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77 覚醒

 司祭の寝室で目を覚ますと、そこには七人の修道女シスタたちが全員集まっていて、一心不乱に祈りを捧げていた。


「なんだ、これは……仰々しい……」


 全身が怠い。アスクラピアの作り出した擬似的空間で、徹底的に白蛇に虐げられた俺は、その胸糞悪さに眉をひそめた。


「グレタ、カレン。お前らには奉仕活動を言い渡してあっただろう。何故、ここに居る」


「……」


 俺を見る修道女シスタたちは、全員が揃いも揃って忘我の間抜け面を晒している。


「腹が減った。何か食いたい。食わせろ」


 その俺の言葉とは関係なく、ルシールが叫んだ。


「シュナイダー卿! ディートが目を覚ました!!」


 間近で放たれたその叫び声に、俺は頭が爆発したかと思った。遂に金属バット(ルシール)で頭を割られたとすら思った。


「……」


 眉間に手を当て、酷い頭痛に苦しんでいると、デカい音を立てて開け放たれた扉から、ロビンが凄まじい勢いで飛び込んで来た。


「ディートさん!!」


「やかましい」


 そう答えた俺の肩をがっと掴み、ロビンは強く揺さぶった。


「ディートさん! ディートさん! ディートさん!」


「うるさい。聞こえている。叫ぶな」


 そのロビンの表情は青ざめていて、酷く憔悴しているように見える。


「……」


 気が付くとベッドの回りで祈るようにひざまず修道女シスタたちも全員がそうだ。ある者は涙を流し、ある者は目の下に隈が浮かんでいる。


「……なんだ。何があった……」


 しかし、ロビンは次の瞬間には険しい表情で俺を見つめ返した。


「ディートさん、私の目を見て下さい」


「嫌だ」


 何が嬉しくて、寝起きからこの狂信者と見つめ合わなければならない。


 強情に首を振る俺だったが、その俺の顔をロビンとルシールが二人掛かりで押さえ付け、ぐっと力を入れて引き寄せるのだから堪らない。


「痛い! 何をする、放せ!」


「……」


 ロビンとルシールはお互いの不仲すら忘れたのか、揃って頬をくっ付けるようにして近付き、俺の顔……正確には瞳の中を凝視している。

 ややあって――

 ルシールが安堵に胸を撫で下ろしたように息を吐く。


「……聖痕はないようです……」


 そこでロビンも気が抜けたのか、へなへなとその場に座り込んだ。


「なんなんだ?」


 開いた扉の隙間から、泣き腫らした顔のゾイと、眉を寄せて心配そうにしている表情のアシタがこちらを見ている。

 ロビンが険しい表情で言った。


「ディートさん。貴方は、また『刷り込み』を受けたんですよ……!」


「……そうか。今度は何日だ……?」


 ロビンは何が腹立たしいのか、瞳を赤くして、ぎりぎりと歯を噛み鳴らした。


「二日間です……! これで貴方が受けた『刷り込み』は、全部で七日! これは、あの聖女に匹敵する長さです……!」


「知らん。俺が頼んだ訳じゃない」


 その『刷り込み』とやらでは確かに酷い目に遭ったが、今回、それをやったのはアスクラピアではない。あの馬鹿な白蛇のヤツだ。


「……」


 ルシールは、こちらも何か言いたい事を我慢しているようで、膝の上で固く握り締めた拳が怒りに震え、白くなっている。

 恐ろしく低い声で呟いた。


「……アスクラピアは、いったい何を考えて居られるのでしょう……!」


 俺は溜め息を吐き出した。


「母は……あれは超自然の存在だ。あれの考えなど、俺たち虫けらに分かる筈がない。考えるだけ無駄だ……」


 ロビンもルシールも、今回の『刷り込み』に相当腹を立てている事だけは分かる。ちょっとビビった俺は、十歳の少年らしく控え目に言った。


「お腹が空きました。何か食べさせて下さい」


 その言葉にロビンとルシールは慌てふためき、それから泣き出しそうな顔になった。


「やはり刷り込みの影響が!」


 どういう意味だ。酷い事を言われているのだけは分かる。


 と、そこに鼻を啜りながら進み出たゾイが、お盆に乗った粥を差し出して来たので受け取る。

 流石ゾイだ。

 この馬鹿ばかりの空間で、このドワーフの少女一人だけが賢くまともだ。


「ええい、散れ散れ。もう分かっただろう。俺は変わらない。平常運転だ」


 とりあえず食事にがっつく俺を、この場の全員が呆れたように見つめていた。


◇◇


 その後、修道女シスタとゾイたちは引き上げ、寝室にはロビンとルシールが残り、今回の『刷り込み』について根掘り葉掘り訊問された。


「……別に。俺は戦闘経験が足りんから、今回はその教練を受けていただけだ……」


「……戦闘訓練、ですか……?」


 その内容が意外だったのか、ロビンとルシールはひたすら首を傾げて考え込む様子だった。


「まぁ、ダンジョンに挑む事になるしな。少し不安に思っていた所だ。今回は丁度よかった」


「ダンジョンですって?」


 そこで顔色を変えたのはルシールだ。


「聞いてません。なんの話ですか? シュナイダー卿!」


「……」


 唐突に話を振られたロビンは、こちらは何故か珍しく動揺して、あちこち視線を泳がせている。


「それより、オリュンポスに行くぞ。とりあえず作戦会議だ。段取りを決めよう」


 これに異を唱えたのはルシールだ。説明の間もなく噛み付いた。


「私は何も聞いていません! ディート、説明を!!」


「今、言った。というより、以前から決めていた事だ」


 俺がそう答えると、そこで、びしりとルシールの額に青筋が浮かんだ。


「……馬鹿を言わないで下さい……」


 その次の瞬間、ルシールが金切り声で叫んだ。


「ダンジョンに入る神官など居ません! ましてやディート! 貴方は子供なんですよ!? シュナイダー卿! 貴女もなんとか言ったらどうなんです!?」


「あぇ、と……」


 ヒュドラ亜種討伐の件はさておき、俺がダンジョンに入る事自体は反対しないロビンとしては、ルシールが納得できる説明など不可能だ。しどろもどろになってあちこち視線をさ迷わせるが、それが尚更ルシールの怒りに火を注いだ。


「シュナイダー卿……まさか、貴女もぐるで黙っていたのですか……?」


「ああ。この女の性格の悪さは、お前も知っているだろう」


 俺が同意すると、ルシールは少し壊れたように、へらっと笑った。


「このぼんくらがっ……!」


 まぁ、何はともあれ。


 漸くダンジョンに向かう事になりそうだ。


◇◇


 結局の所、A級クラン『オリュンポス』は解散になった。


 クランマスターのアレックス復帰という明るい材料があるとはいえ、先のヒュドラ亜種討伐失敗でクランメンバーのほぼ半数が死亡し、魔術師のマリエールには俺が無期限のダンジョン探索休止を命じてある。


 そこで駄目押しになったのが、遠造のクラン脱退だ。


 遠造はかねて言っていた通り、クランを割って新たに自らのクランを起ち上げるようだ。


 アレックスはそれを快く了承し、そこでオリュンポスは解散の流れになった。


 と言っても、拠点としてのクランハウスがなくなった訳ではない。ただのA級冒険者の集まりという事になるが、クランハウスにはアレックスとアネット。博識で頭の回る魔術師のマリエールも残っていて、ダンジョン探索に必要な機能は十分保全されている。


 散々、文句を言われたし泣き付かれもしたが、聖エルナ教会に関する運営の全てをルシールに任せた俺は、翌日になって、ロビンを伴ってオリュンポスに向かった。


 遠造が情婦兼メイドの三人を連れて行ってしまって、少し寂しくなったオリュンポスだが、門戸を抜けた正面エントランスでは、以前と何も変わらないアレックスが赤い豪奢なマントを身に纏い、不敵な笑顔で俺を出迎えてくれた。


「よく来たね。ディート」


 俺は神官らしく、右手を胸に当てて恭しくこうべを垂れた。


「ディートハルト・ベッカー。先の誓約により、オリュンポスの一人として馳せ参じた」


 アレックスは笑っている。

 最早、俺の実力に不足なし。今のこいつはそれをよく知っている。

 やるからには必ず勝つ。

 必勝を思わない者に用はない。

 俺は言った。


「アレックス、リーダーはお前だ。やれるか」


 白蛇との戦闘訓練にダンジョン探索は含まれなかった。この判断は当然の事と言える。


「へえ……あたしがリーダーか。あんたはてっきり……」


 アレックスは口元に溢れそうな笑みを浮かべる。自信満々で頷いた。


「勿論だよ」


 それでは始めよう。


 死と死が踊る世にも凄絶な復讐劇を。


 俺は復讐と癒しの女神『アスクラピアの子』。


 命を燃やせば燃やす程に。


 それが他者のものであれ、自身のものであれ、復讐は愉しい。


 例え、生け贄の祭壇に自らの命を供する事になろうとも……


 この命、燃やしてやる。

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