97 震える死者11
三十層のボス部屋では、世にも偉大な不死者の王、吸血鬼君主と相対する事になった。
俺は静かに腰の後ろに手を組み、目の前の男に言った。
「よお、イケメン」
アネットの説明では、こいつは吸血鬼の最上位種だ。一番注意するべきなのは、吸血鬼を超える強烈なエナジードレインで、まともに食らえば、アレックスですら『ロスト』の可能性があるそうだ。
小綺麗な白いシャツ。袖はカフスボタンで留めてある。襟の高いウエストコートを纏い、首にはクラバットと呼ばれるスカーフを巻いている。
「ドレスコードは完璧だな」
腰から下は、ブリーチと呼ばれるボトムス。膝まである高いブーツを履いていて、手にはビーバーハットを持っていた。
「つまらん。何か喋ったらどうだ、イケメン」
金髪に青い瞳。一見、顔立ちの整った若い男だ。青白い肌に深紅の唇。邪眼と呼ばれるその瞳は『女性』に対して強い魅了の力を持つ。故に、このイケメンと目を合わせているのは男の俺だけだ。
「……」
吸血鬼君主は、俺を見て眉間に深い皺を寄せている。そこには強い嫌悪の感情があった。
俺はのんびりと言った。
「一人か、吸血鬼の王よ」
「……これ以上、同胞を焼かれたくない。ヴァネッサを殺したのは君か……?」
「呪われた者の名など、知らんな……」
「……なんと傲慢な子供だ……」
俺は鼻を鳴らして嘲笑った。
「笑わせるな。お前は、これまで何人の冒険者を殺めた。今さら被害者面するんじゃない」
「ヴァネッサが生き返らない。どうやったんだ」
「それは良かった。念入りに殺した甲斐があった」
俺は指を鳴らして、新しい召喚術を発動する。
二つの聖印が現れ、そこから出現したのは、長槍に大盾を構えた女戦士。羽飾りの付いた兜に上下セパレートの甲冑を纏うそれは……
アスクラピアの高等神法。
召喚兵の四。戦乙女。他の召喚兵と比べて燃費が悪いのが欠点だが、こいつは強い。手に持った槍はただの槍ではなく聖槍であり、不死者に特効がある。それだけじゃない。身の丈に迫る大盾を持つ戦乙女は、攻撃、防御に於いて高い力を持つ。
「さて、吸血鬼の王よ。長話するのも面倒だ。そろそろ死んでもらいたい」
「……待て。僕は戦いたくない……」
「そうかね」
俺は小さく欠伸した。
「頭上を星が移って行く 」
俺は偉大な不死者の王に敬意を払い、特別な術で対応する。
「お前がどんなに疲れたか。母だけは知っている」
「よ、よせ……!」
俺の横に侍る戦乙女たちは油断なく聖槍と大盾を構え、召喚兵特有ののっぺりとした顔を吸血鬼君主に向けている。
「母がお前の上に身を屈める。髪の中に銀の星が舞っている」
「や、やめろッ!」
吸血鬼君主は、不死者であると同時に優れた魔術師でもある。特に麻痺術を得意にしており、対象を無力化する事に長けている。
邪眼と呼ばれる妖しい瞳が煌めき、その強力な麻痺術が発動するが、男である俺には効果が弱い。そもそも神官である俺は、状態異常の魔術に対しては強い耐性を持つ補助術を山ほど持っている。対策は完璧だ。
意に介さず、俺は嘲笑って祝詞を紡ぐ。
「やがて、明けない夜が来るだろう」
この術が、不死者に対してどんな効果を持つか分かるのだろう。吸血鬼君主は後退り、逃げ場を探すように視線をあちこちさ迷わせる。
「やめろって言ってるだろう! 僕は戦いたくないんだ!!」
「ははは、面白い冗談だ」
神官である俺には分かる。こいつの魂がどれほど呪われているか。こいつが、どれほど残忍に冒険者たちを殺めて来たか。
今、断罪の時――。
容赦なく、俺は最後の言葉を紡ぐ。
「夜が開き、死の国へ導く」
祝詞の最後の一節を終えると同時に、吸血鬼君主は、ハッとしたように目を見開いた。
「な、なんの術だ、これは……!」
吸血鬼の王の視線は虚ろにさ迷う。俺には見えないが、ヤツが見ているものは『青ざめた唇の女』だ。死神と言ってもいい。
「どうした、イケメン。得意の魅了で対抗してみたらどうだ?」
そう嘲る俺の背後では、アレックスとアネットとロビンの三人が頭を抱えて首を振っている。
「ディートさん……どっちが悪役か分かりません……」
勿論、俺が悪役に決まっている。
「……!」
やがて、母の手が闇を捕らえる。吸血鬼の王は強く身震いし、その場に音もなく倒れた。
死は優しく奪う。
後に残るは静寂のみだ。
◇◇
俺は、死んだイケメンの左手の薬指に填まった指輪を毟り取り、光に透かすようにして観察する。
死の婚約指輪。
吸血鬼女王のものとは中石の種類が違う。女王のものは血の色をしたルビーが中石だったが、君主の方は青いサファイアだ。
この二つは対の品になっている。特別な効果があるようだが、詳しい事は分からない。『神官』である俺の見立てではそうだ。
残念な事に、どちらも呪われている。装飾品としては価値ある品だろうが、身に付ける気にはなれない。
アレックスが肩を竦めた。
「……まさか、本当に一人で殺っちまうとはね……」
「嫌だと言ったのは、お前らだろう」
吸血鬼君主は『女性』に強い。その魅了の力は女王を上回る。それ故、アレックスとアネットは君主との戦闘を嫌がった。
特に鬼人の血を引くアレックスは、種族的に精神異常に対する耐性が低い。楽に勝ったように見えるかもしれないが、アレックスのあの破壊力が俺たちに牙を剥けば、パーティは壊滅しても何の不思議もない。
アレックスが言った。
「少し休もう」
三十層到達に要した時間は八時間という所だろうか。予定より随分早い。
三十一層に続く扉とエレベーターがある玄室の扉は既に開かれているが、俺たちはあえてボス部屋に留まり、ここで休憩という事になった。
ロビンは酷く苛立っている。
俺が吸血鬼君主を始末した事もそうだが、ダンジョンに強く心惹かれている事が気に入らないようだ。
「……ディートさん、術を使い過ぎです。少し眠って下さい……」
「俺が寝ると、召喚兵が消えてしまう。せっかく喚んだ戦乙女たちもだ」
この戦乙女の召喚は、今の俺をして二体が限界だ。守備力だけでいうなら、アレックスですら始末するのに手を焼くだろう。その程度には強力だ。
アスクラピアの召喚術では、最も強力なのがこの戦乙女だ。吸血鬼君主が俺に直接攻撃を仕掛けなかったのは、この二体の戦乙女が厄介だと踏んだからだ。
ロビンは険しい表情で首を振った。
「それは、特殊召喚兵です。維持するだけでも神力を消費する。違いますか?」
「……」
流石に教会騎士。アスクラピアの術に関しては詳しい。
「貴方はやり過ぎです。暫く休むべきだ」
「……そうだな」
俺が指を鳴らし、聖闘士を含めた全ての召喚兵を消してしまうと、ロビンはそこで漸く少し落ち着いたのか、小さく溜め息を吐き出した。
神力の消費は四割という所だ。
俺としては、今日中に四十層に至り、予定より一日早い二日間で目的を達したい。地上では、また違う地獄が俺を待っている。
天然痘……
こいつは厄介だ。そしてここが異世界である以上、この世界の天然痘が俺の知るものとは限らない。弱毒化しているかもしれないし、強毒化しているかもしれない。天然痘といえば種痘だが、種痘の作成には天然痘ウイルスのサンプルが必要だ。
「ディートさん、どうぞ……」
ロビンが壁際に外套を敷いてくれたので、そこに腰掛けて静かに考える。
種痘を作るのに二週間。
量産には更に時間が掛かるだろう。その間に何人が死ぬか。寺院の無能も相俟って、犠牲者は天井知らずになる。エリシャに期待したい所だが……
「……」
ふと顔を上げると、ロビンが糸のように目を細め、アレックスとアネットを睨み付けていた。
「どうした、ロビン」
「……いえ、何も……」
アレックスとアネットは壁際に腰掛け、携帯食糧に齧り付いている。
俺もそれに倣い、鞄から携帯食糧を取り出してロビンと分け合った。
「ディートさん。これを……」
そう言って、ロビンは腰に装着した小さなバックパックから革製の水筒を取り出した。
飲み口を開け、匂いを嗅ぐと微かに伽羅の香りがする。中身は俺がいつも愛飲している伽羅水だ。
「……飲んで下さい……」
「ん? ああ……」
俺が伽羅水を飲む所を、ロビンが、じっと見つめている。
吐き捨てるように言った。
「魔素が幼い身体に与える影響は、あまりにも大きい。貴方は、もう戦うべきではありません」
「……ダンジョンに入る事は、お前も賛成していただろう。今更何を……」
「それは、貴方が成長してからでも遅くないです」
そこで、ゆらっと視界が霞み、ロビンの姿が二つ、三つに別れて揺れた。
「……」
俺は伽羅水の入った革製の水筒に視線を落とし、それから腕組みの格好で俺を見下ろすロビンを見上げた。
ロビンは表情を消して呟いた。
「少し、役立たず共に頑張ってもらいます。貴方は休んでいて下さい」
「……」
ぐらぐらと視界が揺れる。
相当強力な眠り薬だ。やられた。教会騎士は、こういうヤツだった。
適材適所とはいえ、未だ余力を残したアレックスやアネットに対する不満があるのだろう。
ロビンは言った。
「私は、貴方以外の誰が死のうが生きようが、どうだっていいんですよ。貴方より価値のある命は存在しない」
「この……」
狂信者が……!
意識に、眠りの帳が落ちる。