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57 ディートハルト・ベッカー3

 治癒室は一気に暗い雰囲気になったが、当のマリエールはあっけらかんとしている。


「……マリエール。身体に不調はないか……?」


「今のところ、ない」


 そうだろう。そうでなければ困る。この世界の癌は、俺が元居た世界の癌とは違う。


 ――『魔素』。


 ダンジョンで発生する魔素は、モンスターを生み出すのと同時に冒険者を強く屈強な存在へと成長させるが、同時に、このマリエールのような悪性腫瘍を含めた様々な病を誘発し、進行させる。

 それ故、マリエールには固くダンジョン探索を禁じてある。

 そのマリエールの治療方針は、血印聖水を用いて身体から魔素を抜く所から始まる。そうする事で腫瘍の進行を妨げ、弱らせて小さくした上で祝福により浄化、死滅させる。この治療方法は苦痛もなく、安全な方法だが、完治には長い時間が掛かる。


 A級冒険者のマリエールの身体には多量の魔素が蓄積されている。完全に魔素が抜けるまでに掛かる時間は想像も付かない。


 俺は……


 俺は、いったい何処までの事が出来るんだろう。


「……」


 俺という惰弱な人間は、マリエール・グランデという女の身体を切り刻む事は出来ない。これがアビーやロビンだったとしても同じ結論に至っただろう。


 俺には、そんな残酷な事は出来ない。


◇◇


 人間らしい感情がもたらす苦悩は、人間が持つ最も素晴らしい美徳の一つである。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 不意に強い視線を感じ、顔を上げると、この場の全員が、何やら複雑な表情で俺を見つめていた。


「なんだ? じろじろ見るんじゃない」


 ロビンに至っては、今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめている。


 俺はそれらの視線に不快感を隠さず、一瞥した後はマリエールの診察を開始した。


 あちこち見て触診するが、マリエールは何も言わない。腫瘍の大きさは、良くも悪くも変わらず。このまま仲良くやって行くという選択肢もあるが……この腫瘍が悪さを始めた時が恐ろしい。


「……マリエール、もっと身体を労れ。徹夜してまで何をしていた?」


 この女は、人の気遣いには無頓着に出来ている。勿論、俺の気遣いなど気にも留めない。無表情のマリエールは、ローブの裾をごそごそと漁り、透明感のあるビー玉のような物を俺に突き出した。


「これを作ってた」


「なんだ、それ…………待て、ちょっとよく見せろ」


 マリエールの作ったビー玉のようなそれは『飴玉』だった。だが、ただの飴玉ではない。それの『原料』を作った俺には、すぐ分かった。


「血印聖水で作った飴玉か。面白い発想だな」


 これにより、身体の中と外から病巣を攻める。似たような事はやっていたが、この飴玉の方が効果は持続すると思われる。


「祝福してほしい」


 そのマリエールの要望に応え、その場で聖印を切り、祝福を与えると飴玉に滲むような光が灯る。

 俺は笑った。


「祝福効果を留め置ける飴玉か。面白いな……」


「でしょ?」


 マリエールはニコニコ笑っている。

 俺は独りで戦っていた訳ではない。マリエールは、自分なりのやり方で俺と足並みを揃えてこの病と戦っている。


「この飴玉は量産出来るのか?」


「うん」


「沢山、作れ。幾らでも祝福してやる」


 俺は一頻り笑いにせ……


 ほんの少し、零れ落ちた涙を指で拭った。


◇◇


 経過観察を言い渡し、マリエールは笑顔で治癒室を去った。

 やりたい事をやりたいように。

 あの女は、あの女なりのやり方で自らの道を進むのだろう。

 自らの足で立って進む者に説教は必要ない。

 俺は変わり者の魔術師、マリエール・グランデの背中を見送った。


 そして、成り行きを見守っていたアネットだが、マリエールが治癒室を去った後は再び腕組みのポーズになり、並み居る修道女シスタたちに嫌悪の視線を向けていた。


 ……当然だ。


 マリエールの抱える病は、ここにいる修道女シスタたちのような『癒者』の雑な治療が根本の原因だ。アネットが不信感と嫌悪を抱くのは当然の帰結と言える。

 アネットは腕組みしたまま、険しい表情で言った。


「……ねえ、私の治療は、あんたがしてくれるのよね……?」


「ああ、勿論だ……」


 将来的に悪性腫瘍の原因となる『瘤』の発見には、視認だけでなく触診も必要となる。中身いい歳の男である俺としては、年頃女性への配慮と勉強の意味も含め、同性であるルシールたちに任せたかったのだが、アネットの強い警戒心を見る限り、それは難しそうだ。


「それは良かったわ」


 苛立ちを吐き捨てるように言い放ったアネットは、マリエールの病状を直視した事で受けたショックが大きかったようだ。


「……そうか」


 短く応えながら、俺は内心で、しくじったと思った。

 マリエールの病状を見せたのは、執拗に俺を避けるアネットに翻意を促す為だった。その思惑は上手く行ったが、どうにも刺激が強すぎたようだ。


「じゃあ、あんた以外は、全員ここから出て行ってもらえる?」


「分かった……」


 ルシールら修道女シスタたちの間に困惑の表情が見られたが、俺はアネットの要望通り、彼女らに治癒室から出て行くように促し、それから治療に移った。


 診断の結果、アネットの身体には一二箇所の『瘤』がある事が判明し、身体の負担を考えた俺は、それらの処置を二日に分けて行う事を提案したが、アネットには強く拒絶された。


「絶対に嫌! 今日中に全部取って!」


「……分かった。少し長くなる。身体の負担も大きい。探索は暫く休めるか?」


「構わないわ。早くやって頂戴」


 瘤、一つ一つの処置は難しくないし簡単だが、その数が一二となると使う麻酔は多くなるし、それに比例して出血量も増える。


 だが、アネットが悪性腫瘍に抱く嫌悪感は俺の予想を遥かに上回るものがあった。


「あんな風になるなんて、私は絶対に嫌よ……!」


 時刻はまだ早かったが、アネットの治療には、結局昼過ぎまで掛かった。修道女シスタたちの助力があれば、施術はもっと短時間で済んだし、俺もそうだが、アネットの負担も小さかった筈だ。


 アネットが『癒者』全員に抱く嫌悪と不信感は強い。


「……終わった。瘤は全て良性のものだった。安心していい……」


 出血と多量の麻酔投与に意識朦朧になりながらも、処置後のアネットは落ち着いたのか、深く長い安堵の溜め息を漏らした。


「……そう……良かったわ……ねえ、すごく眠いの……ここで寝ても、構わない……?」


「ああ、頑張ったな。少し眠るといい」


 施術直後という事もあり、今のアネットは殆ど全裸に近い。身体が冷えないよう毛布を掛けてやると、アネットは薄く微笑んだ。


「ねえ……なんだか、変だわ……」


「なに? それは、どこだ? 寒気がするのか? それとも……」


 意識朦朧のアネットの視線は焦点を結ぶ事なく、虚ろに宙をさ迷っている。

 麻酔薬は便利だが、本来、これは毒物だ。扱いには細心の注意が必要になる。

 慌てる俺を見て、アネットは笑った。


「違う違う……」


 俺はアネットの手を強く握り、口元に耳を寄せ、今にも消え入りそうな声に耳を澄ました。


「……すごく、安心すんのよ……」


「……」


「変よね……あんた、ガキなのに……まるで……」


 アネットの声は段々と小さくなって行く。後半は聞き取れなかった。やはり麻酔を使い過ぎた影響によるものだろう。

 そこで、俺はハッとした。

 『ハーフエルフ』であるアネットは、『エルフ』の血を引いている。

 エルフという種族は知性が高く魔力に富むが、腕力や体力については人間よりやや劣る。意識する程ではないと思っていたが、麻酔の効果が強く出過ぎているこの現状には説明が付く。


(俺は馬鹿だ……)


 強い要望があったからとはいえ、種族差を意識せず施術を押し通した俺は馬鹿野郎だ。


「ねえ……アンタ、オリュンポスになったんでしょ……?」


「ああ……そうだ」


「そ……なら……また私の部屋に……泊まりに……」


 やがて呼吸がゆっくりとしたものになり、脈拍数が落ちて来る。瞳が完全に閉ざされ、意味不明な言葉が増えて来た。

 最後に、アネットは深呼吸して呟いた。


「さいしょ……おきにいり……」


 意味不明。

 こうして、アネットは眠った。

 種族により、麻酔の適切な量を探る必要がある。そういう意味では、今回の事は勉強になった。

 アネットに関しては、『癒者』に対するイメージ回復の為の働きかけが必要だ。


「……」


 アネットの静かな寝息だけが聞こえる治癒室で、俺は今回の反省点に付いて、深く考え込むのだった。

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