91 震える死者7
「可愛い男の子だぞえ」
俺は応えず、懐から取り出した青石を祝福して砕き、聖水を周囲に撒き散らして結界を張る。
「時間稼ぎかえ?」
その姿は、魔物も人も関係なく魅了する。故に俺は目を合わせず、返事代わりにパチンと指を鳴らして更に結界を強化して備える。
「可愛い男の子、名前は?」
「ディートハルト・ベッカー」
俺は腰の後ろに手を組み、悠然と答えて見せる。
「えらく堂々とした男の子ぞえ」
「……」
アレックスの周囲には出来うる限り強力な結界を張ってある。女王の方は難しいが、雑魚の吸血鬼は結界内には入れない。
長く美しい髪。肌の色は死人を思わせる土気色だった。紫色のマーメイドドレスは恐ろしく似合っていて、酷く蠱惑的に見える。
「……クラスは?」
「神官」
「ほぉん……神官が来るのは久し振りだぞえ」
「そうか」
母の術は偉大だが、瀕死のアレックスの回復までは少しばかり時間が掛かる。三分程だろうか。
俺は短く息を吐き、アネットから貰った伽羅の破片を口の中に放り込む。
それを見て、女王は微笑ましいものを見たかのように言った。
「それで、妾は、そこの女が治るまで待てばいいのかえ?」
「……」
アレックスは俺を信じて命を賭けた。そして残念な事に、男には突っ張らなければならない瞬間がある。格好付けなきゃいけない時がある。本当に面倒臭いが――
今がその格好を付ける時だ。
俺は伽羅の破片を吐き捨てた。
時間稼ぎはしない。アレックスが回復する前に、この吸血鬼の女王を殺す。言った。
「お前を殺す」
「……」
女王は、一瞬 、目を丸くして、口元に手を当てて大きく笑った。
「威勢のいい子ぞえ。気に入った。階梯は?」
「第一階梯」
そして――
俺は高く掲げた拳に力を込める。
刹那、周囲を取り囲んでいた無数の吸血鬼たちの全身から青白い焔が噴き上がり、ボス部屋全体が断末魔の悲鳴に包まれた。
「なっ……!」
女王はその光景に驚愕し、怯えたように一歩引き下がる。
俺は苛立ちも露に言った。
「雑魚が、自惚れるなよ」
こいつが俺を殺せるとしたら、落とし穴から落ちたその時しかなかった。
――余裕かましやがって。
たかが二十層程度のボス風情にナメられる程、第一階梯の神官は弱くない。
――『断罪の焔』。
以前の俺なら詠唱なくして使えなかった術だが、今の俺なら使える。術の効果が下がり、女王の方は燃やせなかったが充分だ。
俺は自ら結界を出て、その一歩を踏み締める。
「風に揺らぐ蝋燭よ。一思いに死ね!」
この術も少しやり過ぎだが、この際だ。試しておきたい。
「な、なんぞえ、お前は! 第一階梯の神官が、何故――」
「やかましい。不死者だかなんだか知らんが、二度と生き返らんように念入りに殺してやる」
吸血鬼共が上げる地獄の断末魔の中、俺は更に一歩歩み出る。
「母によって作られたものは、皆、死を目指すのだ!」
「や、やめ――」
「熱き血よ。お前はもう消え去れ、そしてそれを喜べ」
俺が詠み上げる祝詞の一言一言に恐怖し、女王は逃げるように後退る。
「死は歓喜であり、全ての困難からの解放である」
断罪の焔が作り出した阿鼻叫喚の地獄の中を、吸血鬼の女王は逃げ惑い恐怖の悲鳴を上げている。
「心臓よ。お前の熱き血を天に飛散させよ。――潔く散れ!」
塵は塵に。灰は灰に還る。『吸血鬼』は不死者だが、同時に『魔法生物』にも分類される。
それ故、死の呪いが有効だ。
次の瞬間、吸血鬼の女王は断末魔の悲鳴を上げる間もなく爆散して辺りに濃い血の霧を撒き散らした。
「では、ご機嫌よう」
深紅に染まる霧の中、俺は右手を胸に当て、気取った仕草で頭を垂れる。
「青ざめた唇の女。本性は蛇。復讐と癒しを司り、自己犠牲を好むしみったれた女神、『アスクラピア』に永遠の祝福(災い)あれ!」
後に残るは静寂のみだ。
◇◇
静かになったボス部屋で、瀕死の重傷から回復したアレックスは、その場に胡座をかいて、ぽつぽつと語った。
「以前、ウチに居た癒者はよう。大した腕もねえ癖に術を使う度に、金、金、金でよ……あたしもアネットも、あいつらが大っ嫌いだった」
「……」
俺は二十層のボス、吸血鬼女王の討伐証明である死の婚約指輪を拾って、それを眺めながらアレックスの独白を聞いていた。
「……あいつら、ちょっとでもヤバくなりゃ、すぐイモ引きやがって……」
「……」
癒者がダンジョンに潜るメリットは少ない。例え強化され、強い神力を得られるからとはいえ、自らの命と引き換えには出来ない。
「でも、ディート。あんたは惜しげもなく術を使うね。おまけに腕もいい。あたしもアネットも、一目見た時から気に入ってたんだ」
死の婚約指輪は、二十層ボスの討伐証明であると同時に呪われた装飾品でもある。『神官』の俺の見立てではそうだ。
効果までは分からない。それを知るには『鑑定』スキルが必要だ。
ダンジョンには、こういった神秘的な工芸品が山ほどある。
アレックスは言った。
「ディート、あんたは実戦向けだ。度胸もあって、戦闘も強い」
アレックスの苦労話や述懐には興味がない。だが、『ダンジョン』に、強く心惹かれる物がある事は否定しない。
俺は目の前の馬鹿に、また一つ説教をしなければならない事にうんざりして溜め息を吐く。
「おい、アレックス。今度、同じ事をしたら、死んだ方がマシだと思うぐらい酷い目に遭わせるぞ」
あの落とし穴を使ってボス部屋に入るのは、当たり前だが、正規のやり方じゃない。あれは『はめ殺し』だ。パーティを全滅させる為の罠だ。
アレックスは肩を竦めた。
「……分かってるっての。今回だけだ。あの教会騎士に勝つには、これぐらいしなきゃ無理だったからな……」
「ふむ……ロビンか……」
完全には同意しかねるが、アレックスの考えが全く分からない訳じゃない。それなりの期間、行動を共にする俺をして、教会騎士レネ・ロビン・シュナイダーの真の実力は未だ底が知れない。
「……なあ、アレックス。お前の目から見て、ロビンはどうだ?」
俺は『戦士』じゃない。だから、ロビンの実力は分からない。だが『戦士』のアレックスなら、おおよその所は推測できるだろう。その思惑からの問い掛けだ。
「俺には、あいつが強いのか弱いのか、それすら分からないんだ。あいつは強いのか?」
「青狼族が弱い訳がないだろ」
「せいろう……なに?」
「えっ?」
そこで、アレックスは目を見開き、意外そうな表情で俺を見た。
「うん?」
「……」
不意に黙り込んだアレックスは目を逸らし、少し考え込むように顎を擦っていたが……
「……そういう事か。何でもない。今の言葉は忘れてくれ。あたしは、あの教会騎士に恨まれたくない。でも、もし――」
そこでボス部屋の扉……正規のやり方の方向の扉が開き、顔を見せたのは、ロビンとアネットだった。
「……」
ロビンは燃えカスになった吸血鬼共を見て、それからボス部屋全体を見回した。
「ロビン。勝負は俺たちの勝ちだ」
俺は、吸血鬼女王の討伐証明である死の婚約指輪を指で弾いてロビンに渡す。
「…………」
ロビンは眉を寄せた難しい表情で死の婚約指輪を受け取り、それからアネットの方に冷たい視線を送った。
アネットは、ぶるぶると首を振った。
「わ、私はちゃんと最短ルートで来たわよ?」
「……では、どんな方法を……」
「あれだ」
俺が天井で開いたままの落とし穴の大穴を指差すと、ロビンの難しい表情は一気に険しいものに変化して、ブーツの踵で、ずがんと強く床を踏み鳴らした。
「アレクサンドラ・ギルブレス。自殺したいなら、貴女一人でやって頂きたい。何故、私の主を巻き込んだ」
ロビンの怒りが一定値を超えた。アレックスのやり方は、その程度には酷い方法なのだろう。
アレックスは素直に頭を下げた。
「悪かった。でも、ちゃんと守ったし、こうでもしなきゃ、あんたにゃ勝てねえ」
「……」
ロビンは首を振った。呆れて言葉もないのだろう。これでは勝ったとは言えない。
しかし、勝負は勝負。
ロビンは表情を消し、静かに言った。
「アレクサンドラ・ギルブレス。私に何を要求するつもりだ」
アレックスは地べたに胡座をかいたまま、事もなげにこう答えた。
「別に。あんたは、ディートの騎士だろう? ディートを守ってやってくれ。それで、出来る事なら、あたしたちにも力を貸してほしい」
「……」
ロビンは暫くアレックスを睨み付けていたが、短く溜め息を吐いた後、納得したように小さく頷いた。
教会騎士レネ・ロビン・シュナイダーの『信念』は変わらない。如何なる事があろうとも曲げられない。それを認めたアレックスの言葉にロビンは納得し、渋々ではあるが協力する事を承知した。
これがアレックスの考えていた『落とし所』なのだろう。
ロビンが、一応とはいえ、アレックスをパーティのリーダーとして認めたという事でもあった。