74 楽しいレクリエーション2
早朝、陽が昇る前の時間から起き出した俺は、寝巻き姿のローブのまま、胡座をかいて瞑想していた。
ロビンがやって来た時が瞑想の終わりであり、朝食の時間だ。
だが、この朝、ロビンはいつまで経っても来なかった。
代わりにやって来たのはアシタだ。執務用の机や来客用のソファが並ぶ前室を見て、羨ましそうに言った。
「いいなあ、広い部屋……」
「なら、早く一人前になるんだな。それより、ロビンはどうした?」
「ロビン姉ちゃんか。あの人、無茶苦茶、性格悪いからな……」
それは知ってる。ヤツほど意地悪く、傲慢でねちっこいヤツは見たことがない。だが、俺への朝の挨拶と神官服の着付けはヤツのルーティンの一つだった筈だ。
また、ろくでもない事になっていなければいいが……
その思いが顔に出たのだろう。アシタは片方の眉を持ち上げ、深い溜め息を吐き出した。
「……ロビン姉ちゃんは何もしてねえよ。ただ見てるだけだ。あたいはそれが一番不味いと思うけどね……」
「どういう事だ……?」
アシタは真剣な表情で言った。
「あんた、あの二人をおばちゃんに任せたろ。慣れてないヤツの方がヤバいんだよ」
善には善の流儀があるように、悪には悪の流儀がある。
アシタが語ったのはそれだ。
「ロビン姉ちゃんは、良くも悪くも人を裁くのに慣れてんだよ。だから匙加減も知ってる。でも、おばちゃんにはそれがない。分かるか? これが相当不味いって」
「――!」
俺は壁に掛かった神官服をもぎ取るようにして手に取ると、慌てて部屋を飛び出した。
「ロビンめ……!」
全速力で階段を駆け降りる俺だが、アシタは特に急いだ様子もなく、二段飛ばし、三段飛ばしで跳ねるようにして付いてくる。
「あんた、なんでもロビン姉ちゃんのせいにし過ぎだぜ」
「う……そうだな……」
くそ、アシタなんぞに窘められるとは、俺も相当焦っている。
駆け足で礼拝堂に飛び込んだ俺が見たものは……
棍棒を片手に眦をつり上げたルシールと、祭壇の前で踞り、手を組んで告解する大きいのと小さいのの二人の修道女の姿だ。
ルシールが、棍棒を持っている!
「やめろォ! 二人の頭をカチ割るなァ!」
必死で叫ぶ俺の背後で、アシタが思い切り吹き出した。
「いや、そこまではしねえよ!」
信用出来るか! あいつは金属バットだぞ!? あれが敵味方関係なく、頭をカチ割る瞬間を、俺が何度見たと思ってる!
神官服のボタンを留める事もままならず、息を切らせて駆け寄った俺の様子に、ルシールはつり上げた眦と棍棒を下げ、伏し目がちになって頭を下げた。
「ディート、おはようございます」
「あ、ああ……」
荒い吐息に肩を揺らしながら辺りを見回すと、ポリーやゾイを含めた全員が既に集まっている。
「ルシール、こ、この二人をどうするつもりだ?」
「はあ、グレタとカレンの事ですか?」
大きいのと小さいのの名前は、グレタとカレンか。興味はないが覚えた。
そこで、すっと進み出たゾイが神官服のボタンを留めてくれる。
最後にベルトを締めた所で、俺は漸く落ち着いた。
「ディートちゃん……」
俺を見たポリーが、少し涙ぐんでいる。他の修道女たちも、何故か俺を見て目に涙を浮かべている者が多い。
(なんだ、こいつら……)
気になるが、今はいい。俺はルシールに向き直った。
「ルシール、お前、グレタとカレンの頭をカチ割るつもりか?」
「え!? し、しませんよ、そんな事!」
金属バットは心外そうに言ったが、俺は騙されない。
「なら、何故、バットを持っている!」
俺はどこぞの悪党が、それを使って誰彼構わずドタマをカチ割った光景に何度も衝撃を受けた。
ルシールは眉をひそめ、不思議そうに言った。
「これは儀仗用のものです。武器に使えない事もないですが、普通、そんな事には使いませんよ」
「……そうなのか? では何故……」
それに関して、ルシールはこう答えた。
「私に一任すると言ったのは、ディートですよね? だから司祭代理の私はこの儀仗用のメイスを持っているというだけです」
「そうなのか?」
どうも、ルシールの持っているバット……じゃないメイスは儀仗用のもので、司祭代理の証明のようだった。
ルシールは首を振った。
「シュナイダー卿より、昨夜、この二人がディートの部屋に無断で伺って粗相をしたと聞きまして……その内容を聞いていた所です」
「粗相という程の事じゃない。二人は少し話をしに来ただけだ」
ルシールは静かに首を振った。
「いえ、ディート。違います。貴方は一日の仕事を終えていましたし、面会を希望するなら、先ず私の許可を取る必要があります。しかも、シュナイダー卿の留守を狙って貴方の部屋を訪ねたのです。他意がないと思う方がおかしいです」
「何もなかった」
「何かあってからでは遅いのです。貴方はまだ子供です。この二人に害意がなかったとは思えません……」
そこから先は、口にするのもおぞましいと言わんばかりにルシールは嫌悪感を露に黙り込んだ。
「それで、この二人をどうするつもりだ」
ルシールは、きっぱりと言った。
「還俗させます」
「……なんだと?」
「私たちを身内同然と言ったディートの信頼を裏切ったのです。そのような者を、ここに置いておく訳にはいきません」
ズキズキと頭が痛んだ。
勤務外に俺と会ったというだけで、ルシールはこの二人を放逐すると言っている。それはやり過ぎだ。
俺は、痛む頭を擦りながら背後に振り返った。
「ロビン、この二人に対する適した罰とはなんだ……?」
このやり取りを聖職者席に座ってニヤニヤ笑って見ていただけだったロビンが、嬉しそうに言った。
「まあ、反省しているようですし……十杖の打擲と一ヶ月の謹慎と言った所でしょうか」
「……」
アシタの言う通りだった。
ロビンは人を裁くのに慣れていて、追放するというルシールより遥かに寛容で適切な処罰内容だ。
ふとした気紛れがこんな結果に繋がるとは思いもしなかった。最早、グレタとカレンの処罰は避けられない状況にある。
だが、しかしだ。
「……その罰は、一時、俺が預かる……」
ロビンは呆れたように言った。
「また、それですか」
こうなった以上、不利益は避けられない。俺としてはこの状況を利用して、如何にして結果に結び付けるかだ。
「……罰を与えないとは言わん。グレタとカレンには、率先して『研修』を受けてもらう……」
この俺の言葉に、ロビンは手を打って大喜びした。
「それは素晴らしい! この見習い以下の紛い物二人に、アレクサンドラ・ギルブレスの身体を切り刻ませると!」
ねちねちと嫌らしい。
だが、そういう事だ。善には善の。悪には悪の流儀がある。これを即座に思い付いて実行できる俺の道は、きっと後者に寄るものなのだろう。蛇の道は蛇。気乗りしないが、目的達成の為には致し方ない。
「もう少し、遊ぶか……」
これも、一つのレクリエーションだ。
◇◇
ルシールの話では、大きい方が姉のグレタ、十六歳。小さい方が妹のカレン、十四歳。同じ茶色い髪を持つ二人は姉妹だ。幼い時、『癒者』としての能力を見出だされ、教会に引き取られた……と言えば聞こえがいいが、実際には僅かな金子と引き換えに教会上層に買い取られた。
これは『人身売買』だ。
この事一つ取っても、教会上層が腐っていると分かる。幼い頃から教会で暮らす二人は信仰が篤く、社会経験が全くない。二人は教会の外では生きていけない。放り出せば、スラムに腐るほどいる質の悪い連中に食い物にされて終わるだろう。
そしてこの信仰が篤いというのが曲者だ。二人は経験不足も相俟ってか、術に対する依存が強すぎる。それが俺に対する強い反発を生み、このレクリエーションに繋がった。
教会上層……この場合は寺院に当たるのか……? どっちでもいいが、本当に胸糞悪い連中だ。
その胸糞悪い連中が作ったこの甘ったれたガキ共は……
――少しばかり使える。
蛇の道は蛇か……好きなやり方じゃないが……
俺は、しゅんとして項垂れるグレタとカレンを引き連れて再びアレックスの下へ向かう。
先行したルシールとポリーらは既にアレックスの居る部屋に到着しており、ベッドにアレックスを拘束していた。
ロビンが実に楽しそうに言った。
「さぁ、面白くなって来ました」
本当にしつこいヤツだ。
だが、最初からロビンに任せていれば、こんな事にはならなかった。
皮肉なものだ。
今は、それを都合良く思う俺がいる。
ルシールが険しい表情で言った。
「……ディート。今日もこの獣とお話されるのですか?」
「ああ……」
俺はパチンと指を鳴らした。
「……!」
術を解くとベッドの上で拘束されているアレックスの眼に正気の光が戻る。やはり剣呑な目で状況を確認した後……
「ぶっ殺してやる!」
「やってみろ」
俺は再び指を鳴らし、新たに術を掛け直してアレックスの正気を奪う。
またしても即座に話は打ち切られ――ロビンは腹を抱えて大笑いした。
「この人の馬鹿を治す所が、治療の第一段階じゃないんですか?」
「それも、その内に治るだろう」
さぁ、楽しいレクリエーションを始めようか。