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43 聖エルナ教会にて3

 聖エルナ教会での朝は、実に穏やかなものだった。


 神官というものを熟知するロビンは無駄口を叩かず静かなものであるし、教会にいる修道女シスタたちも皆親切で、幼いとはいえ、神官というクラスにある俺に敬意と親しみを持って接してくれる。


 この日、一番、嬉しかった事は、ロビンが新しい神官服リアサを用意してくれた事だ。


「ほ、本当に貰っていいのか?」


「……はい」


 しかし、笑顔を浮かべる俺を他所に、ロビンは軽く唇を噛み締め、やるせない表情をしている。


「どうした、浮かない顔をして……」


 その言葉にロビンはたちまち目尻を下げ、その場に膝を着いてこうべを垂れた。


「……申し訳ありません。このロビン、宣告したにも関わらず、無能にも第三階梯の神官服リアサしか用意出来ませんでした……」


「すまん、よく分からん……」


 首を傾げて見せる俺に、ロビンはポツポツと話し始めた。


「……本部の報告により、貴方の父『ベルンハルト・ベッカー』神父とその妻、『クリスティーナ』さんの存在は確認されました。それにより、ディートさんの身分は、教会によって正式に保証されました……」


「ふむ……」


 何故、両親の名前を聞きたがったのか不明だったが、身元確認の為だったようだ。納得いった。


 ロビンの話では、神官と認められた者の全ての経歴は教会本部の名簿にあるようだ。


「すまん。以前も言ったが、記憶に難がある。父の事について教えてくれ」


「はい」


 ロビンは膝を着いたまま、 『ベルンハルト・ベッカー』について語った。


 ディートハルト・ベッカーの父、ベルンハルトは『ニーダーサクソン』の片田舎で教会を開いた『元』第三階梯の神官である神父だ。


 ちなみに、新たに個人の教会を開くには、下野して神官としての身分を捨てなければならない。


 そしてこれはロビンの推定になるが、ベルンハルトが神官としての地位を捨てたのにはもう一つ理由がある。


 『寺院』は神官の結婚を許可していない。結婚する為には、下野して寺院での地位を破棄する必要があるそうだ。その為、ベルンハルトは第三階梯の神官に昇ると同時に下野し、クリスティーナを妻に迎えた。その後は田舎に下り、寺院の許可を得て、個人の教会を開いた。


「お父上の評判は悪くありません。小さい村では唯一の神父です。例え下野していたとしても、力を失う訳じゃありません。人格も優れていて、安価で村人の治療を行っているそうです。ただ……」


 そこまで言って、ロビンは険しい表情になった。


「安価での奉仕は頂けません。アスクラピアの奇跡を安売りすると、人民は付け上がります」


 教会騎士ロビンの拘りはどうでもいい。俺は無駄な議論を避ける為、それには答えなかった。


「……心配した寺院が、教会騎士われらの派遣を申し出たそうですが、お父上は拒絶されています。元第三階梯の神官が貧乏暮らしとは、胸が痛みます……」


「それは、父が選んだ道だ。誰かがとやかく言う事ではない」


「……失礼しました」


 ロビンは尚も何か言いたそうにしていたが、これ以上は俺の勘気に触れると見て、一度首を振ってから、父ベルンハルトに対する言及を止めた。


「……なあ、以前も言ったと思うが……」


 ロビンは頷いた。


「兄上の事ですね」


 そうだ。

 俺は、幼くして去ったディートハルトの為に、その兄である男に、母クリスティーナの死を伝えてやりたい。あいつのただ一つの頼みに応えてやりたい。


 ロビンは口元に柔らかい笑みを浮かべた。


「お兄様の方も、結構な才能をお持ちですよ。八歳で第五階梯の神官として認可を受けてます。しかし……」


 そこでロビンは、またしても表情を曇らせた。


「寺院を毛嫌いされており、十三歳で出奔されたようです」


 ……だろうな。破天荒なヤツに違いないと思っていた。その程度の事はするだろう。しかし、十三歳で出奔とは……末恐ろしいヤツだ。


 まあ、八歳で出奔したディートハルト少年には敵わんが。


「寺院の報告では、その後暫くの経歴は不明です。そして、七年後にエミーリア騎士団に仕官しました。そこからはディートさんの言った通りです。最終的な軍階級が少佐であった事も確認されましたが……」


 そこでロビンは黙り込み、険しい表情になった。


「……エミーリア騎士団から圧力が掛かっており、『サクソンの大火』に関する情報は秘匿されています。現在、兄上の行方は杳として知れません……」


 お、おい。兄貴の名前を言えよ。俺が聞くのはおかしいじゃないか。


「兄は……そうか……」


 どうせ、ろくでもない事になっているんだろう。俺はその思いを圧し殺し、ロビンから顔を背ける事で追及される事を避けた。

 ロビンは俯き、静かに言った。


「申し訳ありません。今の私の力では、これが限度です……」


 名前も知らん男を探すとは……俺もベッカー兄弟をとやかく言えない……

 だがまあ、このロビンに会ったように、えにしあるというならば、いずれ出会う日もあるだろう。無理はすまい。そもそもディートハルトもそれでいいと言っていた。


「ありがとう、ロビン。十分だ」


 俺は『兄』についての言及を打ち切った。


「は……」


 ロビンは頷いたものの、納得してないようだ。項垂れるように俯き、膝を着いた姿勢を崩さない。


「……して、その神官服リアサの事ですが……」


 その後のロビンの話ではこうだ。

 オリュンポスでの術式を見たロビンは、それを『第一級』の奇跡と認定し、俺……ディートハルト・ベッカーを第二階梯の神官として宣告し、寺院にそれを推挙したそうだが、それは認められなかった。

 当然だ。

 ロビンは俺との契約により、オリュンポスでの一件を口外する事を禁止されている。第二階梯の神官の権威がどんなものかは分からないが、口先だけで得られる程、容易いものではないだろう。それでも、十歳程度のガキである俺を口先だけで第三階梯の地位に捩じ込んだのは恐るべき事だ。

 俺はロビンの手を取り、その場に立たせた。


「……十分過ぎる。ロビン、俺の為に無理はするな……」


「はい……」


「それで、この神官服リアサ、今着てみてもいいか!?」


 そこで、ロビンは吹き出した。

 口元を隠し、笑いに肩を揺らしながら頷いた。


「……はい!」


 この時の俺は知らなかった。この教会騎士ゴミクズのお陰で『寺院』に所属する神官になってしまった事も、『第三階梯』の神官になるという事の意味も、何も知らなかった。


◇◇


 新しい神官服リアサは最高だった。

 十二個のボタンと革のベルトは変わらない。以前と違うのは、色が煤けてない所と、襟章が茶色から濃い赤になっている事だ。


 ロビンに手伝ってもらい、十二個のボタンを留め、腰のベルトを固く締めると気分が引き締まり、神力が湧き出すような気がする。


 その後はロビンの先導で、先ずは教会内の井戸を祝福に向かう。


 道中、廊下、古いが佇まいのある集会堂を見て回り、行く先々で修道女シスタと擦れ違い、俺はその都度足を止め、聖印を切って挨拶したが、修道女たちは皆笑顔で聖印を切って返してくれた。

 しかし、その俺にロビンは困り顔だ。


「あれらは見習い以下の紛い物です。挨拶の必要はありません」


「紛い物……?」


「『癒者』ですよ。彼女らは才能も信仰も足りません。紛い物は紛い物のまま。あれらの信仰が昇華する事はないでしょう」


「……」


 新しい神官服リアサを身に纏い、上機嫌の俺だったが、ロビンのその発言で一遍に不愉快になった。


「……お前、ここに逗留しているんだろう? 彼女らに世話になっている筈だ。何故、そんな無礼な事が言えるんだ?」


 苛立つ俺の言葉にも怖じけず、ロビンは堂々と答えた。


「憧れと能力とが釣り合わない、紛い物だからです」


 俺は――


「ロビン、言え。ウジ虫をどうすれば追い払える」


「え……」


「更にはゴキブリ、ハエ、ダニ、ノミ。あの悪魔の子らをどうすれば駆逐できると思う」


 自身の発言が、俺の勘気に強く触れた事を理解したのだろう。ロビンは動揺して、小さく息を飲み込んだ。


「一纏めにしておくのだ。そうすれば、互いに食い尽くし合うだろう」


 物影から何人かの修道女が覗いているが、知ったこっちゃない。俺はロビンを強く睨み付けた。


「そ、それは、教会騎士われらの事を言っているのですか……?」


「そうだ」


「……」


 ロビンが涙目になって俯いたところで、物影で様子を窺っていた修道女たちが含み笑いを浮かべて走り去って行った。


 その様子を見れば、ロビンのヤツが日頃からどんな態度を取っていたかは容易に想像が付く。


 気分を害した俺は、その後の予定を全てキャンセルして自室に引き籠った。

 勿論、ウジ虫の入室は許さない。

 その晩、聖エルナ教会の修道女たち一同が会する静かな食堂で、修道女の一人が遠慮がちに語り掛けて来た。


「あの、ディートハルトさま……」


「貴女たちは、全員、私より年上で、今の私は貴女たちのお世話になっています。ディ、若しくはディートとお呼び下さい」


 俺は、自分が第三階梯の神官として認定された事の意味を知らなかった。父、ベルンハルトがしていた事をよくよく考えていれば、こうなる可能性は十分にあったにも関わらず。


 俺の言葉に、何故か微笑む修道女たちは互いを肘で突っつき合っていたが、やがて、一番年上の修道女が決意を固めたようだ。

 笑顔で言った。


「それでは、ディート。私たちの教役になって頂けませんか……?」


教役きょうやく……?」


 言われた事の意味が分からず、隣に視線を向けると、ウジ虫扱いにショックが抜けきらないロビンが自嘲気味に呟いた。


「彼女たちの教職役の事です……司祭の役目も兼ねてますがね……」


 何が言いたいのか、全然、分からん。教会の事は分からない。更には異世界の教会の役職など、俺が知る訳がない。


「つまり?」


「……彼女たちは、ディートさんに『神父』になって欲しいんですよ……」


「なんだって?」


 急な展開に、慌てて回りを見ると、修道女たちは、皆、笑みを浮かべて俺を見つめている。


「わ、私は十歳の子供ですよ? ここには経験のある修道女シスタも居られますし……」


 その言葉には、ロビンも修道女たちも笑みを浮かべるだけで答えない。年齢は言い訳にならないという事だ。


「……」


 そして俺は黙り込む。

 『第三階梯』の神官になるという事はつまり、こういう事だ。権威を持つという事は、こういう事なのだ。

 現在、この聖エルナ教会にはトップと言えるべき存在……『神父』に相当する力を持つ神官が居ない。仮に神官が居たとして、第三階梯の認定を受けた神官はごろごろ居るようなものじゃない。


 嵌められたのだ。

 アスクラピアは忘恩と無頼の輩を嫌う。この場に留まる以上、俺は彼女らの要請を断る事は出来ない。


 この時になり、俺は初めてアビーの下を去った事を悔やんだ。


 こうして俺は、この聖エルナ教会で神父の真似事をする事になった。

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