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78 冒険者ギルドにて

 元A級クラン。オリュンポスのクランハウスにある多目的室では、アレックスの口から静かに決定事項だけが語られた。


「……先ず、パーティのリーダーはあたしだ。回復役ヒーラーにはディート、あんただ」


「異論なし」


 俺が短く同意すると、アレックスは微笑みを浮かべて頷いた。それだけは間違いない事だ。例え、アレックスと二人きりであろうとも、この道は譲れない。


「私はディートさんの唯一の騎士です。お忘れなく」


 この場の全員が着席して、静かに決定事項を確認する場所で、ただ一人起立して俺の背後に佇むロビンは当然のように参戦を申し出る。


「パーティリーダーは、アレックスだ。ダンジョン内では、お前もヤツの指示には従え。出来るか」


「…………御意」


 僅かな沈黙を挟み、肯定。納得は出来ないが仕方ない。それがロビンの考えであるようだ。


「私は、お留守番」


 そう言ったのは、口の中でコロコロと飴玉を転がすマリエールだ。

 俺は頷いた。


「当たり前だ。お前は身体を労れ」


 今の所、マリエールの体調に異変はないが、依然、その身体には深い病魔が潜む。この女の参戦は俺が許可しない。


「俺にもしもの事があった場合は、聖エルナ教会のルシール・フェアバンクスを頼れ。今のあいつなら、きっと頼りになるだろう」


「分かった」


 これが決定事項の全てだ。

 最早、語り合いの必要なしと席を立とうとした俺たちに、静かにアネットが言った。


「ちょっと待って。私も行くわ」


「……」


 アレックスは静かにアネットを見る。微笑み、頷いて見せたその表情には、分かっていたと言わんばかりの信頼が感じられた。

 アネットは肩を竦める。


「……まあ、アレックスが行くんだから、しょうがないわよね……」


 そこで、俺は漸くアネットがオリュンポスのサブマスターであった理由が分かったように思った。


 命懸けになるだろうこの『ヒュドラ亜種討伐戦』のアネットの参戦を、アレックスは一欠片の疑いもなく信じており、止める事もしなかった。


「……アネット。あんたには、最後まで迷惑掛けちまうね……」


「まあ、付き合いも長いしね。こうなったら最後まで付き合うわよ」


 呆れたように笑うアネットの参戦だが、この戦いは血で血を洗う悲惨なものになるだろう。誰もが生きて帰る保証はない。


 最後は一緒に、肩を並べて。


 その決意をこの場で固める事が出来るアネットだからこそ、アレックスはこのオリュンポスのサブマスターとしてアネットを信頼していた。

 全て得心が行った。


「パーティの命は、この俺が預かった。皆、楽に死ねると思うなよ」


 灰になるまで戦え。

 この俺が居る限り、全員、楽には死なせん。アスクラピアの力を振るうこの手から、その命が零れ落ちる事は絶対に許さない。

 アレックスが言った。


「……さて、それじゃあ、久し振りにギルドに行くとしようか……」


 この討伐戦に挑むパーティは四人。

 前衛にアレックスとロビン。後衛には回復役ヒーラーの俺を置き、アネットは自由な判断でパーティ全体を支える。これが基本方針だ。


「先ずは依頼受領だね。でもその前に……ディート」


「ああ、俺の年齢の事か」


 このザールランド帝国の定めたダンジョン法では、十五歳以下の者はダンジョンアタックを禁止されている。

 だが、何事にも例外は存在する。例えば、パーティに所属する非戦闘員……運び屋(ポーター)なんかがそれに当たる。誤魔化して入る事も可能だが……

 俺はアレックスを見上げた。


「どうせダンジョンに入るなら、こそこそせずに堂々と入りたい」


「そう言うと思った」


 アレックスは豪快に笑い、そこで席を立った。


「それじゃあ、堂々と依頼を受領するとしようか……!」


◇◇


 討伐依頼の受領の為、冒険者ギルドに向かう馬車の中で、アネットは次のように語った。


 アレックスがパーティを壊滅させた先のヒュドラ亜種討伐戦から二ヶ月弱。その間に三つのA級冒険者のパーティがこの依頼を受領したが、その三つのパーティは全て全滅。生きて帰った者はいない。


 つまり、『獲物』の情報を知っているのは、唯一生きて帰ったアレックスだけだ。


 アレックスは、この事を笑って喜んだ。


「よかった。誰かに取られちまったらって、それだけが心配だったんだ」


「全くだ。そんなに間抜けな話はない」


 難しい顔で同意する俺に、アネットとロビンは呆れたように首を振る。


 初めてのダンジョンに逸る俺は待ちわびて、馬車のほろを捲って冒険者ギルドの方向を見た。


 目に入ったのは、無骨な石造りの建築物。風に砂が舞い、微かに死の匂いが揺れて漂うその風情には、冒険者の栄光と死がある。


 そこには多くの人集ひとだかりがあった。


「先触れを出しておいたわ」


 アネットがそう言って、派手好きなアレックスは、これを大いに喜んだ。


「流石、あたしの相棒だ!」


 再起不能の噂があったA級冒険者『アレクサンドラ・ギルブレス』が、新たにパーティを結成して復帰する。

 その噂に冒険者たちは沸き返り、ギルド前の人集りは軽く見積もっても百人は超えている。

 暇な奴らだ。

 その暇な奴らは、大きな歓声でアレックスを出迎えた。


「アレックス!」


「アレックス!」


 元A級クラン『オリュンポス』のクランマスター『アレクサンドラ・ギルブレス』の名声は、クラン解散後も未だに健在だ。


 馬車から降り立ったアレックスは一際大きな歓声で出迎えられ、オリハルコン製の右手を高く掲げて歓声に応えた。


「うおお、マジか! アレックス! 俺は信じてたぜ!」


「あのメスゴリラが再起不能とか言った馬鹿は誰だ!?」


 冒険者たちは口々に騒ぎ立て、好き勝手な事を言っている。


 続いてアネットが馬車から降り、黒一色の甲冑と外套を纏う教会騎士のロビンがそれに続いた所で――


 しん、と辺りは静まり返った。


 馬鹿と騒がしいのは嫌いだ。俺はロビンに手を引かれ、エスコートされる形で馬車から降り立った。


「……おい、あのガキ……」


「ああ、あのガキだ……」


 先の呪詛返しを見ていた連中だろう。静寂の中、囁くような声が聞こえる。


「あの襟の色……第三階梯だな……」


「嘘だろ。高位神官が潜る(・・)のか……?」


「教会騎士が来る以上、本気ガチだろうな……」


 俺は神官服リアサの裾を翻し、冒険者たちを一瞥した。


 ダンジョン法では、十五歳以下の者はダンジョンアタックを禁止されている。だが、何事にも例外は存在する。


 俺は堂々とダンジョンに入りたい。堂々と不正を犯したい。


 その堂々たる例外とは……文句なく『強い』事だ。無理が通れば道理は引っ込む。俺は勿論、道理の方に引っ込んでもらうつもりでいる。


「さて、行こうかね!」


 派手好きなアレックスは当然喜んでいる。


「ああ、行こう」


 A級冒険者、アレックスが高位の神官と教会騎士を率いてダンジョンアタックを再開する。その事に興奮した冒険者の一人が叫んだ。


「流石は、アレックスだぜ!」


 ドラゴンの鱗で造られたスケイルメイル。腰の両方に長剣を差し、背中には身の丈を超す大剣を背負っている。そのアレックスは肩を竦め、失ったと噂されていた両手をおどけたように開いて見せ、自らの健在ぶりをアピールして見せた。


 両開きの扉を抜け、一直線に向かった先の掲示板には、擦り切れたただ一つの依頼書が張り付けてある。


 報酬は金貨で二千枚。


 失われた名誉も財産も全てを取り戻せる額面だ。


 アレックスは嗤い、その依頼書を右手で毟り取ると、受付のカウンターに叩き付けた。


 その光景に、野次馬共は歓声を上げて更に盛り上がる。


「うおお! またやるのか!? 最高にイカれてやがるぜ!」


 受付は傷だらけのスキンヘッドの大男だ。


「よく帰ったな、アレックス」


「ああ」


 不敵に嗤うアレックスは、当然のように頷いた。


「そこの餓鬼は……高位の神官のようだが……」


「ああ、『試す』かい?」


 血が騒いでしょうがない。俺は自ら進み出て、高いカウンターをよじ登る。言った。


「おい、ハゲ。俺は早くダンジョンに行きたくてしょうがない。『試す』とはなんだ。誰か殺して見せればいいのか?」


 この言葉にスキンヘッドの大男は顔を引きらせ、アレックスは大笑いした。


 冒険者たちは全員が屈強で抜け目ない。それを扱うギルド職員も例外なくそうだ。決してナメられる訳には行かない。無礼な物言いだが、そこに当為ソルレンがある以上、アスクラピアはきっとこの無礼をお許しになる。


 答えたのはアネットだ。


「『宣告師』を呼んでちょうだい。それで分かるわ」


 逸る俺を諌めるように、アネットがくしゃりと俺の髪をかき混ぜた。


 スキンヘッドの大男は小さく舌打ちして、大きく手を打つと、受付の後ろにあるバックヤードから片眼鏡モノクルを掛けたのっぽの男が現れた。


 『宣告師』と聞いて思い出すのはアダ婆だ。のっぽの男は、ひらりとカウンターを乗り越え、静かに俺の前に立つ。

 登場の仕方もそうだが、かなりのイケメンだ。無表情で冷たそうな顔をしている。言った。


「名は?」


「ディートハルト・ベッカー」


「クラスは?」


「格好を見て分からんか。神官だ」


「…………」


 のっぽは、かつてアダ婆がしたように、俺の頭の先から爪先までじろじろと見て値踏みする。

 やがて――


「あ、あり得ん……!」


 そう呟いたのっぽの額に珠のような汗が滲み出て、頬を伝う。


「早くしろ、マッチ棒。ぐずぐずするんじゃない」


 のっぽはゴクリと息を飲み、僅かにずり落ちた片眼鏡モノクルの位置を直す。震える声で言った。


「ディートハルト・ベッカー。クラスは神官。…………第一階梯……!」


 アレックスは、ぴゅうと唇を尖らせ、ロビンは当然と言わんばかりに胸を張る。

 俺は鼻を鳴らした。


「そうか。なら問題はないか?」


 誰かの定めた階級に興味はない。神官に関わらず、真の力はいつだって『実践』でしか計れない。


「も、問題ない……」


 事の成り行きを見ていた周囲がざわざわと色めき立つが、何事にも派手好きなアレックスはご満悦だ。上機嫌で言った。


「そんじゃ、行こうか。ディート」


 第一階梯の神官がダンジョンアタックに乗り出す。それは前代未聞の事であるようだ。


「つまらん。誰か殺して見せろと言われるかと思っていたのに……」


 俺としては、こういった話のテンプレよろしく身の程知らずの馬鹿に喧嘩を売られる事を期待していた。そんな奴らを何匹か地獄に送ってやれば景気がいいし、『試し』とやらの手間が省けるとすら思っていた。


 アネットが呆れたように言った。


「あんたって、過激よね……本当に神官なの?」


 俺は請け合った。


「俺ぐらい神官らしい神官は居ない」


 俺は復讐と癒しの女神、アスクラピアの子。母は、侮辱されても黙っていろというような言葉は残していない。


「あんたの慈悲と慈愛は、いったい何処に行ったのよ」


 確かにアスクラピアは五徳と呼ばれる戒めを作った。だが、それは頭お花畑の平和人でいろという意味ではない。

 俺はこう答えた。


「死は全ての苦痛と困難からの解放だ。俺ぐらい慈悲と慈愛に満ちたヤツは居ない」


 その言葉に、野次馬全員を含めた辺りが地獄のように静まり返った。


「暇な奴らだ」


 俺は野次馬共を一瞥し、神官服リアサの裾を翻して、その場を後にした。


 アスクラピアは地獄のような静寂と沈黙を好む。


 後に残るは静寂のみだ。

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