96 震える死者10
二十五層を越え、進行するスピードは変わらないが、出現する魔物に偏りが見られるようになった。
また不死者が増えて来た。
この二十五層に於いては、十層のボスであった吸血鬼はただの雑魚に過ぎない。吸血によるレベルドレインには注意が必要だが、この面子ならその心配も必要ない。
俺が強くダンジョンに惹かれている事が心配なのか、ロビンは頻りに諫言を繰り返す。
「冒険者は無頼の輩の仕事です。高位神官であるディートさんには向きません」
「分かった分かった。お前だけ仲間外れにする事はしないから、もうやめろ……」
「そういう事を言っているのではありません」
三十層のボスは吸血鬼君主だ。
アネットが言うには、強力な不死者であり、高い知性を持ち、高位の魔術すら使う強敵だ。
「……ふむ。吸血鬼女王は話にならなかったぞ?」
「あれとはまた違うわね。別の存在と思った方がいいわ」
「やはり、多くの吸血鬼を従えているのか?」
その問いに答えたのはアレックスだ。ニヤニヤと不吉な笑みを浮かべて言った。
「勿論、そうさ。それも厄介だけど、希に女王も一緒に出現する。誰か死ぬかもな」
それでも、まだ三十層のボスに過ぎない。そして神官である俺は、対不死者のスペシャリストだ。
「分かった。俺にやらせてくれ」
「ディートさん!」
戦闘に溺れつつあると思ったのだろう。俺を諌めるロビンの声は、いつになく厳しかった。
「いい加減にして下さい。貴方は第一階梯とはいえ、十歳の子供なんですよ? 三十層のボスに一人で挑む子供なんて居ません。死ぬ気ですか?」
「そんな事はない。ただ、俺は自分が何処まで出来るのか知っておきたいだけだ。無理だと思った時は手を貸してくれ」
ロビンは恐ろしく低い声で言った。
「……何かあった時は、もう遅いんですよ……」
そのロビンに背負われ、三十層目指して破竹の勢いで進む。
時に召喚兵を使い潰して罠を乗り越え、時に吸血鬼の集団を断罪の焔で焼き払う。
厄介だったのは、アンデッドのような魔物ではなく、そこかしこに張り巡らされた罠だった。
あちこちに仕掛けられた小さな落とし穴もそうだが、電撃の罠では、白蛇から学んだ剣闘士が一瞬で消し炭になって消え去った。
そして二十七層に至り、とある大きな石の扉の前で、漸くアレックスが剣を抜いた。
「ここは、あたしがやる。誰も手を出すな」
アネットが小さく頷き、俺を背負ったままのロビンは安心したように引き下がる。
現在、アレックスの両手に仕込んだオリハルコンの強化は三段階目だ。素手ですら衝撃波を発するような攻撃が、剣による斬撃で何処まで威力を上げるのか。
三十層に近付き、アレックスはそれを知っておく必要があると思ったのだろう。
双剣を構えたアレックスを先頭に、重々しい石の扉を聖闘士が押し開く。
奥は広い玄室になっていて、強い腐臭を伴う風が吹き出して来る。そこには、始めて見る魔物の姿があった。
俺は眉をひそめた。
「蜥蜴?」
そこに居たのは、デカい蜥蜴だ。腐り果て、右の目玉が零れ落ちそうになっている。
アネットが静かに言った。
「ドラゴンゾンビよ……」
「……あれが?」
俺には、死にかけたデカい蜥蜴にしか見えない。『ドラゴン』は少し盛り過ぎだ。だが、ゾンビと付く以上、不死属性なのだろう。
「アレックス。聖属性付与はいるか?」
「いらねえ」
短く答えたアレックスは双剣を構え、のっそりと首をもたげるドラゴンゾンビに向かって、右手で剣を振った。
対象まで三十歩は距離がある。
明らかにアレックスの持つ剣の間合いから外れているが、放たれた衝撃波でドラゴンゾンビの左腕が吹き飛んだ。
「おお……!」
凄まじい破壊力を誇る斬撃に、思わず感嘆の声を上げる俺の前で、アレックスは納得行かないという感じで首を傾げる。
左腕を失い、バランスを崩したドラゴンゾンビはその場に伏すように倒れ込むが、アレックスはそこに容赦なく、無数の衝撃波を打ち込んだ。
「……なに、これ。出鱈目ね……」
アネットが呆れたように首を振った。
ドラゴンゾンビはその巨体から無数の腐肉を撒き散らし、あっという間にただの肉塊になったが、飛び散った肉片が蠢き、一ヶ所に集まって何事もなかったかのように元通りの姿に再生して行く。
「どうだ、アレックス」
「……まだ、八割五分って所だな……」
ただの試し斬りだ。まだ苦戦するような段階じゃない。アレックスは首を振り、動きを止めてドラゴンゾンビの再生を待っている。
「なあ、アネット。あの死にかけの蜥蜴は、何処まで斬り刻めば死ぬんだ?」
「知らないわよ。試した事なんてないもの」
おそらくだが、際限がない。
俺が神官であるせいか、なんとなくだが分かる。あれの再生には切りがない。アレックスは圧倒しているが、決め手に欠けていると言っていい。
「おい、アレックス。燃やしていいか?」
あれは図体がデカいだけの雑魚だ。再生能力が厄介なだけで、俺なら問題ない。断罪の焔で焼き尽くせる。
「馬っ鹿、やめろよ。まだ、こいつを試してねえんだ」
そう言って、アレックスは双剣を鞘に納め、背中に背負った大剣を構える。ずっしりと重量感漂うそれは、特殊な鉱石に竜血を混ぜ込んで鍛えたのだという。木目の柄が刻まれたその大剣は、桃色の色調から『桜花』と名付けられた。
「ダマスカス仕立てですか。業物ですね……」
そう答えたのはロビンだ。俺には武器の事は分からない。
そのダマスカス仕立ての大剣『桜花』の柄を握り締めるアレックスの両手がギリギリと鳴った。
「……喰らいな!」
ドラゴンゾンビが再生を終えたと同時に、アレックスは桜花を撃ち落とした。
凄まじい炸裂音と共に遠距離から放たれた特大の衝撃波は、その一撃でドラゴンゾンビを跡形もなく吹き飛ばした。
その馬鹿げた破壊力もそうだが、驚いたのは、それでもドラゴンゾンビの再生能力が失われなかった事だ。無数に飛び散った肉片が蠢き、ゆっくりと集まって行く。
アレックスは小さく息を吐く。
「……もういい。分かった。ディート、やってくれ……」
パチンと指を鳴らす。
別に鳴らす必要はなかったのだが、なんだか癖になってしまった。
「……やっぱ、聖属性じゃなきゃ無理か……」
そう一人ごちるアレックスの目前で、ドラゴンゾンビだった無数の肉片が青い焔で燃え尽くされて行く。
結構な魔素量で、俺は少し眠くなった。またレベルが上がり、器が拡張された身体が眠りを欲している。
「……なぁ、アレックス。もう、俺たちが負ける要因はないんじゃないか……?」
両手の切断、再度の接合という困難を経て、アレクサンドラ・ギルブレスという戦士は強くなり過ぎた。俺はそう思う。そこに俺という第一階梯の神官が加われば、もう不安要素は見当たらない。それが俺の見解だった。
「……ブレスはどうすんのよ」
アネットは、死の息吹きや強い腐食性の息吹きを心配しているようだが、母の術には、それに対抗する強い耐性付与の術がある。全く心配ない訳ではないが、俺がいる限り、それで死者を出す事はないと断言できる。
それでも一つ不安要素を上げるなら、イレギュラーの発生に他ならない。
アレックスは静かに言った。
「油断するんじゃねえよ」
「そうだな……」
ダンジョンでは何が起こるか分からない。結局はそこに尽きる。アレックスは、それが原因で仲間を失ったのだ。
だが……
俺には不安要素が見当たらないのだ。最強の戦士と見込んだアレックスが、未だ完全とは行かぬまでもこの仕上がり。そして回復のエキスパートであり、対不死者のスペシャリストでもある俺がいる。
「……」
今回のアレックスの行動は、ヒュドラ亜種の不死性を想定したものだろう。俺の見る限り、火力に問題はない。過剰な程だ。そして俺が守り切る。
「……不死者ってのは、よく燃えるな……」
こいつらに鎮魂の祝詞は必要ない。断罪の焔により、不死者の呪われた魂は浄化され、塵に還る。
ここ『震える死者』に於いて、神官の優位は変わらない。
この時の俺は、まだ気付いていなかった。二十一層以降、様相が変わったダンジョンの性質について何も気付いていなかった。
四十層以降のダンジョンは、またしても姿を変える。攻略難度が桁違いに跳ね上がる等とは思いもしなかった。
「本当に、ゴミはよく燃える……」
俺は腰の後ろで手を組み、燃え尽きるドラゴンゾンビの肉片を見つめていた。