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72 外法研修

 聖エルナ教会にある二つの居住塔。

 向かって左の尖塔の最上階には俺とロビンの居室があり、一階の入口付近には助祭に戻ったルシールの居室がある。

 この左の居住塔には、この聖エルナ教会に於ける高位者の居室が集まる。つまり、俺とルシールだ。ロビンの居室が俺の隣にあるのは、教会騎士の責務による便宜上のものに過ぎない。


 俺の居室が最上階にあるのに対し、ルシールの居室が一階にあるのは『司祭』である俺の面倒避けだ。


 何かのトラブルが生じた場合、先ずは一階のルシールが問題を吟味し、司祭に報告の必要ありと判断した事柄だけが俺の手元に上がって来る。これは、来客や面接についても同様だ。


 向かって右の居住塔には一般の修道女シスタたちの居室が存在する。構造は広い間取りの司祭の部屋を除き、右の居住塔と殆ど変わらない。一つの階層ごとに二つの居室があり、十階建て。中々に高度な技術が採用されている石造りの建造物だ。


 尚、アシタとゾイの居室もこの右の居住塔にある。

 半人前の二人は二人で一部屋。

 それを聞いた時は嫌な予感がしたが、そこはルシールの裁量に任せた。今の所、二人の間に問題は起こっていない。


◇◇


 さて、この日の俺は、一般の修道女シスタたちが居住する右の塔に訪れていた。

 石造りの一室。

 六畳ほどの部屋にはベッドと小さなクローゼットがあって、そこにアレックスが『入院』している。


 俺の後ろには、当然のようにロビンとルシールの二人が続く。

 二人は合流した時も挨拶すらせず、視線も合わせない。先の一件を経て変わると思われた二人の関係だが、依然として犬猿の関係にあるようだ。馴れ合う事は決してしない。

 それもまたよし。

 そんな二人と六人の修道女シスタを引き連れ、訪れた一室では、全身に拘束具を付けられたアレックスが、ぼんやりとベッドに腰掛け、涎を垂らした表情で俺たちを出迎えた。

 ルシールが厳しく言った。


「このけだものの具合はどうですか?」


 その質問に答えたのは、ふくよかな修道女シスタであるポリーだ。


「悪くないね。食事もちゃんと摂ってるし、運動もしてる。あたしらの言う事もよく聞いてるよ。ただ、術を掛け直さなきゃいけない時間が、段々短くなって来てるね。抵抗してる」


 入院に至った理由も相俟って、それ故、新たに拘束を強くしたというのがポリーの判断だ。


「大丈夫だとは思うけど、万が一にでも鬼人オーガの力で暴れられたら一溜まりもないからね……」


 そう言って、ポリーは可哀想なものを見るようにアレックスに視線を向ける。


「それでいい。このアホの世話は引き続き任せる。危険と判断した時は、すぐ俺に報告しろ」


「分かったよ。ディートちゃん」


「……」


 思わず出た言葉だろう。ロビンとルシールの厳しい視線を受け、ポリーは、あっと口を押さえた。

 俺は頷き、ロビンとルシールを制止した。


「構わない。ここに居る修道女シスタたちは、全員、俺の身内のようなものだ。公的な場所や他者の目に触れる場所では謹んでもらう必要があるが、今は問題ない」


 ポリーの年齢からして、俺と同じ年頃の子供がいても何らおかしな事はない。むしろ敬称を使う方が不自然だ。


「しかし……」


 と、ルシールは難色を示すが、俺はそれにも首を振って見せた。


「ルシール。これは、お前も同じ事だ。ディートハルトさま(・・)はよせ」


 十歳の子供に大人が敬称を使う等、正気の沙汰じゃない。そもそも俺は偉くない。偉大なのはあくまでもアスクラピアであり、俺自身はただの子供だ。


「その辺はロビンを見習え。なんなら呼び捨てでも構わない」


「……」


 ルシールは尚も難しく考えているようだったが、ややあって――


「それでは、ディート。このけだものと話し合われるのですね?」


「色々と聞きたい事がある」


 そう答えた俺の横で、ロビンが舌打ち混じりに呟いた。


「……よりによって呼び捨てですか。偉そうに……」


 その言葉にカチンと来たルシールが厳しくロビンを睨み付けるが、俺はもう、この二人のいさかいに関わりたくない。


「では、術を解くぞ」


 俺はパチンと指を鳴らした。


 その瞬間、虚ろな目付きで俺たちを見つめていたアレックスの眼に光が灯る。


「……」


 そして剣呑な視線で辺りを見回し、状況を確認した次の瞬間。


「このクソ餓鬼が!」


「仰せの通りだ」


 俺がパチンと指を鳴らし、新たに術を掛け直すと、たちまちアレックスはぼんやりとした表情になって、虚ろな視線を宙に漂わせた。


 今のアレックスは、話し合う段階にはない。


 即座に会話を打ち切った俺に、ロビンが小さく吹き出した。


「……それでは始めようか……」


 その言葉に、ルシールが小さく頷いた。


「さて、皆、既に分かっていると思うが、ここに居るのは真性のアホだ。身元引き受け人には了解をもらっている。これから、このアホの意思を無視して治療を行う」


 この治療はルシールを含めた修道女シスタたち全員の研修も兼ねている。


 アネットがもっと協力的だったなら、こんな事をする必要はなかったのだが、今となっては是非もなし。


「このアホは、一応A級冒険者だ。ぱっと見る限り、治療の必要などないぐらいの健康体だが、右手は欠損しているし、身体のあちこちに『瘤』がある」


 勿論、悪性腫瘍の原因となるものだ。

 俺がアホと罵るのは、アレックスはそれを知りつつ、その治療を俺に依頼するつもりがないからだ。

 このアホは自信満々に、自分だけはマリエールのようにならないと固く信じている。だから、この治療自体はアネットが望んだものでもある。


 今回、俺は指示するし監督するが、治療自体を行うのはルシールを含めた七人の修道女シスタたちだ。


「先ず、このアホの右膝を見ろ。既に治癒していて分かりづらいが、僅かに膨らんでいるのが分かるか?」


 今は健康そのもののアレックスだが、この状態でダンジョンアタックを繰り返していれば、いずれ右膝に違和感を抱えるようになるだろう。そうなれば、治療は複雑かつ大掛かりなものになる。


「皆、触ってみろ。この感触を忘れるな」


 ルシールは険しい表情で頷き、一番にアレックスの右膝に触れた。


「しこり?……何か……『芯』のようなものの感触を感じます……」


「ふむ、結晶化が始まっているな。このアホは運がいいアホだ」


 ルシールがじっくりと時間を掛けて瘤の感触を確かめ、難しい表情でその場を離れたのを切欠に、他の修道女シスタたちもそれに倣って、入れ替わり立ち替わりで瘤の感触を確かめる。


「よし、全員、その感触を忘れるな」


 麻酔を使って処置したい所だが、修道女シスタたちは、全員『実践』が足りてない。その為、今回はアスクラピアの術によってその代用とする。


「皆、対象を痺れさせる術は使えるな?」


 そこでルシールは眉を寄せ、困惑した表情になった。


「それは初級術ですね。対象を痺れさせ、動きを停止させるものです。十全に効果を発揮する為には対象と触れる必要がありますし、完全に動きを止めるには多くの神力を使用します。使い勝手が悪く、使用する機会は殆どない術ですが……」


 俺は首を振った。


「そこが先ず違う。この術は非常に有用で、本来はこう使うものだ。見ていろ」


 俺は指先に神力を集中させ、アレックスの右膝にある『瘤』に触れた。繊細な神力調整が必要になり、少し難しいが、慣れれば局所麻酔と同じ効果が期待できる。


 既に準備させてあった聖水で浄めた切開用の小刀で、瘤の上の皮膚を切開したが……


「…………」


 アレックスは、どくどくと血を流す右膝を見ても何の反応も示さない。


 そこで二人程の修道女シスタが腰を抜かしてへたり込んだ。よくよく見れば、オリュンポスでも腰を抜かした二人だ。だらしない。

 更に深く切開し、これもまた聖水で浄めた特注品のピンセットを傷口に突っ込んでそれ(・・)をずるりと引きずり出す。


「……見た目以上に大物だな……」


 思っていたより大きな腫瘍に成長している。アレックスが既に違和感を覚えていたとしても不思議はない程の大きさだ。


「本当に運のいいアホだ」


 面倒臭くなり、その辺に腫瘍を放り捨てると、それで更に三人の修道女シスタが腰を抜かしてへたり込む。


「疑わしい時は、切ってその目で確かめろ。見逃しましたじゃ済まない話だからな」


 最後に聖水で傷口を洗い清め、治癒の術で傷を塞いで施術は終わり。これがただの瘤である内は簡単なものだ。


「さて、ここまでで質問は?」


「……」


 ほぼ全滅。

 最後まで立って、目を逸らす事なく施術を見ていたのはルシールとポリーだけだった。

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