37 『公正』な取引
そして、再び馬での移動が始まった。
先程と違うのは、ロビン自らが手綱を持ち、俺がロビンの前に乗る……所謂二人乗りの形であるという事だ。
背中にぴったりと張り付かれて鬱陶しい事この上ない。そのロビンが、俺の耳元で、ぶつぶつと呟くのだ。
「やった……やった……! 素晴らしい逸材です! 父様も母様も、この子を見ればきっとロビンをお認めになる……」
全部、聞こえてるんだよ馬鹿女が。しかし……
親子揃って狂信者か。差し詰め、ロビンは狂信者のサラブレッドだな。最早、笑う気にもなれないが。
「それで、ディート様」
「様?」
「はい。子供扱いするなと言いましたよね?」
「……言ったが、へり下れとまでは言ってない」
寧ろ、俺の名を呼ぶなと言いたい。他の奴らを当たれと言いたい。
「では、ディートさん。貴方は何処へ向かうつもりだったのですか?」
「……」
「それでは、聖エルナ教会へ」
俺は小さく舌打ちした。
「分かったよ……オリュンポスのクランハウスと言えば分かるか?」
そう聞いたロビンは少し納得したように頷いた。
「……ああ。あの『オリュンポス』ですか。確かに有名人ですね。納得です。クランマスターのアレクサンドラ・ギルブレスは再起不能の噂が…………」
そこまで言って、ロビンは考え込むように難しい表情になった。
ややあって……
「……って! え!? だったら、あのヒュドラ亜種の呪詛を祓った子供って……ディートさん……?」
くそっ、やはり気付いたか。こうなる気がしたから言いたくなかったんだ。
耳元でロビンが囁くように言った。
「……そんな事だから、私たちのような者が貴方たちには、必要なんですよ……」
「……」
今はもう、ロビンの一挙手一投足に腹が立つ。俺はアスクラピアの神官らしく黙っていた。
それを肯定の返事と受け取ったのか、ロビンは饒舌に語り始めた。
「……貴方たちは、優秀であれば優秀である程に生き急ぐ。母だって言ってますよね。『そんなに急いだって、行き着く場所はただ一つ』って」
馬鹿め。それはそういう意味で言っているのではない。俺たち神官……アスクラピアの子に向けた警句だ。
誰しもいずれ死ぬ。どのような道を辿ろうと、いずれ母の手に抱かれて死ぬ。
そういう意味では、行き着く場所はただ一つだ。
だが、その道は幾つもの道に別れる。楽に生きるか。それとも、敢えて苦難の道を選んで進むか。
役に立たない生は早い死だ。
楽な道程に進んで何が得られる。母は、いつだって無理をして手に入れた物にこそ価値を置かれた。
俺もそう思う。
無理をして手に入れたものだけが、晴れて王冠に価する。それがいいのだ。傲慢で、実に人間臭い。
俺が深く思索する間も、ロビンは母の言葉を引用して何やらおかしな理論を語っていたが、理解しているのはどれも言葉の上っ面だけで、その殆どが無味乾燥で、聞く価値を一切感じなかった。
「……だから、影となり日向となり、貴方を守り、支える存在が必要なんです。貴方も一人で生きている訳ではないでしょう。残された者の事を考えた事がありますか?」
「……それは戦う者の話だな。『俺が居なければ駄目だ』『仲間の為に戻らなければならない』死に瀕した戦士たちは決まってそう言う。だが、そんな事はない。残された者は、それでもなんとかやって行く。滅ぶにせよ、生き延びるにせよ、生き残った者の事は生き残った者が決める事だ。それに口出しするのは侮りが過ぎる。傲りが過ぎる。残された者は言うべきなのだ。『お前はよくやった。後は任せろ』と。そうすれば、戦士は納得して去る。母の手に抱かれて去る。戦士の死と運命とは斯くも見事に調合されている…………」
しまった。こいつの愚かさに、ついつい口出ししてしまった。
「おい……」
気が付くとロビンは馬を止め、俺の話に聞き入っていた。
「……ディート。もっと、もっともっと、貴方の話を聞かせて下さい。貴方の話は素晴らしい。私一人が聞くのは勿体ない程です……」
ロビンは目尻を下げ、うっとりとして話の続きを待っている。
やむを得ず、俺は『説く』。
「人は誰しも戦っている。人は誰しも戦士だ」
「人は戦う生き物である。母の言葉からですね」
「然り」
後は自分で考えろ。言外にそう言って、俺は説法を打ち切った。
そもそも母は多弁を弄する者を嫌う。俺もよく喋るやつは嫌いだ。人は各々の流儀に合わせて生きればいい。そこに言葉は必要ない。
俺が完全に黙り込んでしまったのを見て、ロビンは悲しそうに言った。
「……語らず、示せ。ですか……」
それも母の言葉だ。俺は小さく頷いた。
ロビンに軽く腹を蹴られ、俺たちを乗せた馬が、再びとぼとぼと歩き始めた。
ロビンは、どうしても俺に何かを話させたいようだった。馬の歩みは時間を稼ぐように鈍く頼りない。
俺は苛々して言った。
「説教が聞きたいなら、俺の他にも神官は居るだろう。中には説教好きなやつもいるかもしれない。そいつの所へ行けばいい」
「貴方の言葉ほど、私の胸には響かない」
人には各々の流儀と解釈がある。それは俺たち神官にも言える事だ。
「お前の好みにまで責任が取れるか。相性のいいヤツを探せ」
「いま、私の目の前に、居ます」
俺は笑って言った。
「自分で考えろ。母はいつだって独力での問題解決を希望されている」
そもそも、己の足で立って生きている者に説教は必要ない。自分の足で立って生きる。それこそが……
「もう少しスピードを上げろ。このままでは陽が暮れてしまう」
「……」
ロビンは悲しそうに馬の腹を蹴り、馬は俺の言った通りもう少しだけスピードを上げた。
「このまま、貴方を連れ去りたい。ずっと貴方の話を聞いていたい」
「やってみろ。必ず後悔させてやる。だが……」
こいつに割く労力は時間の無駄だ。だから、俺はこいつの希望に沿って言った。
「……このまま進め。百聞は一見に如かず。俺の『実践』に興味はないか?」
その言葉に、ハッと息を止めたロビンは興味深そうに目を瞬かせた。
「……それは、抗い難い欲求ですね」
「そういう事だ」
これ『以降』の俺を見て、 レネ・ロビン・シュナイダーという教会騎士の信仰がどうなるか。
俺は、この世界のどのような神官とも違う。異世界人の神官『ディートハルト・ベッカー』だ。
全ての事象は変わって行く。
人が歳を取るように。そして選ばねばならなくなる。それが出来ない時、人は緩やかな死に向かう。
クランハウス『オリュンポス』が見えて来た。
俺は言った。
「ロビン、お前は招かれざる客だ。オリュンポスに入って以降は何があっても喋るな。また俺の如何なる行いについても絶対に邪魔するな」
「……」
教会騎士、ロビンは俺の言葉に強く興味をそそられたのか、口元を笑みの形に歪ませて頷いた。
「……素晴らしい。これは、私に対する挑戦ですよね? 素晴らしい……素晴らしい……分かりました。貴方の挑戦を受けます」
これでよし。
この狂信者に、異世界人『ディートハルト・ベッカー』が思うアスクラピアの真の『癒す手』を見せてやる。
そう意気込んだ所で、ロビンが険しい表情で言った。
「ただし」
む、と俺は口籠る。ロビンの俺を見る目が、狂信者のそれでなく、一人の人間のものであった為だ。
「貴方だけ条件を出すのは『公正』ではありません。こちらからも条件があります」
……面倒臭いやつだ。こいつは神官というものを熟知している。
「一つは、貴方の身の丈を超す術は使わないで下さい。そしてもう一つは、全てを終え、私が貴方の要望に応えた場合の事です」
「……」
俺は内心で舌打ちした。
これから、このロビンが何を言うのかは分からないが、俺は戒律上の理由から、それを『公正』に聞き入れなければならない。
「……私は、貴方のただ一人の騎士になりたい……」
「……」
俺にも好き嫌いはある。そして目の前の狂信者は、俺の好みから大きく外れている。
俺の沈黙に、ロビンは動揺して眉を潜めた。
「まさか、もう既に貴方には騎士が居られるのですか?」
「いや、居ないが……」
それを聞くなり、ロビンは花が咲いたように笑った。
「では、問題ないですね!」
「俺の気持ちは無視か」
「はい!」
「流石に突き抜けてるな……」
だがいいだろう。俺は公正に取引する。不偏不党ではないにしても。
「分かった。その条件を受けよう」
この時の俺には、こいつを追っ払う自信があった。
俺の本性は異世界人だ。こいつにそれが受け入れられる訳がないと思っていた。
思っていたんだ……