暇人と子供と騎兵小銃
今回は暇人、少女視点のお話しです。あんまりグロくはありません。むしろグロ注意外してもいい気がしてきた。
広い空間があった。地面は打ちっ放しのコンクリートであり、周囲は背の高いフェンスに囲まれ、視界は何処までも開けている広大な場所だった。昇降口の為に少し飛び出した建屋部分があり、他には大型の給水塔も幾つか供えられている。
そこは屋上であった。とある全国展開の複合ホームセンターの屋上であり、寒空の下には洗濯物が物干しに吊され、冬の冷たい風に吹かれてたなびいていた。
洗濯物が干されている時点でホームセンターの屋上としては異質なのだが、其処に更に異質な物が一つ鎮座していた。電波塔だ。
適当な木材や工作用ステンレスレールなどをボルトや釘で固定し、腐敗や劣化を防ぐ為に金属色をしたペンキで表面を塗られているので、ぱっと見た感じでは本物の鉄塔に見えた。
真下に立って見上げたら首が痛くなるなるほど長いそれは、その頂点から更に鉄のポールを伸ばして高さを稼いでいる。そして、その先端に電波の受送信機が据え付けられていた。
構造的にはアマチュア無線機の電波の受送部と同じなのだが、その規模はアマチュアとはとても呼べない物だった。送信範囲も受信可能範囲や精度も高く、ちょっとした民間ラジオ会社程度の機材と比べても遜色ない程だ。
そんな電波塔の下で、一人の少女が座っていた。少女、といっても何とも少女らしからぬ外見をした少女だった。
女子供が好き好んで着そうに無いポケットの沢山付いたカーゴパンツに黒革のフライトジャケットを着込んでいるのだが、その少女らしくない印象は被服から来る物では無い。
少女の身長は180cm近くあり、ハリウッド女優も顔負けの引き締まったスポーティーな体つきをしていた。
あまりに立派に発達した体だけを見れば、どう見ても、少し前まで高校生であった少女には思えまい。
しかし、少女の顔は何も体とミスマッチに、愛嬌を多分に感じさせる顔をしていた。
軽くうねりを帯びた髪は大型犬の毛並みを想像させ、それが彩る顔は、何が面白いのか分からないが常に人懐っこい笑みを浮かべている為に、見る人へ殊更に犬のような印象を与える。
育ちきった大人の女のような体に、まるで過去から浮かび上がってきたような年相応の雰囲気がちぐはぐなのだが、不思議とそれが組み合って不思議な美を醸し出していた。
そんな、少女と呼ぶには少々発達し過ぎている不思議な少女なのだが、彼女は高校生なので概念的には間違い無く少女である。とはいえ、それも十ヶ月ほど前までの話であるのだが。
そんな彼女は電波塔の根元に腰掛け、崩れぬ笑みを浮かべながらカービンライフルを抱えて空を眺めていた。太陽は出ているものの、薄い雲で灰色に染まった空はかなり陰鬱に見える。
「うーん、一雨来るって程じゃないかなぁ? 雨の臭いもしないし」
そう言って鼻をひくつかせるが、雨の前に漂う仄かな水の香りや、何処か遠くの別の所で雨が降った際に漂ってくる土の臭いはしなかった。風も湿っていないので一雨くる事は無いだろう。
少女は高倍率のサイトが装備されたM4カービンライフルを抱えながら、そんな陰鬱な空を何をするでも無く笑いながら眺めていた。この少女は常に笑みを崩さないが、一体何が面白くて笑っているのだろうか。
そんな風に空を観察していると、扉が乱暴に開かれたのが分かった。そして、それと同時に響く幼い声。
「ねぇちゃーん!!」
昇降口に目をやると、数人の子供が立って居た。年の頃は小学校低学年くらいと思しき子供達で、少年が二人に少女が二人の組み合わせだ。
彼等は笑顔で少女の下へと走り寄ってくると、笑顔で遊びに誘った。少女は笑みをより強くして誘いを受ける。少女はすることが無い時は専ら彼等のように元気を持てあました子供の相手をするのが仕事であった。
そして、彼等は少女に馴染みの深い、特に懐いてくれている子供達だった。全員体を動かすのが好きで、少女の性質に合っているのだろう。
「やぁやぁ、じゃあ今日は何やろうか?」
セーフティーがしっかり掛かっている事を確認しつつ、スリングでカービンを肩に背負い、少女は立ち上がって尻の土埃を払った。
「キャッチボール!」
「サッカー!」
「鬼ごっこ!」
「ナイフの使い方教えて!」
全員が全員バラバラの事を大声で主張した。丸坊主の少年は手にグラブと野球ボールを持っており、伸びっぱなしの髪を後頭部で束ねた少年はサッカーボールを持っていた。
蒼いワンピースを着て分厚いタイツを履いた少女は無手であり、ナイフの扱いの教えを請うた長い黒髪をツインテールに結わえた少女は手に大ぶりな果物ナイフを持っている。
少女は少し困ったように笑い、せめて何やるか統一してきてよーと言う。自分のしたいことを優先するのは子供として当然なので、少女としては厳しく窘めようとは思わなかった。多分自分が子供の頃はもっと酷かったような気がするからだ。
そう言われて彼等は顔を見合わせ、暫く自分のやりたい事の方が楽しいと主張していたが、その内にジャンケンで決定することにしていた。付き合いが長いらしく、口舌で言い合っては何時までも決まらないと分かっている為にか早々に決める為の方法として定番となっているのだ。
数回音頭の声が響き、悲喜交々の声の後に勝利者となったツインテールの少女が笑顔で鞘に収まった果物ナイフを掲げた。
「じゃあ、ナイフの使い方を教えてあげよっか」
少女は手を打ち合わせて言った。誰も文句は言わない。みんなで遊べば自分がしたい事でなくても大抵楽しいし、だだを捏ねて空気を悪くしたり、遊べる時間を減らしたくないと思って居るからだ。
「こないだは果物のむき方とか教えたし、今日はどんなのがいい?」
笑って問いかける少女に、発案者たるツインテールの少女は笑顔で、「人の切り方!」と宣言した。
一瞬、何を言っているのか脳が理解を拒否して呆気にとられた。しかし、徐々に現実が脳に浸透してきて理解が進む。少女は戦い方を学びたいと言ったのだ。
「な、なんで? 急に……」
珍しく笑みが崩れた。焦ったような困ったような、普段は緩やかな弧を描いている眉の眉尻が下がっていた。
「お母さんがね、ゾンビ怖いって言って泣いてるの。だから、私が斃せたらなーって」
発案者の少女は無邪気に笑いながら言う。彼女は知らないのだろう、戦う事のリスクと死について。そして、ナイフを生物に突き刺した時のおぞましい感覚を。
無邪気な子供であっても意識せねばならないのだ。直近の脅威として存在している動く死体の事を。それらは飽きる事無く彼等の家の近くで蠢き、恨みがましい視線と呻きを浴びせかけてくる。
現実という物を知らないのが常の子供達であろうとも、嫌というほど見せつけられれば理解せざるを得ないだろう。戦わなければ殺されるという現実に。
しかし、現代の価値観が抜けきっていない親の中で彼等に進んで戦闘訓練を受けさせる者は居ない。そもそも、その親の中でも一部の意識の高い人間でもないかぎり自警団に加わろうともしないのだ。自らの子供を死体と戦う戦士に仕立て上げようとしないのは彼等からすると当然の事だろう。
少女もそう思う。子供の仕事は遊ぶ事と笑うことで、そんな陰鬱で血と死が隣り合わせの場所に立つ事ではないのだ。
だが、それはあくまでかつての話だ。子供とは庇護される存在であっても、その庇護は脆く崩れ去る物である。庇護が崩れたら子供は容易く腐れた死体の食事になる事だろう。奴らには慈悲も容赦も無い。子供であっても動く物なら他の食事と同じように、食い千切り咀嚼する。
今まで正常だった世界での常識は、世界が狂った後においては非常識となってしまった。彼女はその事を何となくだが理解しているのだろう。そして、母の不安を払拭したいという子供らしい行動原理にそれが浮かび上がってきたのだ。
純粋で母思いの良い子だ。少女はそう思い、崩れた笑みを元通りの強い物へと変えた。
「よーし、じゃあちょっとだけ教えちゃおう! でも、勝手に出て行ったりしちゃ駄目だよ? 戦うのは自警団の仕事だからねー」
元気な返事が返ってきた。みんな素直な良い子なので、しっかり理解してくれていると思うが一応は釘を刺しておかなければならない。自分のせいで一人でも死んだら寝覚めが悪くて仕方が無いだろう。
ふと、自分の考えを少女は内心で自嘲した。釘を刺した理由が、死んでしまったら可哀想だし悲しいからではなく、寝覚めが悪いからと自然に思ってしまった事とは。
確かに死なれたら泣くかも知れないし、怒りに駆られて死体を撃つかも知れない。だが、悲嘆に暮れる事はしないだろう。少し泣き、少し怒って終わりだ。後はほんの少しの罪悪感に苛まれながら生きて時折思い返すのみになる。そして、自分は仲の良い子供を失う悲しみよりも、その後に己を苛む罪悪感を忌避したのだ。
本当に自然に、そして無意識の内に、心の安寧を自分は優先していた。生きていて欲しいから注意したのではない、自分が罪悪感を抱きたくないから注意したのだ。
何とまぁ、自分勝手で醜い生き物であろうか。少女は表面上の笑みは一切崩さず、内心では自分を嘲る醜い笑みを浮かべていた。そして、それと同時に自分は所詮こんな生き物なのだと諦観の念も抱いていた。
昔からこういった考え方をしていた。全て利己の為に考え、利己が気分良く生きる為に周囲へと気を遣っていた。何故こうなったかは分からない、恐らく自分の奇特な産まれに対する周囲からの反応に反発するのではなく、受け流して受け入れられる為だと思う。
明色の髪や日本人離れした外見から分かるとおり、少女は純粋な日本人では無い。父親はイギリス人で、母親は日本人とアメリカ人のハーフだ。少女は両親の遺伝子から外見的に優越した因子を殆ど全てと言って良いほど遺伝し、今のような姿に育った。
子供の頃は今よりずっとサイズは小さいものの、やはり日本人にはとても見えない外見だ。まるで人形のようだと評される容貌は皆から褒め称えれると同時に奇異の視線に晒された。他の子供からしたら、自分達とは違う異物にしか見えなかったのだろう。
そして、子供の世界は子供同士の関係と一部の大人との関係によって構築される。他の大人がどれだけ褒めてくれようとも、本人からしては同じ子供に受け入れて貰えなければ何の意味も無いのだ。
だからこそ、少女は回りから受け入れられる為に人当たりの良い誰にでも優しく笑顔を絶やさない人物になったのだろう。正確には、そう装っていると言った方が正しいのかもしれないが。それが幼い頃に少女が身につけた処世術であり生き方だった。
生き方は一度固まると早々変わる事は無い。基本的な処世術とスタンスは全く変わらず、ただ自分の外見に惹かれてくる異性の対処法が新たに加わった程度だ。
我ながらどうしようも無い生き物だなぁ、人の命よりも心の安寧の方に重きを置くなんて。と少女は思いながら自分がフライトジャケットの内側にホルスターでぶら下げてある大ぶりのナイフを抜き放った。
スポーツ用品店で売られていた大型のナイフで、刀身は非常に分厚く刃渡りは30cm程もある。間違い無く普段持ち歩いていたら一発でご用になる巨大さである。
刀身が分厚いのは枝を叩き切っても折れないようにする為であるのだが、切れ味はお世辞にも良くない。マットブラックに塗られた刀身の塗装が刃の付近で酷く剥げているので小まめに研磨されている事は伺えるが、少々指を擦り付けた程度では薄皮が切れる程度だ。
何故そんな切れ味の悪い物を持ち歩いているかというと、戦闘の際に必要なのは切れ味よりも先端の鋭利さと頑強さ、そして本体が有する質量と重量だ。
死体を完全に殺すのであれば、首を切り落とす等して頸椎に大きなダメージを与えるか、頭を叩き潰して脳幹に直接大きな損傷を与える必要がある。そうしなければ連中は四肢をもがれようと、内臓を垂れ流そうと動き続ける。
そして、頸椎に効率的にダメージを与えようと思ったら必要になるのは切れ味よりも、肉に潜り込ませる為の先端の鋭利さだ。先が入れば後は刃が切り込む事も必要だが、要求されるのは殆ど膂力だ。そして、初速が早ければ刺さった後で力を掛けるまでもなく頸椎にまで達することが出来る。
人間を殺すのであれば刃で撫でるように頸動脈を立てば良いのだが、連中の心臓は活動していないので、刃にて撫で切りにする攻撃は殆ど意味を成さない。精々腱を切れば切られた四肢が動かなくなる程度だろう。
頭蓋を叩き割って直接脳を破壊する時も同じだ。必要なのは重さと頑丈さと膂力。有る一定の加速度を得た鉄の棒ならば頭を破壊する為に刃の有無は問われない。破壊力さえ高ければそれでいいのだ。
そのためにナイフは分厚さと頑丈さを優先して刃は二の次で選んだ。まぁ、死体相手にナイフなんぞを抜かなければならない事態に陥った時点で殆ど詰みであろうが。
とはいえ、別に現状で子供達にそんな戦い方を教える必要は無い。身長差がありすぎるので教えてもまともな戦いにはなるまい。
なので、少女は基本的なナイフの扱いだけを教えることにした。調理の為の使用法としてではなく、死体ではなく人と戦う為の技術としてだ。
「はーい、まずナイフは順手……普通に刃を上にして握りまーす」
実際に握って見せながら、少女は何となく中学生の時に行かされた職業体験の事を思い出した。何となく保育園を選んだが、子供のパワフルさに辟易させられたのを良く覚えている。
「そうやって握ったら体を半身……横に向けてねー。ナイフ持っている手を前に突きだして、刃先が向いている方を向くんだよー」
しかし、自分は一体何をやっているのだろうか。幼稚園児にお遊戯を教えるような語調と気軽さで人を殺す方法を教えるなんて。
確かに必要な事ではあるだろう、彼等が今後もまともに生き延びようと思うのなら。何れは誰かが教えないとならない事だ。現状では戦士になるしか人が生き延びる術は無いのだから。
「なんでこうやって構えるかっていうと、相手が狙える場所を減らす為なんだよ。ナイフを構えてる手が突き出されてるから近寄り辛いし、体が横を向いてるから相手のナイフが届かない場所を突きにくいんだよ」
半身に構えれば自然と相手と対峙する自分の体の表面積は減る。そして、面積が減ることによって狙える場所は減少し、腕を少し振るだけで突き出された相手のナイフを払うことが出来る。
子供達は持っていた果物ナイフや、近場に転がっていた電波塔を補修する資材の切れっ端で少女の真似をしている。微笑ましくもあり、痛ましくもあり……何とも複雑な光景だった。
「腕はピンと張るんじゃなくて、少したるむように構えるんだよ。ちょっと伸ばすだけで直ぐに突きになるからね」
別に人を殺そうと思えば大ぶりは必要ない。モーションは最小限に、素早さは最大で、相手の急所を狙います。そして、刃先がほんの数センチ潜り込ませるだけで死ぬ。
首を切れば頸動脈が切れて失血死するし、喉の真ん中を突けば気管が敗れて酸欠死だ。それ以外の場所でも斬られれば痛いので相手は当然怯む。そして、怯んだら隙が産まれるので急所を狙ってやれる。
素早く細かく、それがナイフを用いた戦闘での鉄則だ。別に態々ナイフを数十センチも突き立てて心臓を突いてやらないでも人間は死ぬ。それも、びっくりする程あっけなく。
「大振りは禁止、例え相手が転んだりして大きな隙があってもね。細かく何度も振って急所を狙う、これが鉄則。分かったかな?」
問いかけると元気の良い返事が返ってきた。理解してくれて嬉しいのか、それとも理解して貰えない方が良かったのか……その判断は付かない。自衛の為に使えるし、良い方に働いてくれると思うことにしよう。
「突きと切り払いは状況を判断して選んでね。突きは当てにくいけど効果が高い、切り払いの傷は浅いけど当たりやすい」
実際に一歩踏み出して仮想的の喉頸に切っ先を突き込んだり、手首を切り払ってみる。その一挙手一投足に無駄は無く、刃が趨る度に鋭い風切り音と光が閃いた。
「ただ単に突き出すんじゃ無くて、全身の筋を連動させるように素早く自然に。それと、相手の反撃も考えて体裁きを……体を動かすこと」
姿勢は低く、膝や肘は直ぐに動けるように完全には伸ばさず動いても僅かに撓みを残す。大きく動くのでは無く、細かく素早く。突きは点の攻撃なので少し動くだけで避けられるし、切り払いなら軽く退いてやれば良い。
近接戦闘に関して肝心なのは、如何に素早く動くかだ。素早く俊敏に動ければ此方の攻撃のみを当て、相手の攻撃は躱すことが出来る。この理屈は言うには簡単だが、最も難しく、そして真理だ。
「相手に刃が刺さったら、手首を返すようにして抉る。こうすれば相手のダメージが大きくなるし、逃げられても傷の治りが遅くなるんだよ。何より痛いしね」
仮想的に喉と胸の境目にナイフを突き出し、切っ先で何かを穿るように手首を返す。実際に突き出されていたなら大きく切り口が不揃いな傷が開いた事だろう。
暫くデモンストレーションを行った後で、少女はナイフを宙で軽く払って空想上の血を払い、小さくお辞儀をした。
「お粗末様でしたっと」
子供達は頻りに手を叩き、格好良いと演舞を終えた少女を湛えた。人殺しの技術を披露して褒められるのも、純粋に賞賛を浴びるのも何処かむず痒い気がして少女は照れ隠しに頭を搔いて微笑んだ。
「まぁ、私のは付け焼き刃だからねー。実際に自分で動いて慣れないと意味ないよ」
そうってナイフを鞘に戻した。良くある凛とした響きは無く、ただプラスチックの鞘に鍔がぶつかった硬質な音が響いた。
少女は年齢が年齢なので本職の軍人たり得ないし、通っていたのは普通の学校で自衛隊学校などの軍属を教育する為の場所では無い。
この妙に達者なナイフの扱いは、中学生の頃に何処ぞのPMC、民間警備保障会社開催の特別護身術セミナーで身につけた物だ。
夏休みに父方の実家に帰った時、祖父に言いつけられて嫌々に通ったのが始まりだが、どうやら少女には誰も想像していない程人間を解体する才能があったようだ。
ナイフの扱いはあくまでセミナーの一分野に過ぎなかったが、少女の動きを見て教官が戯れにナイフファイトの講座に行かせてみたら、これがぴたりと嵌まった。少女はメキメキと腕を上げ、セミナーが終わる頃には下手な軍人を圧倒するほどの力量になっていた。
エアライフルという競技を始めたのも、このセミナーで銃を少し触らせて貰ってから興味を持ったからだ。
母は根源的に人殺しに繋がる競技を趣味にすることへ難色を示したが、結局祖父の押しと父の快諾によって彼女はエアライフルを始め、今の技術を身につけた。そして、偶然身につける事となった技術が彼女を今も生かし続けている。
因果だなぁ、と思いつつ少女は汗も搔いていないのに額を拭って見せた。コミカルで態とらしい動きをして、自分の内心を隠すようになったのは何時の頃からだっただろうか。
まぁ、思い出せないならそれでいいやと思いつつ、少女は未だ自分を熱っぽい目で見ている彼等を手を打ち合わせることによって黙らせた。
「はいはい、今のは単なる技術だからね。大事なのは基礎だよ基礎、強くなりたいなら走るとか反復横跳びとかをする!」
そう言って右手で貼り付けられたテープを指さした。運動の為に張られた目印のテープで、反復横跳びや幅跳び、ラダー走のラダーに代わりに使われている。
「筋トレとかはしなくていいの?」
「君らの年齢だったらまだまだ筋肉は目に見えるほど付かないし、付けたら背が伸びにくくなるよ。だから、スタミナの為に兎に角はしれーい!」
坊主頭の少年がそう聞いてきたので、少女は戯けるように手を突き上げた。そうしたら、四人とも笑って走り出した。ランニングのコースは屋上のフェンスに沿って一週だ。結構な広さがあるので、外周だけでもそこそこの距離はあるだろう。
「おーおー、子供は走るのはっやいなぁ」
全身を使って走り回っている四人を眺め、感嘆の声を漏らしながら少女も屈伸を始める。小さい体を全力で動かし、小柄な物が素早く走っているので余計早く感じられた。
大きく屈んでアキレス腱や腰の筋を伸ばし、体を温める。既にナイフを振るったので幾分エンジンはかかりつつあったが、全力で走るのならストレッチをしておくべきだ。
「よーし、ちびどもー!」
体が十分解れて温まったと判断した頃、少女は走っている子供達に聞こえる程度の声で呼びかけた。今は三週くらいした所だろうか。
「今からおねーさんおっかけるから! 追いつかれたらバツゲームねー」
向こうから不平と抗議の声が聞こえてきたが、少女は無視して走り出した。今日しようと思っていた運動のメニューは既に済ませていたのだが、楽しそうに走っているのを見ていたら自分も走りたくなってきたのだ。
行くぞーと声を掛けてから、腰を深く降ろして力を溜め……限界まで伸ばされた輪ゴムが拘束から放たれたかのような勢いで飛び出していった。
全身を獣のように躍動させ、筋肉と筋が適正なフォームに沿って踊る。高校の授業でやらされたフォーム練習だが、速く走ろうと思ったらこれほど役に立つ技術も無いだろう。
「うぉぁぁぁ!? ねーちゃんはぇぇぇぇぇ!?」
先頭を走っていた坊主頭が顔を引きつらせながら叫び声を上げた。少女はそれに悪戯っぽく笑って答えてやる。笑って、とはいったが口を嫌味にねじ曲げる実に外連味たっぷりの笑みであったが。
「追いついたら泣くまで擽るからねー」
宣言し、少し速度を上げた。確か記録を計った時は一〇〇メートル走で十秒台後半くらいだったと思う。
確かに子供は素早く感じるが、小さい物がそこその速度で動いてたらとても速く動いているように見えるだけの錯覚だ。多分、一番足の速い坊主の子でも五〇メートルで七~六秒台がそこそこだろう。
差はあっという間に詰まっていき、最後尾を走っていたワンピースの子の所に少女が遂に追いついた。最早腕を伸ばせば直ぐに首根っこを掴める位置だ。
「ほーれほれ、捕まえちゃうぞー」
煽るように言っていると、子供達は悲鳴を上げるが、それは本当に逼迫した物では無く実に楽しそうな悲鳴だった。
そろそろ一人くらい捕まえようかなと思っていた時、不意に屋上の扉が開かれた。
おや? と思い走りながら其方に目をやると、エプロンを着たふくよかな中年女性が其処に立っていた。
「アンタ等! 遊んでないで洗濯物取り入れるの手伝い!」
末尾に小さな「ぃ」が加わるような上がり気味のイントネーション、今時珍しい気がするコテコテの関西弁だ。パーマが抜け掛かった白髪交じりの頭に、背は低い物の小ささを感じさせない大きさ。これぞ庶民の母と言った姿だ。
「うぇっ、おふくろさん……」
少女は顔を歪め、速度を緩めて数回足踏みしてから止まった。強引に急停止したら筋が離れたりすることがあるからだ。
「アンタみたいな大きな子供を持った覚えなんかあらへんわ。さっさ動き、なんや降り出しそうや」
そう言って彼女は洗濯籠を一つ放り投げてきた。少女は籠を受け取り、少年達から離れて洗濯物の群れへと駆けていく。
彼女は外見が嵌まっていることと、何かと周囲に世話を焼いて家事をしている事からお袋さんと呼ばれていた。此処での家事を取り仕切る母親代わりのような人だ。
そして、今の所誰も大っぴらには逆らえない唯一の人でもある。下手に反抗しよう物なら死体でも逃げ出すようながなり声で怒鳴ってくるのだから従うほかは無い。血気に溢れる若者ですら追い返す胆力には少女ですら敵わない。
「ちっ、天気がよーないからまだしけっとるな。しゃーない、一旦取り込んでから部屋干しで我慢しといたろか」
お袋さんはシーツを軽く掴んでから舌打ちをした。確かに天気は良くないので洗濯物もしっかりと乾かなかったのだろう。その辺にある丸首のトレーナーを掴んでみたら、ゴムが入っていて分厚い襟首や袖口がまだ湿っていた。
室内干しで臭いが気になるなどとぶつぶつ言いながらお袋さんは籠にシーツを突っ込んだ。湿っているそれの四隅をきちんと合わせて丁寧に畳んでから入れているので、言動の荒っぽさに反して家事の腕は良いらしい。
少し遅れて子供達も駆けつけて、数人で協力して大きなシーツを取り込み始めた。ホームセンターには寝具コーナーもあるので、寝心地の良いベッドとシーツには事欠かない。
細かく裂いて予備の包帯にしたり、松明を作るのに使っても、まだまだ余るほど残っている。それこそ正常だった時には文字通り売るほどあったのだから当然ではあるが。
生乾きで嫌な臭いがする誰の物とも知れないトレーナーを籠にねじ込みながら、少女は小さな溜息を吐いた。昔なら乾燥機やらコインランドリーに行けば良かったのだが、今となってはその願いも叶わない。
二階にある家電量販店に洗濯機は沢山有るのだが、電気は無駄に出来ないので使えない。ホームセンターで売られていた家庭用発電機が主な発電減だが、それの燃料は決して多くないガソリンで賄われている為に必要な時にしか使用出来ないようになっている。
例えば、夜中に死体が柵を破って追い出さないといけない時の照明や、武器として使っている釘打ち機のバッテリーを充電する為など、どうしても必要な時にしか使用許可は下りない。同じ理由で電池も使用制限が出来ているほどだ。倉庫に唸るほど眠っている電池達も、無限ではない。
そんな訳で洗濯物は殆ど手洗いか、ホームセンターにあった一人暮らし用の手で回す小型人力洗濯機などで行われている。シーツや毛布のような大物を洗う為に月一度だけ洗濯機の使用許可が下りるが、燃料の在庫から考えて頻度はもっと落ち込むだろうと少女は考えていた。
皮脂で染みだらけのシーツというのは気分の良い物では無いが、肝心要の時に燃料が無くなって電気が使えないというのは困る。その時が来れば我慢するしなくなるだろう。なら、今のうちから少しは慣れておいた方が良いかもしれない。
一人でシーツを外し、地面につけないよう器用に折りたたんでいると、少し下が騒がしいなと思った。ホームセンターの内部ではなく、外周部での騒ぎだ。
少女は訝しんで眉を顰め、シーツを畳むとワンピースの少女に押しつけた。ちょっとお願いと言いながら物干し竿から離れ、背中に手を回す。
お袋さんが、どうしたのかと問いを投げかけてくるが、少女は無視してカービンライフルを取り上げ、ストックの根本付近に備えられていたハンドルを引いて初弾を装填した。
金属同士が擦れる鈍い音を聞きながら、安全装置のセレクターを親指で弾いてセミオートに合わせる。そして、トリガーガードに指を添えながら、風に乗って喧噪が届いてくる方向へと向かった。
子供達やお袋さんは何事だと少女を見つめるが、少女はそんな事は全く歯牙に掛けずデフェンスに取り憑いた。そして、そこから下を見やり……少しだけ眉を上げた後で、小銃を肩付けに構えた。
備え付けられたサイトを覗き込み、レクティルの中央に映り込んだ的を睨め付ける。そして、小さく舌先を瑞々しい唇から覗かせて風向きを読んだ。微風が真横から流れ込んでいるのを感じ、少女は少しだけ倍率を弄りレクティルの位置を変更させた。
それと同時に、再び屋上の扉が打ち破るかのような乱暴さで跳ね開かれた。開いたままの勢いを保って壁にぶつかり、耳障りな金属の大音響を轟かせる。合わせて錆が浮きかけた蝶番が断末魔の軋みを上げた。
「おい! フェンスが一部破られちまった! さっさと来い!」
扉を破るようにして転がり込んできたのは一人の男だった。大学生くらいの風体で、頭は丸刈りにしてそり込みがあるが、髭は何かの拘りか丁寧に切りそろえて伸ばしている。
身に纏っているのはカーゴパンツと妙なロゴと意味を成さない英字が細かく羅列されたシャツにダウンジャケット。ホームセンターの物を集めたファッションだろうが、どう見ても場末のチンピラだ。
チンピラのような男は右手に金属バットを持っているが、それは凹みや傷があるものの血糊は付いていない。どうやら下で直接交戦したようではないらしい。
少女が睥睨する駐車場では、一部のフェンスが傾いて隙間を作っていた。そして、そこから死体が侵入しようとしている。
何人かのチンピラのような格好をした男に似た青年達がフェンスを押して侵入を阻もうとしているが、そう長くは持つまい。死体共はこのホームセンターを十重二十重に覆い、まるで尽きる事の無い波頭のようにフェンスに押し寄せているのだから。
この男は銃を持っている女に助けを請いに来たのだ。下の人では殆どフェンスを抑えるのと、補修用の資材を取る事に出払っており戦える程居ない。だから自警団や銃器を携帯した戦闘員の所へと伝令の役割でやって来たのだろう。
助力を請うと言うよりも命令すると形容するのが相応しく思える無礼な口調にも、少女は何の反応も示さず冷えた視線で下の喧噪を観察する。
一体の死体がフェンスの隙間から手を伸ばして近場の男の手を取ろうとしていた。そして、その手のせいでフェンスが完全に閉じられなくなっている。
背後で何か喚いているが少女は無視した。脳内で瞬時に計算を済ませ、計算の結果と経験則によるカンに頼って銃口を巡らせ……指先を引き金に重ねた。
「Some Like It Hot?」
戯けたように呟き、引き金が絞られた。映画のように劇的ではない銃声が一度轟き、薬莢が鈍色の空に黄金の軌跡を残す。
そして、マズルフラッシュと同時に隙間から腕を伸ばしていた死体の頭が弾け、もんどり打って背後へと倒れた。先客が失せた事によって空いた隙間に別の死体が体をねじ込もうとするが、少女はそれを許さず次弾を隣に居た女の死体の額へねじ込んだ。
頭蓋が砕け、腐れて糸を引く灰色の脳漿が背後へと居並ぶ死体へブチ負けられた。自分の顔に新鮮とは言いがたいが、食べられる何かが掛かったことで死体達は腐敗して黒く染まった舌で顔を嘗める。
何と不気味で怖気を誘う光景であろうか。それでも少女はそんな事を気にせず、更に数度引き金を絞って隙間へと殺到する死体を討ち滅ぼした。ほんの僅かに動く的を単調に打ち倒していく作業の中で、彼女は親の故国で少しだけ遊んだカーニバルの射的を思い出していた。
M4カービンは自動小銃としては非常に精度が高く、装備しているスコープによっては狙撃のような運用にも耐えうる。また、ボルトアクションライフルのように一々槓杆を引いて次弾を装填する必要が無い。このように尽きない敵を斃すには持って来いの武器だった。
餓えた亡者はただ愚直に、唯一の欲求を満たしてくれる光明へと向かうが、拒絶の意思を込めた鋼に素気なく払われる。そして、細く垂れた蜘蛛の糸のようであったフェンスの隙間は、無情にも押し込められて閉じた。
フェンスを抑えている男達が気合いと怒号の声を上げながら隙間を押し、数十体の死体の圧力に耐える。普通ならば一瞬で崩壊しかねない勢いだが、此処を突破されるとどんな目に遭うか分かっているので彼等も必死だ。所謂火事場の馬鹿時からと言う奴だろう、危難に反応して脳のリミッターが弾けているのだ。
少女が更に二発撃ってフェンスにかかる圧力を減らしてやった時、ようやく補修用機材を持った男達がホームセンターの中からやって来た。その中には自衛隊の戦闘用野戦服を着込んだ男達の姿も見えた。少し老けた短髪の男はきっとおさっやんだろう。
壊れた部分に男達は張り付き、ホームセンターから持ってきた木材や鉄パイプ、新しいフェンスを押しつけて針金やワイヤーで括り付けて固定する。その間にも死体はお構い無しに拳を打ち付けたり隙間に指をねじ込んでくるので作業は難航するが、それでも作業は着実に進んでいった。
新しいフェンスが巻き付けられ、元から有った支柱に新しい支柱が針金とワイヤーで何十にも巻かれて固定されたのを見届けると、少女はようやくカービンを降ろした。
合計八発撃って、その八発全てが額へ予めラインでも引かれていたかの如く吸い込まれて中身を背後へブチ撒けさせた。
屋上からフェンスへの距離は直線で八〇メートル以上はあったが、少女はその射撃を僅か数十秒で事もなさげにやってのけた。
「ほい、これで満足?」
未だ入り口の方で惚けている男に言うと、少女はマガジンを外してから鋼管を引いた。装填されていた未使用の弾が排出され、彼女はそれを受け止めると、弾が抜けて幾分軽くなったマガジンに再びねじ込んだ。
「ぼーっとしてないで助けに行けば? 人手足りてないみたいだけど」
少女はそう言って手を振った、まるで犬でも追い払うような手つきで。そこまでされて男はようやっと覚醒し、堰を切ったように下へと降りていった。足取りがかなり危うかったので、途中で縺れて転んだりしなければ良いのだが。
少女がセレクターを弄って安全の位置に持って行くと、今まで見ていた子供が歓声を上げた。やはり、子供は派手で一般の人間に出来ない何かを観察するのが好きなのだ。コミュニティーの命を大勢救った射撃も、彼等からすれば曲撃ちと何ら変わらない。
「ねぇちゃんすげぇ!」
「格好良い! 格好良い!」
惜しげも無く浴びせかけられる賞賛に、少女は鼻高々と言うように胸を張り小さな高笑いを上げた。それに合わせて豊かな胸が弾むように揺れる。
「はっはっは、苦しゅうないぞ。もっと褒め称えよ!」
「調子に乗るんやない」
笑っていると、いつの間にか近くに来ていたお袋さんに頭を叩かれた。絶妙な力加減のおかげが、とても良い打音が響いたが痛くは無かった。これが関西人の年期が入った突っ込みかと少女は感嘆しつつ、叩かれた部分を擦りながらばつの悪そうな笑みを浮かべた。
「はは……お粗末様でした」
「笑っとらんでさっさと洗濯モン取り入れぇ。後、手ぇ拭っとき、洗濯モンに火薬滓ついたらたまらんわ」
そう言ってお袋さんは彼女に濡れティッシュの袋を手渡した。ホームセンター内で手に入る基本的な衛生用品で、今となっては体の清潔を保つ為に最も使われる物だ。シャワーなど浴びれよう筈も無いので、体を綺麗に使用と思えばこんなティッシュか硬く絞ったタオルで擦るくらいしか出来ない。
少女は数枚引っこ抜いて手を丁寧に拭った。火薬滓は目に入ったりしたら失明の危険性もあるので銃を撃った後は丁寧に拭っておかなければならないからだ。念の為、もう一枚抜いて顔も拭っておいた。
「ねーちゃん、何かおっさん臭い」
「なんですとっ!?」
濡れティッシュを両手の上に広げて、それで顔を拭う様は正しく夏に中年男性が行うそれである。少女は顔面に濡れティッシュを押しつけたまま不明瞭な声で騒いだ。
「なぁにやってんだ、彼奴……」
いつの間にか屋上の昇降口にやってきていた自衛隊の戦闘用野戦服を着込んだ壮年の男、おやっさんが子供相手に本気で憤慨している少女を見て、呆れた様に呟いた。
「何や、まだ下騒がしいけど、こんなとこに来とってええんかい?」
そんなおやっさんにお袋さんはシーツの詰まった籠を抱えて話しかける。一旦下に持って行くつもりであるらしく、同じように洗濯物が詰まった籠を持った少女二人が後ろに続いている。
「ああ、バリの再構築は済んだからな。今は自警団の連中が鉄パイプやらを使って死体共を減らしてる所だ」
おやっさんは三人が通れるように一歩横へ逸れてから、懐から煙草を取り出して、箱の尻を数度指先で叩いて口からフィルターを飛び出させ始めた。
緑色のソフトパッケージから飛び出したフィルターを直に加え、パッケージと外を覆うフィルムの間にねじ込んでいた百円ライターを取り出して火を灯す。
「俺は……彼奴が何発撃ったか確認に来ただけだ。火器の管理は大切だからな」
咥えた煙草で示すように顎を上げてから、男はパッケージを仕舞いつつ口の端から煙を吐き出した。
男は態々火器の総数と弾の在庫を確認する為にやって来たのだ。それらの管理と正確な数を把握することは、このように半端な火力を有しているコミュニティーにおいては最も大切な事だ。
武器は生き残る上で食料と同等か、それ以上に大切な物であるが、そのどちらも非常に危険な物だ。持っている事が自分達の寿命を引き延ばす事になるのだが、持っている事が破滅への皮切りとなる事もある。
銃は言うまでも無く人間が携行出来る兵器の中でも屈指の破壊力と利便性を誇る。人間はおろか、物に依れば頑強な車ですら容易く破壊できるそれは、押し寄せる死体の群れを処理するにあたって非常に役立つだろう。
だが、それはコミュニティの利益の為に行使する場合の話であり、利己の為に行使されると、途端に厄介な物と化す。
例えば、今の制度に満足しない物が運営レベルの人間を攻撃して自分が其処に収まろうとする危険性もあるし、隠し持った武器で一般のコミュニティ構成者から配給を脅し取る者も出るだろう。
武器とは自分達を護る物であると同時に、致命的に害する物でもある。なので、それの管理取り扱いには細心の注意が払われなければならない。
このコミュニティでは武器の管理は殊更身長に行われていた。例えば、ホームセンター内で手に入る武器にできそうな工具を始め、大型であるが故に武器として使えなくもない裁ち鋏なども管理対象とされ、自警団と称してコミュニティの防衛を司っている若い男性達で構成される集団が管理している。
彼等はホームセンターのそこそこ大きな警備室を活動拠点にしており、その警備室の隣にある倉庫で武器を管理している。
武器の携行が認められるのは自警団か、その武器の扱いに長けていると判断された一部の人間だけだ。
そして、少女はその一部の人間と言う事でカービンの携行を許可されていた。その判断が瞬く間に長距離の死体を始末した腕に基づくものである事は言うまでもあるまい。
武器は鈍器から刃物、改造した工具から持ち込まれた重火器まで全て帳簿で丁寧に管理保管されている。武器保管庫には常に二人の見張りが付き、その見張りは武器を携行しているが鍵を持っていない。鍵は常に人の居る警備室の目立つ所で管理され、持ち出すには全員が見ている所で理由を明確にした上、二人以上の付き添いが無ければ持ち出せなくなっている程だ。
それほど神経質に扱っているので、発砲された後はしっかりと数を確認し、薬莢を回収しなければならない。管理帳簿にズレが生じると、何かしら良くないことを企んでいるのではと疑われて厄介な事になるのだ。
だから、その確認の為に屋上にやって来たのだが、扉を開けてみたら顔に濡れティッシュを張り付かせた変人が子供相手に諸手を開けて本気で威嚇しているとう奇態を見せていたら、脱力して一服したくなる気持ちも理解出来なくは無いだろう。
今は顔面に濡れティッシュを貼り付けた変人が坊主頭の少年の脇をしこたま擽り続け、少年が顔を真っ赤にして脱出しようと抗っているが、悲しいかな膂力の差で逃げ出せずに藻掻いている。何とも奇妙な光景であった。
「阿呆らしくなってるな、アレを見てると」
「阿呆が阿呆やっとるだけや、鼻で笑って後はほっとき」
そう言ってお袋さんは下へと降りていった。ついでに、後に続く少女達に、あんな風になっちゃいかんぞと言い含めている声が聞こえてきて、おやっさんは少し咽せながら笑った。
未だ気が触れてしまったかのような様を晒している少女だが、正直この可笑しな女があの射撃を行った事は想像しにくい。
小銃を構えて表情を消し、機械的に引き金を絞る姿。今のように思わず笑いが吹き出るような奇態を晒し、皆と笑い合う姿……どちらがこの少女の本性なのであろうか?
少し短くなった煙草を手に移し、軽いスナップで灰を落とす。彼が愛用している煙草はあまり長くないので、そろそろ美味しい部分が終わってしまいそうだった。
「まぁ、楽しそうだから良いか」
呟き、再び煙草を咥えて紫煙を灰に取り込んだ。フィルターを通したニコチンが体に取り込まれ、二酸化炭素が血中に駆け巡る。それが思考を鈍化させ、中毒を緩和する事によって独特の射幸感が脳を打った。
こんな中でこれほどに余裕があるのは此奴だけだろうと考えつつ、そろそろ坊主の少年を助けてやるかなと思い、おやっさんは壁に預けていた背を退き剥がし、煙草を放った…………。
日が落ちて数時間後、皆が配給の食事を終えて定位置で休んでいる頃、少女は一人で自分の部屋と定めている小警備室の中でM4カービンライフルを分解整備していた。
カバーを開き、銃身を取り出してクリーニングロッドで中を丁寧に拭う。火薬滓を取り払い、内部を清掃するのは大切な事だ。火薬滓が付着したまま放置すれば、固まって屑となり、銃の制度を落とす事になる。それだけでなく、長期的には銃身自体が腐れる事に繋がるのだ。
汚れを取り除き、油を差し、錆が浮かないよう丁寧に伸ばす。そして、数度駆動を確認し、淀みなく動くことを確認してから再び組み直す。その動きは実にスムーズであり、僅か十数秒で組み立ての行程は終了した。
最初は使い慣れたエアライフルとの勝手の違いに混乱したが、試行錯誤の末に整備方法は覚えた。それに、本屋で買えるミリタリー系統の趣味雑誌を漁れば、それっぽい記事が載っている物もあったので参考にさせてもらった。そのおかげで銃の動作は実にスムーズで精度も落ちてはいない。
「よし、今日のお手入れ完了。おつかれさまーっと」
整備が済むと、少女は小銃を壁際に立てかけ、万年床に体を沈める。自分の体臭が仄かに染みついており、顔を埋めていると安心できた。自分の領地であるとしっかり認識できるからであろう。
「あらやだ、あてくし獣みたい」
誰も居やしないのに、さも可笑しそうに笑って少女は歯を剥いた。純粋な笑みなのだろうが、僅かにはみ出した犬歯のせいか酷く動物的で野性味を感じさせる獰猛な笑みに見える。
「しっかし、侵入される頻度が増えたにゃぁ……」
考え事をする時に独り言が増えるというのは、そう珍しくない癖である。誰しも覚えがあるだろうが、この少女もそうだった。
最近、フェンスに綻びが産まれて死体が侵入する騒動の頻度が少しずつ増えてきた。今月に入ってから既に4回目だが、普段は綻びや隙間から小さな女か子供の死体が入り込む程度だが、今日は度合いが違った。
支柱が歪み、フェンスが丸々一枚どころか、補強の為に繋がりを持っていた数枚纏めて傾いていた。今までで一番酷い状況だったと言っても良いだろう。
確かに、フェンスの交換や強化の時に押されて外れた事は幾つかあるが、鉄の支柱にしっかりとボルトで以て固定されていたフェンスが壊れたのは数える程しか無い。
それも、元から痛んでいたような所や、補強を施す前の話なので、今とは比べる前提が異なっている。そう考えると、相当不味い状態であると考えられた。
駐車場を囲うフェンスは彼等の生活の多くを護っている。駐車場では運動を行って身体機能を維持する役割もあるし、何か大がかりな物を作る時にも役立っている。そして、発電機を動かす為のガソリンが詰まった乗用車も全て駐車場に止まっていた。
ポリタンクでガソリンを保存する事は出来ない。ガソリンの成分がポリタンクを溶かしてしまうからだ。確かに海外ではガソリン用の車載ジェリ缶やガソリン用ポリタンクという物もあるが、如何せんここは日本である。残念ながらそんな物は殆ど置いていない。確かに少量なら店頭にも並んでいたが、それでも全ての物を管理するにはほど遠い量しかない。
ガソリンを保存するのは中々難しい。なので、諦めて必要になった時に車から抜いてくると言う方式をとっていた。それ故に、駐車場を制圧されてしまえば発電機を動かす事が出来なくなってしまうという訳だ。
他には、舗装を流石に掘り返すのは大変だからと、幾つもプランターや植木鉢を並べて園芸コーナーに置いてあった種を使って野菜なども作っている。貴重な新しい食料を生産する場でもある訳だ。
それだけではなく、駐車場のフェンスは数ヶ月掛けてこれでもかと強化され、元より二カ所しか無かった入り口も車を寄せ、更に建材用の板などを貼り付けているので殆ど完全に封鎖できているのだが、建物自体は然程立て籠もりに向いている訳ではないのだ。
出入り口は多く、そして一つ一つが大きい上に脆い。なので封鎖するのは大変で、かと言って必死に大きい入り口を完全に塞いでしまっては大きな板などを運び出すことが出来なくなるので、現状では考え無しに塞ぐ事も出来ない。
更に、正面入り口などは殆ど硝子張りの自動ドアで、中がよく見えるようにデザインされているのでサッシは酷く細い。その為に補強は困難で、補強したとしても限界があるという訳だ。
他に方法もあるにはあるが、椅子などを積み上げてバリケードを築いても崩れやすいので、構築にせよ、維持するにせよ簡単にはいかないだろう。それに、連中は常に押し寄せてきてバリケードを圧迫してくるからといって、自分達も二四時間起きて抑えておく訳には行かない。人間は食べる必要があるし、寝る必要もあるからだ。
そして、このコミュニティーには交替で二四時隙間無く扉を押さえ続けられる程体力がある大人も、配置出来る程人員が居る訳ではない。
結局、今の状況ですらじり貧なのに、フェンスが崩れたらまず崩壊は間違い無いという訳だ。つまり、あれが壊れたら終わりである。
「うーん、ここも限界……かなぁ……」
口から零れ出たのは、何ともあっけないコミュニティに対する評価であった。もう、此処には魅力は殆ど無いと、昼間に子供達と楽しく遊んでいた人間が同じ表情で吐き出したのだ。
確かに、崩壊の予兆はある。若者の暴走、彼等と自警団での不和、武器の不足と食糧の枯渇、そして防備の綻び。これだけ揃って不安にならない人間は居ないだろう。
少女は冷徹に計算をし、自分がどうすれば生き延びられるだろうかと考えた。そして、結局此処がまだ生きている内に出た方がいいだろうという結果に行き着くのだが……。
どうやって?
という疑問が残った。
自分には足が無い。そして、既に此処を十重二十重に囲んでいる死体の包囲を食い破る術も無い。逃げ出す方法が無いのだ。
まだ動く車を使ったとしても、死体を数体も跳ねたら壊れて駄目になるだろう。勢いがついた車が人を跳ねると、大きく本体が凹んで動けなくなるほどの損傷を受ける。
それも当然だろう、速度が付いた状態で骨格という頑丈な支えが入った六〇kgもあろう肉の塊にぶつかるのだから。
ついでに、最近の車は柔らかく造り、自ら潰れる事で衝撃を中まで通さないで乗員を護る、という設計をしている為に尚更壊れやすい。一撃でエンジンルームが大破して走行不能に陥る事もあり得る。
では、ゆっくり進めばどうなるかというと。今度は引き倒した死体の体が車軸に絡まったり、後輪に挟まって空転を起こして動けなくなる。そんな状態に陥った車を街で何台も見てきた。
車で逃げるならば、余程頑丈で大きな物、それだけではなく跳ね飛ばした死体への対策を施された重車両でもないと不可能だろう。
最も望ましい物は、無限軌道で全てを踏みつぶしながら進む戦車か、複数の大きな車輪により安定性を発揮する戦闘装甲車両などだが、そんな物があれば誰も苦労していないだろう。
それに、仮にあったとしてもそれらはとんでもない大食らいなので、リッター数百メートルという恐ろしい燃費を誇る戦車など運用できようはずも無い。
「やれやれ、私含めて詰みかーい」
ふと、昼に通信を交わしている青年の事を思い出した。落ち着いた語調で話す、あの彼だ。彼は装甲化したキャンピングカーで旅をしているという。
キャンピングカーは勿論野外泊をする為の設備を全て詰め込んだ車なので居住性が良いことは言うまでも無いだろう。そして、装甲化しているという事は死体を少々はね飛ばしても問題ない頑強性があると言う事だ。これ程魅力的な移動手段は他に無いだろう。
しかし、それは頼れまい。話しているから分かるが、あの青年は何処までもリアリストでエゴイストだ。彼の行動理念には、自分が如何にして生き残るかが中心に据えられている。
そんな彼が自分の救援を聞き届けてくれるか?
断じて否である。そもそも聞き届けてくれるような性質であれば、既に彼は此処に居るだろう。今まで何回頼んでみたことか。
冗談めかして頼む事は数知れず、珍しく夜中に長話した時に真剣に頼み込んだ事もあるが、結局それも素気なく断られている。どれだけ頼もうと彼は此処まで来る事はないだろう。
自分が彼にとって魅力的であれば話は別だろうが、それは外見的な問題や性的な意味を含む物では無い。いかなる物資を持っていて、どれだけ生存に貢献できるが、これに尽きるだろう。
しかし、自分には個人所有の物資といえる物資は無く、殊更自慢できるような技能も無い。なので、彼が数百、もしかしたら数千を超える死体を蹴散らして自分を助けに来てくれる事などあろう筈も無い。
「あーあ、何処かに戦車に乗ったマッチョな王子様居ないかしらねーっと」
戯けるようにそう言って、少女は上体を跳ね上げた。それから首を捻って幾度か間接を鳴らし、立て膝で胡座を組む。
その顔は普段通り笑っていたが、瞳には濁ったような諦観があった。何もかもを諦めたような、笑顔に撓められていながらに冷めた瞳であった。
「てけとーに辞世の句でもよもっかね」
冗談のような調子で、冗談のように吐かれた台詞は、その軽さに相反して凄まじい重さを有していたが……それを聞く物は誰も居なかった。
外では、雨が降り始めていた…………。
さて、コミュニティー内生活へのスポットと、青年に負けず劣らずの人格破綻者の活躍です……暫くは彼女の視点で進む事になると思いますが、やっぱり主人公気質ではないので普通の話にはならないんじゃないかなぁ……と。
彼女が青年と違う所は、青年が人格破綻者かつ社会不適合者なのに対して、彼女は社会には一応適合できるという所でしょうか。まぁ、青年も排斥されない程度には紛れられる人間ではあると思いますが。
次回は何時になるか分かりません。そろそろ試験が近いので、私も準備を始めないといけないし、研究がこれでもかと残っておりますので。よろしければこれからもお付き合い願います。感想や誤字修正、お待ちしております。