で頭を潰していったのでは勢いが足りずに直ぐに包囲され、物量に押しつぶされて全滅だろう。


 今ほど死体が多くない時にしっかり毎日始末して戦い、ある程度通行を邪魔されない為の通路をバリケードで作るなどしたらもう少し話は違っただろうが、現状はそうではない。


 どうしようも無い程に道は閉塞し、残されているのは緩やかな圧死だけだ。この状況を打破するには死体を殲滅するしかないのだろうが、残念ながらそんな火力は無い。


 あれだけの数を始末するのなら、兵員一人一人にしっかり整備された小銃を装備させて潤沢な弾を持たせる必要があるだろう。


 しかし、そもそもそんな物があったら誰も困ってはいない。こんな先が見えた所に見切りを付けて、新しい拠点を探しに行くか伊丹にある自衛隊の駐屯地にでも向かっているだろう。


 自衛隊の駐屯地は全週を壁で囲まれているし、ある程度頑丈に作られている。そして、武器は潤沢にあるし兵員も居る。万が一全滅していたとしても、銃が幾らでも転がっているだろう。


 とはいえ、そこまで行ける脚も武器も無いのが現実だから困っているのだが。


 確かにこの閉塞感のある現状を打破しようという考えは重要だろう。このままではそう遠からぬ内に物資が枯渇して全滅するのが必定。絶望に座して死を待つより、動いて打開を図るのは決して悪い事ではない。


 だが、その試みは殆ど不可能と言える段階にあり、むしろ足掻きが滅亡を早める事にすらなりかねない。


 こんな状況になってから外征を始めようとするとは、一体何を考えているのだろうか。妙な葉っぱでも入った煙草でも吸ったか、白い粉でも鼻から吸引したのだろうかと少女は不思議に思った。


 「変な顔すんな……俺も頭おかしいと思ってるよ。でもよ、若いのが騒いでるし、最近他のがそれに扇動されて世論が傾きつつあるんだ」


 実に小さな世論だと思ったが、馬鹿には出来ない。仮に小さな声であっても、集団そのものが小さいので、それは大多数とも言い換えることが出来るのだから。


 若者はこのコミュニティに存外多い。成人していて力に自信のある若者や壮年から中年でも体力があれば自警団に属しているが、そうではない若者も多く居る。


 大抵は戦闘行為に慣れなかった大学生から高校生、または大学を卒業したばかりと思しき年代の者達だ。そして、大抵は不良なんじゃないだろうか此奴等はと思うような奴らであった。


 そんな彼等が何故生き残ったかというと、一重に運だろう。講義やら仕事をさぼっていたら運良く避難する一団に合流出来た。色々投げ捨てて逃げ回っていたら偶然バリケードを作っていた此処に辿り着いた……そんな所だ。


 まぁ、そんな事はどうでもいい。肝心なのあ彼等が役に立たないことと、常に問題の渦中に居る……というよりも引き起こしていることだ。


 あまり働かないし死体退治にも参加しないが、図体はでかく声も大きい。自警団からすれば厄介者以外の何物でも無いのだが、無理矢理働かせる事が出来ないのが現状である。


 労働や戦闘を強要すると、愚か者を放置するよりも大きな溝がコミュニティに産まれる。自分がそうなったら、と思えば自警団に諂って良からぬ事を企む奴や、反発して余計な争いを生もうと画策する輩が必ず現れるからである。


 それを防ぐ為、迷惑ではあるが共同の嫌われ者を残すという事で自警団は彼等を放置していた。しかし、それが何とも面倒くさい事になってしまったのだ。


 彼等の一部は単なる頭の悪い馬鹿ではなく、不真面目だが賢しい所もある愚物であったようだ。正直単なる馬鹿よりもずっと性質が悪い。


 配給が減った事に不満を言うだけならまだいい、誰しもその不満は感じているだろう。だが、奴らは外に探しに行けば良いと嘯いて色々な人間に吹き込み始めたのだ。


 それだけなら無視すればいいのだが、自警団は銃を持っているのに行かないのは怯えているからだとか、自分達がちゃんとした武器を持てば物資を持って帰ってこられると騒ぎ立て始めた。


 最初は阿呆が騒いでいるだけだと誰も相手をしなかった。だが、どんどんと配給の量と質が目減りするにつれて一般のコミュニティ参加者達は危機感を覚え始めた。


 配給が減ったのはより長期間こもれるようにする為の措置であり、結局は彼等の寿命を延ばす事に繋がる。だが、彼等には幾ら説明しようとも、自分達に与えられる物が減った、という事が重要なのだ。


 その危機感がどんどん膨らみ、彼等の言うとおりにした方が良いのでは無いだろうか? 一度くらい任せてみたらいいのではないだろうか? という考えが少しずつ広がり始めたのである。


 遂には自警団に意見陳情が入るようになった。何故外に行かないのか、物資を回収しに行かないのかと。


 何度かおやっさんを含めた自警団の人間が理性的な説明を皆の前で行った事がある。武器が足りない、安全に出られる道も無い、下手をすれば敵が流れ込む。外征は事実上不可能なのだと。


 その場では彼等は静かだが、集まりが解散したあとでまた吹聴を始める。自警団が居ないので反論は出来ず、彼等はしつこく話すので信憑性が薄くても高いように感じてくる。そして、物資の不足がそれを煽る。全く、嘘も百回言えば本当になるとは何処の国の言葉であっただろうか。


 その内、自警団に所属していない若者達の煽りを受け、自警団に所属している若者達も少しずつそれに同調し、外へ出て物資を回収するべきだと主張し始めた。


 現実を知っていても、人間は熱狂に染まりやすく、一度染まればそれは熱病となって引くことがなくなってしまうものだ。


 それでも理性的な自警団員は何とか押さえ込もうと努力もしたが、抑えきれない事が多くなりつつあった。


 そして遂に、昨日の柵が大きく撓んで死体が入り込みそうになった事件を皮切りに彼等の不安は爆発した。食べ物も足りないのに壁が壊れた。必要な物が此処だけでは足りていないからでは無いのではないだろうかと大勢が警備室まで訪ねてきたらしい。


 それらを抑える為、遂に外征を行うと踏み切ったそうだ。あの不安定なL字橋や頼りない武器を使って。


 不満が爆発すれば自警団は糾弾され、今まで通りの活動は難しくなる。その為に、ガス抜きや、外に出ての物資回収が本当に不可能である事を示す為に外征を行うというのだ。


 「でもさ、それ死ぬんじゃない?」


 「まぁ、おおかた死ぬんやろうなぁ……おやっさんが小銃担いで指揮するらしいけど、弾もあんまりねーし」


 実際、外に出る時点で危険が大きすぎるし、帰ってくるのも至難だろう。危険が大きすぎるし、それに見合う戦果はまず得られないだろう。仮に物資を大量に確保出来ても防壁の内に搬入する術が無いからである。


 つまり、この外征は最初っから失敗する事が決まり切っている事だったのだ。


 失敗すると分かっていてもやらなければならない事が世の中にあるのは分かっていた。頑張ったけど駄目だった、と示さないと理解しない者が少なくとも存在しているのである。


 しかし、命を賭けて失敗しに行くというのは……何とも頭が悪く阿呆らしい事に感じられた。そんな事をするなら馬鹿の頭を弾いてしまえば良いのにと、片手にぶら下げたままの銃、そのグリップを握りしめて少女は珍しく笑みを消した。


 分かっている、自警団としてはコミュニティの和を維持したいのだろう。それが無くなってしまえば既に限界が近いコミュニティの崩壊が早められてしまう。


 遅かれ速かれ崩れる物をほんの僅かに延命させようとして命を賭けるとは。そして、それを分かっていて尚止められない、人間とは何と愚かな生き物なのだろう。


 「んで、態々来たって事は……」


 「正確にはお前は自警団じゃないけど、戦闘能力は多分誰より高い。つか、俺格闘訓練でお前に顎跳ね上げられてから何か噛み合わせおかしいんやけど」


 言いながら顎を撫で摩るエコーに、知らんがなと行って少女は笑った。確か自分が来たばっかりの時、自警団の集団訓練とやらの組み手でセクハラまがいの行動を取ろうとしたので顎を掌底で跳ね上げてやったのだ。


 「お断りとか出来る?」


 「別に強制じゃねぇよ、おやっさんが選んだってだけやし。そも、最初っから志願制。俺は話しを通しに来ただけ」


 どうやら外征隊は志願制らしい。そして、少しでも生存率を上げる為に少女にもお呼びが掛かったようだ。確かに、そんな危険な任務に臨むのであれば少しでも戦力として期待出来る人員を連れていきたいと思うのは当然の思考だろう。


 その思惑は理解出来るのだが、少女としては少々ながら承伏しかねる事であった。少女としては、死ぬような事はしたくない、それが最大の理由だ。


 そも、死を受け入れられるほど強い人間だったらならば、とっくに拳銃を口にねじ込んで頭をふっ飛ばしているだろう。今この世界に生きているという事にどれ程の意味と価値があろうか。


 歪な人格を持って居たとしても、その人格には人間としてのありふれた欲求が内包されている。


 生きていたい、ただそれだけの生物としてなら必ず持ち合わせている願望だ。所詮自分も人間なのだなと自嘲気味に内心で笑いながら、少女は考える。


 確かに死は望ましい物ではないし、積極的に向かおうとは思わない。しかし、残った所で何があるのか? と考えると何も無いという応えだけが自分の冷静な部分より返ってきた。


 ただ、外に出ると可能性が生まれるかもしれない。新しい武器が見つかる可能性、安全に新しい場所へ移動できる可能性……兎に角、閉塞を打ち破る何かがあるかもしれないのだ。


 しかし、それは“かもしれない”という可能性の話に過ぎない。確約はされていないし、役立つ物が手に入るとも限らない。むしろ、危険の方が先立っており、それは可能性ではなく厳然として目の前に横たわる現実だ。


 数え切れない程の死体、此方に向けられる食欲と無数の腐れた腕。目を瞑れば、腐臭を吐き散らしながら黄色く染まった歯を目一杯剥いた地獄の底へ続く穴のような口が鮮明に思い浮かぶ。


 彼等の歯は獣のそれと異なり、効率的に肉を裂くようには出来ていない。犬歯は備わっているものの、それは短すぎて肉を裂くには頼りなく、物を分断する為の門歯は細く頑強でもないので肉を裂くに足る力は発揮できない。


 だが、奴らは死んでいる。その為に何かの箍が外れているのだろう。普通の人間であれば痛みを感じて止めてしまうほど強く力を込められる。そして、歯が歯茎に食い込んで欠ける事も気にせず肉を食い千切ってくる。


 その様を心に思い描くと、薄ら寒い感覚が背筋に走った。何とも思い出すだけで気分の悪い光景だ。避けがたい死が、自分のすぐ其処に横たわっているように思えた。


 そんな場所に飛び込むとは、考えるだけで底冷えして背中が震えそうになる。しかし、可能性という切符は彼女にとってとてつもなく魅力的な物ではあった。


 もしかしたら息詰まった現状を打破して生き残れるかも知れないという可能性。緩やかな死は約束されているが、その瞬間までは生き方に気を遣えば大きな苦痛に襲われる事はないという可能性……さて、どちらを選び取ることがよりよい未来に繋がるのであろうか?


 「イヤならイヤって言ってもええんやで? 自警団でも殆どが辞退派だったしな。俺とおやっさん含めて四人だけだぜ?」


 エコーはどうでも良さそうに言うが、やはり危険すぎる内容なので誰もが行くことを渋ったようだ。


 しかし不思議な話だ、自分も浮かされたように外へ出ることを支持していた若い連中が志願しないとは。いざ出るとなってから怖じ気づいたのであろうか?


 まぁ、分からないでもない。、そんな十中八九死ぬような物、好き好んでやるのは頭の何処か壊れた奴だけだ。今回は近くに寄ってきた死の恐怖という病が熱狂の熱病を治してしまったのだろう。


 如何に訓練で鍛えられたおやっさんでも、帰って来られるかは分からない。そして、エコーは自らが死ぬ可能性を受け入れている……やはり、現状を理解している者は多かれ少なかれ諦観に浸っているのだ。


 その諦観が、死を受け入れるか死に抗う原動力になるかが各々違うだけ、ではあるのだが。


 まぁ、抗った先に未来があるとは限らないのだけどね、と少女は心の内にて常の笑みとは異なる笑みを浮かべた。


 そして、暫し考えた後で口の端を急角度に釣り上げた。


 「行こうかな、私も」


 エコーは目を見開き、驚いたように少女の顔をじっと見つめた。彼女は普段通りの本意が読めなくなる張り付いた笑みを浮かべ続けていた。


 何を考えているのか分からない、それがエコーが少女に常日頃から抱いている感想だ。確かに顔は笑っている、目だけが笑っていないという事も無い実に見事な笑みだ。彼女の整った容姿と、この完璧な笑みならば、雑誌の表紙ですら易々と単独で占領せしめるであろう。


 だが、エコーにはこの女が笑っているとはとても思えなかった。エコー自身も一応は美男と称して何ら差し支えの無い容姿をしている。その為に異性経験は少なからずあるので、本質とまでは行かずとも女をある程度は理解出来ているつもりだった。


 しかし、この少女だけは別だ。確かに自分を良く装って男を騙す女なんてものは幾らでも見てきたが……この少女はその類いのものではない。


 自然に張り付いた笑み、それは自分に何も伺い知らせる事は無い。全くの無表情より性質が悪い物だ。無という物は何も無いが故に微細な変化であっても容易く表出させる。


 僅かな変化に気付く目敏さえあれば、無表情を読む事とは、白紙に反応という墨汁が落ちるのを観察するだけと化す。


 だが、この女の笑みは違う。何もかもを笑顔という名の極彩色で塗り潰し、その下にある元々の色が何であるのかを全く読ませない。


 多分、この少女は笑っていても笑ってはいないのだろう。他の者は、一体何が楽しくて笑っているんだろうなと零すことがあるが、エコーからすれば奴らは何を見ているのだと思わせる感想だ。


 長く生きているからおやっさんも少女の歪な笑みには気付いているだろう。しかして、その根源には近づけていないはず。それはきっと誰にも理解出来ないのだろう。


 なら、理解する必要謎無いか、エコーは開き直り、少女から目を逸らしてただ「そうか、ほんなら伝えとく」とだけ言った。


 「んで、どこ行くの?」


 「昼過ぎから商店街の方まで駆ける。んで、集められたらバックパック一杯に集めてダッシュで撤収。簡単なお仕事です」


 無論、最後の一言はある種の嫌味だろう。簡単だったら誰もこんなに苦労も迷いもしていない。


 「商店街かぁ、食料品かな? だけんどもがな如何せん時間経ちすぎてない?」


 「缶詰が幾らでもあるだろうよ。俺、缶詰の蜜豆食べたいんだよね―」


 エコーは純粋な好みでいっているようであって、このコミュニティに甘味が不足していることを表していた。娯楽は限りなく減り続けているのだ、人間の元も深い良くを満たしてくれる娯楽が。


 「おーけーおーけー、したらお昼にお庭かね?」


 正確な発言が出来るにもかかわらず、敢えて少女は戯けたように言った。


 「そうだな、とりあえず正面口に武装して集合だ。よかったな、撃ち放題だぜ。持てる限り、と注釈はつくんやけどな」


 撃ち放題、なんとまぁ魅力的な言葉であろうかと思いながら、少女は自分のカービンとM92Fに装填できる弾丸の数を思い出した。


 残りはマガジンを満たして少し余る程度しか残っていない。もとよりたった三体の死体からはぎ取れた程度の弾丸ではその程度だ。領としては頼りないことこの上ないが……。


 「まぁ、一射一殺で二〇〇は壊せるかな?」


 「何ともまぁ、頼りがいのある言葉だな」


 彼等は死体に敵対する時敢えて“壊す”という表現を使う。あれは最早死体であって人ではなく、そして死体とは物としてしか扱かわれないので、壊すと表現するのが妥当である、という考えに基づく物だ。


 だが、実際は一般のコミュニティ参加者に死体を壊す事に忌避感を示しにくくする為の物でもあった。


 彼等の多くは実際に死んでいたとしても、死体を死体と割り切って扱う事は出来ない。そのような風習を数百年にわたって続け、文化として染みついているからだ。死体とは壊す物ではなく、手厚く弔う物なのだから。


 また、死体が動くのは病気の一種でもしかしたら治るのでは無いか? という現実を見ていない希望的観測に基づく願望もある。だが、もし仮に治ったとしても、彼処まで体が腐敗したら治った瞬間人は死ぬだろう。


 どれほど割り切っても、自警団の兵士であっても、死体を壊す事には抵抗がある。もしかしたら一緒に笑い合ったり仕事を共にする可能性があったかもしれない相手なのだ。そして、なにより同じ種族の生き物なのだ。抵抗を感じるのが普通だろう。


 だが、少女はそうではない。何の呵責も迷いも無く頭を打ち抜くし、必要となればカービンのストックで頭蓋を砕き、ナイフを眼窩へと潜り込ませる。


 自分と大凡同じ形をした同種族の存在を躊躇無く破壊する。その点においても、彼女が尋常の思考を行っていない事を他に察しさせたのだろう。


 「じゃあ、明日またな」


 この少女の底を考えると怖気と吐き気に襲われる。その笑顔、薄皮一枚の下には一体どのような狂気が渦巻いているのか、そう考えると口の中に酸い物を感じさせられる。


 エコーは微かな吐き気に追われながら立ち上がり、軽く会釈してから部屋を出た。少女はそれを笑顔で、小さく手を振りながら、ただ見送った…………。











 翌日、どれ程の人間が眠れぬ夜を過ごしたであろうか。明日にはコミュニティの明暗を分けるような戦いが予定されており、二度と会えなくなるかもしれない人間が居るのだ。


 その緊張は眠気を遠ざけ、彼等に延々と続く嫌な夜を味合わせた事であろう。


 しかし、少女には全く何の関係も無かったらしく、日付が変わる頃に寝床に潜り込み、しっかりと朝の八時まで快眠して飛び起きた。


 軽く体を解しながらホームセンターの正面入り口まで行くと、電気が落ちた自動ドアの向こうでは雨が降り続いていた。中々に勢いは強く、視界はかなり悪い。


 だが、死体は臭いと音に強く反応する。その為、雨が降っていたら自分達の臭いを消してくれるし、足音や衣擦れの音も殺してくれる。死体に隠れて動くのならこれほど良い状況はあるまい。


 視界は悪くなるし、此方も不意打ちに弱くなるかも知れないが、死体のしつこさも緩和される。下手に快晴の日にやるよりはよかろう。


 「やぁやぁ、荒れてるねぇ……まるであてくしの心みたい」


 屈伸したり前屈して体の筋を解しつつ、冗談の様に言った。別に荒れてなんぞいない、普段通り平静そのものだ。数時間後には死体の囲いを突っ切る羽目になると分かっていても、少女は実にリラックスしていた。


 昨夜、エコーが来る以前に銃器の整備は済ませているし、後は自警団の武器倉庫に立ち寄って弾を受領して、マガジンにねじ込んで装備を着込むだけで出撃準備は完了だ。


 体を解し、意識を完全に覚醒させてから少女は配給を取りに行く。何をするにしてもまず胃に物を入れなければ始まらない。


 配給は一階ホームセンターの家具売り場の方に設けられており、そこで自警団がしっかりと量を計算しながら配ってくれている。今の時間になると、ぞろぞろと起き出した参加者達が挨拶を交わしながら配給所へ向かっていた。


 少女もその流れに乗り、今日のご飯は何じゃろねと機嫌良さそうに鼻歌を歌い、足取りも軽く配給所へ向かった。


 食糧が積まれている机の前に列ができはじめていた。自分も列に並び、挨拶をしてくる顔見知りの人間と雑談していると、自警団の人間が一人こっちにやって来て服の裾を摘んだ。


 「ん? 何?」


 「お前さん、外征隊に加わるんやろ? 特別配給や、しっかり喰ってくれや」


 年かさの男が差し出してきたのは、緊急時用の缶詰に収まったパンや、枕型の缶に収まったコンビーフにゆでた豆という普段からしたら少々豪勢すぎる朝食だった。


 「おお? いいの? 貴重なパンなのにさ」


 「俺たちの代わりに死ぬような目に遭うんや、これくらい当然やろ。ついでにデザートもやろか」


 両手で抱えるようにして貰った朝食の上に、冷えたゼリーも載せられた。多分、ガソリンの次くらいに貴重な物であった。残り少ない物を態々だしてくれたのだろう。


 「あはは、なんだか悪いね」


 「こっちの話や。ほら、さっさと喰ってまえ」


 年かさの自警団員は少女の肩を強く叩き、そのまま配給品を配りに戻っていった。どうやら、自分の代わりに娘ほどの年頃の少女が死にに行くのを申し訳なく思っているようだ。


 少女からすれば死ぬつもりは毛頭無いのだが、どうやら周りからはそう見られていないらしい。理解出来ない事でもないのだが、最初から死ぬと掛かって対応しないで欲しい物だ。


 「何か、映画の死亡フラグみたいじゃん」


 言いながら少女は朝食の為に自室へと戻った。周囲の人間からは、自分が外征隊に入っていたという驚きとの声と、激励が浴びせられる。これではまるで死が確定した人間を見送るような雰囲気ではないか。


 別に何処かで誰かと食べても良いのだが、そんな雰囲気の人間に囲まれて食事をしたくなかったので早々に部屋に引き上げた。


 そして、配給を胃にねじ込んでいくのだが、暫く忘れかけていた味は涙を誘うほど感動的な物がある。パンの柔らかな感覚は随分と久方ぶりだ、腐る物だからとかなり早い内に消費されてしまった。残っていたのは防災グッズとして遺されていたこんな物くらいだ。


 「ごちそーさまでしたっと……」


 少女は有り難く朝食を済ませ、手を合わせて胡座を搔いたまま深々と頭を下げる。西洋人染みた容姿の彼女がそれをすると、何ともミスマッチでおかしみが感じられた。


 「よっしゃ、喰ったしやるかぁ……」


 軽く腹を撫でてから、少女は颯爽と部屋を後にし、カービンを担いで警備室へと向かった。警備室の近くにある武器保管庫の前には数人の男達が立っており、朝方からもう装備を調えている。


 その中にはおやっさんやエコーの姿もあり、貴重な89式小銃や9mm拳銃を品定めしている。今持ちうる限り最大の火力を導入するつもりなのだろう。


 「お、来やがったか」


 「あれ、みんな速いね」


 言いながら武器保管庫に入る。既におやっさんとエコー、そして一緒に外へ出る自警団員二人が武器の準備をしていた。


 武器保管庫は、元は単なる倉庫で安っぽい棚が並んでいるだけの埃っぽい部屋だったが、今は並べられていた洗剤などを退けて、銃器の弾丸や釘打ち機などの武器が数字のタグ付きで保管されている。


 少女は黴臭さの中に混ざった火薬の臭いを嗅いで、心が落ち着くのを感じた。


 彼女がエアライフルを嗜んでいた頃には馴染みの無かった臭いだが、今となっては汗の次に体へ染みつきやすい臭いとなている。コルダイト火薬の臭いは甘美な香水のようにも思える。


 「あんまり在庫は無いがフル装填だ。出撃自体は一時半からだが、時間には余裕持っておけよ」


 おやっさんが9mmパラベラムを自分の9mm機関拳銃のマガジンにねじ込んでいた。通常装備の9mm拳銃では無く、機関拳銃なので多分おやっさんは元々通常の陸戦隊員ではなかったのだろう。


 「中々に豪儀だねぇ」


 言いながら少女はプラスチックの箱を取った。本来は小学生が自分の道具に名前を書き込む為のラベルに、5.56mmと記入された物が貼り付けてある。


 箱を開けると、実に頼りない数の弾丸が梱包用のエアパッキン、俗に言うぷちぷちに包まれて保存されている。少女が米兵の死体から剥いできた物や、おやっさんの部下である自衛官の89式小銃からかき集めた貴重な弾丸だ。


 残りは全部集めても三〇〇発と少しという所だろう。そんな弾を三〇連発マガジンに手際よく詰めていく。持って行って邪魔にならない程度の重量というのならば、精々五本程度というものだろう。


 でも、こんなに持ち出して以後の防衛は大丈夫なんだろうか? と思うのだが、気にしないことにした。とりあえず弾が無ければお話しにならないのだから。


 問題は帰ってこられるか来られないかだ。後の事を考えるのは生きて戻ってから、という事になる。


 「しっかし、やだよなぁ。こんなの握ってお散歩なんてよ」


 エコーが言いながらおやっさんの部下の自衛隊員から借りた9mm拳銃に装填出来るマガジンに9mmパラベラムを詰めていく。


 「ボーイスカウトが山で拾う棒きれみたいなもんだよ。気にしない気にしなーい」


 気軽に言いながら少女はフル装填のマガジンをM4にたたき込み、安全装置が掛かっている事を確かめた。槓桿を退いて初弾を装填するのは、安全上の為にコトが始まってからだ。


 「そんな軽いモンなら誰も気にしないんだがなぁ……」


 エコーもマガジンをグリップに飲み込ませてから動作が完全である事を確かめた。しかし、失敗したら装備を喪失するというのによくぞまぁ、ここまで豪勢に持ち出させてくれた物だ。


 「各々方装備は宜しいな?」


 戯けている少女を窘めるようにおやっさんが装備の充足が済んだかを確認した。少女は普段通りの笑みを固めながら返答する。


 おやっさんは89式を担いで9mm機関拳銃を装備し、エコーは釘打ち機の安全機構を改造して釘を射出出来るようにした物をメインアームにし、9mm拳銃をレッグホルスターにねじ込んでいる。


 他の二名は名前を覚えていないが、比較的若くて体力のありそうな自警団員だ。彼等は一人がさすまたを、もう一人はホームセンターに置いてあった大型の長柄ハンマーだ。そして、サイドアームとしてニューナンブとM37を装備している。どちらも警察官の死体から奪った物だろう。


 五人の全員が火器を装備し、近接武器もある程度は備えている。普段持って居る金属バットなどの装備から考えると実に頼もしいものだ。


 だが……その頼もしさも無数の死体の前に立てば、あまりのちっぽけさに頼りなくなってくるだろう。無数の敵を殲滅するには頼りなさ過ぎる。


 「各自準備いいな? じゃあ時刻までそれぞれ待期。いいか、変に疲れるようなことするなよ?」


 最後の一言は冗談めかして言っていたが、死を前にして親しい異性と良からぬ事をするなと窘めているのだろう。体力を消耗するので、生存確率が下がってしまうから止めたのだ。


 苦笑いをするエコーを肘で突いてから、少女は武器保管庫を後にした。戦いの前に少し、一人になっておきたかった。理由は無く、やはり“何となく”である。


 部屋に帰る途中で、少女は昨日じゃれあった子供達に捕まった。どうやら部屋の前で待ち構えていたらしい。


 「おぅ? どうしたのちみっこども」


 「おねーちゃん、戦いに行くんだよね?」


 髪の毛を二つくくりにしている少女が一歩前に出て真剣な表情で少女に問うた。今日は昨日とは別の白いワンピースを着ている。


 「あー……うん、まぁ、美味しい物取ってこようかなぁと」


 曖昧に答えながら後頭部を掻きむしる少女に、四人の子供達はざわめいてみせる。どうやら、自分に良くしてくれている人間が死の危険に身を放り込むことを理解しているようだ。


 「で、でも死ぬ訳じゃ無いよ? ほら、私しぶといしさぁ。多分死んだって天国からも地獄からも持てあまされて追い出されるかも!」


 「それってゾンビになっちゃうってこと……?」


 うっ、と少女は言葉を詰まらせた。場を和ませる冗談のつもりで言ったが、現状には相応しくない内容であった。それに従うのなら、彼等は天国にも地獄にも拒否された大罪人ともとれるのだから。


 「そ、そうじゃなくてねっ!? え、えーと、えーと……」


 「……しぬなよ」


 坊主頭の少年がそう言ってある者を差し出した。一枚のカードだ。


 輝くホイルカードで子供達の間で流行っているトレーディングカードゲームのカードだった。玩具を扱っている所に在庫が大量にあった為、室内でしか遊べない時に彼等の娯楽として専ら使われている物だった。


 そのカードは相当大切にされているのか、少し硬いスリーブに収められている。どれほどの価値があるのかは少女には分からないが、少年にとってはとっておきの宝物なのだろう。


 「これは?」


 「貸しとく。だから返して」


 目をじっと射貫くように見つめてくる少年の目は真剣そのものだ。何かの願掛けのつもりらしい。


 彼等は朝の配給所の会話を誰かから又聞きして、少女が外に出ることを知ったらしい。そして、外に出ることがとても危険である事が分かっている。


 幼い子供ながらに彼等は少女を心配し、一〇〇人針の代わりとばかりに自分の大切な物を渡そうとしているのだ。


 「えっと、俺はこれ……」


 もう一人の少年が差し出したのは硝石だった。淡い緑色に光を宿すそれはマカライトだろう。


 「これ、貸したげる」


 ツインテールの少女は自分の髪を束ねている髪ゴムを片方外した。いつも使っているサクランボの髪ゴムだ。


 「あたしはこれ。はい、いつも前髪じゃまそうだから」


 活発そうな少女が渡すのはローズマリーの花を意匠にした髪留めだ。薄いアルミ製の髪留めで、前髪を横に固定する為に使うような物である。


 少女は掌に並べられたそれらを見て、暫し溜まり込んだ後……笑顔を浮かべた。


 「おっけい、借りとく。帰ったら熨斗付けて返してやらう!」


 熨斗が何かは分からないだろうが、少女の心意気だけは伝わったのだろう。彼等は大きく返事し、声援をかけながら去って行った。長く付きまとっては準備の邪魔になると思ったからだろう。


 「ガキの癖に妙な気遣いしちゃってからに」


 笑顔をそのままに少女は自室へと戻り、掌の上の預けられた物品を机の上に置いた。そして、装備を下ろし衣服を着替えた。


 ポケットが多く備わったカーゴパンツ。真っ黒なタンクトップシャツに溢れる胸を押し込み、その上にフライトジャケットを着込む。そして、ベルトを調整してジャケットの上からでも着られるようになった米軍用のタクティカルベストを着込む。


 マガジンポーチにマガジンを放り込み、胸元に備えられたホルスターにM92Fをねじ込む。カービンを拝借した米兵から同じく失敬した物で、JOHNというタグが縫い付けられている。


 装備が万全である事を確かめてから、何故か未だに持ち歩いている学生手帳のメモを挟み込める場所に借りたカードを挟み込む。


 そして、多目的ポーチに襤褸布でマカライト石を包みこんだ物を入れてしっかり蓋をする。


 次に、長く伸ばした髪をサクランボの髪ゴムで適当に頭の高い所で束ね、零れた前髪を髪留めで頭の横へとめてやる。


 「……まぁ、こんなもんかしらねぇっと」


 借り受けた物を身に纏う、戦場に出る前の願掛けとしては良くあるもので、これが一編の物語であれば主人公が奮起する場所だろう。


 だが、それでも少女の心は冷えていた。笑みを張り付かせながらも普段通り平素のままで、特に何の感慨も抱いていない。


 借りた物を身につけたのはやはり“何となく”である。理由は無く意味も無く感情も介在していない。強いて言えば、少女に備わった自己防衛の経験則が現状に相応しい行動を取らせたと言うのが妥当だろう。


 シチュエーションがあるのなら、それに相応しい行動を取る。それが回りに馴染んで自己を傷つけない処世術から導き出される最適解だ。


 まるで道化だなと思いつつ、少女は椅子に腰を降ろしてそっと瞑目した。武装を整えておくのは何時でも出られるようにする為もあるが、戦いの前に心構えを固めておく為の意味合いも強い。


 別に少女としてはそんな事をしないでも何時でも臨戦態勢へ移れるのだが、他の人間がやっているのならそれに合わせる。異物として排斥されたない為に最も大切なのは多数に同調することなのだ。


 少女は椅子の上で瞑目したまま、思考を打ち切って時間が来るまで軽く眠る事にした…………。











 少女の体内時計は思ったよりも高性能だったらしい。浅い眠りから覚醒すると、組んだ腕の上に載せた頭を前腕から引き剥がした。


 卓上の古ぼけた時計に目をやると一二時を少し廻った所であった。外からはまだ強い風と雨音が微かに聞こえてくる。どうやら幸いな事に状況は変わっていないらしい。


 「んぅ……っ」


 小さく伸びをし、不自然な姿勢で寝たせいで固まった体を解した。数十分後には死ぬかも知れない場所に飛び込むというのに心の内は随分と晴れていた。


 「あ、時間が時間だし名無し氏にお別れの一言でも言っておこうかな」


 死ぬ気は無くても万一はある。彼は突然通信が途絶しても直ぐに忘れるだろうが、とりあえずは挨拶くらいしておきたかった。これも何となくであるが、自分は彼の事を気に入っているのだ。


 「……あっれ? 変だなぁ。この時間帯だと名無し氏、通信機付けてるはずなのに」


 無線機の電源を指先で弾いて入れ、メモに書いてある周波数に合わせたが、帰ってくるのは空電音だけだ。間違ったかな? と思って目を近づけて見直してみる物の、周波数は全く違わず彼の物を示していた。


 「あっれ、おっかしいなぁ……名無し氏も忙しいのかな?」


 通信が繋がらないことは今まで間々あることだった。別段心配する必要はないのだが、少女はとある予感を察知する。


 多分、今頃彼も戦っている。死体とか、人間とかは分からないが。


 獣のような直感は的中しているのだが、それを少女には知る由は無い。だが、それでも少女は少し面白く思えて笑った。


 「んふふ、名無し氏も頑張りたまへよ。私も……」


 一丁頑張るかぁ、と軽く気合いを入れながら、少女はM4の槓桿を引いて薬室へ初弾を叩き込み、部屋を足早に出て行った…………。 

 ほぼ一ヶ月ぶりですね、待たせて申し訳ありません。講義の合間にゲフンゲフン


 どうでしたでしょうか、今回色々と忙しかったのもあるのですが、普段より大分冗長な上に分量にしては進行が遅いです。当社比1.5倍といった所でしょう。進行が遅いだけならまだしも、日本語が不自由になってそうでなんというか……


 試験前の息抜きに上げてみました。後は五章分ほど書き溜めてある没を食らったネタを投棄していきたいとも思うのですが時間がないので試験が終わってからやると思います。みんな大好きネトゲものですよ。


 そして、相変わらずキチ○イ……私の書く女はこんなんばっかりかと他方からツッコミが十字砲火で飛んできそうですね。


 次回は久しぶりに死体との戦闘です。たまには表現にも気合いを入れないと。


 色々不安定な状況の下仕立てたので、誤字・脱字・誤用・日本語の誤り・作内での矛盾などありましたらご報告願います。感想には勇気づけられており大変ありがたいです、よろしければ今後も付き合ってやって下さい。

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