75 戦士の帰還
その日、アレックスの一日は地獄になった。
未熟なグレタとカレンは、麻痺術の力加減を誤って、皮膚の切開の際、アレックスは何度も意識を取り戻し、二人に聞くも堪えない罵詈雑言を吐き散らした。
「このクソ餓鬼が! なにしやがる!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
そう言って、グレタとカレンは震える手で何度もアレックスを切り付ける。傷自体は大した事がない小さいものだが、麻酔効果の甘い状態で行われる施術は、着実にアレックスの神経を削って行った。
「やっ、やめろ! 馬鹿! お前、手が震えてるじゃねえか!! やめろ!!」
グレタとカレンは施術中、何度も腰を抜かし、瘤の摘出時には失神した。それをルシールが容赦なく引っ張り起こし、姉妹に代わる代わる施術を続行させる。
何故か止める者は居ない。
一番、優しそうなポリーですら、厳しい表情でグレタとカレンが消耗する様を見つめているだけだ。
ルシールが厳しく言った。
「私たちは、この二人の教育を間違えました」
「そうだね……」
ポリーは険しい表情で同意した。
「ディートちゃんの事、何も知らないで……知ろうともしないで決め付けて……そんな身勝手な……」
ロビンはニヤニヤと意地悪く。スラム育ちのアシタとゾイは、退屈そうにしているだけで何も言わない。
この日、グレタとカレンが五回失神した所で、俺は二人の研修の中止を宣言した。適性どころの問題じゃない。このまま続行すれば、二人は精神に異常を来す可能性すらあると判断した為だ。
「だらしないねえ、本当に」
ポリーが姉妹を見る目は、何処まで行っても厳しかった。
「……全くです。患者に負担を掛けるだけで、こんなに惰弱だったとは……」
よく分からないが、二人には強い意識改革があったようだ。
「畜生! ディート! せめてお前がやれ! 覚えてやがれ! てめえだけは…………!」
「やかましい」
俺は喚き散らすアレックスに再び術を掛け直して意識を奪い、その間にルシールとポリーの二人は同時に施術を開始して、その日の内に二十もの瘤を摘出した。
修道女たちも馬鹿じゃない。施術を行うのは適性のあるルシールとポリーの二人で、残った三人は傷口の洗浄と治癒を行い、分業化している。
その手際よい様は、グレタとカレンの惰弱で消耗していた俺も安心して見ていられた。
「こんな事、慣れればなんでもありません」
「そうそう。ちょこっと切って、パッと悪い所を取っちゃうだけ」
施術が終わっても、ルシールとポリーにはまだ余裕がありそうだった。
◇◇
翌日、俺は再び指を鳴らした。
「おはよう、アレックス」
目を覚ましたアレックスは、ぎこちない笑みを浮かべているグレタとカレンを見て悲鳴を上げた。
「やっ、やめろ! その餓鬼二人をあたしに近付けるな!!」
「ふむ……そんなに嫌か?」
グレタとカレンのお陰で、アレックスには交渉の余地が出来たようだ。あれほど俺を殺すと息巻いていた癖に、今はすがるような目で俺を見つめている。
「ディート! あたしが悪かった! 金か? 金なら幾らでも払う! だから……この餓鬼二人をあたしに近付けるなぁあぁあぁ!!」
「そうか。また今度、話そう」
俺は再び指を鳴らした。
「今は寝てろ。俺は煩いヤツと馬鹿は好かん」
今度は意識を低下させる術でなく、眠りを誘発する術で意識そのものを刈り取る。
今のアレックスは錯乱している。たったの一日であのアレックスにトラウマを植え付けた二人の手腕は、ある意味、才能とすら言える。
もう少し時間が掛かるかと思ったが、充分だ。
「グレタ、カレン。お前らはクビだ」
「え……」
グレタとカレンの二人は涙ぐんで俺を見つめているが、流石にここら辺が潮時だ。
「ま、まだ、やれますから……」
「もういい。お前たちは、良くやった。ロビン」
「はっ」
ロビンはいつも以上に畏まって、胸に左手を当てた姿勢で頭を下げた。
「……この二人には三ヶ月の謹慎を申し付ける。打擲の方は勘弁してやれ。代わりに明るい内は屋外での奉仕活動をさせろ……」
この二人は居るだけで周囲に悪い影響を与える。ルシールもポリーも苛立っているし、アレックスに至ってはトラウマになってしまった。
少しは使えるようになるかとも思ったが、もう充分だ。アネットに知られれば怒られるだろう。実にお粗末な顛末だ。忌々しい。
「奉仕活動の内容は、如何なさいますか?」
「どぶ浚いでもさせておけ」
酷い仕打ちだが、皆の手前、二人には罰が必要だ。それ以前の問題として、教会での生活しか知らない二人には社会経験が必要だ。市井での活動は二人にはいい経験になるだろう。
ロビンは実にいい笑顔を浮かべて見せた。
「御意」
俺は、その後の施術を修道女たちに任せて自室に引き取った。
◇◇
ベッドに大の字になって寝転ぶ俺の髪を、ロビンが優しく指で梳いている。
「……それで、次はどうされます?」
俺は鼻を鳴らした。
アレックスと修道女たちの意識改革も終わり、修道女……特にルシールとポリーの成長は著しい。これなら使える。
「準備は整った。遊びは終わりだ」
「そのお言葉を待っておりました」
「マリエールに連絡を入れろ。ヤツの右手がそろそろ仕上がる頃だ」
アレックスの瘤の治療は修道女たちに任せておいて問題ない。ならば次の段階に着手するべきだ。
ロビンは恭しく言った。
「御意のままに……」
しかし、意地の悪い女だ。有能なのが尚悪い。ルシールの行動すら考慮の内に入れ、こうなるだろうと予想しながら、それでも成り行きに任せた。
「……なあ、ロビン。俺は甘いか……」
「それはもう。貴方は蜂蜜より甘い」
「今回は、疲れたぞ……」
グレタとカレンの話だ。
人には向き不向きがあり、二人は外科的処置にはとことん向いてない。
しかし……ルシールとポリーの成長は俺の予想を超えて凄まじいものがある。あれなら頼りになる。他の三人も顔付きが変わった。今は助手程度の働きだが、順調に経験を積めば、いい癒し手になれるだろう。
「……修道女たちから甘さが抜けた。この短期間で、癒し手として必要な覚悟を身に付けた。なあ? あいつらに何があった……?」
あのグレタとカレンにしてもそうだ。クビを言い渡すまで、二人は決して逃げようとしなかった。
「ディートさんの、お亡くなりになったお母様の事ですよ」
「お袋……?」
「ええ、あの晩の事は、グレタとカレンが告解しました。ルシールとポリーは憤慨していましたよ」
「そうか……それでか……」
余計な事を。だが、それがルシールとポリーに大きな成長を促したとすれば、このレクリエーションにも意味はあったのだろう。
「……疲れた。寝る……」
「はい。そうなさいませ」
「なぁ、ロビン。もっと優しくしてくれよ……」
「していますとも」
そう言って、ロビンはたおやかに笑う。
「護るという事は、時に現実を教える事なのですよ」
「そうか……」
意識に、眠りの帳が落ちる。
◇◇
その翌日、目を覚ましたアレックスは激昂する事もなく冷静だった。
俺の同席の下、拘束が解かれたが、修道女たちを非常に恐れ、なんでもするから、早く『退院』したいと泣き言を言った。
大人しくなったアレックスは、素直にルシールたちの施術を受け入れ、順調に回復して行った。
元が鬼人の血を引く為か、回復に専念すれば、アレックスの復調は恐ろしく早かった。
そして――十日後の事だ。
ルシール、ポリーら成長した優秀な修道女たちの手助けもあり、俺はアレックスの右手の接合術式に無事成功した。
左手の時とは違い、今回は俺も含めて三人掛かり。それを補助する人材が三人。術式は驚くべき速度で進み、俺の負担も軽かった。
聖エルナ教会にある一室にて。
「……」
アレックスは繋がった右手を陽に透かし、ぼんやりと眺めている。
「どうだ、アレックス。約束は守ったぞ」
こうなると現金なもので、俺を見つめ返すアレックスの顔には一切の怒りが感じられない。
微笑みすら浮かべ、言った。
「……ああ、ディート。あんたはすごいよ。確かに、あんたはあたしの両手を戻してくれた……」
「調子はどうだ?」
「少し動きが鈍い。訓練が必要だね……」
未だ完全という訳ではない。
だが、『戦士』アレクサンドラ・ギルブレスは確かに復活した。
「まだ、萎えてないか……?」
アレックスの新しい右手は、その骨の全てが精神感応石で出来ている。
「…………」
その新しい右手が、アレックスの戦意に反応してぼんやりと光り輝く。感心したように言った。
「へえ……こいつは確かに特別製だね……」
『戦士』アレクサンドラ・ギルブレスは、口元に不吉な笑みを浮かべ、短く言った。
「やるさ」
決して萎える事のない戦士の怒りは復讐の焔に燃えている。
「そうか。では、そろそろ潜るか」
「……いいね!」
五体満足に戻り、アネットとの約束も果たした。アレックスは、これにて『退院』だ。
闇に潜む呪われた大蛇を狩る。
ダンジョンが俺たちを呼んでいる。
アレックスの復活。そして激しく衝突を繰り返しながらも順調に仕上がって行く悪魔神官と狂信者。
これより、第二部は折り返しに入ります。
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次回、『白蛇』。お楽しみに。