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38 真の癒す手

 そして、俺はクランハウス『オリュンポス』の門戸をくぐり抜け、分厚い扉を叩いた。


「すみません。ディートハルト・ベッカーです。定期往診に参りました。マスターのアレックスさんかマリエールさんは居られますか?」


 遠造でもいいが、やつの場合は思っている事が顔に出る。この場合、全ての責任を負うクランマスターのアレックスか、冷静でポーカーフェイスのマリエールに会いたかった。


 ……アネット? 誰だそれ。


 あの曲者のアレックスが、間抜けなアネットをサブマスターにしている理由は未だに謎だ。


 オリュンポスの重い門戸が、ぎぎ、と音を立てて少し開き、顔を見せたのは猫人ワーキャットのメイドだった。


「これは、先生ドク。ようこそ――!?」


 言葉の途中で、メイドは俺の背後に立つ教会騎士の存在に気付いた。途端――

 サッと顔色を変え、怪訝な表情になった。


「……先生ドク。そちらの方は……」


「こちらに他意はないです。申し訳ありませんが、アレックスさんかマリエールさんをお呼び頂けませんか?」


 悪いがここは強引に言葉を重ねる。

 アレックスとマリエールは俺の『癒し』が必要だ。だから必ず上手く行く。


「……」


 メイドは怪訝な表情を警戒に満ちた険しい表情に変え、小さく頷くと扉を閉めきった。


 いつもなら、歓迎の言葉と共に問題なく開かれる扉だが、背後に立つ狂信者が全てを台無しにしている。


「……」


 ロビンは石像のような無表情を保って喋らない。姿勢正しく胸を張り、僅かに外套の前を開けて剣を覗かせている。


 腹が立つが、これはロビンの譲れない主張なのだ。神官おれを害するなら、迷わず実力を以て対処する。これが教会騎士だ。

 嫌われる訳だ。恐れられる訳だ。

 教会騎士、レネ・ロビン・シュナイダーの優先順位は、何があっても変わらない。


 暫くの時間があって――


「やあ、ディート。よく来たね。入りな、って言いたいけど、今日ばかりはそう簡単には行かないね」


 出てきたのはアレックスだ。

 アレックスは袖の長いローブを纏った格好で両手を隠し、腕組みした姿勢で俺を睨んでいる。

 マリエールじゃない……厄介な方だ。

 俺はビジネススタイルで答えた。


「はい、分かります。後ろのゴミクズの事ですね。これは空気と思って頂けると幸いです」


 瞬間、ロビンは眉をひそめ、アレックスは思い切り吹き出した。


「あっは! ゴミクズか! そんなゴミクズをウチのクランハウスに入れようなんて、ディート。あんたも酷い事をするね」


「それについては、申し訳ありません。このゴミクズには、空気になるように言い聞かせてあります。ここで見聞きした事は他言しません。怪しげな魔道具を所持していましたが、それも破棄させております。もし約定を違え、ここでの事が公になった場合には、このゴミクズは私が責任を持って処分致します。往診させてもらってよろしいでしょうか?」


「そうだねえ……」


 アレックスはニヤニヤ笑って考えている。


「まだ少し足りないねえ。あたしは教会騎士ゴミクズが嫌いなんだ。もう少しオマケしてくれないか?」


 俺は頷いた。


「分かりました。貴女の完全復帰を待ってという事になりますが……この私もヒュドラ亜種の討伐に参加するという事でどうでしょう」


「――!!」


 ヒュドラ亜種に復讐を誓うアレックスにとって、これはオマケの条件としてはでかすぎる。


「……あんたがね。そうか……そうか……!」


 アレックスの意地の悪いニヤニヤとした笑顔が、徐々に狂暴な笑顔に変わって行く。


「あんたは十歳だろ? ダンジョンに潜れるのは十五歳からだ。ダンジョン法に抵触する。それはどうするんだい?」


 帝国のダンジョン法では、『冒険者』の資格を取れない十五歳以下の者に対してはダンジョンへの入場を許可していない。だが――


「抜け道は幾らでもあります。ヒュドラ亜種との再戦には、このディートハルト・ベッカーが回復役ヒーラーとして参戦致します。如何いかが


 アレックスは不吉に嗤った。


「命懸けになるけど、問題ないね?」


「全く問題ありません」


 そこで、アレックスは大笑いした。

 一頻り笑いこけ、腹が抜ける程笑った後、上機嫌で言った。


「こいつは愉快だ! 正に勇猛果敢! いいねえ! 実にいい! ディート、やっぱりあんたは実戦向けだ。キスしていいかい?」


 その言葉にロビンの表情が険しいものになったが、俺は無視して続ける。


「それは、またの機会にして頂きたいですね」


「う~ん……はっきり断らないのが、またいいねえ。あと三年後なら間違いなく食ってたよ」


 いつだってそうだが、アレックスの冗談は半分が本気だ。こういう性的なアプローチはこれが初めてじゃない。

 次の瞬間、アレックスは表情を引き締めた。


「入りな、ディート。あんたは今日から『オリュンポス』だ」


「ありがとうございます。謹んでお受け致します」


 アレックスはゲラゲラと笑い、同時に猫のメイドが重々しい扉を開け放つ。


「……」


 涼しい顔をしている俺の背後で、ロビンは顔を真っ青にしていた。

 まあ、そうだろう。

 A級探索者のアレックスが討伐に失敗し、パーティーを壊滅させたダンジョンの大物に、十歳のガキが同行して立ち向かうのだ。それも背後に立つ己が原因で。


 一方、俺の方は問題ない。

 ダンジョンが呼ぶ声が聞こえる。ヒュドラ亜種はアンデッドだ。神官の俺とは相性がいい。俺が挑むべき相手なのだ。そして、命懸けなのはいつもの事だ。特別な事は何もない。ロビンの事は関係ない。


「……!!」


 ロビンは何か叫び出しそうだったが、歯軋りしてこれを堪えた。


 その様子に、アレックスはいよいよ笑いが止まらなくなったようで、目尻に涙すら浮かんでいた。


◇◇


 以前、入った事のあるアレックスの私室に通された。


 一ヶ月前は豪華な調度品が並んでいただけだったアレックスの部屋だったが、その中央に位置するテーブルには、二つの大きな瓶が並んでいる。



 その瓶の中には、血印聖水に浸されたアレックスの両手が浮かんでいた。



「……」


 ロビンはその光景に、顔色を白くして呆然としていた。


 何も知らなければ、この部屋は異常者の部屋でしかない。俺は二つ並ぶ瓶の中から一つを選び、それをじっくりと観察した後で言った。


「……やはり左手からですね。今日はこいつを繋ごうかと思うのですが、どうでしょう」


 その言葉に、アレックスは小躍りして快哉の声を上げた。


「待ってたぜ!」


「……慌てないで下さい。先ずは繋ぐだけです。骨の約四割が人工骨のオリハルコンになります。リハビリには三ヶ月は見ておいて下さい」


「なんだっていいさ! あたしの! 左手が! 戻って来るんだ!!」


 ちなみに、寺院に所属する神官の見解では、アレックスの両手は腐るだけで、アスクラピアの術の効果はその進行を遅らせるだけだから切断した方がいいと宣告されている。


 俺の見解も同じだった。

 教会の神官が下した判断は正しい。俺と違うのはその後だ。


 俺はアレックスの切断された両手から腐って駄目になった組織を切り離し、血印聖水に浸して生きた組織を培養した。


 駄目になった骨の代わりにはオリハルコン(精神感応石)を使う。

 なお、こいつの加工には強い『魔力』が必要だ。俺の分野じゃない。手の骨は二七本あるが、アレックスの左手には十本のオリハルコンの骨が使われている。このオリハルコンを骨の形に加工したのはマリエールだ。


「うん……うん……いい感じに神経と血管が出来ています。これならオリハルコンとも同調できる……」


 回復にも強い力を発揮する血印聖水だが、効果は無限じゃない。この一ヶ月間の俺は五日置きにオリュンポスを訪れ、新しく血印聖水を補充する傍らで、ゆっくりと培養していく両手の組織を観察していた。


 最初、再生した手は形を持たないただの肉の塊だった。


 その手を見たアレックスは怒り狂い、続いて泣き崩れた。


 その形を持たない肉の塊に、マリエールが加工したオリハルコンの人工骨を埋め込み、無駄な組織は切り捨てて整形する。そして再び血印聖水に浸し、細胞組織の培養を待つ。

 一ヶ月はこの繰り返しだった。

 最初は死人のような土気色の顔で成り行きを見守っていたアレックスだったが、徐々に形を取り戻しつつある両手と共に覇気を取り戻した。


「さあ! やってくれ、ディート!!」


「だから、慌てないで下さい。貴女の左手の骨は約四割がオリハルコンです。神経、血管、共に順調に回復していますが、これを全て繋ぐとなると長い時間が必要です」


「あぁ、そうだろうな。どれぐらい掛かる?」


「そうですね。二日間ほどでしょうか。非常に細かい作業になります。リハビリでは神経が繋がる瞬間は激痛が走り、貴女にも相当な負担になりますが、その覚悟は?」


「とっくに出来てる」


「結構」


「……………………」


 ロビンは呆然として俺たちを見つめていた。

 それもそうだろう。

 他の神官たちが匙を投げたアレックスの手を繋ぐのだ。つまり、ここから先は、ロビンの信仰を超えた領域になる。


 『教会騎士』であるレネ・ロビン・シュナイダーという存在は耐えられまい。


 俺がやったのはファンタジーと科学と医療の融合だ。このどれか一つでも欠けていたら、アレックスの手を治す発想には至らなかった。


 アレックスは興奮して叫んだ。


「ディート! お前はすげえよ! あたしが惚れ込んだだけはあった!!」


 俺が一つの能力だけに頼るアホだと思われちゃ困る。


 ここに今、アスクラピアの真の『癒す手』を顕現させるのだ。

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