36 ゴミ箱以下のもの
ずっと一緒に居て、一生守ってあげるだと……?
それが初対面のガキに言う言葉か? しかもあれだけ煽り散らかしてやったのに……
今は心底嬉しそうに笑ってやがる。
「ねえ、お姉さんとおいでよ! お姉さんが、一生一緒に居てあげるからさあ!!」
いらねえよ。
「さあ、聖エルナ教会に行こう! お茶もあるし、お菓子も沢山あるよ!」
こいつ……瞬きしてねえ……
俺は……日本じゃ三十年生きた。その人生じゃ、色々なものを見てきたつもりだ。
本当に、見たくないものまで含めて色々なものを見てきたが、まだ一度も見た事がないものがある。それは……
本当の狂人だ。
ロビンからは、なんというか、未知の恐怖を感じる。それっぽい雰囲気がある。普通の人間には受け入れられないヤバい『何か』を感じる。
ロビンは嬉々として叫んだ。
「キミは偉い人の卵なんだ!」
「……」
これも……『神さまの思し召し』とやらなのだろうか……
俺は初めてみるモノに息を飲む。
普通の大人が見た俺なんて、屁理屈こねるクソ生意気なガキでしかない筈だ。でも、ロビンの信仰心は、そのクソ生意気なガキを受け入れた。それも普通じゃない歪んだ形でだ。
……振り回されるな!
ロビンが『本物』なら、ここから先は俺も本気だ。煽り抜き、冗談抜きで対処する。
瞬き一つしないロビンの瞳を直視して言った。
「……依頼がある。俺でなければ治せない、重い症状の怪我人だ。それでも引き留めるか」
「……」
ここまでで、俺は殆どの事を正直に話した。これもその正直な事の一つだ。俺……アスクラピアの神官の使命を知りつつ、それを無視するというのなら……
ロビンは呆気なく頷いた。
「分かった! じゃあ、お姉さんと一緒に行こう!!」
「……」
俺は間違えた。
レネ・ロビン・シュナイダーは狂人ではなく、『狂信者』なのだ。俺が使命を果たすと言えば、反対なんかする訳がない。
ただ、くっついて離れない。
ここで俺は精神的に手酷いダメージを受けた。
俺が理不尽な二択を強いたように、ロビンもまた俺に理不尽な二択を強いたように感じた。殴り付けた相手に殴り返された。
……俺の失敗は大きい。
救いがあるとするなら、俺の場合、それは経験に則った駆け引きだったが、ロビンの場合は狂信者の信仰に基づいたイカれた信念であるという事だろう。
「お姉さんが連れて行ってあげるよ! 何処!?」
ロビンは笑顔を崩さない。それが俺には、一層歪なもののように見えた。
「……先も言ったが、内密に進めたい一件だ。同行はいらん」
「遠慮しなくてもいいよ? お姉さん、口固いから大丈夫!」
これはいかん。話が堂々巡りになる。教会騎士は神官を理解している。粘り合いになれば、制限がある俺は確実に負ける。
「馬鹿め、子供扱いするな」
俺はなんとか主導権を取り戻そうと知恵を捻るが……
「大人ぶってそんな事言ってもダメ! 誰がどう見たって、キミは子供なんだから!!」
「……」
俺はまた間違えた。これはロビンの言っている事の方が正しい。
ロビンは狂信者ではあるが、狂人ではない。まともな感性で見れば、俺はちょっと超能力が使えるだけのクソ生意気なガキに過ぎない。
俺は悩みに悩んだ。
往診が必要なのがアレックスだけならいい。だが、マリエールも俺を必要としている。この一ヶ月、床に臥せりながらも無理に往診を続けたのは、アレックスの為でもあるが、マリエールの為でもある。
ロビンは、もう絶対に俺から離れない。
……母よ! これも試練か!?
言い訳は許されず、かといって逃げる事も許されない。俺は天を仰いで嘆息した。
「どうしたの? 上に何かあるの!?」
「……お前の愚かさに疲れたんだ。少し黙っていろ……」
こいつに遠慮はいらない。俺はもう、完全にビジネススタイルを止めた。
「うん! 分かったよ!!」
「……」
くそ、また間違えた。
こいつと話すだけで、俺は酷いダメージを受けてしまう。肩から力が抜ける。上手い考えが浮かばない辺り、ここら辺が俺という人間の限界なのだろう。
「……」
周囲を見回すが、助けになりなそうな物は何一つない。不思議な事に、人っこ一人だって見当たらない。こいつの節操の無さに比べれば、浮浪者の方がまだしも人間らしい……
「…………」
まさか……ロビンのせいか?
もし、教会騎士がこういうやつだと知っていれば、俺は姿を見た瞬間、後ろも見ずに逃げ出した……もしかして、浮浪者ですら知ってるような常識だったのか?
俺は右手で何度も顔を拭った。
すまん、遠造。
すまん、マリエール。
俺は絞り出すように言った。
「……いいだろう。ただし、依頼人の事は絶対に他言無用だ」
「分かった!」
「もし……誰かに話したら殺す。言葉以外の方法を使って教えても殺す。教会騎士、全員を殺す。母の名に賭けて必ず殺す」
「……」
俺の言葉は脅しじゃない。幸い、母は復讐が大好きだ。ロビンが約束を破ったその時は、必ず手を貸してくれるだろう。
「……返事はどうした」
「……」
ロビンは口を噤み、困惑したように視線を逸らした。
……クソが。こいつ、何か隠してる。
「都合の悪い隠し事があるなら、今、ここで言え。後で分かったら問答無用で殺す。教会に纏わるありとあらゆる者を殺す」
力のある神官の言葉は、それ自体が呪詛に近いものがある。それ故、教会騎士であるロビンは目を白黒させて困惑している。
「……俺も死ぬだろうが、それまでに同胞が百人は死ぬと思え……!」
「……はい」
さすがのロビンも堪えたのか、勢いをなくして小さく頷いた。
俺も苦々しく思いつつ頷き返した。
「……信じるぞ、ロビン。知っているだろうが、母は復讐が大好物だ」
「はい……それは、はい……」
俺がアスクラピアを母と呼び、神と信仰する所以……
「通常、信頼に対する裏切りには死を以て当たるを是とするが、お前にそれは効果がない。よって――」
思い出したのは、愚かで不憫なジナの事だ。
「教会騎士全員に『逆印』が刻まれるよう、この身を捧げて祈るとしよう。母はきっと受け入れて下さる」
「ぎゃ、逆印……!?」
勿論、こんなものはハッタリだ。だが、狂信者のロビンには効果があるだろう。
「そうだ。お前たち全員に『逆印』が刻まれれば、さぞ楽しい事になるだろうな」
そこでロビンは、慌ててネックレスとブレスレットを外して投げ捨てた。
「なんだ、それは!」
「……私の居場所が分かる魔道具と、音声が伝わる魔道具です……」
この女……!
百人殺すと聞いて、尚も隠そうとしやがった! この狂信者が……!!
この世界に来て、俺が最も強い怒りに震えた瞬間だった。
「――死ね! 死ね!! 死んでしまえ!!! お前にとって命とはなんだ! 命をなんだと思っている!!」
こいつには、生きている資格すらない。
「……!」
意図せず『雷鳴』を発した俺の様子に、ロビンは一瞬だけ身体を硬直させた。だが……
「……」
次の瞬間には跪き、祈りを捧げるように手を組んだ後は、全てを受け入れるような達観した笑みを浮かべ、俺を見つめ返した。
「ぐっ……!」
俺は激しく舌打ちした。
雷鳴が原因で死んでも、ロビンは喜ぶだけだ。
また肩から力が抜ける。
空が青い事を知るのに、世界中を見て回る必要はない。教会騎士という連中は、皆、こうなのだろう。
俺は呆れ、疲れてしまった。
「……なあ、もう、あんたの助けはいらない。俺一人で行かせてくれ。頼むよ……」
それに、ロビンは笑顔で首を横に振った。
「……私は貴方に会う為に生まれたのです。私が必要な時が必ず来ます。どうか……どうか……」
「……」
これ以上、この狂信者を翻意させる言葉を思い付かず、俺は小さく溜め息を吐く。
「……もう、おかしな物は持ってないだろうな……?」
「天地神明に誓って……」
俺は鼻を鳴らした。
「馬鹿め。お前の言う事が信用できるか」
だが、こいつを罰しても喜ぶだけだろう。俺自身の力で逆印が刻めるなら、迷わずそうしている所だが、あれだけは神の御業だ。
本当にムカつくが、どうしようもない。一時は怒りに任せて雷鳴を起こした俺だが、もう毒気が抜けてしまった。今はもう、こいつに使う全ての労力が勿体ない。
ロビンは笑顔で言った。
「すごい雷鳴でした。寿命が二年は縮んだと思います」
やった本人の俺が思うに、こいつの言っている事は本当だ。激しい怒りに身を任せたあの瞬間、意図せず神力が溢れた。その『言霊』を間近に受けたロビンには確実に影響があった筈だ。
俺は疲れ切っていた。
「……そうか。よかったな……」
それで死ねば良かったのに。
こいつにはゴミ箱ですら生温い。