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93 刈り取る死

 夜の闇の中、出窓の向こうで、ぴかりと光る猫の目が俺とアシタを見つめていた。


「……懐かしいな。アシタ、窓を開けてやってくれ……」


「何言ってんだよ、馬鹿! こんな事、ロビン姉ちゃんに知られたら……!」


「だからこそだ」


 ロビンは、俺を『護る』という事に関してだけは妥協しない。それがあいつの当為ソルレンでもある。俺を護る為なら、あいつは躊躇いなく人を殺す。必要だと思ったその時は、俺の制止すら受け付けないだろう。


 だからこそ、エヴァの話を聞くとしたら今しかない。ロビンが出払って留守にしている今しかない。


「……駄目だ」


 アシタは俺を壁の方に押しやりながら、低い声で言った。


「あたいだって、あんたを護る為にここにいるんだ。これだけは絶対に譲れない。あんたが窓に近付く事は絶対に許さない」


「……」


 どうして、アシタのヤツがそこまで思い詰める必要があるのか分からないが、決意の籠った声だ。

 俺は首を振った。


「……しょうがない。アシタ、お前の意思を尊重しよう……」


 パチンと指を鳴らすと、寝室に二体の剣闘士グラディエーターが召喚され、その場に跪く。


「アシタ。俺はお前の後ろから離れない。こいつらは好きに使え。それでどうだ」


 俺は壁際に立ち、アシタの背後から前に出る事はしない。召喚した剣闘士も指揮権はアシタに委ねる。


 アシタの手に触れると、指揮権が委譲され、剣闘士と感覚が繋がったアシタの身体が震える。

 使い方は教える必要はない。感覚が繋がるという事はそういう事だ。自らの手足のように扱える。


 すかさず二体の剣闘士が抜剣し、窓の向こうのエヴァに向かって身構える。


「……」


 アシタは窓越しにエヴァと静かに見つめ合い……それから溜め息混じりに首を振った。


「……話だけだ。あと、ロビン姉ちゃんには絶対に内緒だ……」


「それでいい」


「……」


 指揮権を持つアシタの意思に従って、剣闘士の一体が抜剣したまま出窓を開け放つと、そこから夜陰に紛れるような黒衣姿のエヴァがするりと入って来る。


「……」


 エヴァは無表情で部屋中を見回し、抜剣した剣闘士の姿と油断なく身構えるアシタを一瞥して僅かに怯み……それから俺に向き直った。


「……よぉ、No.2……」


 エヴァは無手だ。武器のようなものは持ってない。だからといって油断はしないが、害意があるようにも見えない。

 エヴァは、ぎろりと上目遣いにアシタを睨み付けた。


「……アシタぁ、あんたとゾイはクビだ。ビーからの伝言、確かに伝えたよ……」


「……」


 アシタは答えない。油断なくナイフを構え、鋭い目付きでエヴァを睨み付けている。

 俺は少し疑問に思い……


「……お前たち、デキてたんじゃなかったのか……?」


「……」


 その瞬間は、鈍い俺でも、とんでもないヘマをやらかしたと気付くぐらい冷たい空気が流れた。


 二人が反応を返す前に、俺は言った。


「すまん、馬鹿を言った。もう二度と言わない。許してくれ」


 クソっ、こいつらデキてたんじゃなかったのか。男より女の方が好きだという一点に於いて、俺たちは意思が一致すると思っていたが、それも言わない方が良さそうだ。


 アシタとエヴァから凄まじい殺気を感じる。


「…………」


 アシタとエヴァの視線が激しく痛い。


 まぁ……うん。こんな事もある。アビーの集団グループは女所帯だったし、アシタとエヴァの二人はべったりだった。だから、俺は『そういう関係』なのだと思っていた。

 全然、違うようだが。

 俺は咳払いして棚からもう一つコップを取り、水差しから伽羅水を注いで、エヴァから少し離れたテーブルの上に置いた。


「……久し振りだな。喧嘩したくて来た訳じゃないんだろう? こんな時間だが、とりあえず落ち着け……」


「……あんたが、あたしたちをどう思ってたかは、よおく分かったよ……」


 エヴァは半目で俺を睨みながら、伽羅水の入ったコップをもぎ取った。


◇◇


 窓枠にエヴァが腰掛け、二体の剣闘士を挟んでアシタ。俺は壁際に置いた椅子に腰掛けているという構図。

 エヴァが言った。


「……それで、ディ。あんたは、いったいいつになったら戻って来るんだ?」


 その意外な質問に答えたのはアシタだ。


「あ? 何言ってんだ、てめえ。今のディは、教会の神父さまをやってんだ。あんなクソみたいな所に、誰が帰るんだよ……!」


 エヴァは小さく舌打ちした。


「あんたにゃ聞いてない。あたしはディに聞いてんだ。黙ってなよ」


 そこからの二人は、聞くに堪えない罵詈雑言の応酬だった。


「てめえがオリュンポスにディを売った事、あたいは忘れてねえぞ。そんなんだから、ビーに尻尾を切られっちまうんだよ」


「昔の事をガタガタとうるさいね。あんただって、アレックスにはビビってただろ」


 二人の静かな言い争いは、小一時間に渡って続いた。


 種族の特性に始まり、下水道生活での不満。食事の配分量。本当に下らないやり取りだった。


「……」


 つい、うとうととし始めた所で、アシタとエヴァの視線が俺に集まっている事に気付いた。


「……ん、どうした?」


 エヴァが地獄のように険しい表情で言った。


「で、ディ。あんたはどう思ってんのさ」


「……何が?」


「あんた、何も聞いてなかったのかい?」


 しくじった。

 その後のエヴァは、アビーに負けないぐらいの超音波で俺を激しく罵った。


「このクソ野郎! あんたは何も変わらないね!!」


「分かったから怒鳴るな。間抜けのアネットのヤツでも気が付く。それぐらいにしてくれ」


 エヴァは激しく舌打ちした。


「……クソ野郎」


「あぁ……」


 まあ、とにかく。


 エヴァの話では、アビーは俺の足抜けを許したつもりはないそうだ。追い出したつもりもないとも。怒ってないから、一度帰って来いという話だった。


「……ジナの事なら、あのドワーフのチビに聞いてるだろ? あいつなら生きてる。行き違いがあったんだ。ビーも、あんたをぶっ叩いたからお互い様だって。だから……」


 そこで、エヴァは泣き出しそうに目尻を下げた。


「……戻って来なよ、ディ。あんたとは色々とあったけど、その、あれだよ……分かるだろ……?」


「……うん……そうだな……」


 確かに、エヴァとの間には思う所がある。厳密に言うと、俺はエヴァに借りがある。ジナとの一件で、俺がエヴァに助けられた事は間違いない事実だ。


「……俺も、アビーとは一度話してみたいと思ってる……」


 そこでエヴァは、ホッとしたように胸を撫で下ろした。


「うん、うん。そうだよね。それがいい。そうしなよ。それで、いつ戻って来る?」


 答えたのは、眉間に皺を寄せたアシタだ。


「駄目だ駄目だ駄目だ。ディ、騙されるな。あのビーが、そんなに甘い事を言う筈がない。何か隠してるだろ?」


「……そ、そんなんじゃない。ビーが怒ってないのは本当さ!」


 エヴァは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。これは分かりやすい。根拠のないアシタの言葉は、何らかの核心を突いたのだ。


「……どうした、エヴァ。何を隠してるんだ?」


「……」


「黙ってちゃ分からん。今更だ。言ってみろ」


 エヴァは眉間に深い皺を寄せ、酷く思い悩む様子だったが、ややあって、重たい口を開いた。


「…………ジナの事だよ。持て余してる……」


「あいつか……」


 あの馬鹿には殺されかけた。生きているというなら、それで充分。『逆印』が刻まれている以上、アスクラピアの術も効かない。俺としては、ヤツにしてやる事など何もない。だが――


 ――毒犬。


 ゾイが言ったあの言葉だけは気に掛かる。考える。考えるが……


「……すまん、エヴァ。すごく眠いんだ。頭が回らん。あいつを、どう持て余しているんだ……?」


「眠いって……」


 エヴァは呆れたように言って肩を竦めた。


「あんたってヤツは……本当に変わらないんだね……」


 そこからのエヴァの話ではこうだ。


 瀕死の重傷を負ったジナだったが、俺が作り置きしておいた薬でなんとか命を繋いだ。


 問題はここからだ。

 最初は酷い高熱の症状があった。だが、それは怪我によるものだろうとアビーは結論付けた。


 ややあって熱は下がり、症状は安定したと思われたジナだったが、暫くして今度は四肢の痛みを訴え出した。そして全身に赤い発疹が現れた。その発疹は時間と共に皮膚が盛り上がり、水ぶくれになり、膿疱になった。

 またしてもジナは高熱を出し……

 ここでスイがジナの看病を嫌がるようになった。ゾイが逃げるようにしてアビーの元を去ったのがこの時だ。


「それ、本当か……?」


 俺の世界では、世界的にとある感染症が蔓延していた。だから知っている。調べた事がある。


 ――この子でなければ無理だ。


 アスクラピアの言葉が脳裏をちらつく。


「……そう、なのか? そういう事だったのか……?」


「な、なに、どうしたんだい、ディ」


「黙れ。少し考えさせろ」


 俺の世界の人類の歴史は、感染症との戦いの歴史と言っていい。コレラ、ペスト、エイズ……歴史の裂け目には必ず恐ろしい感染症が発生すると言われる程だ。

 そして……

 人類は、殆どの感染症との戦いに敗北している。


 人類が、唯一完全勝利したと言える感染症はただ一つ。それは……


「天然痘…………」


 いや、まだ確定していない。だが……!


 天然痘の致死率は平均で20~50%と非常に高く、感染力も非常に高い。剥がれ落ちた瘡蓋かさぶたですら一年以上感染力を持続する。



 ……パルマで、おかしな病気が流行ってるって知ってるか……?



 『刈り取る死』の正体は天然痘だ。そして……もう間に合わん。何人死ぬかすら分からん。

 俺は疲れ……

 苛烈な言葉を絞り出す。


「……エヴァ。ジナを隔離しろ。同じ症状のヤツも同じように扱え。いや……いっそ一纏めにして焼き払ってしまえ……!」


 これは慈悲と慈愛を持つ者の言葉ではない。悪魔の言葉。死神の知恵。それらを駆使して尚足らない。あのしみったれた女が、逆印を使ってまでジナを除こうとした訳が嫌というほど理解出来た。


 俺は……


 俺は…………!


 俺は、間に合わなかった。




 くそったれが……!




社畜は全力でリアルと戦っておりますが、いかんせん時間がありません。描き貯めが全くございません。いい所で申し訳ありませんが、少しお時間を頂きたく思います。

ブックマークなどして頂けますと、社畜がリアルに勝利するかもしれません。よろしくお願いいたします。

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