23 予兆
回復役として最低限の道具を集めている間、暇を持て余した俺は遠造の具合を診てやっていた。
遠造は『ローグ』のクラスを持っていると言っていたが、『クラス』に詳しくない俺にはそのローグとやらの事は分からない。
遠造の傷は……どれも治っていて古傷と呼ばれるものだが……その殆どが上半身に集中していた。
なお、マリエールは袋一杯のマイコニドの胞子を持って戻って来ており、胞子はメイドの手によって聖水で煮詰める作業に入っている。
「沸いたら布で濾して下さい。胞子だけ取り除くんです」
アネットよりメイドの方が役に立つ。三人のメイドはガキの俺の指示にも不平を言わず、てきぱきと作業を進めている。
お陰で遠造を診てやれる訳だが……
遠造の上半身には、ざっと診て二十二ヶ所もの『瘤』が散見された。
「遠造、数が多すぎる。この分じゃ下半身にも瘤があるだろう。全部取るには時間が掛かる。暫く探索は休めるか?」
「マジかよ。どれぐらい休めばいい?」
「まぁ……十日は見ておけ」
「あ? そんだけかよ」
「どれも良性だからな。そんなもんだ。それより、先に足の裏にある魚の目を取ってやる。辛いだろう」
「ま、マジか!? あれ結構痛くてよ……」
早速、マイコニドの胞子を煮詰めて作った麻酔薬に針を浸し、その針を遠造の足に打ち込む。
「最初はチクッとするぞ」
「屁でもねえ。やってくれ」
作ったばかりの麻酔薬は上手く働き、遠造は足の裏の魚の目を取り去る施術の間、鼻唄を歌っていた。
「で、先生。幾らだ?」
「瘤の方なら貰ったがな。俺は守銭奴じゃない。こんな遊びで一々金を取るか」
「……」
治療を受けている間、遠造は上機嫌でニヤニヤ笑っていた。
そして――
どうもいかん。何故か遠造に対しては地金が出てしまう。
ビジネス。こいつはビジネスだ。難しく考えていると、大人しく治療の光景を見ていたマリエールが不平を鳴らした。
「エンゾばっかり、ズルい」
「マリエールさんの方は、後で全身、裸に剥いて診てあげますよ」
クソみたいなセクハラ親父ギャグをかましたつもりだが、マリエールは嬉しそうに笑った。
「そうしてくれると助かる。後、アレックスの件が片付いてからでいい。大事な話がある」
「……」
突っ込みがないのは寂しい。小さく溜め息を漏らすと、それを見た遠造が吹き出した。
「なぁ、先生。アレックスの三倍出すから、俺に付くってどうよ?」
「そういう話はアビーとしてくれ」
「アビー?」
「俺の親分だ、って……何も聞いてないのか?」
俺は少し考え……中身が異世界人である事を話す訳には行かないが……今置かれている境遇について虚実を交え話す事にした。
先ず、孤児である事。俺、『ディートハルト・ベッカー』はこの街を囲う城壁の外に捨てられていた。
その俺を拾ったのが『アビー』だ。この辺りは地獄みたいに冷える。アビーが居なければ、俺は朝を迎える事なく死んでいただろう。
己の勢力を拡大する為とはいえ、縁も所縁もないガキを拾って面倒を見る。それがアビー自らの為とはいえ、俺が命を拾われた事に間違いはない。
「……一宿一飯の恩ってやつか?」
遠造は、俺の話に一定の理解を示したようだ。ふむふむと納得したように頷いた。
「義理堅いな……」
「母は無頼と忘恩とを嫌う。これは非常に大きい事だ。何せ、その時の俺は、自分の事を何一つ分かってなかった」
「……そりゃどういう意味だ?」
「その時の俺は、正真正銘、なんの力も持たない只のガキだった」
「……」
そして、ここからは謎が多い。アビーがアダ婆を殺してしまった訳もそうだが、俺自身が得た『神官』というクラスについての事。
……おそらく、この世界の人間である遠造なら、俺の疑問に答える事が出来るだろうが……今、話すべき事じゃない……
俺は用心深く……幾つかの事実を濁して話した。
「……暫くして会った『宣告師』に、『神官』である事を告げられた。その直後、母のお告げがあって、三日寝込んだ……」
遠造は、ぎょっとしたように改めて俺を見た。
「……三日も? そりゃ長過ぎる。よっぽど『刷り込まれた』な。ガキの癖に博識な訳だ」
「……」
また分からない事が増えた。
『刷り込まれた』とはなんだ。母のお告げを受け、寝込んでいる間、俺はいったい何をされた。俺自身に説明の付かない知識はここからやって来たのか。時折、母の言葉が脳裏に浮かぶ事とも密接に関係しているのだろうか。
「…………」
様々な疑問が脳裏に閃いては消えていく。
「……どうした、先生」
それらは既に起こってしまった事であり、もうどうにもならない事でもあった。
俺は軽く首を振った。
「いや……取り急ぎ、足の方は見ておいた。調子はどうだ?」
「すっきりしたぜ。悪くねえ」
遠造曰く、足の裏にある魚の目は、特別治療を受けるような症状ではなかったが、時折痛み、癪に障る。目の上の瘤のような存在だったらしい。
「……神力を使った治療はしてない。傷には薬を塗ってあるだけだ。二、三日、全力疾走は避けろ」
アレックスたちに何かあった時の為に神力は温存する必要がある。その為、この場での治療は簡易なものに限られる。
遠造は肩を竦めた。
「へいへい……」
「明日も様子を見せに来い。処置ぐらいはしてやる」
『魚の目』は、重症化すれば割とキツい症状だ。遠造の場合、そこまで酷い症状ではなかったが、治療後の今は右と左の足の裏に、計五つの穴が開いている。
「明日も診てくれるのか?」
「……一応、このクランの専属という事になっている。大した手間でもないし、瘤の方も気になる。早くすっきりしたいだろう」
「……」
俺の言葉に、遠造とマリエールの二人は揃って複雑な表情を浮かべた。その表情に悪意は感じない。だが、なんというか……
「先生、あんた、放っといたら早死にするタイプだな」
その言葉に同調するように、マリエールも深く頷いた。
「……五徳ってやつ?」
驚いた事に、マリエールは神官の『五徳』を知っているようだ。
「まあ、そんな所だ。でも嫌々やってる訳じゃない」
『慈悲』『慈愛』『奉仕』『無欲』『公正』。俺を縛る五つの戒律。不自由に思った事はない。不満も感じない。力には代償が必要だ。
「……自然にこなすのがコエーな……」
「うん、何か言ったか?」
「……」
またしても遠造が呆れたように肩を竦めた所で、ゾイとアシタの二人が袋一杯にギリザリス草を摘んで帰った。
「よし、そいつも鍋にぶちこめ。茎がしんなりして、茶色になるまで煮込むんだ。後はマイコニドの処置と変わらん」
俺の言葉を受け、メイドが即座に動く。ゾイたちが持ち帰ったギリザリス草は厨房に運ばれ、適切に処置される。
「後、ルドベキア草とフロックス草はどうなっている」
「傷薬と毒消しだな。そいつは、今、買いに行かせてる。夕方には間に合う」
流石にAランク。見た目こそ野良猫の遠造だが、文句は言わないし、仕事は無茶苦茶早い。人を使うのにも慣れている。
「よし。掛かった金は全て筋肉ダルマに付けておけ」
そこで、成り行きを見ているだけだったアネットが漸く口を挟んで来た。
「それにしても、銀貨二百枚は法外だわ!」
そこに理由がない訳じゃない。俺は鼻を鳴らしてせせら笑った。
「知らんのか。初診料ってやつだ」
「ショシンリョウ?」
法外でもなんでも、筋肉ダルマには必ず代価を払わせる。面倒を起こした代価を払わせる。
その対価が金になるか、それとも命になるかは筋肉ダルマの選択による。
それにしても……嫌な予感がする。
物事には法則と順序がある。
予想外に物事が上手く運ぶ時、それは何らかのトラブルが起こる予兆である場合が多い。
何もなければいいと思う。今、やっているのは命を救う為の準備だ。準備だけで終わるなら、それが一番いい。
失った金は、また稼げばいい。だが、命はそういう訳には行かないのだから。